とある綾野剛ファンの思い出語り

気がつけば人気俳優の綾野剛さん。たまたまデビュー以来見ていたものとして、少しだけ思い出を語っています。

ごあいさつ

2013-06-26 03:05:17 | 綾野剛
 ブログを長らく放置して申し訳ありませんでした。
 言葉を紡ぐことができないまま、ずいぶん経ってしまいました。

 なんとか、やっとのことで、少しだけ早く綾野氏に出会ったものとして伝えるべきことは伝えきったと思うので、ここで正式に更新停止のご挨拶をしたいと思います。

 このブログを始めたとき、本当はカーネーションまで書いたところで終わらせるつもりでした。
 しかし、綾野氏が次から次へとドラマに出演し、そのたびに新しいファンの方が増えていく状況に、もう少し何か伝えなければ、と続けてきましたが、そろそろ自分の中身がすっからかんです。

 今の状況が「思い出」となったころに、ふらりと何か書き足すかもしれませんが、当面は打ち止めです。
 管理できない状態なので、コメント欄も近いうちに閉めたいと思います。



 「カーネーション」で綾野氏が急にブレイクしたとき、初めて綾野氏を知った人、知ってはいたけどイメージが違うと感じた人たちを目にして、自分に伝わってきたのは「とまどい」でした。
 情報もまだ最低限で、公式やWikiの出演作品羅列だけではわからない内容や出番の具合、その時々の雰囲気を伝える場所は不足していました。
 決して熱心なファンとはいえない自分の半端な思い出であっても、ほんの少しは役に立つかもしれない。ネットの大河を渡るための小さな踏み石にくらいはなれるかもしれない、とこのブログを始めました。

 正直な気持ちを書けば、思い出を後生大事に抱え込んで、優越感に浸っていたかった。
 いただいたコメントへの返答にも書いたと思うのですが、ファンとしての想いの幅や深さに意味があっても、ファン歴の長さには何の価値もないと思うのです。ちょっとした時期の違いだけ。
 ずっと熱心に、深く綾野氏に思いを抱く人たちにくらべ、ただ幸せな記憶を抱いていた期間が長いだけのこと。
 その優越感にしがみついたところで、そんな思い、砂一粒の価値もありません。

 とりあえず吐き出して吐き出して、もう破れて葡萄酒を全部こぼした革袋のように空っぽです。

 現在、情報はあふれていますし、綾野氏を語る方は大勢いらっしゃいます。
 自分の役目も終わったかなと思います。

 ほんの一人、二人にでも伝われば、と思っていたところ、思いがけず大勢の方にお越しいただき、たくさんの言葉をいただきました。
 本当にありがとうございました。

 今後はもう少し気楽に、ネットの片隅で何かつぶやいているかもしれません。

「裸にしたい男」

2013-06-26 02:07:19 | 綾野剛
 中野カントクが綾野さんの密着取材をしているらしい、とネットで情報が流れてきたのは2012年初夏の頃だったろうか。
 福島の田園風景、というワードを目にしたとき、自分の中に一人の名前がよぎっていった。
 ちらり、ほらりと情報は続き、やがてNHKの「裸にしたい男」という番組だろうというところまで出てきた。
 秋になり、番組の中で誰かに会いに行くらしい、と聞き、確信した。
 2008年分から保存しているビジュアルボーイ日記の配信メールをあさり、2008年11月の日記に福島から元バンド仲間の土屋直史氏の作った米が送られてきた旨の記述を確認。
 そういえばこの日記を読んだ直後、なにかの経済情報番組で「若者が切り拓く新しい農業」といった特集を組んでいて、紹介されていた雑誌の開かれたページに土屋氏の名前が載っていて仰天した記憶がある。
 綾野氏が会いに行くのは間違いなく彼だと思った。
 自分もたぶんストリートライブのときに土屋氏を生で見ているはずなのだが、あのときは綾野氏を見るのでいっぱいいっぱいになっていて、残念ながらまったく容姿を覚えていない。

 番組の中で、福島へ向かう途中不安げな顔を見せていた綾野氏だったが、数年ぶりに出会った二人はただ無言で何度も何度も強く抱きあっていた。
 男の友人は離れている間に相手を想うことはないが、再会するとつい先刻別れたばかりのようにつきあえるのだ、とどこかで聞いたことを思い出した。


 そのほかに、番組で思ったこと。
 カーネーションでのブレイク以降、忙しい日々でお疲れだろうとわかってはいたが、本当に疲労されていたんだなと。
 その疲れた顔を撮影やファンの前で見せないように、周りが顔を「作って」いたのか、とあらためて。
 ほんのわずかの合間に、ビルの隙間から花火を見上げる顔が少年のようで、胸が痛んだ。

 番組中、何度もカメラに向かって話す、その視線が、自分に向けられているようでドギマギした。
 いや、「キャー私のこと見てくれてるわ」なんて甘い勘違いではない。
 カメラを見ているはずのその視線は、見つめている側の表皮を通り越し、内面まで見据えているようで、見通され暴かれそうな恐怖に近い感覚だった。
 それまでも雑誌のインタビューなどで何度も感じた、綾野氏の言葉はこちらの心に何かを投げ込んでくるようであり、綾野氏を見ようとすると自分自身を見つめなおすことになるような感覚。
 錯覚、かもしれない。
 でも、綾野氏の言葉はただ宙に四散するのではなく、彼を見ようとするものの胸に飛び込んでくる……少なくともそう思わせる。
 見る側にそう思わせるところが、たぶん綾野氏本人もまったく気づいていない彼の力だろう。
 そして、こちらを見通してくる視線に対して、見返すほうもそれ相応の覚悟と力が必要とされる。

 だから、きっと綾野氏は多くの人にとって、特別なのです。

「サイケデリック・ペイン」大阪公演

2013-06-26 02:02:47 | 綾野剛
 まだまだ残暑の残る2012年9月下旬。
 ロック・オペラなる触れ込みの「サイケデリック・ペイン」観劇。
 舞台の上でロックバンド演奏そのものを行うという趣向。

 東京公演はそれなりに長い期間で、ネットを眺めているとリピーターとなった人たちが、今日のアドリブはどうこうとか今日のピックはなんのかんのと楽しげに報告していて、うらやましくて歯噛みしていた。

 会場に足を運んで思ったのは、観客のノリが観劇というよりライブのそれだった。いえ、ロックライブなんぞ行ったことありませんがたぶん。
 掛け声も役者名ではなく役名で、本当にバンドが存在しているとしか思えなかった。
 終了後、近くの席の、自分とあまり歳の変わらないご婦人が「人生初ウチワ」と笑いながらコンサートにつきもののウチワを片付けていたのが印象的。

 ストーリーは、まあ、天使や悪魔や救世主という単語が並ぶあたりで推測してください。
 でも勢いがあって、エネルギーに引きずられるように世界に入り込めたし、脇を固めるベテラン勢の怪演が凄すぎた。メインキャラにはキャーッと歓声が沸くけど、天野さんやドクターにはワーッと拍手が起きた(笑)

 主役の福士さんは台詞も歌もよく通る声で素敵だった。
 そして綾野さんも、声量では少しかなわないけど、バンドのギター兼ボーカルを名乗ってもまったく問題ないレベルで……まあ、ぶっちゃけ、mr.aのころはCD聞きながら首をかしげて唸ってしまうアレな感じでしたので(苦笑)、うまくなったなあと上から目線。

 幸いにしてけっこう前の席だったので、綾野さんをやや斜めから見上げる角度に座れた。
 エラのラインや、薄くて直線と柔らかさの同居した背中の線(残念ながら大半はマントに隠れていた)がやっぱり好きだなあ、と数年前の冬の夜のライブを思い出しながら眺めていた。
 しばらくずっと親戚のおばちゃん目線が続いていたけれど、まだ自分にときめきが残っていたのだとしみじみ。

 とにかく、綾野さんで見たいと何年も思い描いていたシチュエーションを生で見ることができて大感激。

 しかし、長らく、綾野さんの出演映画を見に行くときは、もう二度と見ることができないかもしれないから心に刻みつけておこうという覚悟を抱いていたわけだが、舞台ともなると本気で一期一会のつもりだったのに、DVDが発売されましたとさ。