恒例になったインターナショナル・バー・ショーが、今年も東京・後楽園のプリズムホールでおこなわれたので、夫婦で行ってまいりました。一泊して翌日は、目白の田中屋でウイスキーを仕入れる、といういつも通りのスケジュールでしたが、今年に限っては「店長の栗林さんから、2月に死去したシルヴァノ・サマローリ氏の思い出話を聞く」という大きな目的がありました。
前日の夜、有楽町のキャンベルタウン・ロッホでもその話題になり、そのときマスターの中村さんがぽろっと言った「今の若い人たちは、サマローリさんのウイスキーを知らないんですよ」という言葉が胸を刺しました。
サマローリ氏は、ゴードン&マクファイルとケイデンヘッドの2社しかなかった、1980年代のボトラーズ業界に風穴をあけた、個人ボトラーのはしりというべき人です。「樽こそすべて、樽によってスコッチの味が決まる」という信念のもと、自ら選んだ樽にウイスキーを詰め、それをボトリングしました。それを1992年に日本に紹介したのが、栗林さんです。いわく「その頃サマローリのウイスキーを買ってくれたのは全国で10人足らず」その中に我が夫、関和雄も入っていたのです。
さて、田中屋では、サマローリ氏の話で盛り上がりました。すると、スタッフの平田嬢がシンガポールのエマニエル・ドロン氏にTV電話をかけてくれました。エマニエル氏と会った、その帰途の飛行機で、サマローリ氏は死去されたのですが、フェイスブックの記事を見ていると、お二人は、年は違えど親友といっていい間柄だったようです。
私は、エマニエル夫妻と会話ができて本当にうれしかったのですが、TV電話の背景に映る、サマローリ・ウイスキーの数々には度胆を抜かれました。数量が半端ではないのです。エマニエル・ドロン氏は、間違いなく世界一のサマローリコレクターでした。
そのエマニエル氏が「最後に見せたいものがあるんだ!」と言ってプレジデント・デキャンターボトルを掲げたので、オーバン・・・かと思ったら違いました。夫が「おー珍しい!ポートエレン!!」一見しただけですぐに分かったのはさすがでした。「コレクターの心は、コレクターのみ知る」を目の当たりにしたのが、その日の一番心に残ったことでした。(文中のオーバンの形態は、スコッチオデッセイ新版P31参照のこと)
エマニエル氏の奥様から、エマニエル&サマローリ両氏の写真を送っていただいたのでアップしました。かっこいいお二人ですね!
前日の夜、有楽町のキャンベルタウン・ロッホでもその話題になり、そのときマスターの中村さんがぽろっと言った「今の若い人たちは、サマローリさんのウイスキーを知らないんですよ」という言葉が胸を刺しました。
サマローリ氏は、ゴードン&マクファイルとケイデンヘッドの2社しかなかった、1980年代のボトラーズ業界に風穴をあけた、個人ボトラーのはしりというべき人です。「樽こそすべて、樽によってスコッチの味が決まる」という信念のもと、自ら選んだ樽にウイスキーを詰め、それをボトリングしました。それを1992年に日本に紹介したのが、栗林さんです。いわく「その頃サマローリのウイスキーを買ってくれたのは全国で10人足らず」その中に我が夫、関和雄も入っていたのです。
さて、田中屋では、サマローリ氏の話で盛り上がりました。すると、スタッフの平田嬢がシンガポールのエマニエル・ドロン氏にTV電話をかけてくれました。エマニエル氏と会った、その帰途の飛行機で、サマローリ氏は死去されたのですが、フェイスブックの記事を見ていると、お二人は、年は違えど親友といっていい間柄だったようです。
私は、エマニエル夫妻と会話ができて本当にうれしかったのですが、TV電話の背景に映る、サマローリ・ウイスキーの数々には度胆を抜かれました。数量が半端ではないのです。エマニエル・ドロン氏は、間違いなく世界一のサマローリコレクターでした。
そのエマニエル氏が「最後に見せたいものがあるんだ!」と言ってプレジデント・デキャンターボトルを掲げたので、オーバン・・・かと思ったら違いました。夫が「おー珍しい!ポートエレン!!」一見しただけですぐに分かったのはさすがでした。「コレクターの心は、コレクターのみ知る」を目の当たりにしたのが、その日の一番心に残ったことでした。(文中のオーバンの形態は、スコッチオデッセイ新版P31参照のこと)
エマニエル氏の奥様から、エマニエル&サマローリ両氏の写真を送っていただいたのでアップしました。かっこいいお二人ですね!