アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

オスプレイ飛行再開強行!これが日米軍事同盟の正体

2016年12月20日 | 沖縄と日米安保

     

 墜落から6日。事故原因の究明もないまま米政府・軍がオスプレイの飛行再開を強行し、日本政府がこれに「理解」を示したことは、自民党沖縄県連でさえ声を荒げて抗議するほど、理不尽極まりなく、一片の弁明の余地もありません。

 オスプレイを墜落させておきながら、「感謝すべきだ」「日本の防衛の役に立っている」と強弁するニコルソン四軍調整官は、朝鮮・東アジアを侵略し植民地にしたかつての日本帝国の言い分そのもの。まさに植民者の姿を浮き彫りにしたものです。

 重要なのは、これをたんなる「情報開示・説明不足」(翁長雄志知事)の問題に矮小化してはならないということです。今回のオスプレイの墜落と飛行再開強行は、日米安保条約にもとづく日米軍事同盟とはどういうものかその正体を浮き彫りにしたものに他なりません。その意味は次の3点です。

 ① 軍隊・軍事同盟は住民を守らない

 県民の不安・怒りには目もくれず米軍が飛行を再開したのは、ニコルソン氏が述べている通り、米軍の作戦のためです。軍隊が最優先するのは作戦の遂行と上官の命令であり、そのためなら住民を平気で犠牲にします。沖縄戦が示した軍隊の本質は今もなんら変わっていません。

 ② 日米安保=軍事同盟は「日本を守る」ものではない

 沖縄はじめ日本全国に米軍基地がある(全土基地方式)のは、日米安保条約が「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」(第6条)と規定しているからです。 
 それは「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」(同)としていますが、実際は「日本国の安全」などアメリカの眼中にはなく、あるのは極東戦略だけです。それが今回のことで改めてはっきり示されました。「日米安保で日本は守られている」という通説はまったくの幻想であり、日米両政府が意図的にふりまいている虚言にほかなりません。

 ② 日米安保は対米従属の軍事同盟である

 日本政府が世論の手前、事故原因が究明されるまでの飛行停止を求めたにもかかわらず、米側がこれを無視して再開を決め、日本政府が「抗議」1つせず「理解」した経過は、日本の対米従属をはっきり示したものです。日米安保体制は対米従属の軍事同盟なのです。

 こうした日米同盟の正体を明らかにするうえで、見過ごせないのがメディアの論調と、翁長知事の発言です。

 ★いまだに「墜落」と言わない日本のメディア★

 飛行再開問題を取り上げた20日付の社説を見ると、朝日新聞は「大破した事故」、毎日新聞は「大破した重大事故」、東京新聞はカッコ付の「墜落」と「不時着、大破」の併用。共同通信の配信記事は「不時着による大破」。NHKも「不時着」。(読売、産経、日経は言うにおよばず)
 日米両政府の発表に従っていまだに「墜落」とは言わないメディア。こうしたメディアの権力追随こそ日米両政府の横暴を許している大きな要因だと言わねばなりません。

 ★「県民」は「日米安保に貢献」という翁長知事の暴言★

 翁長氏は19日、「オスプレイの配備撤回を求め、飛行再開の中止を求める」コメントを発表しました。琉球新報、沖縄タイムスはじめ本土のメディアもこれを「強く政府を批判した」(琉球新報)ものと報じました。「配備撤回」や「飛行再開中止」は当然です。しかし、翁長氏のコメントにはそうした当然の要求に紛れて重大な問題が含まれています。

 「米軍の考えを最優先し飛行再開を容認する姿勢は極めて県民不在で、日米安保に貢献する県民を一顧だにしないもので強い憤りを感じる」(20日付琉球新報)

 「貢献」とは、あることに賛同してその役に立つことです。「日米安保支持」が持論の翁長氏にとっては確かに沖縄の基地は「日米安保に貢献する」ものでしょう。しかし、「県民」の中には日米安保に反対する人も少なくありません。それが本土と違う沖縄の優れた点です。そうした県民にとっては基地は「日米安保に貢献する」どころか「日米安保の犠牲」にほかなりません。

 「日米安保支持」の持論を「県民」全体に広げるようなコメントは絶対に許されません。それは、オスプレイ・米軍基地の元凶である日米安保=軍事同盟に対する批判をそらし、日米両政府を喜ばせるだけだからです。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ソウル訪問・氷点下の中の「... | トップ | 辺野古新基地阻止の決め手ー... »