しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

91歳になる母でした

2017年10月02日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                           【人生すべてやり尽くしたと言います】

長く生きていると周りに友が居なくなって寂しいと申します、親より先には逝けませんから僕の長命の為にもどうか天寿まで生きてください
母さんがブログを見てくれているので僕もブログを更新する気になるのです、そもそもブログを書き始めたのは昔母さんが伊豆に来ていて
帰ってからも伊豆生活のあれこれを教えたくて書きこんだのが切っ掛けになりました、母さんが見ていると思って毎日更新しています

北海道で生まれて、戦争から戻ってきた生まれも育ちも東京のおやじと結婚して僕が生まれました、早死にした大酒飲みのおやじの面倒を見て
僕らを育ててくれました、転勤も多くいろいろトラブルの多かったおやじの一生です、あんなおやじの何処がいいの!と聞くと、
「また結婚するならお父さん!」と今でも言います、早くお父さんの所へ行きたいが口癖ですが、そんな事言わないで長生きして下さい
当分は親父からも「こちらへ来い!」との声も掛からないようですが、今年の夏は座骨神経痛が出て辛かったそうですね、何しろ痛みは本人だけしか
本当の所分かりません、どうか弱気にならず頑張ってください!夏に比べれば気候も過ごしやすくなって来ました、腰の痛みも快方へと向かうと思います

今回の北海道旅で母さんの思い出の場所も通りました、小学校時代を過ごした千代ヶ岡駅の近郊には西神楽パーク場が出来ていて
老人達がパークで遊んでいます、母さんも少し遅れて生まれてたら綺麗な芝生でパークを楽しんだはずですね、旭川の金星橋を通る時など
池田さんが現れるのでないかとゆっくり走行します、(あの当時お顔の分けはないのですが・・記憶の中で人は年を取りません)
今年は月形の監獄跡を見て看守や職員に九州からの人が多く居たので、僕のルーツの半分はママと同じ九州だったのが分かりました
旭川の親戚も皆歳を取ってしまいました、おじさんも耳が遠くて会話になりませんでしたが僕の顔は憶えてくれていました、家に戻りたいと
話していましたが、冬の生活は寒さも厳しく積雪もあってケアハウスより辛いと思います、旭川でなくて暖かい栃木で過ごせる幸せも感じましょう

一関から栃木までは移動ですから長く動いた割には何も書くような事はありません、翌朝おやじの墓参りをして横浜へ戻りました
お墓近くのコンビニでいつもの通りワンカップを買うのですが、いつものお酒を売っていません、品物も在庫整理のような感じです、
レジで精算して後ろを見るとコンビニは9月20日閉店の張り紙でした、どうやら近所のセブンさんにお客さんを取られたようです、
コンビニもより明るく、より駐車場を広く、そしてより便利にならければ衰退していくのですね、北海道では暗くて狭い店舗でATMもないのにセイコマートが頑張っています

(家には帰っても誰もいません、子供達は伊豆に行ってるそうです、ママが遅く帰って来ますが僕は眠いのでお先です・・・)

明日伊豆へ行って車を置いてくれば今年の旅もお終いです


コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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お疲れ様でした。 (T(21-47))
2017-09-11 13:08:52
楽しく読ませていただきました✨
お母さん達者で何よりです👍
T(21-47)様:母は元気なかったです (しいたけ)
2017-09-12 05:56:10
高齢ですから何と言って励ませば良いのか分かりません
新しい生きがいを見つけてくれれば良いのですが、早くお迎えが来てもらいたいと愚痴るばかりです、どうしたら良いのでしょうか?
お母様 (紫)
2017-09-22 14:36:31
お元気そうじゃあありませんか!

とにかく衰えは足からきます
毎日100Mでもかまわないので散歩するようにお伝えください

紫様:ここんとこ元気がありません (しいたけ)
2017-09-22 16:38:13
死にたい、早くお迎えが来ないかしらと口癖です
なんと励まして良いのか、途方に暮れています
写真では元気そうに見えますが・・・・

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