SEポートランド

ポートランド、川をわたればSE地区
レンガのアパート、ちいさな家、古着屋とカフェ
人・建物・緑がほどよく混ざる街

まるかいてバツ バツ バツ

2017-05-18 21:36:24 | 雑記

Pearl 地区にある Sisters of the Road カフェの説明会に行ってきた。

【本当の春のはじまり、街路樹のみどりは深く、みんな笑って歩いている】
夕方6時から。ついつい車で行くと、どの道に停めていいのかわからなくなる。
日本的な感覚だと、路上駐車し放題。なんだけど、駐車が多いところと少ないところがある。多ければ場所がないし、少ないと、周りのホームレスが気になる。
(安物ですが新車ですし…)

今日からやっと本物の春なので、みんな楽しげにホームレスしてるんだけど…
どこか、その笑顔をうたがう自分がいる。
旅行者として来ていると、浮浪者がたくさんいても平気、つまりそこは「よその街」だ。
でも家族と、しかもその街の平和な郊外で暮らしていると、浮浪者見ると生理的にどこか引いてしまって緊張する、という気分がある。「じぶんの街」だからね。半分ぐらいは。

意味なくあたりを一周してから、意を決し駐車してカフェへ。

【正体不明のおもしろくて素敵な参加者たち】
店は、ちょっといじれば一泊200ドルぐらいとれそうなクラシックホテルの一階にある。
(そんな日本語の本ありましたよねー。PDXの名所だそうです)
気持ちのいい吹き抜け分たかく取った窓、奥行きのある部屋が二つ。そこに15人の聴講者。
  女8人、男3人、クイア1、ゲイ1(推計)
  西洋人10、黒人2、アジア人1
  大人13、子ども1

まずは自己紹介。子づれの上品なお母さんは、「自分はボランティアではなくて、ドーネイションの機会を探してきた。子どもにも学んでほしいから、一緒に来た」とのこと。近くのコンドか、丘のうえの高級住宅に住んでいるのだろうか。いずれにしても、同じ街に住んでいても、ここにご飯を食べにくるのと反対の人たちだ。子どもは、なれない場所に少々緊張していたが、ピザを途中まで食べのこし静かにしていた。とても素敵な親子だ。
そのほかの12人も、年齢・人種・性別をこえて素敵な人たちなんだろうと思う。
子どもほどではないが、それぞれピザを途中まで食べ残していた。

説明してくれたのは、いままで見たことのないお姉さんLisa。しばらく一生懸命しゃべったあとで「今日は初説明会だ」だといっていた。
いい意味でも、あまり良くない意味でも、ここは高度に組織化された地元有名ボランティア団体のようだ、と、ぼくが感じたのは、彼女の緊張感からくるものが半分だったのだろう。先日、地元小学校に説明に来てくれたチーム短髪おねえさんとは、ずいぶん違っていた。後から考えれば、彼女らは百戦錬磨の広報班だったのだろう。なるほど、よく組織されている!

そして、Lisaの緊張も組織人としての使命感からくるものだとすれば、ぼくの第一印象はたぶん正解だ。

おなじような感情を持った人も多いようで、彼女が組織の理念について一生懸命語りかけると、それは別に威張ってないんだけど…ちょっと空回りしてしまうみたい。あからさまにしらける人もいないけど、聴衆の表情は、途中かなりの中だるみを読み取れた。せっかくのピザも、この緊張感からは少々食べづらいみたいで、Lisaに勧められて、みんなやっと2枚目に手を出した。でも、近所で売れば5ドルはとれそうな本格的な薄手のピザは、まだ、もう一枚ずつのこっていた。

【印象深い説明をふたつ】
彼女の説明のせいか、ぼくの英語力のせいか、いまいちポイントがわかりづらかったんだけど、象徴的なことがらを以下に説明する。

◆マークについて
丸印のなかに×(現地ではエックス)3つ。これは落書きからきているそう。
話を聞いて以前バンクーバーの安ホテルで読んだ『The Door is Open』
を思い出した、これはホーボーのタギング。
   おいしい食事
   あたあかい場所
   やさしい人
のはず。つまりこの団体は、最近のホームレス問題よりも以前、北西USAのホーボー支援の団体だったようだ。ホーボーといっても1920年代のオリジナルよりも後、アメリカの高度成長期を、組織労働者よりもさらに底辺から支えた季節労働者。ビート世代崩れのなかでも、屈強な男たちが北西諸州にあつまってきて、夏はきこりとして働き、冬は安ホテルに泊まって(たぶん飲んだくれて)暮らしていた。
そして、彼らは景気が悪くなった1980年代には、老いて支援を必要としていた。教会ではない(本の中にたびたび笑い話として出てくる)ボラ団体は、ここから出発していた。
遡ればここは digger indian たちがサケを食べて暮らした国。

◆コンセプト改定について
2011年、現在まで直接つながる活動方針の変更があった。
  すべての人たちを開放するようなコミュニティをみつけること…
  その根底には、Non-Violence and Gentle Personalism

自分の背景からgentileにはピンときた。
ひとはすべて生まれながらにgentleな人間で、ぼくたちは誰かにgentleにされたりする必要なんでないんだ。ということ。
これは、Pearl地区の象徴的なビルにキャンパスをつくった大学に呼んでいただいた自分には、身にしみる言葉だ。今日もキャンパスの周りにはホームレスしている人たちが集まって、たぶん春風を楽しんでいた。建物のなかは、がっちりとオサレ化リノベーションした図書館。もちろん、ソジャさんの本なんかもおいてあるんだけど。

つまり、80年代に昔ふうの浮浪者支援として始まった団体が、いまでは、ホームレス問題と対面する団体になったということ。


【これからの課題】
まずは皿洗いだね。来月から登録できるみたい。これはやや簡単。
もっと大きな宿題は、「いまはやりのポートランド」っていうキーワードそのものの持続可能性。

Homelesness = ホームレスな生活 (×ホームレスという人)の説明ビデオで、
   All we are victims of economy.
という説明があった。
ホーボー時代ならば共感できるんだけど、怪しいオサレ経済(※注1、2)で活況を呈しているこの街が全米から人を集め、地価と家賃をたかめ構造的にホームレスを生み出しているとすれば、それは持続可能なオサレ社会なんだろうか?

1990年代パンク風(でも切れ味がないように見える

僕が老いたからでしょう点)ファッションでかためた現代のビートニクスたちが老いたとき、ポートランドは「人にやさしい街」でいられるんだろうか?
サンフランシスコみたいな打ち出の小槌は、なかなか出てこなさそうだし… ユニコーンの替りが「オーガニック」だとしたら、かなり笑える話だ。

注1:ドリップコーヒー(うんたらラテに非ず)3ドル~5ドル! チップ込み。
カードを出すと、ぼくがPIN入力する前に、鼻ピもしくはポートランド風ヒゲのバリスタが、にっこり笑って端末をこっちに向ける。すると、チップ、
   1 or 2 or 3 USD
っていう画面が出てくる。
その時すかさず、すこしはなれた右下にある No thanks を押せる日本人は少ないよなぁ。
最近わたしは、ただポットの蛇口押してくれただけの人にはチップはらわなくて良い、と知りました(爆)

注2:ポートランド州立大地理学科のハンターさん『ポートランドネス(近日邦訳がでるようです)』によれば、「…9ヶ月の雨と、残酷な仕事探しにもかかわらず」、この街にはなぜか人が集まってくる。そう。

そして、ふと思い出すのは、グランジブームのときのお隣さん(シアトル)。
ただギターを弾きたいだけなら、20年前はシアトル、いまはポートランドだけどね。
ぼくもちょっと歳をとった。でもサンダーズには負けないゾ!

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