アリの一言 

オキナワ、天皇制の現実と歴史などから、
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「天皇退位問題」の核心は何か

2017年03月21日 | 天皇制と憲法

     

 衆参正副議長がまとめた「立法府の総意」(17日)はじめ、「天皇の退位」をめぐるこのかんの政府、与野党、メディアの議論は、肝心な問題が最初から除外されています。
 「天皇退位」問題の核心は何でしょうか。最近注目した2つの論稿を紹介します。

 ☆ 1つは、朝日新聞(3月18日付)に掲載された原武史氏(天皇制を研究する政治学者・放送大教授)のインタビュー(写真中)です。

 明仁天皇の「ビデオメッセージ」以降の動きについてー。

 「はっきり言っておかしいと思います。いまの憲法下で、天皇は国政に関与できないはずです。それなのに、天皇が退位の気持ちをにじませた発言をすると、急に政府が動きだし、国会でも議論を始めた。『お気持ち』を通して、結果的にせよ、国政を動かしています。私が知る限り、戦後、天皇が意思を公に表し、それを受けて法律が作られたり改正されたりしたことはありません

 「本来は天皇を規定するはずの法が、天皇の意思で作られたり変わったりしたら、法の上に天皇が立つことになってしまう

 「大事なことは、退位のよしあしよりも、過程全体が憲法や皇室典範など現行法にのっとっているかどうかです

 こうした原氏の指摘はこれまで「大きな議論になっていない」という記者に対しー。

 「もっと憲法学者や政治学者たちから問題提起や疑義が出てもよさそうなものですが、なぜか聞こえてきません。…『退位の意向』が報じられた当初から私はおかしいと言っているのですが、ほとんど反応がない。孤立感を抱いています


 ☆ もう1つの注目すべき論稿は、奥平康弘氏(憲法学者・東大名誉教授、2015年没)の『「萬世一系」の研究(上)(下)』(岩波現代文庫、今月発行、初出は2005年)です。

 膨大・重厚な論稿で、簡単には抜粋はできませんが、「天皇の退位」に関する部分の中から、いくつか紹介します。

 「『天皇の退位』というテーマは、憲法学者も含めて『ふつうの日本人』の多くが好んで話題にする『天皇(または皇族)に”人権”があるか』という主題と密接不可分、一体のものであるはずなのに、市民間はもちろんのこと、憲法学説上もほとんど議論されていないという事情がある」

 「私が問題にしたいのは、天皇制がある種のひと(ひとびと)<天皇と皇族ー引用者>に不自由を強いる構造になっているという制度のつくり方それ自体である

 「皇室典範の個々の規定を個別に改正して事態を収拾しようとする政策に頭から反対するつもりはない。しかし、これは対処療法でしかなく、暫定措置的な効果が期待されるに過ぎない。天皇制(天皇家)が憲法上の制度たることをやめないかぎり、不自由・拘束は遺憾ながら制度とともに付いてまわらざるを得ない

 「『戦後六〇年』のあいだに、天皇制に関してはたくさんの議論があった。けれども、公には、天皇制の合理的な根拠を真正面から問題にする機会をわれわれは持ったことがない。いまこそが本当は、その好機だと思う(注・小泉政権下での「女性天皇」論議ー引用者)。しかし、今度もウヤムヤに終わるだろう。『女帝』論議と違って、天皇制の合理的な根拠をめぐる議論は、道具的な意味での『合理性』が問われるのではなくて、憲法体系に関わる政治原理のレベルで問われるべきものであって、いわゆる『公共理性』(public  reason)にもとづく討議とならざるをえない」

 2005年に書かれた奥平氏の指摘は、12年後の今もそっくりあてはまります。

 原氏、奥平氏の論述から学び直したいのは、「天皇の退位」問題は、抹消な法律で処理すべき問題ではなく、あくまでも憲法に立ち返って考えるべきだということ。
 さらには、戦後70年怠ってきた(「天皇制タブー」)、憲法上の天皇制の「合理的な根拠」を正面から問い直すこと、すなわち「天皇制」自体を根本的に見直すことが必要であり、今こそその「好機」だということ。
 そして、それを行うのは、「天皇」ではなく、主権者であるわれわれ自身である、ということではないでしょうか。
 

 

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