高田馬場は、赤穂浪士47人のひとりである堀部安兵衛が仇討ちに助太刀して名を上げたという伝説の高田馬場の決闘があったことで知られ、現在では講談や古典落語の題材にもなっています。
江戸時代に旗本たちが馬術の訓練や流鏑馬の稽古をしていた「馬場」だったところです。
ところが、高田馬場駅がある場所は高田馬場ゆかりの地から1キロ近くも離れていますし、史跡の高田馬場は「たかたのばば」と呼ばれていたのに駅名は「たかだのばば」と「た」に濁点がつきます。
開業したときの駅の所在地名は豊多摩郡戸塚村大字戸塚であり、地元の住民は当時の地名から「戸塚町駅」「諏訪町駅」「諏訪森駅」の名称を希望しましたが、採用されず現在の駅名となりました。
その後、住居表示による町名変更により、高田馬場駅周辺は高田馬場の地名に変更されました。
いっぽう、駅名の由来となった史跡の高田馬場の地名は、もともとは下戸塚村でしたが住居表示で西早稲田3丁目となります。
こうして、史跡の高田馬場があった場所が西早稲田、史跡から離れた場所にある駅周辺が高田馬場の地名になったのです