こころの万華鏡

日常の中に瞑想があるのではない・・
瞑想が日常に溶け込んでいる

絶対善と偽善

2017-04-21 14:01:49 | 著籍の紹介




ウスペンスキーはその著書、「新しい宇宙像(上)」でキリストの考えについて

これを文字通りに感傷的な意味で理解して、

善が全く存在しないところに、それを見出そうとするほど危険なことはない


と述べている。

更に続けて、

あらゆる物、あらゆる人、あらゆる出来事の中に、

何かしらの善があるという思想は、正常で自然な現象との関係においてのみ

正しいのである。

この思想が、異常で不自然な現象との関係においても

同じように正しいということはあり得ない。
 



との大胆な発言をしているが、これが妙に腑に落ちて

そこから「善」について色々と考察に耽っていた。


上記のウスペンスキーの言説の意味においては

キリスト教に限らず宗教全般に仕込まれた何らかの異常さの種の如きものが

今や大きく成長し、全世界に蔓延っているというイメージが浮かんだ。


異常さと不自然さに取り巻かれた様な現状の世界では

「善」の片鱗さえも窺えないことになるのだろう。


「善」は何処にも見当たらず、

「偽善」だけが幅をきかしている様にも感じられる。


現に今やテレビもネットも「偽善製造機」としての

大きな役割を担わされている側面があると思う。



真理であるところの『絶対善』は、

人類に課せられた感覚・知覚の制限によって

ゆっくりとその姿を『偽善』へと塗り替えられてしまうのかもしれない。


絶対善が偽善へと変わる行程は、

何千年という歳月をかけて熟成された魔法の秘薬のように

誰の目にも明かされない様にして

じわじわと浸透していったようにも感じられる。




















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