アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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安倍首相が「年頭伊勢神宮参拝・記者会見」を繰り返す異常

2018年01月06日 | 天皇制と政権

     

 安倍首相は4日、伊勢神宮を参拝・記者会見し、今年も伊勢神宮から「仕事始め」を行いました。安倍氏が年頭に伊勢神宮を参拝するのは6年連続です。

 これはきわめて異常なことです。そして、憲法に照らしてけっして許されることではありません。
 この異常事に対する批判が皆無であることは、日本のメディア・論壇の危機的衰退を表していると言わねばなりません。

 第1に、伊勢神宮は言うまでもなく神道という宗教の中心施設です。その宗教施設に首相が「公務」で訪れ、いわば1年の施政方針ともいえる「年頭記者会見」を行うことは、憲法の政教分離の原則(第20条3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」)に抵触することは明らかです。

 第2に、伊勢神宮は、ただの神社ではなく、「天皇の先祖」(皇祖神)・天照大神を祀った皇室神道の「存立の基盤であり基礎」(新谷尚紀著『伊勢神宮と出雲大社』講談社選書)です。そこに首相が「仕事始め」に参拝することは、「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会で選出された首相が、天皇に従属する印象を与えるもので、主権在民(憲法前文、第1条)にもとる行為と言わねばなりません。

 第3に、「皇祖神」を祀っている伊勢神宮は、帝国日本の侵略戦争と植民地支配推進の精神的宗教的支柱になった歴史をもつ特別の神社です。
 天皇が伊勢神宮に参拝するようになったのは明治になってからですが、その狙いは、「国家元首が国家宗教と密接な関係をもつ場で祭祀を行うことによって、帝国の存在をアピールする意味も多分にあった」(千田稔著『伊勢神宮』中公新書)のです。

 以後、帝国日本は朝鮮、台湾を植民地支配し、現地に天照大神を祀る「神社」を次々建てていきました。「神道が植民地統治の精神的根幹にあった」(千田稔・前掲書)からです。

 こうした伊勢神宮の”役割”は1945年の敗戦まで続きました。昭和天皇(裕仁)はドイツ、イタリアとの「三国同盟」を結ぶに際して伊勢神宮に「行幸」し「戦勝祈願」を行いました(1940年6月9日)。敗戦後もまた天皇裕仁は伊勢神宮を訪れ、「終戦奉告」を行いました(1945年11月12日、写真右)。

 伊勢神宮はまさに、帝国日本の侵略戦争、植民地支配と天皇制を結ぶ結節点だったのです。

 その伊勢神宮で今年、安倍氏は何を表明したでしょうか。

 「今年こそ憲法のあるべき姿を国民にしっかり提示し、憲法改正に向けた議論を一層深める」(改憲)
 「いかなる挑発行動にも屈せず、北朝鮮への圧力を最大限高め、政策を変更させる」(朝鮮敵視)
 「従来の延長線上でなく、国民を守るため真に必要な防衛力強化に取り組む」(軍事力強化)
(以上、5日付東京新聞「会見要旨」より)

 さらにこうも言いました。
 「時代の変化に応じ、国の形、あり方を考える、議論するのは当然のことだ」
 「北朝鮮の脅威に備える自衛隊の諸君の強い使命感、責任感に敬意を表したい」
(以上、5日付朝日新聞より)
 「北朝鮮の脅威」を口実にして、憲法9条に自衛隊を明記する改憲を行う狙いがありありと表れています。

 伊勢神宮参拝直後に、こうして改憲(自民党の改憲案の第1条は、「天皇元首化」)・軍事力強化を表明した安倍氏の姿は、同神社で「戦勝祈願」を行った天皇裕仁を彷彿とさせるものではないでしょうか。

 日本のメディアは、中国などが批判する「首相の靖国神社参拝」はそれなりに報道しますが、伊勢神宮参拝はまったく眼中にありません。靖国参拝も本来、「外交問題」ではなく「日本人」自身の問題です。「首相の伊勢神宮公式参拝」はなおのこと、「日本人」の歴史観と憲法観がきびしく問われています。
 

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