宇宙の歩き方

The Astrogators' Guide to the Charted Space.

星の隣人たち(2) ダリアン人の歴史

2017-03-07 | Traveller
 ダリアン人も他の人類と同じく、太古種族によって約31万年前にテラ(ソロマニ・リム宙域 1827)からダリアン(スピンワード・マーチ宙域 0627)へ移された100人以下のホモ・サピエンスの子孫です。太古種族の真の目的は今となっては謎ですが、彼らはダリアン人が快適に過ごせるように惑星デイリーエン(Daryen)を大規模に改造し、生態系を調整しました。結果、デイリーエンの大地は高山山脈に隔てられた5つの盆地に全て分けられ、大型の捕食者はおらず、空気は澄み、危険な病原体もない文字通りの「楽園」がダリアン人に与えられました。ダリアン人は太古種族をオンソライック神(god Onsorik)として、後々まで崇めました。
 太古種族による最終戦争(Ancient's War)の前までに、ダリアン人は5つの「楽園(the Orchard)」ごとに集落を築いていたことが考古学研究からわかっています。樹林は実に人類好みの食料を実らせると同時に人々の住居ともなり、中心部にある直径2000メートルの「炎の窪み(Flame Pit)」の存在は住民に暖を取らせ、火を起こす必要すら感じさせませんでした。強いて難を言えば、水の確保のために毎日遠出しないといけない程度でした。
 そして最終戦争が始まるとオンソライック神こと太古種族は、(ダリアン人が好意的に解釈するなら)戦争の惨禍からこの星を守るために自ら去りました。どうやらデイリーエンに目立つ文明の人工物が無かったために無人の原始世界と思われたことが、この星が戦争による消滅を免れた理由のようです。オンソライックがその後どうなったかは誰もわかりませんが、少なくともダリアン人は神による「実験」から解き放たれました。

 「楽園」の中で古代ダリアン人は(一部テラから導入された)野生生物を狩り、果実を集めて、人口を増やしていきました。安全な環境の中では織物や陶器の技術開発程度で事足りたため、彼らは自由時間を文化を育むことに割きました。歌、舞踏、運動といった集団娯楽が花開き、哲学が高められました。
 やがて「楽園」が約100万人と推計される人口維持の限界に達すると、彼らは社会に適合しない者を排除するようになりました。諍いを起こした者、心を病んだ者がまず除かれ、やがて高齢者すら救われることがなくなりました。「楽園」での生活は、次第に殺伐としていきました。

 最終戦争から10万年が過ぎた頃、火山活動の活発化により「楽園」の木々は姿を消していきました。必然的に食料が不足し、多くの人々は他の「楽園」を探して荒野に向かっていきました。ダリアン人は自力で火を起こす術を身につけるなどして新たな環境に順応はしましたが、(※おそらく人類の持つ常在菌が変異した)病原菌によって致命的な疫病が広まりました。この頃2つの「楽園」が完全に滅び、社会秩序が崩壊した古代ダリアン人はついに「楽園」を放棄して各地に拡散していきました。
 次の10万年間、ダリアン文明は狩猟文化、遊牧文化、耕作文化を繰り返し、人口を増やしては各地の生態系を崩し、新たな疫病によって滅ぶこともしばしばでした。しかしそれらのことから学んだ彼らは文明の回復速度を徐々に早め、ようやく安住の地を見つけました。河川や海岸の整備を行い、水運によって居住地間が結ばれ、ようやく文明を取り戻したのです。

 畜産と輪作によって都市化が促進され、人口は持続可能な形で増加し始めました。人々は土地を求めて盆地から山岳地帯に生息圏を広げていくと、やがて凍てついた高山を経て赤道沿い3つと南極側の盆地の文明を結ぶ踏破路を発見しました。全く異なる言語、習慣、伝統を持つ文明同士の接触は、初めは畏怖や誤解を乗り越えて平和的な関係が構築されたものの、後に軍事的拡張と報復攻撃による虚しい戦争の時代に移っていきました。山岳の道は交易ではなく征服に用いられ、それが何千年も続きました。しかしながら、短い平和の期間には兵士の代わりに商人、学者、哲学者がその道を行き来しました。
 そんな-23000年頃、哲学王と称されるデーライアー・レイペット(Derir Lipit)は「全ての生命は自らの本質に従って生きる権利を持つ」という後々まで繋がる最初のダリアン哲学を提唱しました。しかし1000年後にはその考えもいくつかに分派し、例えばある隠者は「全ての生命は生きていなければならない」と他の生命を殺めることを厳格に戒めました。そして彼の信奉者たちは果実だけを食べ、枯れ木だけを焼き、羊毛だけを着ました。一方で別の地での解釈は柔軟で、「人は食物連鎖の最上位に位置しているが、殺すのは食べる時だけに限る」として、全ての生き物を動物も含めて「人道的に」扱いました。こういった哲学の深化の末、偉大なるノーテイン・テイリーズ(Notan Taledh)は2つの考えを統合したライボ律法(Rimb Law)を定めました。

「獣は捕食によって生きるが、人は理性を持ち生産で生きる。したがって、捕食者として生きる者は獣と同じであり、人としての本質を成し遂げていない。人は労働のために、もしくは食料のために獣を扱うかもしれないが、残酷に処してはならない。ましてや、人が人を捕食してはならない」

 このようにテイリーズは、合理性こそが人間の本質だと教えていました。生物の本能や感情はより低く見られ、それに囚われることは許されませんでした。ダリアン社会は哲学校に基づき、禁欲や平静が重んじられるようになりました。しかし自らの表現が他者に害を及ばさない限りは、自由な感情表現は許されました。現在でもテイリーズの生命尊重哲学は生きていて、平和主義も普遍的ではないにしろ敬意は払われています。
 テイリーズはまた、ダリアン人最初の法律を公布しました。テイリーズ法典(Taledh Code)は犯罪の定義、刑罰の定義、処罰の際の道徳的指導の3つから成り、犯罪の定義として テイリーズは他の生命を傷付ける可能性のある行為を犯罪と定めました。そしてそれが本当に害を引き起こしたのなら実の罪、可能性に留まったのなら虚の罪とし、実の罪のみを処罰の対象としました。また罪の重さは償える能力にも比例し、同じ罪でも裕福な犯罪者は貧しい犯罪者より多く罰金を払い、屈強な者は病弱な者より長く服役しました。このテイリーズ法典も、何世紀にも渡ってダリアンの法体系に多大な影響を与えました。

 デイリーエン最大の海洋である北極海に面する氷に閉ざされた地、ズローズ盆地(Zlodh Basin)には-16000年頃に文明が再興し、他の4文明との交流はその1000年後となりました。沿岸部は不凍とはいえ、その厳しい気候ゆえにズローズのダリアン人は技術面で素早く進歩していきました。海で食料を確保するために航海術を磨いた彼らは、やがて広範囲に海上交易を展開するほどになりました。
 ダリアンで最初の大帝国、ズローズ帝国が興ったのはこの海の沿岸でした。ズローズ帝国は科学的な神権政治に基づき、彼らの持つ磁針と天文学を用いた航海術は迷うことなく遠距離を進むことを可能としました。当初操船を任されていただけの海の聖職者たちは、やがて政治を動かすようになり、陸地をも権限に収めました。しかし聖職者は実際には統治を担わず、帝国の交易に欠かせない影の皇帝として振る舞いました。そして教団の思惑に従うように、より迎合的な皇帝に取り替えられていったのです。
 聖職者たちは科学を神秘とみなし、教団の外には漏らしませんでした。一方で合理的な探究心をもって、彼らは世界の多くの仕組みを解き明かし、実用的な天候予測、より難解な数学、高度な造船技術が得られました。更に彼らの科学的探求心は他の盆地への探検の資金提供を促し、探検隊は教団に新しい情報や科学知識をもたらしました。聖職者たちは伝道も兼ねて、各地の住民に教育を施しては信者を増やしていきました。
 彼らは世界がズローズ帝国の下で統一されることを目論んでいましたが、そうなる前に彼らは技術革新を扇動しすぎていたことに気付きました。忠実な信者たちは従来の枠を超えた新しい概念や思想を次々と生み出し、科学の新発見は燎原の火のように広がって帝国の支配構造を揺るがしました。中央集権的だった帝国は、徐々に権威主義的でないいくつかの小国に分割されていきました。
 -10000年頃には羅針盤や印刷術、建築学などが発展し、その頃には衰えていた教団はデイリーエン各地に点在する哲学校に姿を変えていました。ダリアン人は持ち前の好奇心で数千年間、生物学、天文学、数学に加えて、倫理や社会学や心理学といった社会科学も発展させていきました。-1511年までにデイリーエンはTL3になっていましたが、彼らの科学理論はTL8~9の段階にまで達していました。
 この時まで、世界は平穏に包まれていました。

 その頃のダリアン人が知るはずもないことですが、遥か彼方の宇宙では激動が続いていました。第一帝国と地球連合の恒星間戦争の末に-2204年に建国された第二帝国でしたが、暗黒時代への流れを食い止めることはできませんでした。-1776年に第二帝国が崩壊した後に続く250年間の無秩序と混乱は星間交易と経済を破壊し、新政府が誕生しては消えるを繰り返しました。この時代の市民が現状を逃れようとするのは自然なことでした。
 元々テラのトルコで創業し、当時はディンジール(ソロマニ・リム宙域 1222)に拠点を置いていたソロマニ人商社のイッツェン(Itzin)の経営者は、恒星間貿易の崩壊を見て新世界への移住を決め、従業員とその家族にも同乗する機会を与えました。-1520年に35隻の輸送船と10隻の護衛艦によるイッツェン艦隊が、ディンジールから大裂溝(Great Rift)に向けて出発しました。艦隊は旧第二帝国領を進み、-1516年にヴランド(ヴランド宙域 1717)に到達、その後はコリドー、デネブ、スピンワード・マーチといった当時は未開拓の宙域に向かいました。-1513年に一旦サクノス(スピンワード・マーチ宙域 1325)に艦隊は停泊すると、そこを拠点に周辺星系の念入りな調査が行われました。当時のスピンワード・マーチ宙域でもいくつかの世界(アルジン、ヴェインジェン、ゾダーン入植地など)は有人でしたが、その中で彼らが移住の候補に選んだのが、人口がそれなりに多く、ソロマニの技術を保つ可能性の高いデイリーエンでした。
 まず惑星は軌道上から探査され、次に偵察隊が送り込まれました。古代ダリアンの文明を結んだ山岳地帯の未踏地に秘密裏に基地が建設され、世界と社会の十分な分析を行ってから、ようやくソロマニ人たちは自分たちの存在を明らかにすることにしました。
 -1511年、イッツェン艦隊の人々はライボ盆地に姿を現しました。ダリアン社会が世俗的なことを理解していたので、彼らは「空から神として降臨する」のではなく、地上から訪問することを選びました。実際、ダリアン人から見たソロマニ人は、他所からの単なる移住希望者の集団に過ぎませんでした。しかし単なる移住者と違ったのは、ソロマニ人が持ち込んだ高度な技術の物品や知識が貿易材として機能したことです。ソロマニ人はそれらを積極的に交換し、多くの知己と資産を得ました。一方のダリアン人は熱意をもって来訪者から急速に技術を吸収し、広範囲な科学基盤を得ました。ダリアン人が新技術に馴染んだのを見て取ったイッツェン艦隊の指揮官は、ダリアン人との対等な協力関係を結ぶことを決めました。
 ダリアン文化とソロマニ科学の相乗効果は爆発的でした。ダリアン人が技術水準と産業基盤を急速に高めるのに、多くの時間は必要ありませんでした。

 イッツェン艦隊の3万人程のソロマニ人は、ダリアン社会に取り込まれることを当初から決めていました。ダリアン人の遺伝形質が自分たちより優性であることが確認されたからです。-1400年頃には婚姻によってソロマニの血はダリアン人の血筋に吸収されましたが、ソロマニ人がもたらした技術と理論を完全に理解したダリアン人は、彼ら自身の高い数学的能力を用いて論理的な結論を導き、それを超えて飛躍を始めました。
 当初ダリアン人は、イッツェン艦隊が残した船を利用して宇宙に出ることを検討しましたが、何十年も放置された宇宙船は稼働せず、宇宙を知る世代も既に亡くなっていました。しかし彼らは軌道上に係留されたままの艦船を解析する計画に立て直し、30年後には独自の偵察艦隊を他星系に派遣するまでになっていました。ダリアン圏(Darrian Group)に属するスプーム、マイア、コンダリア、ロジェ、イリウム、ルーレ、アングルナージュ、エクトロン、ラバーヴ、494-908は、-1395年~-1370年に探査されています。
 初期の探査はジャンプ-1の制約があって母星から数パーセク内に留まりましたが、やがてジャンプ-2の開発と燃料貯蔵量の増加によってその範囲は広がり、探査の末期には一部の船にはジャンプ-3が搭載されていました。-1270年にはダリアン人の到達範囲は半径20パーセクに達しています。ダリアン人は将来の広大な植民地候補の存在を知り、徐々により深い科学的調査に移行しました。

 探査隊が近隣星系を調査している間、ダリアン人の科学者は反重力技術や電子工学、磁気や放射線といった物理学の研究に情熱を傾けていました。高度な数学は直感的把握を助け、その進歩は驚異的でした。宇宙に対する彼らの理解は飛躍的に増加し、デイリーエンでは工業化が加速しました。ダリアン文明がTL3からTL10へと跳躍するのはあっという間でしたが、その間にも原子力発電所の事故、薬品や化学物質の予期せぬ副作用、環境破壊による汚染など、技術革新の負の側面も増大していました。ダリアン人の多くは、技術の進展が必ずしも良いことばかりではないことを学び始めていました。
 そんな中ゴールギー・ルーレ(Ghorge Rorre)は、技術によって汚染されていない新世界を求める運動を興し、やがて何万人もの支持者による資金援助によって彼の名を冠したルーレ星系(0526)に集団移住を行いました。そこではソロマニ人到来以前のTL3を越える技術開発を禁止し、環境保護を推進し、宇宙港の外で住民は農場を営みました。ルーレ産の農産物はその目新しさから市場で高く評価されましたし、牧歌的な雰囲気から観光地としても成功したようです。
 環境破壊の教訓は母星のダリアン人にも影響を与えていました。彼らは資源を惑星内から星系内へ、そして星系外へと求め始めました。軌道上には星系内資源の精製施設が建設され、ダリアン人の入植に向かないとされた星には採掘場が置かれて輸送船団が母星と行き来していました。今でも残っている遺構としては、ドゥバーレ(0830)の露天鉱山やタルチェク(1631)のガス精製所が挙げられます。

 ダリアン人は探査こそ広範囲に行い、無人の惑星を何十も発見しましたが、それら全てに入植できる程の人口も必要性もありませんでした。探査終了後のダリアン人は近隣世界の科学分析に注力し、-1250年~-1100年にはダリアン圏の11世界を徹底的に調査した上で、その星の生態系や鉱物資源を研究するための科学施設を各地に設置しました。同時に、長期滞在における心理的・生理学的影響も調査されました。
 それらの調査結果を基に何百もの開拓者が入植地を建設していき、数十年後には食料自給が可能な水準に達しました。しかし、依然として技術機器の多くはデイリーエンから購入するしかなく、デイリーエンが求める農産品の輸出に収入を頼るしかありませんでした(ルーレの植民地は母星からの自立を果たしていましたが)。

 ソロマニ人の来訪から400年が過ぎ、ダリアン人はTL14に到達していました。それは、彼らにあと400年の平穏な時間があればTL22~23に到達していたであろう、と言われるほどの躍進ぶりでした。ダリアン社会は研究と開発に邁進し、ある意味で傲慢でした。神の領域に挑むべく彼らは急ぎ、倫理面で疑わしい分野にも踏み込み始めました。研究は反物質生産、生命工学、物質転送原理、人工知能、超能力の分野にも及んでいました。星系探査も進められましたが、それも主に研究目的でした。研究こそが当時のダリアン社会の全てでした。
 -1000年頃、TL16になっていたデイリーエンの統一政府は主星テーニス(Tarnis)の調査研究計画を開始しました。というのも、スピンワード・マーチ宙域各地への遠征で得られたデータを検証すると、星の放射出力の面でテーニスのそれは理論値と実測値に不安な乖離が生じていたのです。
 -950年と-944年に並行して、主星内部を解明する2つの計画が進められました。主星近くの小惑星帯の基地から運営されるエブー(Abh)計画(直訳するとアルファ計画)と、北極海の海底都市のズローズ大学から運営されるウーズ(Udh)計画(オメガ計画)です。前者はデータを遠隔測定するために、保護したセンサーを直接恒星内部に送り込むもので、後者はスーパーコンピュータと新開発の中間子技術を応用して遠方から主星を観測し、恒星の寿命に関するデータを集めました。
 -925年には、エブー計画は恒星そのものに耐える最初の無人探査機(probe)の開発を完了しました。その探査機は約8分間高熱に耐え、深度18000キロメートルに達して焼滅しました。
 翌年、外殻を改良した2号機がテーニスに打ち込まれて深度30万キロメートルに達し、膨大な量のデータを送信し続けました。それは天体物理学者たちを喜ばせましたが、それも恒星の異変の兆候を示すデータが送られるまででした。探査機を停止させる決定が下される前に、恒星の表面下で猛烈な膨張が起こり、宇宙空間に星間物質を放出し始めました。
 巨大な爆発の最初の影響は、ガンマ線バーストでした。それは超新星爆発に比べれば微々たるものでしたが、それでも星系規模では恐るべき被害を与えました。光速で飛来した放射線は破壊的な電磁パルスとなって、星系内全ての電子機器を破壊しました。宇宙空間ではあらゆるコンピュータが故障し、宇宙船の乗組員や軌道施設の人々は暗闇の中で急性放射線障害を起こして即死しました。デイリーエンでも反重力機器は墜落し、自動運転の乗り物は急停止するか燃料が切れるまで動き続けました。コンピュータ上のデータは消滅し、大気中の通信電波も使用不能になりましたが、そもそもそれを送受信する機械も沈黙していました。ものの数秒で、TL16社会は石器時代に逆戻りしてしまいました。
 しかし、最悪の事態はこの後だったのです。テーニスから発せられた巨大フレアは時速30万キロメートルで宇宙空間を進み、わずか3週間でデイリーエンの公転軌道を通過しました。社会基盤の復旧に忙殺されたダリアン人は近付いてくる己の運命を知らず、自身を守ることができませんでした。フレアが直撃した瞬間、圧倒的なエネルギーによって地表気温は局地的に摂氏250度に達して、浅い海は蒸発し、森林や草原は燃え、3日間をかけて猛烈な嵐が吹き荒れました。地表のほぼ全ての生命は死に絶え、生き残ったダリアン人は地下施設や深海都市に閉じ込められていた約2割の人々だけでした。その生存者も、ほとんどが天候災害や放射線障害や飢餓などで数週間以内に死亡し、かつて数十億を数えた人口は数十万人にまで激減しました。極わずかな生存者たちは、この恐るべき災害を「大混沌」を意味する「メイギズ(Maghiz)」と呼び伝えました。
 メイギズの余波はデイリーエンに留まりませんでした。ガンマ線バーストは星系内全ての人工施設どころか、周辺6パーセク以内のダリアン人植民地をも順に襲いました。事前警告を受けて到達予定日がわかっていても、全ての電子機器を電磁波から守ることはできませんでしたし、そもそもそれができるほど植民地には資源も機材も足りなかったのです。


 メイギズ以前のダリアン植民地は、あらゆる面を全てデイリーエンに依存していました。重機を造る程度の工業能力は有っても、極小回路や先進的な医薬品、そして何よりもTL16の社会基盤を維持する能力に欠けていました。加えて植民地では科学情報のデータベースも整備されておらず、それぞれの世界では専門家の脳内に蓄えられていたものが全てでした。特に、宇宙船の新造は不可能となってしまいました。
 メイギズに続く20年間、デイリーエンとその植民地は細々とした通信や交易を行ってきましたが、宇宙船の老朽化に伴ってそれも難しくなり、-905年に全てのダリアン人入植星系はそれぞれ独自の道を歩むことを決めました。残った艦船は等しく分配され(※この時デイリーエンが秘匿していたTL16艦隊が約1300年後に発見されます)、-860年には世界間の交流は完全に停止しました。
 それから「長い夜」の間、それぞれのダリアン人星系は生き残りに苦心しました。彼らの禁欲主義傾向は、この苦難の時代に培われたのです。彼らの技術力は電子化前に戻り、ハイテク機器のほとんどは廃棄されるか、博物館に保管されました。

 -275年、マイア(0527)はTL10に回復していました。研究者たちは博物館に保管されていた宇宙船を調べ、自らの技術と産業基盤で新しくそれを建造できることに気が付いたのです。修復されたジャンプ-1の貨物船が探検隊として各地に進発した後、マイアは他のダリアン人植民地や母星デイリーエンとの交流を再確立し、4年後には自力建造した宇宙船によって新時代の幕を開けました。
 再建されたダリアン圏は、再接触計画を実施したマイアが必然的に主導することになりました。メイギズからの回復が遅れていたデイリーエンは遅れて-238年に相互友好条約に加わったため、ダリアン人の母星として尊重はされたものの実権は失いました。ちなみに、この年をダリアン連合(Darrian Confederation)は建国年としていますが、148年に正式に成立するまでは星系政府同士の緩やかな集合体に過ぎませんでした。

 再び宇宙に戻ったダリアン人が最初に発見したことは、自分たちに「隣人」が居たことです。-399年にソロマニ人が隣の星域に到着し、ダリアン圏から7パーセク離れたグラム(1223)に入植していました。グラムのソロマニ人たちは、予備探査で再建途上にあったダリアン文明の存在に気付いてはいましたが、彼らは自分たちだけの社会を築きたいと考えて接触は試みず、代わりに星域内の無人星系への入植を加速させました。
 やがて入植地にティソン、オルクリスト、スティングといった宝剣の名を冠し、「ソード・ワールズ人(Sword Worlders)」と名乗るようになった彼らは、-200年には星域全体の無人世界のほとんどを植民地化し、-186年にサクノス統治領(Sacnoth Dominate)を建国しました。なお、ダリアン人とソード・ワールズ人との接触自体は-265年にマイアの探査船によってなされていましたが、両者の公式な外交関係が樹立されたのは-164年になってからです。

 ゾダーン人も新たな隣人となりました。実は彼らは遥か昔の-2500年頃にスピンワード・マーチ宙域に進出していましたが、ダリアン人の探査隊はゾダーン人と接触することはなく、ゾダーン人も2000年間に渡ってリムワード方面よりもグヴァードンやプロヴァンス宙域方面に目を向けていました。
 -187年になってようやくゾダーン人の商業探検隊がダリアン人と接触し、以後双方は有意義な貿易関係を構築しました。ダリアン人は試作品を分析して再現することに熟達していましたし、ゾダーン人はダリアン人に製造や加工を行わせて購入した方が自分たちがするより利益になったからです。
 しかし20年後、ダリアン人は実は100年前からゾダーン人がソード・ワールズ人と交易をしていたことを知ります。何とゾダーン人は荒廃したダリアン世界を知っていて意図的に避けていて、それどころか長きに渡ってダリアン人の観測を続けていたのです。ダリアン人は、ではなぜゾダーン人が「長い夜」に苦しむ自分たちを人道的に助けなかったのか疑問に思いました。いくつかの分析の後、ゾダーン人がダリアン人を脅威に感じていたことが判明します。太古種族を除いた既知の文明で、誰もかつてのダリアン人が到達した技術水準に至っていないことがその理由と考えられました。
 それからダリアンとゾダーンの関係は相互不信から急速に冷え込み、現在に至っています。

 最後にやって来た隣人は、第三帝国でした。国境を押し進めてスピンワード・マーチ宙域まで来た彼らは、54年にマイアでダリアン人との接触を果たしましたが、その後ソード・ワールズ星域で内戦(グラム=サクノス戦争)が発生したために継続訪問は中断されました。帝国がダリアン圏との公的外交接触を行うのは、内戦終結後の148年まで待つことになります。
 帝国の到来により、スピンワード・マーチ宙域の本格的な開発が始まりました。巨大文明との接触は製品や資源取引の市場を産み出しましたし、ダリアン圏は工業化された星々の安定した政体として帝国の宙域統治にとっても理想的でした。帝国市場を巡ってソード・ワールズとの競争は自然に起こりましたが、ダリアン圏はソード・ワールズより市場規模が小さくても良質の製品を生産していましたし、ソード・ワールズの政情の不安定さも長期契約においてダリアンに有利に働きました。

 ダリアン連合は同種族による経済的連携を目指して結成されましたが、その主な目的は自衛でした。ゾダーンとの規模格差を考えれば、外部からの援助なしに自らを守り切れるとは思えなかったのです。
 隣のソード・ワールズとは経済的に競合相手であり、また彼らはダリアン人を軽蔑していたこともあって、交流関係は不安定でした。ダリアン人にしてもソード・ワールズ人は、メイギズさえなければ本来自分たちの入植地となっていたであろう星々を「横取り」したように映っていました。
 これら2つの仮想敵を考慮すると、打てる唯一の手段は帝国との連携でした。とはいえ当初ダリアン連合は、帝国とは経済面での関係を深めつつも軍事的には中立政策を採用しました。400年代になるとより抑止力の強化の必要性を感じ、新兵器の研究配備を加速させました。
 500年代に入り、宙域の情勢は更に不安定さを増しました。ゾダーンとソード・ワールズは対帝国同盟に入るよう打診してきましたが、ダリアンは中立政策を維持しました。その間にも防衛計画の見直しを続け、細心の注意を払っていました。
 589年、十年来続いていた国境問題が激化し、ついにゾダーンはヴァルグルとソード・ワールズと共同で帝国に攻め込みました。ダリアン人はこの時でも中立を守ることが最善と考えていましたが、ソード・ワールズが事態を一変させました。
 戦前のソード・ワールズはいくつかの政府に分立していましたが、開戦によって海軍の下に統一政府を作って団結しました。更にソード・ワールズ海軍は、ダリアンが中立を宣言しているにも関わらずアントロープ星団(Entropic Worlds)を593年に占拠し、そこにある鉱山を奪い取りました。これにより(※加えてゾダーン海軍による領域侵犯事件もあって)参戦の機運が高まり、ダリアン連合は帝国側についてソード・ワールズを両面から挟む形で戦いに加わりました。
 後に「第一次辺境戦争」と呼ばれるこの戦争は604年に終結しましたが、残念ながらアントロープ星団はダリアンに返って来ず、星団がソード・ワールズ国内の反体制派の流刑地として使われているのを黙って見ているしかありませんでした。

 第一次辺境戦争は、ダリアン社会のもう一つの転換点でもありました。軍事力整備が急がれていた開戦直前、ダリアン圏に新たな種族が訪れました。新たな土地を求めるアスランのイハテイ(第二の息子)艦隊がやって来たのです。
 イハテイらは自分たちの武力を売り込む絶好の相手を見つけ、領土奪還に燃えるダリアン人との利害が一致しました。アスランはダリアン正規軍に組み込まれた他、アスラン系傭兵部隊も雇用されてダリアン軍と合同で戦いました。宇宙ではダリアンの戦艦とアスランの巡洋艦が肩を並べていました。
 アスランは第一次辺境戦争に続く帝国内戦の時代もダリアンを守り、第二次辺境戦争(615年~622年)ではゾダーンに対して帝国軍やダリアン軍と共に戦いを続け、特にアスランの通商破壊船団はゾダーンやヴァルグル領の奥まで潜り込みました。
 彼らのダリアンに対する忠誠心は、金銭ではなく彼らにとって最も価値を持つもので報われました。ロジェ(0427)とアングルナージュ(0425)に広大な土地を得た彼らは、やがてダリアン社会の一員として迎えられ、アスランの方も社会に溶け込んでいきました。

 第二次辺境戦争でソード・ワールズが帝国に領土の半分を奪われる大敗を喫したにも関わらず、アントロープ星団がダリアンに返還されることはありませんでした。帝国が領土奪還のために何もしてくれないことに苛立ったダリアン人は、788年に電撃的にアントロープ星団を武力で奪還しました。この衝撃によって当時の統一ソード・ワールズ政府が崩壊し、不安定な三国同盟に移行しました。ダリアンはアントロープ星団に作られていた何千もの矯正収容所を廃止し、ダリアン連合への亡命を希望するソード・ワールズ人を喜んで受け入れました。積極的なインフラ投資も実り、星団は凍てついた鉱業の星から生産性の高い製造業の星へと変貌していきました。
 800年から826年にかけて、帝国は恐慌に駆られた超能力弾圧を開始しました。ダリアン連合は元々超能力には寛容でしたが、同盟国との関係に配慮してあくまで表向きは抑制的になりました。
 848年にソード・ワールズ星域の三国同盟が崩壊し、4年間の内戦に突入しました。当初ダリアン人からは歓迎されていましたが、政治学者は内戦の末により中央集権的な政府が誕生するのではないかと危惧し、実際にソード・ワールズ連合(Sword Worlds Confederation)の建国でそれは証明されました。

 第三次辺境戦争(979年~986年)では、ダリアン連合は直接参戦するのではなく、帝国軍の後方支援に徹しました。その休戦後、ダリアンは新設計の巡洋艦の建造をアントロープの造船所で始めましたが、それはソード・ワールズ連合側には挑発行為であるように見えました。加えて、帝国がクォー(0808)に新たに海軍基地を設置したことで、両陣営の緊張は更に増しました。クォー基地を将来の脅威とみなしたゾダーンは、ジュエル・クロナー両星域での奇襲攻撃に打って出て、第四次辺境戦争(1082年~1084年)が勃発しました。
 その開戦を口実にしてソード・ワールズ軍はアントロープ星団に攻撃を仕掛け、甚大な被害を受けたダリアン海軍は撤退を余儀なくされました。その際、刑務所星系トーメント(0721)に収監されていた凶悪犯がソード・ワールズ軍によって故意に「解放」され、以後ダリアン領内では海賊攻撃が頻発するようになりました。特に物流や補給網には深刻な影響が出て、停戦までに領土奪還を果たせなかった理由の一つとなったのです。この戦争では代わりにクーノニック(0822)をソード・ワールズから奪還はしましたが、アントロープ星団を失ったことによる求心力の低下は否めず、停戦後すぐにノニム(0322)とコンダリア(0528)が連合から脱退しています。
 この10年でダリアン海軍は、ゾダーンやソード・ワールズからの新たな侵略に備えて帝国からTL15艦艇の提供を受けています(※1012年にもライトニング級巡洋艦2隻を譲渡されています)。ダリアン連合は帝国との緊密な同盟国ではありますが、ダリアン人の間では帝国のストレフォン皇帝にアントロープ星団奪還への意欲が見られないことへの失望の声も聞こえています。
 ダリアンは現在の星図にTL16として記載されていますが、一般的に入手可能な物品はTL12程度です。メイギズの反省から急進的な科学技術の開発は行わず、物品が壊れた場合も新製品の購入ではなく再生利用が社会で重んじられているからです。依然として各地にTL16の施設はありますが、その多くは機能しない観光遺跡であり、技術の複製も戒められています。


(※「デイリーエン」の銀河公用語読みが「ダリアン」です。Traveller5以降「デイリーエン人」の方が正式名称となったようですが、混乱を招かないためにここでは「ダリアン人」を使用しました。また、ダリアン星域の星系名は明らかにダリアン語(Te-Zlodh)ではないため、帝国偵察局が付けた星系名に「翻訳されて」いるのは間違いありませんが、現地でどう呼ばれているかどうかの設定は見当たりません(※唯一の例外が人名由来のルーレですが、ゴールギー・ルーレはおそらくソロマニ人の家系の末裔です))


【参考文献】
Journal of the Travellers' Aid Society #14 (Game Designers' Workshop)
Alien Module 8: Darrian (Game Designers' Workshop)
Spinward Marches Campaign (Game Designers' Workshop)
GURPS Traveller: Behind the Claw (Steve Jackson Games)
GURPS Traveller: Humaniti (Steve Jackson Games)
Alien Module 3: Darrians (Mongoose Publishing)
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その他
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Unknown (Unknown)
2017-03-13 20:15:16
 待ってました!(笑)一氣に夢中で読ませて頂きました。

 ダリアン人に関しては第五次辺境戦争のサプリメントか(少し眺める程度しか見たことがありませんが)、某掲示板などの書き込みなどが頼りでした。
 とても奥が深いですね。宇宙に出る前のダリアンの歴史だけでも一つのゲームが作れると思います(それじゃトラベラーではなく別のゲームになってしまいますが笑)。
 
 自分としてはダリアン星系の主星の影響で衰退してしまったのがとても残念です(TL22、23以上に発展してほしかったです)。
 ですがゲームとしては遺跡発掘やかつての遺品の探索、あと災害以前にダリアンを出たTL16以上に発展させたダリアン人子孫との遭遇というのもあったら面白いかもしれませんがどうでしょうか?(これはアイランド星団やリヴァイアサンのエジルン星域の985-373、スターゲイトアトランティスでアスガードの一部がペガサス銀河に移住していたのを見て思いつきました)。
 
 ゾダーンとは帝国との同盟関係からそれに配慮して対立してるのかと思ってましたがそれ以前にも原因があったのですね。それも興味深かったです。
 
 あと大分前に言われていた「ダリアン人≒エルフ」は「楽園」でやはりエルフだと思いました(笑)

 またリクエストすることもあるかもしれませせんがその時はよろしくお願いします。

 ダリアン人の歴史をUPして下さりありがとうございました。
Unknown (テリー)
2017-03-13 20:17:06
 名前入れ忘れました(苦笑)すみません。
1年半お待たせしました(汗) (町田真琴)
2017-03-15 22:58:22
>ゲームとしては遺跡発掘やかつての遺品の探索、
ダリアンキャンペーンをやるならまずそれでしょうね。たぶんダリアン版インディー教授もいるでしょうし(笑)。もちろん最後は、遺跡は崩壊して超遺物は失われてしまうけど「命が助かっただけでもマシだし、あの悪漢の手にあれが渡らなくて良かった」というオチで。

>あと災害以前にダリアンを出たTL16以上に発展させたダリアン人子孫との遭遇というのもあったら面白いかもしれませんがどうでしょうか?
徹底的に公式設定でその可能性を潰されている感はありますが、ご安心ください。すぐ隣にどんな設定をしても「非公式」の一言で許されるフォーイーヴン宙域があります(笑)。とはいえ星域規模の国家にすると周辺への影響が大きいので、何らかの理由で「隠れ里」化した世界を用意するのは面白いかもしれませんね。もしくは思い切って銀河系の反対側ぐらいに設定してしまう手も。なあにミスジャンプすれば行ける行ける!
あと、マングース版トラベラーでは「汎用SF-RPG」を銘打った関係でパラレルワールドの存在が示唆されています(アメリカのSFドラマでは定番ですね)。破局が起きずにTL22に到達したダリアン人が既知宙域に舞い戻った太古種族とドンパチやってる平行世界が有ったり、太古種族の遺物でそっちに行けちゃったり…??
 
リクエストに応じて急にダリアン人を語り出すのも…と変なこだわりを見せたために遅くなってしまいましたが、ようやくダリアン語りができる流れになりましたので。喜んで頂けたようで何よりです。本日公開の分もお楽しみ頂けると幸いです。
素晴らしい (突撃工兵)
2017-04-06 02:32:36
良作でした。
ダリ按針がこのような苦難の歴史をだどっていたとは
有難う御座います
頑張って書いたかいがありました (町田真琴)
2017-04-07 21:40:13
サプリメント『スピンワード・マーチ宙域』のイメージだと「文明の頂点を過ぎて衰退中の種族」という感じで、その後の日本語でのフォローも(タクテクス第34号を除けば)さほど無かったこともあって意外に思われたかもしれませんね。
まあ彼らは「本気を出してない」だけですし、今回は表沙汰にできることだけ書いたので…ふふふ(笑)。

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