こんな熱さもわたしは好きだー!
悲しみの果て ≡ エレファントカシマシ
言葉なんていらないさ。いまこのときを共有できれば。
みたいな?
こんな熱さもわたしは好きだー!
悲しみの果て ≡ エレファントカシマシ
言葉なんていらないさ。いまこのときを共有できれば。
みたいな?
私はおせっかいな質だと最近自覚中・・・
放っておくと、かなりおせっかいなことで頭がいっぱい。
自分が誰かにおせっかいなことされるとNo thank youなのに。
だからなるべく注意してるんだけど、気を抜くとやっぱりかなーりおせっかい。
なんか知らんけどえらく疲れていて、それ自分が招いてるんだよネってことにも最近ようやく気がついた。
遅過ぎ!
ほんのちょっとの気遣いとがっつり本音が言い合える間柄を広げていきたいな。
Vanessa Carlton - A Thousand Miles
21才のときによく聴いてた曲。
車を買って、それが嬉しくて一人でドライブしながら車の中でよく聴いた。
たくさんの希望にみちて胸がときめきでいっぱいだった頃を思い出す。メロディと一緒にその頃の思い出を運んでくれる。音楽ってそういうものだな。いつも思う。
あれから10年。
お肌年齢は戻れませんが、キモチなら戻れるよ!
10年たって自分の根本はほとんど変わっていないけど、ふらふらぐらぐら、
頼りなかった私の心も、ほんのちょっと強くなり、頼もしくなりました。
今年も九州交響楽団のニューイヤーコンサートに行ってきました。近ごろつづいてる夜更しのため寝てしまうんじゃなかという心配はすぐにふっとび体がゆれるゆれる、音楽を聞いてるときゆれる癖があって恥ずかしいんですけど気づけばゆれてるからしかたないです。ウインナーワルツとか明るい曲盛りだくさんのおかげで積もりかけてたイライラが吹っ飛びおおらかな気持ちになりました。いい気分になりすぎて私の頭の中では旅の妄想がひろがり収集つかなくなりそうで、妄想癖もほどほどにしないと妄想につぶされそう。ところで、ホールによって音の響きがちがうと言いますが、そのちがいとやらが今日初めてわかるような気がしました。
さて、今年の抱負。
今年は動く年。jumpする年。
悩み、考え、行動する。
そのうち悩む時間を短縮して、行動を増やすこと。
思考力、決断力、自律の力を鍛えること。
それと、偶然を楽しんじゃうこと(^o^)!
さまざまな“縁”もじぶんで掴み引き寄せ、時には選ぶものだってことを、最近実感として感じるようになった。
これ、すごくいい傾向。
ということで、前を見据えて心を落ちつけて進んで行きたいと思います。
ちなみに私、早合点な父と天然ボケな母の娘です。
今年もどうぞ宜しくお願いします。
博士の愛した数式のときのようにさわやかな気持ちになれる本が読みたくなってこれに決めた
小川洋子さん「ミーナの行進」
朋子が中学の一年間を芦屋のミーナのお屋敷で過ごした日々を回想しているおはなし。
ミーナは小学六年生で朋子とはいとこ同士。関心ごとはもっぱら読書や大好きなパパやお兄ちゃんと過ごすこと。あっさりとした性格で関西弁がチャームポイント。持病の喘息のため体が小さく、コビトカバのポチ子に乗って学校へ登校する女の子だ。(ありえないw)その姿は実に堂々としている。
朋子はハンサムでスマートでユーモアがあってスーツに皺一つない伯父さんに惚れ惚れしていて、芦屋の高台に堂々と佇むお屋敷で過ごせることに胸をときめかせている。ポチ子のことを友達に聞かれて「カバじゃないの。コビトカバ。偶蹄目カバ科コビトカバ属」とささやくのを忘れない、女の子。
ミーナ一家は、朋子の伯母さん、ドイツからお嫁に来たおばあちゃん、スイスに留学中の龍一、お手伝いの米田さん、ポチ子のお世話係り小林さん、そしてハンサムな伯父さんというとってもにぎやかで素敵な人たちなのだけれど、伯父さんは毎日家に帰って来ず、伯母さんはお酒と煙草をやめられなくて、ミーナは喘息が治らない。
カバに乗っかって登校するというありえない設定や、「秘密の花園」をおもわせる“ものがたり”なのにどこか実際の出来事のような親近感を持ってしまう。それは、過去の事実を小説の中にとりこんでいることや、朋子の行動や考えることが中学一年生らしい素朴さで「朋子がわからないこと」は謎のままそっとしてあるからだろうなと私は思ってる。小川さんのすごさですね。
![]() |
ミーナの行進 |
| 中央公論新社 |
“少女”という言葉には清楚とか純粋とか透明感とか、美しく儚いイメージがあって私はなんだかこそばゆく感じてしまう。だからあんまり使いたくないんだけど、小学生から中学生くらいの女の子の代名詞とするならば、私は少女の頃「マイ・ガール」という映画に夢中になりwowowで録画したビデオテープと買ってもらったサウンドトラックを何度も何度も繰り返した。飽きっぽい私にはめずらしいことです。
アナ・クラムスキーとマコーレー・カルキン扮するベーダとトーマスのちいさな恋の物語。ベーダは本が好きでいつもズボンばかり履いていて大きな目をきらきらさせた勝ち気でちょっとおませな女の子。トーマスはベーダの言うことをいつも聞いてくれる(まるで鬼嫁の夫)少し頼りないけど優しい男の子。今となってはなぜあんなにハマっていたのか(いや、カルキンくんファンだったということがひとつ)、今見てどんなふうに感じるのかわからないけど、私の“少女”のころの記憶としては上位にあがってくる思い出の映画です。
ということで、Wedding bell blues. ベーダがレコードにあわせて一緒に口ずさんでいた曲。密かに思いを寄せる担任の先生の写真を見つめながら(...だったかな?)
今日は駐車場から家までの道すがらキンモクセイのあま〜い香りがしてきたので
ひとのお宅の垣根になってる金木犀の木に顔を近づけてクンクンしてみた。
そんなことしてたらセブンでアイスクリームを3つ買ったことをすっかり忘れてたー!
アイスクリームがどうなってしまったかはお察しのとおり。
ありえないねぇ。
4月から通っていた産業カウンセラーの講座はあと一日を残し今月で終わる。
当初は前途多難な状況に不安も大きかったけど今では楽しくてしかたない。
毎回少なからず発見や変化があり新しい知識を得られることが嬉しい。
リミットがあるというのも一つの要因なのかな。
でもずっと私が学びたかったことを学べるということが最大の喜びかもね。
終わってしまうことへの喪失感は少しあるけど
区切りというのは重要で、特にスパンが短いほうが私に合っている。
引き続き好奇心が尽きないならまた選択すればいいからね。

ゆうごは誰かににているなぁとずっと思ってたけど、

本人に言わせると
この絵は怒ってて、ゆうごは怒ってないから違う
らしい。
Diane Birch - Valentino (Official Music Video)
夢に近づくことで失ってしまう、ちょっとセンチメンタルな歌詞をこんなにPOPに歌ってるとこがかわいい
近ごろハマっているDiane Birchでした
すずむしの音がしずかに響く
気がつけば秋の空
かなしい気持ちと向き合うことから逃げるように
どこかへ飛んでいってしまったこころを
胸に戻してあげることができないまま
だけど、すとんと腰を落ちつけてひとり歩くわたしを
そばから見ているわたしがいる
兄がなくなって一ヶ月半
同じ病院のほんの数メートル先にいた私に
壁という隔たりは少しの緊迫感さえ伝えてはくれず
ひっそりとした待合室にいるあいだに兄はひとり息をひきとった
隣で「だいじょうぶだよ」って声をかけられたら
少しでもこころ強く感じてくれたかもしれないのにね

こどもの時は、それはそれは毎日泣かされた
よくも毎日飽きもせずいじめてくれたもんだ
でも一度、私が迷子になったとき
見つけに来てくれた
おとなになってからは
めんどうなことは私に押し付けてばかりで
さいごのさいごまでね
頼りない兄ちゃんだ
「パスタつくるけど食べる?」
食べ物に関しては断り方を知らない人
「どう?おいしかろ?」
なんて私が聞くから
「おいしいおいしい」って言いながら最後に
「うまかったよ!ありがとう!」
ってでっかい声で言ってくれた
お父さんとはさいごまで仲良くなれなかった
でも、ねむってしまったその顔を見ることが出来ないくらい悲しんでたよ
「みたら死んだこと認めなんけん」って
お父さんはお兄ちゃんのことちゃんと大切に思っとったんだ
お母さんは、もうちょっと時間がかかるけど
ときどきは夢にでも出てきてあげてほしい
お寺の住職さんがおっしゃっていました
「意思をもつ魂というものは新しい命になって逢いにきてくれます
またかならず逢えますよ」
その言葉が暗く閉ざされたこころにひとかけらの光を灯してくれたような気がします
親が子を亡くすということ
すぐ側にいる私にも、正直なところ計りしれません
わかったふりはしたくない
だから、わかったような言葉もかけたくない
ただ近くで話を聞くことが今できることなのかな
これが今の私のこたえ
いずれ私もこの家を出るでしょう
私にもしたいことがあるんだからね
そのときはお兄ちゃんも応援してよね
たくさんの方が一緒に泣いてくれて、励ましの言葉をくださった
みんな心配してくれて
両親のことを心配してくれる方々からの
あなたがkey person!しっかり支えてあげて
いまあなたがしっかりしなきゃ!
という言葉に胸が苦しくなったけれど
同じように私のことを心配してくれる友人のみなさんのおかげで
元気がでました
私は人にこんなにも与えることができるだろうか…
大事なときに力になれるような人になりたいから
少しずつ、私なりの方法を探しているところです
悲しみすぎることや深刻に考えすぎることから少し離れて
自分とは無関係なたくさんの人が行き交うなかで
適度な距離をたもちながら関わりあう東京という街に身をおいたら
ふしぎと居心地のよさを感じた
自分の世界はちっぽけだと再確認して
そして、希望をもってなきゃねって思った
ベタ観光はとても楽しかったよ
ベタすぎて案内してくれたお兄さん退屈だったかもね
私はとても元気で
たくさん笑っているし
希望もある
ときどきしかめっ面?しちゃうのは
思ったことがすぐに顔に出てしまう
いつもの私の、不徳の致すところです
ユーモアをそなえたステキなおねえさんを目指してがんばりますわ♪
今から目指したらおねえさんじゃなくなってしまうかな、もうすでにおばさんだとは言わないで〜