金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

眺めてなお良し男体山

2009年11月30日 | 

11月28日土曜日会社の山仲間二人と日光・男体山に登りに行った。関東近郊の山はかなり登ってきたが男体山はまだ登ったことがなかった。何故深田久弥の日本百名山に入る男体山を登っていなかったか?という理由は簡単だ。それはバリエーション・ルートがないからだ。私のバリエーション・ルートとは一般登山道とは一味違った沢登りルートとか積雪期のスキー登山ルートだ。噴火歴が新しい火山で水捌けの良いこの山では大きな渓谷は発達しないので沢登りは無理だ。また雪は降るが山スキーを楽しむには地形と雪の量が適していない。そんな訳で登ったことのなかった男体山だが、人の少ないこの季節に登り眺望を楽しもうと思った次第だ。

朝7時にJR武蔵野線・東所沢駅に集合。マイカーで関越自動車道→外環→東北自動車道→日光自動車道路と高速・有料道路を使って戦場ヶ原を目指した。途中事故渋滞に巻き込まれるが10時頃に戦場ヶ原到着。なお日光自動車道路はETC通行はできるが、1000円割引の区間ではない。経営母体が栃木県道路公社だからだろうか?

さて戦場ヶ原からは光徳牧場に向かう道に入り、しばらくすると志津林道の標識がでるので右折する。林道は最初は地道だがすぐに舗装道路になる。志津林道は懸念された雪もなく簡単に走行することができた。志津乗越には2台の車が止まっていた(10数台の駐車が可能なスペースあり)。10時半登山開始。すぐに志津避難小屋に着く。しっかりしたログハウスの避難小屋だ。ここが一合目だ。二合目を過ぎたところで雪が出てきたのでアイゼンを着用した。九合目までは急な坂道が続くが、九合目から上はほぼ平になった頂上稜線の散歩だ。12時10分頂上到着。

Nantaisanchou

山頂には梵鐘や大己貴命(おおむなちのみこと)の神像が祀られている。奈良時代に勝道上人が開山して以来信仰の対象となってきた山だから宗教色が強いのは当然だ。しかし初冬の雪を踏みしめて登ってきた登山者としては若干に違和感を覚える山頂だった。

だがそれを補う大きな景色が僕等を迎えてくれた。写真は頂上から見る中禅寺湖だ。

Chuuzenjiko

山頂で昼食を食べている時たった一人だけ登山者と出会った。スニーカー履きの彼は「南側のルート(二荒山神社から登るルート)は雪はほとんどありませんでした」と言った。この時期は北面・南面でずいぶん様相が異なる。13時40分下山開始。下の写真は頂上から九合目に向かうところだ。正面は太郎山だ。

Sanchouryousen

風の冷たい日である。素手でカメラを操作するとその後指先がジンジンしてきた。それでも二合目近くまで下ると雪は少なくなり寒さの感じ方もらくになってきた。

Gezan

写真の少し先に二合目でアイゼンを外した。

15時10分志津乗越に帰着。月が白樺の上に出ている風景に僕は心を動かされた。

Shizunotuki

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪ふりてすずしかりけり」という道元の和歌をふと思い出す光景だ。

ここから車を15分程走らせて僕達は光徳牧場のアストリアホテルに入った。ホテルのロビーから男体山が目の前に見える。ここから見る男体山は鋭角的で颯爽としている。男体山は登っても良いが本当は眺める山なのかもしれない・・・と僕は思いながら、ホテルの温泉で冷えた体をゆるゆるとほぐして初冬の一日を締めくくった。

一枚以前真冬にこのホテルの庭から取った男体山の写真をご披露しよう。真冬の男体山はひときわ颯爽としていると僕は思っている。

Yukinantai_3

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雪山遊び満喫、日光白根山

2009年11月29日 | 

11月29日(日曜日)会社の山仲間と日光白根山(2578m)に登った。前日土曜日に男体山に登った後、光徳のアストリアホテルに泊まり、翌日白根山を登るという一泊二日日光百名山の山旅だった。男体山登山の話はいずれ書くがまず印象の強かった白根山の話から。

☆   ☆   ☆

11月29日日曜日、早立ちなのでアストリアホテルに朝食としてオニギリをお願いする。7時前に車に乗るとフロントガラスは氷結していた。ホテルから金精峠を越えて白根山菅沼登山口に到着したのは7時20分頃。7時半登山開始。15分程登ると雪が出てきたのでアイゼンを着ける。積雪は2,30cm程度だが硬い上、ところどころ氷結しているのでアイゼンがよく効く。

9時17分阿弥陀池到着

Shiranesanasa

完全に氷結した阿弥陀池の向こうにゴツゴツした白根山がそびえている。白根山には中央部の林の中の斜面(座禅山とのコルに向かう道)を登り写真中央部から急な雪の斜面を登る。登り時間は1時間だ。

白根山頂上直下の斜面は傾斜がきつく高度感がある。「滑ると阿弥陀池まで転がりそうですね」と仲間の一人がいう。大袈裟な物言いだが急な斜面から見ると阿弥陀池が真下に見えた。

10時30分頂上到着。快晴にして360度の展望。北側を見るとすぐ近くに燧ケ岳がひときわ高く見える。その右手の雪を頂いた平な頂上は会津駒ケ岳だ。かって5月の連休にその真っ白な頂上からスキーで滑降したしたことを思い出す。

南に目をやると昨日登った男体山が雄姿を見せている。

Nanntaifromshirane

左手の山は大真名子山だ。富士山や南アルプスの北岳も見えた。下山には傾斜の緩い五色沼ルートを使った。10時50分下山開始。

Shiranesannchokka

写真は白根山頂上から五色沼に向かうところだが頂上直下は岩がゴツゴツしていて気が抜けないところだ。

11時56分五色沼到着。広い湖面はほぼ凍結していた。ただし湧き水が出ているところは氷が融けていたので油断は禁物だ。なおより氷結度が高そうな阿弥陀池では大胆に湖面を闊歩した。

Goshikinuma

午後12時35分白根山を一回りして阿弥陀池に戻ってくる。阿弥陀池から白根山を登るルートは座禅山のコルから北斜面を真っ直ぐ登るルートと五色沼を経由して東側から登るルートがある。前者の方が登山時間は短いが斜面は急で雪も多い。我々は登りはこのルートを取ったが下山は楽な五色沼ルートを取った。これも一つの選択肢だろう。

阿弥陀池からは樹林帯の道を戻り午後2時に駐車場に到着。

11月も終わりの頃の白根山登山。それは冬山入門の世界である。快晴無風の絶好の登山日和だったが、出会った登山者は2名だけだった。私達は雪を踏み、氷結した湖面を歩き雪山遊びを楽しんだ。

僕はこれを大人の雪山遠足とよんでいる。そして遠足仲間が増えることはとても楽しいことである。

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犠牲祭の犠牲になるのは誰か?

2009年11月27日 | 金融

一昨日(11月25日)にドバイ政府が政府系ディベロッパー・ドバイワールドの債務弁済を早くても来年5月30日まで待って欲しいと要請したニュースは、情報不足の中世界の金融市場を震撼させ全面的な株安を招いた。

情報不足の理由の一つは一週間前にドバイの首長マクトム氏が「ドバイは現在と将来の債務弁済に備えて直ぐに資金調達する」と安心させていたからだ。

少し古い1ヶ月前のエコノミスト誌の記事を見ると10月21日発行された目論見書によるとドバイ政府は40億ドルの債券発行と25億ドルのイスラム債を発行する予定と述べられていた。なお記事によるとそれまで投資家は「ドバイ政府は資産売却か銀行借り入れのロールオーバー(借換)で資金繰りを付け、新規の起債は行わない」と予想していた。

これらの話から推測すれば、ドバイは「不動産を売ろうとしたが思うように売れず、銀行に借換を頼んだが上手くいかず、隣国にイスラム債を売ろうとしたが上手くいかず弁済猶予を宣言した・・・」ということなのだろう。

もともとドバイは石油資源のない国である。そのドバイが積み上げた借金は800億ドルと推定され、その3分の2は地元投資家によるものといわれている。

ところでエコノミスト誌は「今週末からイスラム諸国では犠牲祭(イード・アル・アドファー)が始まるがドバイに投資した人は犠牲祭の精神を得る早めのチャンスを与えられた」と洒落た記述を行っている。

犠牲祭の縁起は「ユダヤ民族の始祖といわれるイブラヒム(アブラハム)が神から自分の子供を犠牲にささげよと啓示を受けた時、それに従おうとしたので神がイブラヒムの信仰心を称え、子供の替わりに羊をささげよと啓示した」故事による。

ドバイワールドに投資してきた域外人達はドバイワールドに資金がなくても、ドバイ政府が支援するだろうと推定し、ドバイ政府に資金がなくても、アラブ首長国連邦などの近隣国が支援するだろうと楽観的に考えていたのだろう。

アラブの神は今これらの人に犠牲を求めようとしているようだ。だが問題は神は等しく犠牲を求めるのだろうか?それともアラーを信じるものには軽い犠牲をアラーを信じないものには重い犠牲を求めるのだろうか?

その答はもう少し時間がたたないと分からない。

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中国のニンニク・バブル

2009年11月26日 | うんちく・小ネタ

ファイナンシャル・タイムズによると、中国でニンニクの価格が急騰している。北京のような大都市では3月以来卸売価格は15倍にもなっているということだ。

理由はニンニクが新型(豚)インフルエンザに効くという評判が広まり、各地の学校などで買占めが行われているからだ。

ニンニク価格急騰の背後には買占めで価格吊り上げを狙っている投機家集団がいるようだ。

中国政府(商務部)は「ニンニクは新型インフルエンザの特効薬ではない」とウェッブサイトで見解を発表しているが「ニンニクバブル」はまだ収まっていないようだ。

そういえばバブルの歴史に必ず登場するのが、1637年にオランダで起きたチューリップの球根バブル。これは史上最初のバブルということだ。球根類というのは投機の対象になりやすいのだろうか?米国では1950年代にたまねぎの先物取引が価格高騰の原因になるということで禁じられた。

時間のある時にスーパーマーケットの野菜コーナーをのぞいてみようと考えている。もし中国産のニンニクが棚から消えたままならバブルは続いているのだろう。それにしても中国産ニンニクに押されていた青森のニンニク生産者にとってはちょっとした朗報だろう。

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物故者データから考える

2009年11月25日 | 健康・病気

以前勤めていた銀行のOB会報に過去1年間の物故者リストが出ていた。お世話になった人の思い出を偲んだ後、このデータが意味するところはなにかあるのだろうか?と考えてみた。

一年間の物故者数は22名。余り大きな銀行ではないので物故者の数は多くない。このデータを死亡年齢順に並べた後、まず平均死亡年齢を出してみた。平均死亡年齢は71.5歳。無論このことは母集団である某銀行の勤務員の推定平均年齢が71.5歳ということではない。ただ単に「ある調査期間における亡くなった人の平均年齢は71.5歳だった」ということに過ぎない(つまり80歳や90歳で元気に暮らしている方のデータはカウントされていないからだ)。

次に中央値(つまり死亡年齢順に並べて真ん中に来る人の年齢)を見ると68.5歳。平均値より中央値が低いということは、若年で死んだ人が多い可能性を示唆している。

年代別の死亡数を見ると50代が1名、60代が10名、70代が5名、80代6名だった。物故者は一様に分布するのではなく60代に多かった。物故者リストに死因は出ていないが、50代、60代でお亡くなりなった人はガンの方が多かったようだ。

この少数のサンプルから結論を出すことは乱暴だが、ガンなどで60代に死亡することがなければある程度長生きする可能性が高いという推定は成り立ちそうだ。実際このサンプルの平均年齢以上(73歳以上)の物故者の平均死亡年齢は81.4歳だった。

もっともこのような推論が正しいとしても、何かの役に立つのだろうか?運よく70過ぎまで生きた場合に「俺はかなり長生きする可能性がある」と思い、更なる将来に備えて質素な生活を送る・・・という覚悟を決めるヒントになるかもしれないが。

そしてそのような質素な暮らしがまた長寿につながるのかもしれないが推測の域をでるものではない。

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