風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

911) 私的岩手通史の旅 第78回(前九年合戦 第23幕)

2011年03月24日 | 私的岩手通史の旅
 「不要不急」「非常時」「被災地の方々の苦労に比べれば」等々・・・。大震災発生以降、よく見聞きする言葉ですが、使っているのは年配者に限りません。先日は平成生まれのコのラジオへの投書で「今は非常時ですから」とあり、一寸ドキリとしました。70年近く前に頻繁に使われその後死語になったであろう言葉ですが、日本人のDNAに埋め込まれていたのでしょうか?


第78回 前九年合戦 第23幕(奥州市江刺区 豊田館跡)

 1051(永承6)年の鬼切部の戦いで始まった前九年合戦は、1962(康平5)年の厨川の戦いで幕を閉じました。安倍貞任は重傷を負って捕らえられ斬首、投降した弟の宗任(むねとう)らは伊予国へ流されたことにより、安倍氏は滅亡しました。

 厨川柵をご覧戴いた際にも触れましたが、貞任と斬首された人に藤原経清(ふじわらのつねきよ)がいます。その出自には諸説ありますが、日本史で有名な摂関藤原氏とつながる者で、陸奥守藤原登任の有力な従者として東北に赴いたようです。

 その後安倍頼良(頼時)の娘婿となりましたが、娘婿となってから居を構えたのが奥州市江刺区の豊田館跡であったとされています。城跡に残る江戸時代に建てられた石碑には「昔、亘理権太夫経清の城であった。経清は平泉の役(前九年合戦)で戦死し・・・」と刻まれています。



(豊田館跡に残る石碑 -奥州市江刺区岩谷堂 2010/07/04-)

 小説「炎立つ」は前九年合戦から奥州平泉氏滅亡までを描いた歴史小説ですが、全五巻のうち参巻までは前九年合戦が舞台であり、その中心人物となっているのがこの藤原経清です。

 作者の高橋克彦氏の力でしょうか?仕事で赴いた地での縁を大切にして理不尽な中央に刃を向けるという生き方に感情移入して読破しました。

(豊田館跡はここです)



2010年03月24日の一品・・・682)春が来る前に・・・(花巻市 中堤)
2009年03月24日の一品・・・お休みでした
2008年03月24日の一品・・・217)引越しをするよ!(休業ごあいさつ)

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