アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
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見過ごせない「天皇新年の感想」の“異変”

2016年01月02日 | 天皇制と人権・民主主義

  

 天皇は毎年元日付で「新年の感想」を発表します。今年のそれには、例年にない文言が含まれていました。該当部分を引用します。

 「私どもの住む日本は誠に美しい自然に恵まれている一方、自然災害を受けやすい環境にあり、今年も日本人一人ひとりが防災の心を培うとともに、お互いが気を付け合って、身を守る努力を続けられることを心より希望しています」(宮内庁HPより)

 天皇は「日本人」に防災を呼び掛けたのです。しかし、いうまでもなく日本に住んでいるのは「日本人」だけではありません。在日コリアンをはじめ多くの外国人が生活しています。日本国籍を取得している人も、そうでない人も。天皇のこの「感想」からはそうした在日外国人は排除されているのです。

 そんなに深い意味ではなく「日本に住んでいる人」くらいのつもりで使ったのだろう、と思われるかもしれませんが、ことはそう簡単ではありません。なぜなら、明仁天皇の「新年の感想」は即位以降今回で27回目になりますが、これまで「国民」「この国の人々」「人々」とは言うものの、「日本人」という言葉は一度も使ったことがないからです。

 例えば昨年の「新年の感想」でも「防災」について述べていますが、そこでは、「それぞれ地域の人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくこと」と言っています。宮内庁のHPには英文も掲載されていますが、昨年「people」であったものが今年は「Japanese」。違いは歴然です。

 天皇のこの「日本人」が、安倍首相の「年頭所感」の次の言葉と重なるのです。
 「日本が、まさに世界の中心で輝く一年だ。しっかりとリーダーシップを発揮していく」

 偏狂なナショナリズムは民族差別と表裏一体です。それは「戦争をする国」の思想的・精神的底流でもあります。憲法違反の戦争法を強行した安倍晋三首相の下で、「偏狂ナショナリズム」が広がることが危惧されます。そうした中での天皇の「日本人」発言は、けっして軽視できません。 

 昨年の通常国会に野党は人種差別撤廃法案を提出しましたが、成立しませんでした(継続審査)。本来は1995年に日本が人種差別撤廃条約に加盟した時点で制定しておかねばならなかったものです。その後国連人種差別撤廃委員会から包括的な人種差別禁止法を制定するよう3回も勧告されながら、日本はいまだに制定していません。

 弁護士の師岡康子さんによれば、定住外国人に対する各国の政策を比較した国連の2010年の調査では、差別禁止に関する項目で日本は100点満点の14点、39カ国中最下位で、「致命的に遅れている」と批判されています。
 師岡さんは、「差別禁止を宣言する法案すら通らず、排外主義と闘う法も政策も全く整備されていない日本の状況は極めて特異である」(2015年12月11日付中国新聞)と指摘します。

 昨年末にあらためて表面化した、「難民」問題、「慰安婦」問題、選択的夫婦別姓の不許可、そして「沖縄の基地問題」などは、すべてその根底に「差別」が深く根を張っています。そうした日本の「差別構造」の頂点に立つのが、(象徴)天皇制にほかなりません。

 安倍政権の歴史修正主義、日米軍事同盟強化、格差拡大の新自由主義とたたかい、日本の新たな道を切り拓くことは、“内なる天皇制”を含め「極めて特異」な差別構造・差別社会を克服することと一体不可分です。それは同時に、自分に染みついた思想・精神を洗い直し、自分の生き方を問い直すことでもある、と痛感する年頭です。

 

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