アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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琉球新報、沖縄タイムスに問われているものは何か

2015年06月13日 | 沖縄と差別

         

 写真誌「フライデー」(6月26日号、講談社発行)に、「スクープ撮 菅官房長官が『沖縄タイムス』『琉球新報』と“懐柔密会”」という見出しの記事が出ました(写真中)。
 6月8日夜、「都内超一流ホテルのロビー階にあるバーの個室」で、菅氏と「沖縄タイムス、琉球新報の幹部」が、「2時間以上」会談した。前の週に官房長官サイドから「地元紙との懇親をはかりたい」との打診があり、「場所等は、官邸側で準備した」、というのが記事の概要です。

 同記事には、タイムス、新報の次のようなコメントが載っています。

 「菅長官から直接話をうかがい、考えを聞く機会と捉え、取材方法の一環として参加しました。菅長官は基地移設計画を進める従来の政府方針を説明しただけで、理解を求める発言はなかったと記憶しております。会合によって、沖縄タイムスとしての立場に変更はありません」(沖縄タイムス社東京支社)

 「日常の取材活動、取材源についてのコメントは差し控えます。辺野古新基地問題についての本紙の報道姿勢に変更はありません」(琉球新報社東京報道部)

 両紙ともいまのところ「フライデー」に抗議はしていません。

 この記事が事実なら、私が最も気になるのは、当日の飲食代を誰が出したのかということです。両紙が取材費として出したのか、菅氏が「官房機密費」から出したのか、それとも割り勘だったのか。

 首相をはじめ時の政権幹部とメディアが、夜の料亭やホテルで飲食を共にしながら「懇談」するのは、新報、タイムスに限らず、残念ながら日本のメディアの宿痾です。
 折しも、「週刊ポスト」(6月19日号、小学館発行)は、「『マスコミ特権』は世界の恥だ」と題する特集を組み、「安倍首相と大新聞・テレビ幹部&記者『夜の会食』完全リスト」(写真右)なるものを掲載しました。
 第2次安倍政権の2013年1月から15年6月1日までの首相とメディアの「夜の会食」を、一覧表(表にあらわれているものだけ)にしたものです。

 数えてみると、その回数は61回にのぼります。一覧表に出ている「参加者」を会社ごとに分類すると、のべ人・回数は次の通りとなります。
 「読売」18、「時事」10、「産経」9、「毎日」7、「朝日」6、「フジテレビ」5、「日テレ」5、NHK4、「日経」4、「共同」4、「テレ朝」4、「中日(東京)」2、「中国」1、「西日本」1、「静岡」1。このほか、「報道関係者」3回、「内閣記者会キャップ」3回、「首相番記者」「報道各社の論説委員」「報道各社の政治部長」「女性記者」各1回など。ちなみに、個人で最も多かったのは、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長で9回にのぼっています。

 これらの「夜の会食」にかかった経費は官房機密費(もちろん税金)から出されるのが常です。この機密費というブラックボックス、民主党政権誕生時に「全容を解明する」と大見得を切りながら、雲散霧消してしまったのは記憶に新しいところです。

 新報、タイムスがこうした「大手メディア」の悪弊の“仲間入り”をすることは、もちろん好ましいことではありません。
 でも、新報、タイムスにいま最も問われていることは、はたしてこうした問題でしょうか。

 沖縄タイムスは6月10日付で「翁長知事就任半年」の特集を組み、「辺野古強行国を追及」「痛烈な言葉、世論も支持」などの見出しで翁長知事の「半年」を賛美しました。琉球新報も翌11日付で「就任半年」をまとめ、「辺野古移設の考えを変えない国に、県行政としていかに対峙し、県民意思を実現していくかという命題に挑んでいる」と翁長氏を持ち上げました。

 しかし、「就任半年」を振り返るなら、翁長氏が選挙で公約した「埋め立て承認の取り消し・撤回」に、半年たってもいまだに手を付けず、「視野に入れる」「選択肢」にとどめていることを、なぜ両紙は追及しないのでしょうか。

 たとえば琉球新報は2月26日の社説で、「もやは許可取り消しの可能性を論じる段階ではない。…移設作業をこれ以上続けさせてはならない。翁長雄志知事は即刻、許可を取り消すべきだ」と主張しました。沖縄タイムスも3月8日の社説で、「これ以上のブロック投入やボーリング調査の再開を許してはならない。翁長知事には速やかに知事権限を行使してもらいたい。決断の時だ」と迫りました。

 両紙のこうした主張はどこへ行ってしまったのでしょう。辺野古の事態はこれらの社説の時点よりさらに日々悪化していことは周知の通りです。両紙はなぜ当時の主張を引っ込めてしまったのでしょう。なぜ今こそ声を大ににて「取り消し・撤回」を求めないのでしょうか。そこに、「取り消し・撤回」を行わない翁長氏への配慮・迎合がないと言い切れるでしょうか。

 翁長知事の言動を、メディアとしての曇りない目で見て判断・評価し、言うべきことを堂々と主張する。それがいま両紙に問われている最も重要な問題だと私は思います。

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