ポチの女房

専業主婦のつぶやき

カーネーション 第51回

2011-11-30 23:19:42 | カーネーション
次女・直子は、やんちゃを通り越して猛獣と呼ばれています。
原由子さんが作った歌「かいじゅうのうた」を思い出しました。でも、こういう子の方が大成することが多いように思います。

昭和15年(1940)
団子屋に栗饅頭、きんつばもありません。(国民から栗饅頭とりあげるようなみみっちいことで、日本はほんまに戦争なんか勝てるんか。)という糸子の心の叫び、同感です。
家でも「うちら戦争なんか始めてもらわんかて、機嫌よう暮らしちゃったんや。」。と爆弾発言。皆が思っていることを口に出すとは、さすが糸子です。
七・七禁令(ぜいたく禁令)で、100円以上の洋服を売ることが禁止。
縫い子の昌子から、もうけがないと愚痴られます。相変わらず商売は二の次の糸子。

直子の子守りをしてくれていた吉田のおばちゃんが、根を上げます。直子のことを「猛獣」。
善作も優子の世話で手一杯と。優子はおとなしいぶん、体が弱いらしいです。
優子の「さいなら。」が、かわいいです。直子とは対照的。直子は夜寝ている間も、家中を引っかき回します。

善作からの「ええ話」は、生地屋がもっていた生地-金糸が入って販売禁止になったものを買ってやれというもの。

《今回のオモロー》
糸子と木岡はきもの店の夫婦との会話。
「かわいいやろ、うちの子。」「かわいいけどな、うちには近づけんとって。売り物があるよってな。」

生地屋に頼んだ子守りも上手くいかず。直子はただ者ではありません。
金糸の入った生地をみつめながら(どないかなる。なんか方法があるはずや。)
生地のことを言ったのでしょうが、直子のことも言っているのかも?

カーネーション 第50回(11/29)

2011-11-30 19:44:49 | カーネーション
第2子出産、次女直子誕生です。
優子の時は安産だったのに、今度は難産。ほとんどの人は逆になると思うのですが。おそらく実話がそうだったのでしょう。
糸子が頑張って働き過ぎたので、難産になったのでは?

昭和14年(1939)
糸子は神戸で「ひまや。」ラジオを聞いても、蓄音機で音楽「アイネクライネナハトムジーク」を聴いても、退屈な様子。
松坂家では家族会議。紡績工場、軍需品を作る工場にするか合併するか。松坂の名前を残すために軍需品を作る方向?貞子は反対します。「軍服なんか嫌いや。あんなカメムシみたいな不細工なもん、うちの会社は死んでも作りません。」
話し合い後、皆で会社へ。
店のことが気になり、こっそり抜け出す糸子。電車の中で陣痛が始まり、リヤカーをひいた木之元に会い、家へ。
「こりゃ男がでてくるな。」とのんきに酒を酌み交わす善作と勝。

《今回のオモロー》
千代が泣きながらやってきて「糸子がスルメもってきてて。」
スルメというのは糸子らしいですが。

なかなか生まれてこないので、善作は「こうなったら男でも女でも。」勝は「犬の子でも猿の子でも育てます。」
直子誕生。赤ちゃん、にっこり笑っています。
清三郎と貞子がやってきて「わしの宝がまた増えた。少々のもんなくても、なんもこわがることはない。」二人が宝を連発するので、宝田さんとかけているのかなと。

八重子はパーマネントを始めます。
勘助からのハガキは、当たり障りのない文面。これって、勘助が辛い目にあっているという意味では。戦争がだんだん身近になっていきますね。

野村選手の背番号は?

2011-11-29 22:20:25 | スポーツ
広島カープは、、ドラフト1位指名した明大の野村祐輔投手と東京都内のホテルで交渉し、契約金1億円プラス出来高5千万円、年俸1500万円で合意しました。
以前ラジオで、カープの10番台の番号が残っていないと言ってました。それで、野村選手の背番号は、何番になるのか興味津々でした。
背番号は「19」
今まで上野選手がつけていたものです。上野選手の背番号は、19番→12番へ変更。武内選手の背番号は、12番→54番へ変更。
エースナンバーといえば、18ですが、その前後というのはエースの期待のこもった番号です。
気になっていた土生選手は、すでに11月16日に契約成立で、背番号は「43」。
来シーズンが楽しみです。

広島カープファン以外には、おそらく全然興味ないであろう話題でごめんなさい。

本『しゃべれども しゃべれども』

2011-11-28 22:27:03 | 
二つ目落語家・今昔亭三つ葉の話。落語教室を開くことにより、綾丸良、十河五月、村林優、湯河原太一といった悩みを抱えた人々が集まってきます。落語を教えることにより成長する落語家の物語です。

落語の話なので、落語に詳しくない私にとっては、前半は少し退屈だった部分があります。
だんだん面白くなりました。
強烈な話は、一つもないのですが、気持ちがホンワカする本です。

確か、映画化されました。
映画は見てないのですが。

佐藤多佳子さんの作品、読みやすいです。

カーネーション 第49回

2011-11-28 21:32:36 | カーネーション
いよいよ戦争の足音が一歩ずつ近づいていくのでしょうか。
まず最初が勘助の出征というのも、なんだかもの悲しさを増します。

昭和12年(1937年)
勘助が出征する祝いの会。糸子は心の底から祝っちゃる気になりませんでした。(勘助も腹さえこわさんかったら無事に帰ってこれる。)当時は、そんな感じだったのでしょうか。それまでの戦争は、日本は負けたことがなかったですから。
勘助の出征。(おばちゃんは、そんなに簡単にはいかんようでした。)玉枝のことです。台詞はなかったですが、玉枝の辛い気持ちが伝わってきました。玉枝の夫も戦争に行って赤痢で亡くなったとか。平吉が「見てられへんわ。」と先に帰ってしまうのも、明日は我が身と思うからでしょう。

勘助から便り。黒く塗られた箇所があります。(ほんまあの墨許せん。)
シナ事変、国家総動員法。

昭和14年(1939)綿製品非常管理。国民徴用令。
糸子は二人目の子を身ごもっています。小原洋装店は、空前の繁盛。糸子は体調を崩します。善作から神戸で静養するように言われます。

《今回のオモロー》
「大丈夫やない。」「言うこと聞け。」と善作とハルのハモるところ。

(店が心配でしゃあないです。)

最終回でした

2011-11-28 17:56:16 | ドラマ
大河ドラマ『江』。
初回の嫌な予感が、そのままだった今回の大河。
向井さんが出るまではと思いながら、向井さんが出始めてからは、向井秀忠見たさに見続けた感があります。
上野樹里さんの良さが、全くといって良いほどでなかったドラマになりました。

最終回近くでは、誰が主人公?状態になってしまい、江より淀君が主人公の方が、ドラマ的に面白かったのではないかと思います。
江は3回結婚し、江戸幕府の御台所として唯一将軍の生母であったということなのですが、イメージとしては、浅井長政の娘というより、春日の局との対決の方が強いです。歴史的に何かを成し遂げた人ではありません。
最終回1回をとってみても、回想シーンがやたら多く、最後は、馬で江と秀忠がでかけるというこれまたあり得ない設定に閉口してしまいました。

来年は、『平清盛』。松山ケンイチさんの演技を全く見たことがないので、不安もありますが、脚本が『ちりとてちん』の藤本有紀三なので期待です。

お茶のお稽古 11月

2011-11-28 17:31:56 | 日記
風炉から炉にかわりました。
初炭と薄茶の平手前を習いました。


お茶菓子/柚煎餅(田岡秋月堂)

柚煎餅のウラ
柚の香りがいっぱいです。

他のお茶菓子は、峰のもみじ(両口屋是清)

掛け軸 紅葉舞秋風
花   椿(西王母)・いぬたで
花入れ 信楽焼
茶杓の銘 散り紅葉 ふきよせ


カーネーション 第48回

2011-11-26 21:23:57 | カーネーション
優子ちゃん、誕生おめでとう!新しい命が生まれることは、偉大なことです。
何事もなく生まれてきてくれてありがとうと言いたくなります。

昭和10年(1935)1月。糸子と勝とハルの三人暮らし、板についてきました。勝が2階で紳士服を始め、家内安全、商売繁盛。
ハルから「今日こそ、ちゃーんと同じ部屋で寝り。ちゃーんと夫婦で話し。」と言われ。
糸子は勝と向き合って話をします。こういう話をすることが、夫婦生活を続けるための基本のように思います。糸子は「普通の奥さんみたいに、細々した家族の世話やら死ぬまでできへんかもしれん。そんなんやけど、ええか。」勝は「かめへん。あんたは、思うように働いてくれたらええよ。」家事などは、ハルにやってもらおうということに。そのために、ハルには長生きしてもらわないと。
妻の仕事に理解のある旦那さん、当時としては画期的な気がします。

昭和12年(1937)1月。小原洋裁店は、オハラ洋装店に。縫い子も静子や他にも雇います。
善作と千代が訪ねてきて。

《今回のオモロー》
善作が「店ちゅうのは、おできと同じや。急に大きゅうしたら、あとはつぶれるだけや。」「うちの店は、おできと違うよって。」
店をおできにたとえるなんて、善作らしいといえばらしいですが。

臨月の糸子は、大福を食べるシーン。
しんどい陣痛のあと、赤ちゃん誕生。かわいいです。生まれたて?
「よう頑張ったなあ。」と千代が糸子の頭をなでるところも、良いです。
善作のじじばかぶり。「明日から、昼間は、わしが優子の面倒、みちゃら。はよかせ。」

昭和12年(1937)9月。(忙しい一日が終わって、優子をおぶって歩くこの時間がしみじみ好きでした。せやけど優子とおると自分が弱なった気がします。こんなふにゃふにゃした子が、しっかり大きなるまで、何事も起こらんでくれるやろうか、世の中は平和であってくれるやろか。)昔を思い出します。子育て時期は大変ですが、あとから思うととても懐かしいです。なかでもこの子が、ちゃんと大きくなってくれるのだろうかと私も思いました。
勘助に赤紙がきます。

あわただしい一週間でした。あっという間に、生地屋をやめて独立、結婚、出産と。新婚生活、もっと見たかったなとも思いますが。
小原糸子の人生は、波瀾万丈なのでしょう。