アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄「県民大会」は遺族・県民の思いに応えたか

2016年06月20日 | 沖縄と基地

      

 「元海兵隊員による残虐な蛮行糾弾!被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」(「オール沖縄会議」主催)が、19日、那覇市内で行われました。
 あらためて被害者のご冥福をお祈りし、ご遺族にお見舞い申し上げるとともに、大会に参加されたみなさんに敬意を表します。

 同時に、二度とこんな事件を起こしてはならない、という共通の思いを現実にするため、今回の県民大会がどんな内容でどういう意味を持ったのかをリアルに検証する必要があります。
 大会は、遺族や広範な県民の切実な思いに応えるものだったでしょうか。
 
 登壇した「シールズ琉球」の青年たちの発言は胸を打ちましたが、大会の中でも最も強く参加者の心をとらえたのは、1分間の黙とうのあと高里鈴代共同代表が代読した、被害者の父親のメッセージではなかったでしょうか(写真中)。

 「なぜ娘なのか、なぜ殺されなければならなかったのか。今まで被害に遭った遺族の思いも同じだと思います。被害者の無念は、計り知れない悲しみ、苦しみ、怒りとなっていくのです

  そして父親はこう結びました。

 「次の被害者を出さないためにも、『全基地撤去』『辺野古新基地建設に反対』。県民が一つになれば、可能だと思っています。県民、名護市民として強く願っています

 沖縄から全ての基地をなくする「全基地撤去」。これこそが事件の再発を防ぐ唯一の手段であり、遺族の最も強い要求であることが、父親のメッセージではっきり示されました。
 大会の会場には、「全米軍基地撤去!」の大きなプラカードも掲げられました(写真右=20日付中国新聞より)

 大会はこうした遺族・県民の切実な声に応えるものだったでしょうか。否、です。それは、大会の意思を示す「大会決議」に示されています。

 大会決議に盛り込まれた日米両政府に対する要求は、次の3項目です。

  日米両政府は、遺族及び県民に対して改めて謝罪し完全な補償を行うこと。
  在沖米海兵隊の撤退及び米軍基地の大幅な整理・縮小、県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を行うこと。
  日米地位協定の抜本的改定を行うこと。

 「県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去」は「辺野古新基地建設反対」と同義で、①③とともに当然の要求です。
 問題は「米軍基地の大幅な整理・縮小」です(「在沖米海兵隊の撤退」については別途述べます)。いうまでもなく「整理・縮小」は「全基地撤去」ではありません(いくら「大幅な」をつけようと)。それは仲井真前知事時代に作られた「21世紀ビジョン」にも盛り込まれており、自民、公明も異論のないものです。この旧態依然とした宥和的なスローガンで、どうして事件の再発が防げるでしょう。どうして遺族・県民の痛切な願いに応えることができるでしょう。どうして「限度を超えた怒り」が収まるでしょうか。

 今こそ、今度こそ、「全基地撤去」の要求を掲げ続け、その声を沖縄と「本土」の隅々に広げなければなりません。

 それなのに大会決議は、「全基地撤去」を抑え、「整理・縮小」でお茶を濁したのです。これが、今回の「オール沖縄会議」主催の「県民大会」が、遺族や県民の思いに応えるものにはならなかった理由です。

 琉球新報の社説(20日付)は、父親の「全基地撤去」のメッセージを紹介し、「事件の紛れもない当事者である日米両政府は遺族の悲痛な要望にどう応えるのか。『基地の島・オキナワ』の民の悲憤と血がにじむような訴えを無視することは許されない」と書きました。その言葉は、「日米両政府」はもちろん、「オール沖縄会議」にも、また琉球新報や沖縄タイムス自身にも(両紙の20日付の社説には「全基地撤去」の主張はありません)、そして「本土」の私たちにも突きつけられているのではないでしょうか。

 そしてもう1つ。県民大会で見過ごすことができないのは、翁長雄志知事の「あいさつ」とその後の記者会見です。これについては明日書きます。

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