松江人の日帰り登山

未踏の山を幾つ登れるか挑戦しています

京極家と浅井家と尼子氏(1)

2017-01-25 | 歴史散歩

我が〇〇家の証しを残そうと「〇〇家のこと」という話をまとめて16年前に親戚に配ったが、このたび、、もう一度加除訂正を加え配ることにした。我が家系の話は明治以降のことしかわからないが、それだけでは歴史にはならない。ということで、祖先を遥かに遡って人類の起源から始まっている。付け加えた一項目のひとつに、第3代松江藩藩主(1634-1637)に京極忠高なる人物がおり、その家系に興味が湧いたので皆さんに紹介する。

京極家と浅井家
系図にある京極家と浅井家(浅井は「あさい」あるいは「あざい」と読む)は共に北近江(滋賀県)を支配した武将の家系で、本来は京極家が主家であったが、小谷城おたにじょうを中心に勢力を強めた浅井家に地位を奪われた。後に浅井氏は戦いに敗れて滅亡、豊臣秀吉に臣従していた京極家は大名として復活を果たした。浅井久政の次女にマリア(1542-1618)という女性がいる。実名は不明。マリアは天正9年(1581)に夫の高吉と共に安土城下でオルガンティノ神父より洗礼を受け、ドンナ・マリアという洗礼名を授かった。5人の子供のうち瀧子を除く4人に洗礼を受けさせている。三女はマグダレナ、実名はわからない。瀧子は夫が亡くなり、秀吉の正室でなく側女になったため、マリアはとても不憫でならなかった。髙吉は洗礼後亡くなった。男子2人は家を継ぐ立場上のためか棄教したらしい。天正15年にバテレン追放令が秀吉により発せられたが信仰を貫き、京や大阪で布教したが、晩年に高知が領していた丹波国の泉源寺村(舞鶴市)に侍女と移り住み、布教活動を行い亡くなっている。村人から「泉源寺さま」と呼ばれ慕われた。数年前、マリアが暮らしていた此御堂こみどう近くの山中で墓が見つかっている。マリアの子で長男である高次が豊臣秀吉による朝鮮出兵で肥前(福岡県)名護屋へ行っていたとき、付き添っていた侍女の於崎(尾崎)に手を出し懐妊させ、生まれたのが忠高である。妻の初(初姫)に激怒されるのが怖くて、母マリアに扱いを頼んでいる。忠高が松江藩主になる前は小浜藩第2代藩主であった。忠高は江戸で亡くなり、嗣子が居らず断絶となっている。 (続く)

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 雪の月山へ | トップ | 京極家と浅井家と尼子氏(2) »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。