橡の木の下で

俳句と共に

草稿09/27

2012-09-27 10:00:08 | 一日一句

待ちをれば朝あさ窓に四十雀  亜紀子


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平成24年「橡」10月号より

2012-09-27 10:00:06 | 俳句とエッセイ

  植物園   亜紀子

 

高原の夜涼にトマト育ちをり

かなかなや猪に露天湯閉ざさるる

負け試合涼しき星を仰ぎけり

震災址洗ふ盆波澄みにけり

遊船の波戸に戻りて揺れにける

露草のをさなのやうに目を見張り

盛り場の余燼の上の月涼し

秋草を卓に午餐の杯かはす

蜻蛉に水を繰り出す作り滝

博打の木灼けし肌身をさらしけり

花小さきかりがね草のこむらさき

おはぐろ蜻蛉水面見つむる草の先

植物園夕蝉残し戸を鎖しぬ

 


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「夕蝉」平成24年『橡』10月号より

2012-09-27 10:00:04 | 俳句とエッセイ

 夕蝉    亜紀子

 

 

 八月十五日駒沢さん逝去の知らせが編集長よりメールで届く。最近のご病状は周りの方から伺っていた。だが青啄木鳥集の作品は九月号を入校してすでに二校も終了している。一瞬驚き、やがて寂しさが迫る。

 初めて親しくお目にかかったのは駒沢さんにまだ病のやの字もない頃、私は娘時代で四半世紀昔になる。美大出身の駒沢さんの絵描き仲間が東京芸大にいらして、その写真科で教鞭をとっておられた故佐藤弥寿子さんと繋がりがあったのかと思う。弥寿子さんの研究室を尋ね、半日芸大キャンパスを案内してくださるとのこと。父星眠と共に私もお誘いくださった。大学構内の花壇に薔薇の咲いていた頃だった。駒沢さんは色白の頬のふっくらした物静かな印象であった。しかし、あちらこちら案内くださる様子はきびきびとして、快活な方だった。

 学内の資料館で、歴代の学生の卒業制作に驚かされたのを思い出す。「学生の」と言う形容はそぐわない、そのまま「大家の」と呼びたくなるものだ。歳月過ぎて、子供が入った幼稚園で芸大の声楽家の先生を招き母親の様々の質問に答えていただく機会があった。なかに「どうしたら我が子を芸大に入学させられますか」という直截なのがあって、その回答はいくらかの躊躇いの後、しかし端的に「才能」ですねというものだった。音楽と美術の違いはあるものの、この時あの資料館の作品を思い出し納得したものである。

 駒沢さんと直接お会いする機会はその後めぐってこなかった。時候の挨拶の他は父を介しての又聞きであった。リュウマチを患われ、お子さんのいらっしゃらない駒沢さんの手助けは教職を退かれたご主人がなさっているということ。新築されたご自宅に入ってほどなくご主人が病に倒れホスピスに最後を過ごされたこと。そのご主人が「自分ひとりが苦しみを負っていると思っちゃいけないよ」と最期の言葉を遺されたと父から聞き、爾来駒沢さんというと、いつもその言葉が思い浮かんだ。

 

七月や時の怒濤は音も無し  駒沢たか子(2010・9)

 

 父の仕事を引き継いで間もなくこの句をいただく。無音の怒濤とはすなわち駒沢さんの来し方行く末そのものではないか。今もまた病床でその波に身を任されていらっしゃるのか。この時再び駒沢さんに巡り会えた思いが胸に溢れる。

 

敬老日瞼閉ぢても日本晴(2010・12)

みぎ手ひだり手労り合へり秋彼岸

野菜値も知らずに臥すや秋深し(2011・1)

好天をひたすら眠る文化の日

地震警報最中に初音明るかり(2011・6)

田起しのあとを鶺鴒点検す(2011・8)

文月や毎日生きる意味問ひて(2011・9)

水無月の鳥が鳴くなり夫偲ぶ

どうもこうも両手動かず神無月(2012・1)

複雑な病気の問屋十二月(2012・2)

はつゆきのあと飛び交はす小鳥かな

屋根ごとにやさしき雪の文降りぬ(2012・4)

鬼の面とれば愛らし豆打たれ

クールビズ第一日の五月かな(2012・7)

育ちたる胡瓜の花に実の立てり(2012・8)

 

 駒沢さんの句稿はお仲間の保崎・柿崎・渡辺さんの献身により毎月欠かさず送られてきた。添えられた聞き書き代筆の一言も楽しみに拝受。やがてご自身の言葉をいただくのは難しくなったが、俳句は欠かされなかった。

 訃報の数日後、次号十月分に用意されていた句稿を頂戴する。窓外に夕蝉切々とつのる。そののびやかで濁りのない作品を拝読。駒沢さんが万人の及び難い境地を生き抜かれたことを知る。

 


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選後鑑賞平成24年『橡』10月号より

2012-09-27 10:00:02 | 俳句とエッセイ

橡十月号選後鑑賞  亜紀子

 

三伏や樹々うなだれて夜を待つ  前田美智子

 

 酷暑の候、日中は草木もまさにうなだれて、会えば誰彼となく「お暑いですね」の挨拶ばかり。今夏はことのほか炎暑厳しく、これを書いている今もうだるような残暑。夕刻に水を打ち、夜の帷がおりれば多少の涼。掲句、言い得て妙。こういう句を作っていれば猛暑も乗り越えていけそうである。

 

かなかなや夕日射し入る二月堂  上中正博

 

 奈良東大寺二月堂。奈良のお寺にはどこか親しさ、懐かしさを覚える。天平の大らかさに心和むゆえだろうか。初秋の人影も疎らとなった日暮れの御堂。あかあかと傾く日。高く澄んだひぐらしの声。二月堂と言えば旧暦二月の修二会が思い起こされるのだが、奈良に住まわれる作者は四季折々吟行のホームグラウンドとされているのだろう。二月堂の句として忘れ難い一句となった。

 

乳色の温泉の川走る送り梅雨   田中尚代

 

 乳白色の濁りは湯に含まれる硫黄成分に因る。作者の住まわれる宮崎では霧島温泉郷が名高い。掲句、湯の川の景を大写しして送り梅雨の頃の感じをよく伝える。今年の送り梅雨はことのほか激しい降雨で、各地に大きな被害をもたらした。走るほどの流れ、こちらの被害はなかっただろうか。

 

はるかなる離島に飢えし敗戦忌  小山柑子

 

 一九四五年の終戦から今夏で六十七年になる。時は経ても、作者には決して忘却できぬ記憶がある。日々を蜜柑農家として農に励む勤勉な暮らしのなかに、巡ってくる八月十五日。「はるかなる」の措辞に複雑な思いがある。

 

浜木綿や貝がら白き夕渚     西堀裕子

 

 浜木綿は名古屋あたりでは街中の公園や庭先でもよく見かける。夏の暑さが生育に適しているのだろうか。伸びた茎の頂にヒガンバナのように花が開くのですぐ分かる。掲句は海浜に自生している本来の姿と思われる。海を見つめるように高く咲く白い花に風がわたる。寄せる白波が砂に散った貝殻を洗っている。人影少ない薄暮の海岸の涼やかな趣を、白を象徴的に使って描く。

 

迎火や草葉に千々の雨しづく   畑美枝子

 

 我が家の周りは街中の住宅地であるが、古くからの住民が多い。盆の入りの夕刻から、そこここの門口に迎え火の煙りが漂う。外に出て行った若い家族がその子を連れて里帰りする。この頃になると見慣れぬ子供達が路地裏で遊ぶ姿を見かけるのである。掲句は少し郊外の、周辺に緑の多い様子が目に浮かぶ。雨が上がったのをしおに苧殻を焚きに出る。傍らの秋草に先ほどまでの雨の雫が灯る。静かで清浄な夜が降りてくる。

 

芋の露含みて雀立ちにけり    半田春江

 

芋の露連山影を正しうす  飯田蛇笏

 蛇笏も詠んだ芋の露を、小雀が一口呑んでから、さっと嘴を一振りして今まさに飛び立ったところ。その愛らしい一瞬の姿が目に浮かぶ。

露の玉蟻たぢたぢとなりにけり  川端茅舎

掲句の露の趣はこの茅舎の句に近いかもしれない。

気をつけて観察していると、自然は時に思いがけない光景を見せてくれる。そこをすかさず一句に詠んだ。

 


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