アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
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官僚(国家公務員)は政権の下僕ではない

2017年06月17日 | 安倍政権と民主主義

     

 「文科省から出向してきた方が、不適切だが、陰で隠れて本省(文科省)にご注進したものだ」
 山本幸三地方創生相の発言(16日の参院予算委員会、写真中)には唖然としました。萩生田光一官房副長官が加計学園に便宜を図る修正を指示した文書が明るみに出て、その存在を否定できなくなったら、今度は文書を書いた職員をおとしめ、責任を転嫁しようというわけです。大臣はおろか、政治家はおろか、一般社会人としても下の下です。

 山本氏といえば、「一番のがんは学芸員」(4月16日)という暴言を吐いて厳しい批判を浴びたばかり。人を愚弄する下劣さは筋金入りのようです。

 山本氏だけではありません。文科省の内部告発者に対して義家弘介文科副大臣が「国家公務員法違反になる可能性がある」(6月13日衆院農水委員会)と言って恫喝したのもつい先日のことでした。

 山本氏や義家氏のこうした一般職員に対する愚弄・恫喝は、もちろん彼らが勝手に行っていることではありません。言うまでもなく、安倍晋三首相と菅義偉官房長官という、それこそ「官邸の最高レベル」による各省庁・官僚支配の反映にほかなりません。官邸が各省庁の人事権を掌握してその支配は格段に強まりました。

 ここで明確にしておかねばならないのは、霞が関の官僚はけっして政権の下僕ではない、ということです。

 官僚(国家公務員)とは何か。その根本を規定しているのは、日本国憲法です。憲法第15条にはこう明記されています。

 「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」(第1項)
 「すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第2項)

 さらに、この憲法の下に制定された国家公務員法は、第1条(法律の目的)でこう規定しています。
 「この法律は、国家公務員である職員について適用すべき各般の根本基準を確立し…以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする」

 こうした憲法や国家公務員法の規定で明らかなように、公務員が「奉仕」すべき相手は、「一部の」政治家や政権ではなく、国民「全体」です。霞が関の官僚ももちろん例外ではありません。

 例えば、今回の文科省の内部告発は、安倍首相が「腹心の友」である加計孝太郎氏に便宜を図って行政を私物化したという国民(主権者)にとっての重大疑惑について、当然国民に開示されるべき文書(行政文書は国民のもの)を、安倍政権が「怪文書」(菅官房長官)呼ばわりして闇に葬ろうとしたのに対し、「確かに存在する」と事実を明らかにしただけです。この行為が国民の利益に叶っていることは明白です。義家氏が言う「守秘義務(国家公務員法第100条)違反」はまったくのお門違いで、内部告発が怖いだけのこじつけにすぎません。

 むしろ、政権が党利党略・私利私略で国民の知る権利を蹂躙し、事実(文書)を隠ぺいしようとするのに対し、各省庁の職員は積極的に内部告発すべきです。それこそが「国民に奉仕」する公務員の使命ではないでしょうか。

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