小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

電通がなぜ?……「超一流企業」がブラック化した理由

2016-11-09 08:17:38 | Weblog
 自民党改憲草案の検証(続編)は次回に延ばす。今回は日本最大の広告代理店で、文系大学生の就職希望先でもトップクラスを誇ってきた電通が、実は「ブラック企業」だったことが明らかになり、メディアも大々的に報じているので、その背景を検証することにした。なおこのブログ記事は、かつて労働組合で活動されていたI氏からアドバイスを受けたことを明らかにしておく。

 11月2日のNHK『クローズアップ現代+』を見た。「隠れブラック企業の実
態に迫る」というタイトルだったが、残念ながら「隠れブラック企業」の経営者の責任を問おうとする内容ではなかった。現場責任者が成績を上げるために残業記録を改ざんし、実際の勤務時間を法定内に抑えるよう従業員に強制していたという内容に終始していた。そうした現場の勤務実態を知らなかったとしたら、そもそも経営者としての資格がないという視点が番組にはなかった。
そもそも時間外勤務(サービス残業を含む)が常態化した時期は二段階に分けられる。
 最初は日本が高度経済成長を続けていた時代、自動車産業や電機産業は工場の24時間フル稼働を行っていた。が、正規社員が24時間フル勤務するようなことはありえなかった。正規社員はシフト制で、過重労働にならないように会社も配慮していた。当時のタイムカードは絶対であり、会社もごまかすような事は出来なかった。にもかかわらず24時間フル稼働が可能になったのはおもに農村からの出稼ぎ労働者(季節労働者)の存在があったからだ。
 が、当時は大家族制が一般で、家長は出稼ぎで稼いだ金を農村地帯に住む家族に仕送りして一家の生活を支えてきた。
 が、1960~70年代にかけて家族形態が大きく変貌する。日本だけでなく先進国はすべて核家族化への道を歩みだした。さらに日本では(他の先進国の実態は知らないので)若者たちの高学歴化が急速に進みだした。男性だけでなく、女性の高学歴化も急速に進んだ。
 その理由は簡単だ。核家族化によって自分たちの子供の世話を、大家族時代と違って父母(子供たちにとっては祖父母)に委ねることが出来なくなったからだ。私は1940年の生まれ(昭和15年)だが、結婚と同時に実家から離れて自分の家庭をつくった。
 すでに女性の高学歴化は始まっていたのだが、私が結婚した時代はまだ「女性は結婚すれば専業主婦になる」という社会的慣習が続いていて、妻は仕事をやめて専業主婦になった。当時は高度経済成長時代でもあり、亭主の稼ぎで十分家庭生活を維持できる状況でもあった。
 が、核家族化とともに個々人の生活スタイルも大きく変貌し始めた。高学歴の女性は子育てが終わると、自分の生きがいとして自分の能力が発揮できる仕事や趣味をやりたいと考えるようになった。
 また社会も大きく変化するようになった。そのころすでに少子化が始まっており、「寿退社」は会社にとっても有能な女性社員を失うことになることに気付き始めたのだ。こうして女性の出産・子育て後の社会復帰が緊急の課題となった。が、女性も社会復帰はしたいけれど、子育ても放棄できない。保育園に対する母親のニーズが急速に高まったのはそのせいだ。
 私の妻は二人の子供を、何の疑問も持たずに幼稚園に入園させた。私も妻に仕事をさせようなどと考えたことがなかったから、妻が選んだ幼稚園に子供を通わせることにした。が、子供たちが小学生に入るころになると、妻は自分の生きがいを家庭外に求めるようになった。仕事もそうだったし、ママ友たちとの交流からテニスや華道、お茶、はてはダンスまで趣味の範囲を広げていった。その時代は、まだ結婚した女性にとって仕事の場はスーパーのレジ係くらいしかなかったためでもある。
 そういう時代は終わった。企業が本気で能力のある女性を結婚・出産後も重要な仕事に復帰してもらいたいと考えるようになったからだ。
 そうなった理由はいくつか考えられるが、はっきり言ってIT技術は男性より女性のほうが適している。医者でも、外科手術や歯科医などは手先が器用な女性の方が有利ではないかと思う。だいいち、外科医や歯科医に頭の良さはあまり関係ない。実際山中伸也教授(京大)が手先が器用で目指していた外科医になっていたら、ips細胞は世に出なかった。福島大学附属病院での腹腔鏡手術も、病院側が手先の器用さではなく頭の良し悪しで担当医を選び、難しい手術を任せていたから悲劇が続出した。
 ただ、これは日本の教育制度のためかは分からないが、物事を論理的に考える思考力は、まだ男性に及ばないような気がする。ただこれは一般論であって、男性顔負けの思考力を持つ女性も少なくない。だから、男性か女性かの差より、やはり日本の教育制度がもたらした結果ではないかという気がする。
 いずれにせよ、有能な女性の社会進出によって、大卒という学歴だけはあるものの、企業が求める能力を有していない男性の働き口が極めて狭くなっていることは紛れもない事実である。
 かつて日本の高度経済成長を支えた中卒男性は「金の卵」と言われ、部品メーカーなどの中小零細企業から引っ張りだこだった。彼らは、いわば徒弟制度のもとで日本の工業力を支える部品加工の技能を磨いていった。「下町のロケット」で有名になった東大阪の工場や、東京では蒲田に集積していた部品メーカーなどが、世界に冠たる部品加工の技能者を輩出してきた。
 が、そうした技能の継承者が日本でどんどん少なくなっている。大卒の高学歴者が、そういう3K(きつい・汚い・危険)の仕事を拒否するようになったからだ。大学もまた教育をビジネスと考えているから、大学生としての能力がなくても、高卒者もどんどん受け入れてしまう。だいたい能力=暗記力と考えているから、論理的思考力に欠けている学生でも一流大学に入学できてしまう。一方大卒者は能力がないにもかかわらず、学卒者としてのプライドだけは一人前に持っている。そういう大卒者がたどる道はブラック企業で、中卒者でも十分勤まるような仕事にしかありつけないことになる。

 原点に戻って、なぜブラック企業がなくならないのか、論理的に考えてみよう。
① 核家族時代を迎えて若い人たちの仕事に対する価値観や生活スタイルが大きく変化したこと。
② そうした若い人たちの生活スタイルに、飲食店やコンビニが過剰に対応したこと。たとえば日本でコンビニの第一歩を踏み出したのは、いまでも最大手の「セブン・イレブン」だが、当初の営業時間は午前7時から午後11時までだった。セブン・イレブンに続いてファミリーマートやローソンなどがコンビニ業界に進出し、営業時間の長時間競争を始めた。さらにコンビニに若い買い物客を奪われた大手スーパーが営業時間の長時間化を始めた。たとえばスーパー最大手のイオンは午前7時から午後11時までを基本的な営業時間にしている。
③ スーパーにしてもコンビニにしても同業他社との競争が激しく、薄利多売の競争に走らざるを得ない。一方営業時間を延長して同業他社との競争に勝たなければならない。飲食店も同様なジレンマを抱えている。そのため、営業時間を延長しても、正規社員を増やせない。パートで正規社員の過重労働を補うにも限界がある。労基法の縛りがあるから、正規社員の勤務時間を改ざんして、事実上のサービス残業を強要することになる。

 飲食業やコンビニなど小売店のブラック企業化はかなり前から知られていたが、日本を代表する広告代理店の電通がブラック企業になっていたことは、私も事件が起きるまではまったく知らなかった。メディアの報道によると、最近のクライアント(広告主)が紙媒体(新聞・雑誌など)広告→テレビCM→ネット広告に急速に方向転換しており、中高年社員はそうした時代の流れに対応できないため、ネット世代の若手社員にシワ寄せが集中したようだ。
 こうした悲劇は欧米ではまず生じない。宗教観による違いだと思うが、雇用形態が日本のような終身雇用・年功序列ではなく(この伝統的な日本型雇用形態もバブル崩壊以降、大きく崩れつつあるが)、同一労働・同一賃金の雇用形態が根付いているからだ。だからネット世代と同じレベルの仕事が出来なければ、さっさと首にできる。そして首にした中高年社員の代わりにネット世代の若手社員を増やす。だからネット世代の若手社員に過重労働のシワ寄せが生じることもない。
 ごく最近アメリカのITベンチャー企業の社長が社員の最低賃金を700万円に引き上げると発表し、日本でも大きな話題になった。その会社の社長はすでに全米で有数の富裕層になっており、これ以上自分の資産を増やしても使い道がないということで、会社の利益を社員に還元することにしたようだが、社長の兄の大株主が株主の権利を侵害したとして訴訟を起こした。社長の考えも大株主の兄の考えも、やはりキリスト教的宗教観に根差している。もちろん社長が社員の最低賃金を700万円に引き上げたからと言って、社員の長期雇用を保障したわけではない。役に立たなくなったら辞めてもらうというのが欧米の雇用制度の前提だからだ。

 もう一つ日本でブラック企業が急速に増えだしたのは労働組合がそうした時代の変化に対応できなかったことにも要因があるようだ。
 いまから60年前の1955年当時の労組の組織率は35%だった。それ以降組織率は徐々に低下していったが、82年までの27年間はかろうじて30%台を維持していたようだ。そのころから日本はバブル景気に突入し、不動産をはじめゴルフ会員権、美術品、高級ブランド商品などの資産インフレが始まった。その結果、一部の富裕層の総資産が急増し、彼らの税負担を軽減するため竹下内閣が3%消費税の導入を行った(89年4月)。
 消費税の導入は大多数の中間所得層(当時は国民の大多数が自分は中流階級に属すると考えていた)の懐を直撃する。所得格差が一気に広がりだした。この時代に労働組合は本来の社会性(低所得層の生活向上を目的とする活動)を次第に失って行く。こうした労組の変質が組合員だけでなく非組合員の失望を生み、組織率低下に歯止めが効かなくなったようだ。
 一方、政府は加熱しすぎたバブル景気を冷やすための政策に転じた。しかも軟着陸ではなく、強制着陸を図ったのだ。具体的には90年3月に大蔵省(当時)が金融機関に対して「総量規制」(不動産関連への融資を抑制)の行政指導を行った。日銀も呼応して急激な金融引き締めに転じた。こうして日本経済は不況への道を転がり出す。「失われた20年」の始まりである(その間一時的なITバブルでやや景気が持ち直した時期もあったが、リーマンショックで再び不景気に戻り、さらにアベノミクスの失敗で、いまや「失われた30年」に向かって日本経済はまっしぐらだ)。

 安倍総理はいま「働き方改革」の柱として「同一労働・同一賃金」の雇用形態導入を打ち出している。そもそもは2014年5月に年収1000万円以上の社員に適用する賃金制度として総理が導入した「成果主義賃金制度」が原型である。このとき私は同一労働・同一賃金制の導入を前提にしないと空理空論に終わるという趣旨のブログを3回にわたって投稿した。私のブログは自民党議員の大半が読んでいるようで、安倍内閣はかなり私の主張を政策に取り入れている。が、自分にとって都合のいい部分だけを取り入れており、そんなご都合主義的なやり方で日本経済の立て直しができるわけがない。
 安倍総理が「働き方改革」の一環として導入を目指している同一労働・同一賃金は、案の定経団連から猛反発を食った。「日本の賃金体系に合わない」というのが経団連の主張だ。日本型雇用形態として定着していた「終身雇用・年功序列」は事実上崩壊しつつあるが、大企業や官公庁は正規社員や公務員の首を簡単には切れない。電通の悲劇も根本的な原因はその点にある。

 かつて大家族制のもとで高度経済成長を続けてきた日本では、現役の正規社員が高齢者の生活を支えてきた。が、大家族制が崩壊し、女性の高学歴化が進み、女性の社会進出も進み(男女雇用均等法が女性の社会進出を支えた側面もある)、核家族化時代に入って若い人たちの生きる目的や価値観も大きく変化する中で、さらに医療技術が急速に進んだ結果、少子高齢化社会という負のレガシーが日本に大きくのしかかってきた。
 私は1940年の生まれで、私の世代までは社会保障制度も崩壊しないだろうが、今の現役世代が高齢者になったときには間違いなく彼らの生活を支える社会保障制度は崩壊しているだろう。誰の目にもそうした時代の到来が見えるようになるまで、目を瞑ってきた政治の怠慢と言わざるを得ない。
 問題は、経団連が反対している同一労働・同一賃金制度の導入に、連合が無関心を装っていることだ。連合は建前として正規労働者と非正規労働者の賃金格差をなくせと主張しているが、連合の主張は非正規社員の賃金を上げろとしか言わない。企業が社員に支払える給与の総額(パイ)が増えない限り、非正規社員の賃金を増やせば、正規社員の賃金を引き下げざるを得ない。が、連合は正規社員の労働組合であり、正規社員の賃金を下げてまで非正規社員の賃金を上げろ、とは口が裂けても言えない。
 日本はこれからどういう道を選択すべきかが、いま問われている。
 自公政権の対抗軸であるべき民進党も、この問題に正面から向き合おうとしていない。連合が支持母体だからだろうか?
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 憲法審査会が再開されたが、... | トップ | 緊急提言:米大統領選の大番狂... »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事