勝手に「ベートーベン・ウイルス/シーズン2」

韓国MBCドラマ『ベートーベン・ウイルス』の《創作》続編 実在の人物や団体とは徹頭徹尾天地神明に誓って関係ありません

第8話 シーン2c

2016-02-21 01:51:02 | 私が作家・芸術家・芸人
車椅子に乗って看護スタッフに押してもらってルミの方に来かかった人物を見て、窓の向こうとこちらで同時に声を上げた。

「ガビョンさん?!」

声は聞こえなかったがルミはそう言ったようだった。カン・マエもまた思わず小さくだが声を出した。
ルミがそう言ったように見えたのは口の動きからだった。そしてルミは組んだ足を解いて立ち上がり、その人物に向かって歩み寄った。
確かにそれは韓国に居て痴呆症と肝機能障害の治療と療養をしているはずの、かつてのマウスフィルの首席オーボエ奏者でその昔はソウル市響の首席オーボエ奏者でもあったキム・ガビョン氏だ。

ルミがガビョン氏を抱擁し、スタッフと話をするのを見ながらカン・マエは横の佐々木博士に訊ねた。
「彼がここにいることについて、私は何も聞いてないのですが?」
声音に詰問調が混じるのは何事も自己に関係する事で知らない事があるのを我慢できない性格からである。これを、カン・マエの人となりについて韓国の友人筋からすでにレクチャーされている佐々木博士は、頭の中でだけため息を漏らしておいて答えた。

「あの方については特にトゥ・ルミさんの件とは関係が無いのですが、肝機能障害と痴呆症の関連において私の研究と重なる部分がありまして、ルミさんの症例の研究と治療の報告を向こうとやり取りしている過程で派生した事例の治験としてお預かりすることになったんです。」
「偶然ではありませんね?」
「ええ、偶然ではありません。あのお二人を会わせることで治療の相乗効果を期待しています。事は神経の問題ですから精神的情緒的な影響力は充分にあると踏んでいます。あとはその程度がどのくらいかを計りたいのです。」
「なるほど、ガビョン氏には効果があるかも知れませんな。」
「ルミさんの方にも、です。」
「ルミの方に、ですか?ルミは聴覚神経の方だから情緒的な問題はないと思いますが。」
「治療の面からだけ言えば、そうです。しかしルミさんは独り異国の地に居て同国の人など親しく言葉をかわす相手に乏しい環境ということを考えねばなりません。ルミさんはとても勉強熱心な方で日本語もかなりお上手になっていますがストレスがないわけではありません。貴方もこうして時々いらっしゃっているのに唯の一度も彼女に会おうとしないばかりか、いらっしゃった事さえ伏せておくように言われる。これで私も職員や研究員に緘口令を敷くのはたいへんなんです。」
「それは申し訳ないと思っているのです。ですが今はまだ私が来た事やこうしてここにいる事を伏せておきたい訳があります。」
「ほう、もうそろそろいい加減でその訳というのを聞かせていただいてもいい時分じゃないかと思うんですが?いつまでもこのまま黙っていられるとは思いませんよ。私が言わなくても、口が軽いと言うのでなく誰かの口が滑ってしまう事はありますでしょう。もうそろそろ綻びが出てきそうな様子は感じているんですよ?たとえそうなっても私としては責任が負えないのでねえ。」
「脅し、ですか?私に脅しは効きませんが。」
「いえ、想定し得る事態の告知です。」
「分かりました。その事態とやらに手を打つことにします。」
「手を、ですか?どういう手をです?」
「それは今は申し上げられません。しかし早急に打ちますがご迷惑はお掛けしません。」
「どんな手かは存じませんが治療の妨げになってはいけませんから事前に教えていただきますよ。」

結局、カン・マエがどんな手を打とうとしていたのかは分からず終いになった。ポケットの携帯電話の呼び出し音がそれを遮った。忌々しそうに電話を取り出し画面の着信者表示を読むと、親指で弾き出すほどの勢いでスライドさせた。
「よほどの緊急なんでしょうな、こちらから掛けるまでは呼び出さないように頼んであったはずです!」

険しい表情でそう吹き込んだカン・マエの顔色が、向こうの話を聞くうちに赤みを帯びた怒色から薄白く変わった。そして鋭く小さい舌打ちをして口を開いた。
「すぐ帰ります。そちらに着くのは今夜になりますが着き次第事務局に行きます。では!」
今度は握り潰しそうな勢いで携帯電話を畳んでポケットに突っ込み、佐々木博士に向き直って言った。
「急用ができました。申し訳ないがこれで失礼します。後をよろしくお願いします。」
これだけ言って博士を置き去りに、足早に出て行ってしまった。

そして、待たせてあったタクシーに乗って大学の門を出るところで再び携帯電話が鳴った。電話に出ると今度は鬼の形相と言っていい表情で電話に怒鳴り上げ、運転手を縮み上がらせていた。
それからは石のように押し黙り、京都駅から新幹線で名古屋に向かった。名古屋からは特急で松本まで行く。全行程2時間40分ほどで長野に戻るのだが、戻って向かったのは「サイトウ・キネン・フェスティバル実行委員会事務局」だった。


・・・・・・・・・シーン3に続く・・・・・・・・・・

第8話 シーン1d

2014-10-03 13:12:21 | 私が作家・芸術家・芸人
長野空港というのは今は無く、「信州まつもと空港」となっている。

長野県には、日本軍の大本営を移転する「松代大本営」が計画され、建設途中で終戦を迎えた巨大施設があることで知られているが、これは県庁所在地の長野市、空港のある松本市とは直線距離で30kmほど離れている。

松本市は地図の上で見ると長野県のほぼ中央に位置し、空の玄関口である「信州まつもと空港」以外にもさまざまな文化施設を擁する都市である。

この松本市の文化施設を使い、サイトウキネンフェスティバルは催される。

ゴヌたちSCPOのメンバーは(一部メンバーではない者もいるが)はるばる韓国仁川空港から福岡空港に降り立ち、そこから乗り継ぎでこのまつもと空港に飛んできた。

実はこの「信州まつもと空港」は長野県営というめずらしい経営形態で、長野オリンピックを機に整備された古い空港であって、内陸部にあるという理由も有ろうか滑走路の延長もままならず、大型のジェット機が離発着できないところから(滑走路延長が2000mで、しかも1本しかない)オリンピック以降利用者が漸減し、このサイトウキネンフェスティバルに来る人たちも大半が鉄道と高速道路を使う。
実は、の二つ目であるが、器楽奏者は飛行機を好まない。それは楽器に与える離着陸の衝撃や荷物コンテナのエアコンディショニングの面倒さによる。そのため名の有る音楽家は楽器を専用の運送便で別に演奏地へ送ったり、あるいは楽器のために座席のチケットを買ったりする。しかしゴヌたちは急に日本に来ることになってこのような知識も無く、楽器を別便で送るような時間の余裕も無いため、「楽器ごと」やっとの思いで長野にやってきた。

福岡空港からまつもと空港へは定期便があるとはいえ、使用される航空機も小さく便数も少ない。ゴヌ以外のメンバーは知らなかったが、カン・マエはまつもと空港に着陸できるぎりぎりのジェット機を手配し、臨時便という体裁でSCPOを運んだ。

それでもゴヌたちが楽器と一緒に乗り込むと結構な混雑で、例によって口にチャックが閉められないヨンギや、いまや辛口がもうひとつのウリになって韓国クラシック界に話題を提供する存在となってしまったイドゥンなどが、真夏のセミにも劣らぬやかましさで北九州から長野までの機中、見るものすべてをずうっとけなし続けていた。


そのころ、カン・マエはというと京都にいた。
京都、といっても観光ではない。・・・およそ「観光」ほどカン・マエに似合わない所行はないだろう。実に彼がいたのは京都大学医学部佐々木研究室だった。

「カン・ゴヌ先生、どうぞこちらへ」
あまり流暢ではないが丁寧な物腰の英語で、白い上っ張りを着た研究員が案内したのは [佐々木研究室] と書かれたプラスティックの銘板がある灰色の扉の向こうだった。
部屋はおよそ20畳もあろうか、研究室としてはたいして広くはない空間で応接のソファなどは無く、中央を縦断するように向かい合わせに机を置いて10人ほどの研究員らしき人たちがコンピューターや書類と無言の格闘をしている様子だ。
部屋は書類をめくる音とキーボードを叩く音、それにコンピュータの機動音しかしないようで、一種異様な空間を作り出している。これにはさしものカン・マエも気圧されたように立ち尽くした。
すぐに一番奥から50代半ばと思われる中背でやせた男性がカン・マエを案内してきた研究員と一緒に出てきた。
「ようこそいらっしゃいました、佐々木です。」
ちょっとブロークンなアメリカ英語で挨拶をしたのがこの部屋の主の佐々木重行博士だった。


「早速ですが患者さんにお会いになりますか?」 (ここから先はすべて英語での会話であることをお断りしておく)
「いや、まだ会えないのです。それより現状の説明をしてください。」
「わかりました。ではこちらのモニターを見てください、あ、私の英語がお聞き苦しかったらご遠慮なくおっしゃってください。アメリカ英語ですし、いろんな国の研究者との付き合いで訛ってますので。」
「はい」
はい、の一言ですませるところがカン・マエではある。示されたモニターの画面にはトゥ・ルミのファイルが出されていた。アルファベットの略号で表された項目の表題がついた表やグラフのファイルだ。
佐々木博士が項目の内容を噛み砕いて説明をする。
「この表は神経細胞の成長と機能の発達の具合を表しています。治験の結果を一括して表していると言って良いもので、簡単に治療の進み具合がわかります。これによれば、ルミさんは当初神経細胞の増殖が順調で定着も良く、治療の効果がはっきり出ていると思われたのですが3ヶ月目ぐらいから増殖が止まり、患部が拡大するかのような動きがあったのがわかります。そこで我々は一旦増殖を止めて患部の拡大を押さえる措置をしようとしました。
ところが、拡大を止めるための措置に移ると、順調に機能を発達させていたはずの細胞も萎縮して死に始めたのです。それがこの表のここの部分です。かなり長い平行線を描いています。
このとき私たちは患部を摘出して新しく細胞増殖によって作り直すか、患部を固定して治療するべきか判断を迫られました。
摘出すれば浸潤を防ぎ早く回復のための手順に移れますが、摘出した部位の機能をどのように補填回復すべきか、未知の問題がありました。しかし摘出せずに治療に移した場合、治癒する方法をどう見つけるか、この原因が不明な時点ではどちらが良いのか判断がつかない問題があったのです。・・・・・」

佐々木博士の話は続く。それは一話のサスペンスを思わせる、病気と医師との無言の格闘劇のようだった。最新の科学と繊細な人間の思考、熟練の職人を思わせる気の配りと手仕事。天才的な勘と針で突いた穴も無いほどの鉄壁のチームワーク。正面から向き合えば乗り越えることもかなわぬ不動の壁かとも思われ、裏をかこうとすれば思わぬところから返し手を見舞われる、まさに丁々発止の一大サスペンスと言っていい闘いだ。
説明を聞いているカン・マエの手は知らず握りしめられて指の関節は白くなり、額にはうっすら汗をにじませていた。彼はトゥ・ルミの治療がこれほどに高く厳しい峰を越えなければならないとは、正直なところ思っては居なかった。

一時間も経ったかと思われた説明が一段落ついたとき、時計はまだ15分を過ぎただけだと示していた。

「今は患者さんの容態は安定しているので第3期の治験に入っています。」
佐々木博士が言葉をつなぐ。
「第3期とはどういう内容ですか?」
すかさずカン・マエが畳み掛ける。
「神経細胞の増殖は最終段階で、増殖を止めて聴覚の再取得に向けての予備段階・・と思っていただいていいです。細胞が聴覚神経として働くためには、いわば収まるところに収まってくれることが必要ですが、いわゆるガン化しないよう監視とコントロールが必要です。その方面での研究はできていますので問題ないとは思いますが気は抜いていませんのでご安心ください。」
「私が安心しても仕方が無い。すべての結果が出るまで宜しくお願いします。」
「・・・わかりました。患者さんには本当に会って行かれませんか?」
カン・マエの返事に、ややあきれたように一瞬口をつぐんだ佐々木博士だったが、それでも最後に一言添えた。
「いま確かリハビリで館内の中庭に出ておられるはずです。直接お会いにならなくても様子を見て行かれてはいかがですか?せっかくここまでおいでになったのだし。」

[せっかく]というのは、[せっかく]心を固くして会わないと決めている自分のことだ、と思いながらこれも[せっかく]の勧めに一方的に遠目から眺めるだけならと、中庭の見える窓に身を寄せたカン・マエだった。
研究棟からほど近い、東屋のような四方の開けた屋根とベンチのある建物にトゥ・ルミはいた。・・というかそれがルミだ、と思った。
長かった髪は短く切られ、頭の左半分を覆う包帯が痛々しかった。細身ではあったがつくべきところにはついていた身体の肉も落ちて、痩身といっていいほどかと思われた。
実際には医療チームのおかげでそれほど痩せたわけでもなく、体力も必要なことから適度な運動療法もあって、本人はかなりしっかりしていたのだが思い込みというのは悲しいもので、カン・マエにはそうは見えなかったのだ。
じっと目を凝らすとやはりそれはトゥ・ルミに間違いなく、長い足を抱え込んで膝にあごを乗せ、細い指で空に何かを書くような動作をしているのは、見えない五線譜に音符を書いてでもいるのだろうか。その頭の中にはどんな音楽が流れているのだろう。
カン・マエはその傍らに寄ってそれを尋ねてみたいと思ったが、自らに課した決まりに従って身体の奥に押し込めた。

しばらくしてルミが足をおろして立ち上がるようなそぶりを見せたのをしおに、カン・マエも身を翻して立ち去ろうとしたそのとき、ルミが何か声を上げたのに気づいてふと振り返った。その目にカン・マエが思いもしなかったものが見えて、文字通り「目を見張った」!

カン・マエが見たのは・・・・




------------------------------------- シーン2に続く --------------------------------

新年 明けましておめでとうございます

2014-01-04 10:40:01 | 私が作家・芸術家・芸人
前回の投稿から随分というにはあまりに日が経ってしまいました。
当初、拙文の継続を楽しみにして下さった読者の方々も、中断が一年を超えるようになると流石にシビレを切らしたか業を煮やしたか、見限られてしまったやに思われますが、そりゃ仕方ないですね。
素人作家は締切りに悩まされない甘えに、つい筆が遅くなる事も多いでしょうが、それにしても私は遅すぎると言いますか、ヤル気を失ったように見えても仕方ない。
しかし、しかし、思い切り自己弁護かつ言い訳をしますが、この話をこのまま沈没させるつもりは有りません。
ただ、此れから確定申告の時期を迎えるので、不良自営業者としては一年のツケを請求されて地獄を見ないといけません。
ので、三月の声を聞いたら続きを執筆します。アテにならないと思われても仕方ないですが(なんだか今回「仕方ない」がキーワードみたい)、しばらくお待ち下さい。捲土重来を期しておりますので。

とりあえずですが、新年のご挨拶とご無沙汰のお詫び、執筆再開予告、と盛りだくさんで申し上げます。

第7話 シーン4b

2012-03-31 22:16:06 | 私が作家・芸術家・芸人
その宴会場・・・まあ日本でならそういう言い方になるような、割合に広くて格式張らない店・・・に夜の帳が落ちようかという時分、50ほど設けられた席が八割がた埋まった頃若いゴヌが到着した。

「おおい、遅いぞ。もう腹ペコだよ~、よっぽど先に食べてようかと思ったけどオバさんが横から俺の手をひっぱたくんでようやっとこらえてたところだ。もういいだろう、早く食べようぜ。」

なんだかどこかで見たような、前にもあったようなデジャヴな感覚に襲われそうな情景だ。若いゴヌはそう言われて言葉の主、ペ・ヨンギを見た。

「ヨンギさん、いつもそうだね。今度からは少しお腹に入れてから待っててもらおうかなあ。」
一本気でどこか子供のように純粋なところもあるが、また子供のように堪え情のないところもあるヨンギに、半分笑いながらなだめるように声をかけた。そして続けてその場に既に居る者に言った。
「そろそろ先生もお着きになりますから、もう少し待ってください。」

それまで隣り合った者同士談笑して、少し騒がしくはあるが和気藹々と過ごしていた場にサァーっと緊張の波が渡ったか、大きく開けて笑っていた口は閉じられ、組んでいた脚は床に下ろされ、椅子にゆったりもたれかかっていた背筋はまっすぐ伸ばされて咳払いも控えめに交わされ、辺りが静まったところに懐かしい書類鞄を提げた長髪長身の姿が現れた。

と、まるでオーケストラのトゥッティ(Tutti・斉奏)のように・・・指揮する者なぞなかったのに・・・ワッと歓声が上がり、拍手が沸き起こり、口々に上がるカン・マエコールに宴会場はまるで沸騰したようになった。


用意された上座に着いたカン・マエが、これもまた皆にとっては懐かしいあの指さばきで歓声を鎮めると、若いゴヌが立って言った。
「久しぶりに先生にお会いできてみんな喜んでいます。ようこそ先生、お帰りなさい。みんな今日の日を心待ちにしていました。また、今回は私たちに特別なお話があるそうですが・・・」

軽い笑いの表情を浮かべたカン・マエが、スと指を伸ばしてゴヌの言葉を切った。ゴヌは口をつぐむとカン・マエの方を見ながら席に腰を下ろした。それを横目に見ておいてカン・マエが口を開く。

「サイトウキネンフェスティバルでの演奏メンバー表をここに持ってきました。ゴヌからそれぞれに伝えてもらうことにしますから、該当者はただちに準備にかかってください。オーディションは私の都合でお待たせして申し訳ないが三日後、渡日の期限は2週間後です。それでは」

それだけ言って席を立とうとするカン・マエにゴヌがあわててすがりつく。

「先生、先生! それだけですか?みんな久しぶりに先生に会えていろいろお話したいこともあるんです。それにいきなりサイトウキネンのことを言われても・・・・」

「お前は私があらかじめ伝えておいたことをみんなに話してないのか? サイトウキネンフェスティバルのことも、そこでの演奏のことも、その人選のことも何もかもまったく話してないとでも!? だからお前はいつも肝心なことを取り落してしまうんだ!」

「あ、いえ、サイトウキネンフェスティバルがあることも、先生が音楽総監督をされることも伝えました。しかしオーケストラを連れていくとかオーディションをするということは・・・」

「バカ!!この間電話した時に言ったろうが!だからちゃんと控えておけと言ってメモを取らせたはずだ!」

「え?あ、ええ? ・・ええと、メモというのは・・・・あ、これですがオーディションは・・・」
尻ポケットに突っこんだままで数日を過ごした楽譜の裏のメモが開かれて殴り書きの文字を追っていたゴヌの視線が紙の下端に来て止まった。メモの文章が完結していない。
裏を返した(実際には本来の表側だが)ところに五線にまぎれて数行の続きの文章があった。それを見て一瞬顔が青ざめる。

「す・みません・・僕は先生とまた一緒に演奏ができるということは言ったんですがメンバーを選抜することを言ってませんでした。」
半ベソになりそうなゴヌを、小さく舌打ちをしたカン・マエが見下ろして言う。

「どうでも期限があることだ。お前が責任とってみんなに謝れ。そして間に合うようにオーディションの準備をさせろ。期日は変更しない、わかったな。」

そう言い置いて足早にその場を去ったカン・マエの残像に言い訳をするようにゴヌが呟く。
「だってあんな朝早くにたたき起こして早口で言いつけるんだから、俺の頭が覚めてなくて抜かったんだよ。書き留めてただけ上等だろう・・・」

残された会場のみんなはあっけにとられて口々に今の一件をどう解釈していいか言いあっていた。中でひときわ声高にあたりに向かってしゃべっていたのはぺ・ヨンギだ。
「だからここはいやな予感がしたんだ!だってあのオーケストラ解散を言い渡されたところだぜ?ここは!いったい誰がこんな縁起でもないところを予約しちゃったんだよ!日本なんて行かないよ、俺は。オーディションも受けてやるもんか!まったく変わってないな、カン・マエ!!!」
「でもねえ、たぶん日本へもオーディションへも出かけなくていいと思うよ、おじさんは」と言うのはフルートのハ・イドゥンだ。
「俺はお前におじさんって言われるほど年は取ってないって言ったろう?!」
「今その突っ込みはスベルよなあ・・」

「ゴヌ、ゴヌ! ちょっとみんなに説明して。どういうことなの? オーディションって。」呼んだのはゴヌの叔母でチェロ奏者のチョン・ヒヨンだ。

「困ったなあ・・・ええ、みんな、聞いてください!僕の説明が不十分だったのはお詫びします。サイトウキネンフェスティバルに先生が行かれるのを機会にこちらで公演を行い、それに僕たちが参加するというのは間違いで・・・・」
轟々とわき起こるブーイングの嵐に、言葉途中でゴヌは口ごもってしまった。少し収まるのを待って続ける。

「僕たちが参加するのではなく、そのサイトウキネンフェスティバルに出る人を選んで先生が連れていく、というのが正しいんです。すみません。」

「何度もすまんすまんって言われても仕方ねえよ、で、誰が行くんだ?」ヨンギが促す。

「世界中から演奏家が集まるから本番のステージにはほとんど空きがないんだ。一か月ぐらいの期間、いろんな催しやコンペティションがあるからそれに参加する人選をするんだよ。」

「そんなことして何の得があるんだ、俺たちに?」
「第一、一か月も国を離れて日本で誰が食わしてくれるんだ?」
「そうだ、それにもし行ったとしても帰ってきたら職がない・じゃあ、結局食いつめるのは目に見えてるじゃないか?!」
「カン・マエが食わせて再就職の世話までしてくれるっていうのか?!」
「いくら世界的なマエストロでもそんなことはできないだろうよ!」
「それに行けたとしても、行ったやつと行かなかったやつに仲間割れが起きちゃ、またオーケストラの空中分解だよ。そんなことしてカン・マエはどうしたいんだ?!」

一時はカン・マエと一緒に公演の舞台に立てると喜んだ者もいたが、その爆弾発言とも言える言葉に蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、日本でのサイトウキネンフェスティバルやオーケストラへの参加の可能性に喜ぶ者と悲観的な考えの者とに分かれてしまい、その夜はとんでもない雰囲気の内に宴ははかなくも露と消え果てた。

それも当然のことだろう。約一カ月の間日本に滞在し、分かれてのこととは言えオーケストラメンバーとしてやコンペティションメンバーなどとしてステージで演奏することになればレベルの違いがあることでもあり、実力で選ぶしかない。

そうなると元々音楽家として訓練されてきたメンバーと、プロジェクトオーケストラが本格的な(なかにはそれが音楽初体験という者も)音楽活動というものが大半だった旧マウスフィルのメンバーでは差は歴然だ。そんな差があるSCPOメンバーに新たな火種を、いや「タネ」どころではない、爆弾をカン・マエは投じようというのか?

先の宴会場での騒ぎの中でも明らかになったが、行きたい者と行きたくない者が、たとえ選抜されたメンバーといえどその中に現れる。また、ゴヌが心配するように一か月も国を留守にすると、今の放送オーケストラの座を他のオーケストラに奪われてしまうかもしれない。いや、きっと奪われるだろう。番組の放送が全国ネットになってから各地のオーケストラが放送局に必死の工作を仕掛けているのを知っているからだ。

せっかくここまで、ルミやみんなの努力で築き上げてきた地位をみすみす捨てる決断はできない。
カン・マエが宴会場を後にしてからその場の騒ぎをようやっとの思いで沈めてから、ゴヌはホテルに自身の師匠を訪ねて議論していた。

―それはお前の本心か、それともみんなの代弁なのか?・・・詰め寄るカン・マエ
―先生はいつも勝手に事を運ぶ。全然変わってない!・・・・反発するゴヌ

久しぶりに直にまみえた師弟は再び反目しあう。しかしそれは前と同じことの繰り返しなのだろうか?カン・マエが予備考察でゴヌにあらかじめ選考の対象として特にその進歩の程度を見極めようとして通知してあったのは彼らだ。

ヴァイオリンのジュヒ、フルートのヌニョン、ハ・イドゥン、ホルンのジュンジン、コントラバスのヒョックオン、トランペッタ―としてのゴヌ、ティンパニとパーカッションを二人・・・
またコンペティションメンバーとして他にヴァイオリンのジュヨンやクラリネットにファゴット等。

しかしこの名簿を見せられてゴヌは、これだけの主要メンバーを引き抜かれては残りのメンバーが全員国に残って放送にかかったとしてもテレビの収録は無理だと考えた。

それに対しカン・マエは《知ったことか、あれからどれぐらい経った?相当の時間が流れている。それでなおいまだにプロと言えるのがおよそ半分しかいないのは一体誰の責任だ? いっそこの際きれいに解散してしまったらどうだ》と返す。
またオーケストラメンバーとなった者は一切の面倒は見るが、コンペティションメンバーは宿泊以外は自費、他の者は行きたければ勝手に行くのは許す、という条件を出した。

自費と聞いたとき、ゴヌは呆れて開いた口がふさがらない様子だった。
しかし後に知るが、実際はこの催しに参加する世界各地からの参加者はごく一部の招待者を除き、どのようなビッグネームであっても基本的にノーギャラ手弁当である。
またこの催しにコンペティションメンバーとして参加することは、どの音楽学校でもどの演奏会でもどのクリニック的催しでも経験することのできない、高度で濃密な時間を過ごすことができ、プロ・アマの別を問わずサイトウキネン参加者の栄に浴することを欲している。そんな催しに誘われて参加でき、あるいは自由に居ていいと言われてそこに参加者として居られた者が帰国してどれほどの名誉と羨望を浴びるか、それがその後のSCPOの運営や活動にどれほどの恩恵、プラス効果を生み出すものか・・・・。

しかしこのときそこまでの事情を知らないゴヌが、単に有名な外国のフェスティバルに出ろと言われて行くかどうか、のレベルで悩んでいたとしても無理はなかった。

そして否応なしに迫るオーディションや渡日の期日。若いゴヌは、日本で先端的だが苦しく難しい治療を受けているトゥ・ルミに会いたい気持ちも抱えて、メンバーやオーケストラの今後をにらみ、どう結論してどうみんなを説得するのか・・・・

ホテルでの師弟の激論のあと、家に帰って一晩中インターネットの検索サイトやら音楽雑誌やらと格闘し、あげくには掟破り(とは厳密には言えないかもしれないが、何しろ思いあまっての行動再び、といったところ)のチョン・ミョンファン頼りとばかりに電話を掛けたり、の徹夜の煩悶の末迎えた翌日、ゴヌはSCPOのメンバーを練習場に集めた。

第7話 シーン3a

2011-07-16 18:45:42 | 私が作家・芸術家・芸人
 携帯電話にPCメールの着信通知が入った。通称「若いゴヌ」はちょうど図書館で次の公演のための下調べをしていたが、送信者の表示を見るなり立ち上がって椅子を後ろにはじき、大きな音を立ててみんなから一斉に睨まれてしまった。
 あわてて、誰にということもなくグルっと回りながら何度もお辞儀をしてその場を立ち去る。

 初めは大股に、段々急ぎ足になり、図書館を出るころにはもう走りだしている。両手に抱えた荷物を取り落としそうになりながら駐車場に止めてあるルミの車に突進し、ドアを閉めるが早いかめまぐるしく周囲の安全を確かめながら家に向かった。



 この少し前から、あの懐かしの邸宅には元の持ち主が帰っていて、若いゴヌは管理を任された代わりに住んでいたのでやむなく引っ越し、今は伯母のチョン・ヒヨンの近くに借り住まいをしている。

 当初はヒヨンが、大学の寮に入って留守になっている長男ジンスの部屋に住むことを勧めたが、今は治療のため不在となっているとはいえトゥ・ルミの住んでいた部屋の隣というのは気が進まず、近くだがほかに部屋を借りたのだった。



 相も変わらぬ暮らしぶりで、かの師匠が見たら鼻をつまみそうな部屋の様子だったが、その壁の一角にはベートーベンとカルロス・クライバーの写真を並べて飾った上に、チョン・ミョンファンとカン・マエの大版のポスターを貼ってある。そこだけはまるで神聖な神棚か何かのようにきれいにしてあるのがおかしいほどに不釣り合いだ。
 靴を片方脱ぎかけたままケンケンをしながら部屋に入ったゴヌは、抱えた荷物を投げ出すと「神棚」の脇のパソコンの前に座ってメールの画面を呼び出した。送信者は、もちろん、あのカン・マエからで、近々日本に行く途中にソクラン市に立ち寄ってゴヌ達マウスフィルや旧市響のメンバーから何人かを選び出し、日本に連れてゆくから準備をしておけというものだった。
 例によって向こうからの用件のみで、理由も目的も何の説明もない一方的なメールだったが、カン・マエが近々自分たちに会いに来るということと、また一緒に音楽がやれるらしいということに小躍りしたゴヌはその「メンバー」たちにメールを打ちまくった。



 あくる日の夜、いつもの練習場に集まった今の「ソクラン市民オーケストラ」の面々はカン・マエの話題でもちきりで、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだ。いくら若いゴヌが声を枯らして呼びかけても全くまともに練習になる様子ではない。理由もわからずワクワクする様子で顔を上気させて互いに手を取り合って身体を跳ねさせているのはジュヒとジュヨンのバイオリンコンビだし、クォン・チュンジンはホルンを脇に抱えたまま第一チェロのナム・ヨンウンとメガネを飛ばさんばかりに話し合っている。皆の声で皮がワンワン共鳴してピッチを合わせられなくなったティンパニを前に一人だけ憮然として腕を組み、椅子に座り込んでいるのも滑稽だ。
 もう楽器の調律どころではない。楽譜を広げているものなんて一人も・・・・・あ、フルートのカン・ジュミだけは辛うじて広げてはいるが、どうも逆さまのようだ。隣のハ・イドゥンに至っては楽譜も楽器も置きっぱなして目と口をいっぱいに開けて喋りまくっている。
 しかし、いつもの収録も迫っていることでもあり、若いゴヌの声が枯れて咳き込むころになると、ようやく喧騒は次第に収まり、口々に互いに喋り合っていたみんながゴヌのほうを向いた。
 やっと騒ぎが収まって、やっと練習ができるかと思うところに、フルートのハ・イドゥンがゴヌに訊ねた。

「ねえ、カン・マエは何をしに日本に行くの?ルミ姉の見舞いじゃないよね、ちょっとあの人からは考えられない。でも私たちを連れていくって何があるのかな?」

「待ってくれ。私たちと言ってもみんなを連れて行くとは言ってなかった。『何人かを』なんだ。あの人のことだから言い間違いなんかはないと思う。全員じゃないのは確かだからな。」

「みんなじゃないんだったら誰を連れていくの?」これはキム・ジュヒだ。

 そうだそうだ、誰が行くんだ?再び喧々囂々、ゴヌが喉をさすりながら顔をしかめる。

「頼むから目の前の収録に集中しようぜ!もうあまり余裕がない。せっかくルミが拓いてくれたチャンスをつぶしたくはないだろう?今、気を引き締めていい演奏をしないと、全国放送になってからはあちこちのオーケストラがやらせてほしいってテレビ局に働き掛けているっていうんだぜ!それに詳しいことが何も分からないところで、いくら想像してみても仕方ないだろう?いずれカン・マエからまた連絡があるから、そうしたらもっと詳しく聞いとくよ・・・」汗だくで説得した。
 しかし胸の内では別のように考えていた。
(・・・聞いても詳しいことなんか教えてくれないだろうな。訳を知ったところで何の助けになるんだ、ってえ人だから、よほどのことじゃないと説明なんてしてくれないな、きっと。ああ、どうやってみんなをなだめよう、頭痛くなりそうだ。)

 とにもかくにも練習を終えて収録の段取りを確認し、集合の打ち合わせをしておいて家に帰ったゴヌの目に表示しっぱなしのメールの字が飛び込んだ。それを見ていて・・・・・



(まてよ、この時期に日本に行くということは日本で何かのイベントがあるということだろうな。先生のことだからぶっつけ本番みたいなスケジュールは受けるはずがない。ミュンヘン・フィルやほかのオケでの先生のスケジュールに変更がなければ臨時の予定じゃないわけだから、そこを見てみれば・・・・・・。あ、秋の定期演奏会が変更になってる。この時期の日本関連のクラシックのトピックは・・・・お、小澤征爾が病気療養でしばらく活動を休むのか、サイトウキネンフェスティバルに客演指揮者だって?・・・・・これか!?)

 おおよそ、こんなことだろう、と想像をめぐらした若いカン・ゴヌだったが、その想像はあたっていたにしてもそれを上回る事態が待っていようとは、いくらなんでも知る余地もない。

 こうしてカン・マエの意図を探るべく検索や推理と想像の網を広げていたところに、不意に当のカン・マエからの連絡が入ってきた。しかもそれはメールなどではなかった。




 あの喧騒から二日後、いきなり事態は進展を見せた。
 不意の携帯電話の呼び出し音に、ビクッとして目を覚ました時若いゴヌはパソコンのデスクに突っ伏して居眠りをしていた。画面の隅の時計表示を見ると午前4時、こんな時間に誰が?と眉にしわを寄せて携帯の表示を見ると・・・一瞬、頭がさめきらないでわけがわかってない状態だったが、文字が頭に入ると驚いてまるで熱い鉄板に触ったように手が跳ねて、電話を宙にとばしそうになる。取り落としそうになるのをお手玉をしながらやっと取り押さえてボタンを押すと、耳に罵声が突き刺さった。
「遅い!何をしている!さっさと出んか、私は忙しいんだ!!」カン・マエの声が飛んできた。

「せ、先生、今何時だと・・・」いきなり叱られて寝ぼけた頭でむっとする気になる間もなく声が続いて飛び出す。
「時間を気にしていたら用事は逃げる。連絡は必要なタイミングでするもんだ、時間に囚われているのはバカだ!!これ以上バカな会話はせん。用件を言うぞ、メモをとれ、いいな?!」・・・・・・・・

 ゴヌはあわてて練習用の五線譜の書き損じを裏返した。師匠の生電話に懐かしむ暇も訊ねることもできぬまま、カン・マエの言うことを一生懸命書きとっていたが、次第に驚きの表情になっていった。これを今度みんなが集まった時に俺が言うのか?
 15分ほどの電話が1時間にも思えるような茫漠とした感じで、カン・マエが切った後もぼんやりしてベッドに座りこんだ。手にメモを握ったまま目が覚めたのは昼近くになってからで、時計を見て仰天したゴヌは顔を洗って着替えただけで家を飛び出ていった。



 その日、ソクランの空はどんよりと曇っていた。収録の当日で昼からリハーサルがあるところに天候の不順で楽器のピッチが安定しないため、本当なら余分に時間をとって充分に楽器のコンディションを調整しておかなければならない。いつもより早めにスタジオ入りをしなくてはならないのに、ゴヌは寝過してしまったのだ。しかも今日はゴヌが指揮をする日。団員よりも早く入っていろいろ準備や打ち合わせをすることがある。「泡を食う」というのはこういうことか、といった様子でスタジオに飛び込んだゴヌは朝昼抜きで空きっ腹を抱えたまま打ち合わせと練習をしなければならなくなった。
 カン・マエからの電話で取ったメモもジーンズの尻ポケットに突っこんだまま。テレビ局のスタッフと曲目の順序や、音楽の進行によるカット割りなどのための曲想の説明を、練習時の録音を聴いてもらいながらしていく。この国の番組作りは良く言えば「臨機応変」悪く言うと「ぶ△○け□◇」なのでアドリブがきかないとやっていけない。自然、スタッフの呑み込みはすさまじく早くなる。誰かがちょっと舵を取ってやると全体が実にスムーズに合わせていく。聞いている音楽の曲想の展開に、誰かがちょっとした感想を言うと、すぐさま誰か別の人間がそれに和し、イメージを広げていく手順を決めていく。もちろん、その感想に反対意見が出ることもある。が、そこで議論を始めては時間がなくなる。基本的に「言ったもん勝ち」になるのはやむを得ないところだろうか。


 三々五々、メンバーが集まり楽器と自分のウォーミングアップを始める。大筋の打ち合わせを終えたスタッフとゴヌがスタジオ入りをし、1回目のリハーサルに入った。最初の曲はヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」、ルミが日本に行き、編曲に携われなくなって最初のルミ以外の者の編曲作品になる。
 ルミは日本に治療に行くにあたっていくつか書きためて置き土産にした曲があった。しかし当然のこととして、最低で半年ほども日本での治療にかかるとなればその間の番組用の編曲を用意するのは無理というもの。
 ルミもゴヌに、勉強のためもあるから自分でも編曲をしてみたら、と勧めていたが当のゴヌはなかなか乗り気ではなく、極めて小編成の小曲をぼちぼちとやって見せるばかりで一向埒も様も明かない様子だった。しかしルミがいよいよ日本に向けて立つという日の前、ゴヌはやっと1曲を書き上げて彼女に見せた。それが、この「オンブラ・マイ・フ」だった。

 この曲はヘンデルの作曲したオペラ「セルセ」の中のアリアで、「ラルゴ」とも称され、本来「カストラート」の歌うものだが、広くソプラノによって歌われることが多い。だが「カストラート」は男性であり、またそのメロディーの優美さから、ソプラノ以外のさまざまな歌手やまた器楽演奏としても演奏される曲だ。

 これを編曲することにしたゴヌの思いも思いだが、初めての仕事にルミの目から見ても少し未熟な点があり、ちょっと手を加えて、いつか演奏できたらいいね、の言葉を残して日本に立ったという経緯のある仕事だ。

 ルミが日本に着いてすぐ、治療の方針に変更があり、結局当初の予定より永く日本にとどまることが決まった。しかし、それは別段事態が悪化したというものではなく、治療の方法がより高度で先端的なものとなることになったからで、病気のことだけでいえば実に歓迎すべき変更なのだが日本滞在が長引くとなって周囲は大いに落胆したものだ。そして半年を過ぎ、もうすぐ1年が丸まろうとしている今、「ソクラン市民オーケストラ」はあるきっかけで一段の飛躍を期待されることになっている。そこに今度のカン・マエの連絡が重なり、皆が大いに浮足立っているところだったので、ゴヌは自分の編曲・・・一部にルミの手も入っているが・・・であり、「ラルゴ」とも称されるこの美しく緩やかな佳曲をもってしっかりみんなの足を地に着けたいと願ったところだ。


 まだ過日の興奮冷めやらぬ団員の気持ちを落ち着かせるように、少しづつリハーサルを進め、やがて収録の本番を迎えた。
 収録に際しては演奏する曲によって衣装を替えている。クラシックの曲を演奏するからと言って礼服一辺倒ではない。もともと、より身近にクラシックを感じてもらおうという趣旨で始めたことなので、礼を失しない程度にリラックスした服装も心掛けてきた。このオーケストラではもちろん衣装係とかスタイリストなど置いているわけはなく、ファッションにうるさい一部の団員がその役を勝手に買って出て皆を翻弄している。そしてそれは読者諸兄のお察しの通り、バイオリンのジュヒ・ジュヨンコンビであり、ハ・イドゥンである。他にも適宜意見を申し述べる者があって・・・まあそのほとんどが女性陣だが・・・衣装の奇抜さ面白さも番組人気を支える一助になっているらしい。それはオーケストラの女性たちの衣装だけではなく、男性のものについても意見が及ぶのであって、これを男性陣は命令と称しているが、いろんなものを着せられるのでコントラバスで花屋のヒョックォンはいつもこぼしている。

 「オンブラ・マイ・フ」は緑の木陰、やさしく柔らかい雰囲気を衣装にも持たせようと女性陣が知恵とセンスを絞った衣装で演奏が始まった。伸びやかな旋律をフルートとオーボエが奏でる。団員の中の元のマウスフィルのメンバーには、胸にあの「ネッラ・ファンタジア」が去来する者もいたろう。




 収録はホールで行われる。いつもほぼ満員の入りで、この日も団員が姿を見せるとその衣装の美しさに客席から大きな拍手や声援が飛んできた。ゴヌが舞台袖から中央に進み、客席に挨拶してオーケストラに向き直った時、ホールの最後尾で最上段のドアが開き、照明の落ちた暗い客席をステージに向かってゆっくりと、しかしゆるぎない足取りで進む人影があった。人影は周囲の不審げな視線をものともせず、演奏が終わるまではテレビカメラの横に立ち、曲が終わるとズイと進み出てステージ真下に来た。ジュヒとジュヨンが目を(いや口も)まん丸に開けてその人物を見、ゴヌに口パクで合図をする。うまくいったとやや満悦のゴヌは一向気がつかないので、しまいにバイオリンの弓でゴヌを突っついた。何だよ、と振り向くゴヌに客席を必死で指さすジュヨン。「ん?」と振り向いたゴヌの目に、180cmの背丈が180mにも見える人物が映った。ジュヒやジュヨンに負けず口と目をいっぱいに見張るゴヌ。「・・・・・先生?!」カン・マエが立っていた。