つむじ風

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普天間問題の解決策

2011年12月12日 00時11分49秒 | Weblog

 先の大戦(1945年)以来60余年、沖縄は惨々だった。日本の1つの県であるにも関わらず、諸々の問題を引きずりながら国防上の要を一手に引き受けてきた。「引き受けて」とは聞こえが良いが、有無を言わさずと言うか、どさくさに紛れてと言うか、ずる賢い本土の連中に騙されてと言うか。

 何でそんなことになってしまったのかということだが、そもそも琉球王朝は1187年頃まで遡る。1429年、第一尚氏王統の尚巴志王の三山統一によって琉球王国が成立したと見なされている。或いは1462年、中央集権に成功した第二尚氏王朝から琉球王朝の形が出来上がったようだ。王朝は第7代目の国王 尚寧王(1564年~1620年)まで、430余年にわたり続いた国家である。尚寧在位中の1609年に薩摩藩の島津氏に侵攻されて降伏した。以後、琉球は日本(薩摩藩)と明の二カ国に両属することになる。尚寧王は薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍の徳川秀忠に謁見、後に琉球に戻ったものの、このことで本土との腐れ縁が出来てしまった。系譜としては尚家23代当主まで続くが、実質的な王朝は1620年までのことであろう。

 最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士 札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。

 そのような歴史の中で430年間が長いか短いかは別として、王朝は確かに存在した。本土も室町、安土桃山から戦国時代を経た戦乱の時代である。琉球王朝もまた平和な王朝文化で終始していた訳ではないけれども、日本と明国との間にあって、最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治し、海洋国家として最も豊かであっただろうことは想像できる。かつて薩摩藩に攻め込まれたとき、もし負けることが無かったら、きっと状況は変わっていたに違いないのだが。

 地理的な条件は今も昔も変わらない。だからこそ、米軍は今も沖縄に居るのである。その意味では、かつての「海洋国家」としての価値は、いささかも失われていない。そこで思う訳だが、この際、一向にラチが明かない日本政府などは捨て置き、思い切って「琉球国」として「独立」してはどうだろうか。世界にはもっと悪条件でも独立している国がいくらでもある。それらに比べれば有利な点こそ山のようにあれど、不利な点は何もない。確かに「補助金」は無くなるであろう。しかしこの「補助金」によってどれだけ県民が自堕落になったかを考えれば、これとて決して良い面ばかりではなかったはずだ。「補助金」など無くても、観光立国でも貿易立国でもタックスヘブンでも何でもメシは食える。米軍のことは、本土の事など全く気にする必要はなく、「琉球国」として改めてその受入の可否を判断すればよい。かつての琉球がそうであったように日本、米国、中国、韓国などを手玉にとってシタタカに生き抜くという選択肢である。普天間基地の問題を解決するには、これしかないと思うのだが、いかがなものか。



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