こころの万華鏡

日常の中に瞑想があるのではない・・
瞑想が日常に溶け込んでいる

意識の曇り(ノーマインド)

2017-05-06 09:28:33 | 心・ 意識 ・ 無意識



ノーマインド(無思考)の境地を目指すのは良い


けれど最初からマインドを放棄するのは

とんだ見当違いだよ・・

スピ系にはそういう人が案外多い。


かつて、仕事で出会う人にもそういう人が増えていき、

特に2000年以降は、急激に増えたように感じる。


・・夢見る夢子ちゃん・・夢男さんも、、たまには居た。


相手はお客様だから無碍にあしらう訳にもいかず、

理解を促す策を考えることにエネルギーを使った記憶がある。



論理的思考は、生きるために必要だから

有用に使われなければいけないと思う。

それを端から放棄して、

何でもかんでも『 流れに身を任せる 』という事で片づける。

本人は流れに任せてるつもりだけど、

単に『 流れに身を任せる 』という観念に執着しているだけなのだ。


思考を上手く使うには『 使われないこと 』が肝心で、

使うのは「わたし」であるという意識を常に持っておくこと、

つまり思考が主人となり、思考に使われない様に、

しっかりと「わたし」を意識することが肝要なのも事実だ。


夢子ちゃんたちは、思考に使われたくないがために

思考から逃げているようにも観じられた。


また論理的思考の有用性は確かにありながらも、

一方ではこういうのもある。

それは、最終的には思考を超えていく必要があるということ。


何故って、「 生きる 」ということは、

論理を越えている現象だから・・。


相反する矛盾を抱えながら選択を迫られる場面が

人生には多々あるけれど、

この際には論理だけでは間に合わない事も多い。


つまり直感、直観の助けが必要なのだ。




直感、直観と思考を組合わせること・・

要は、身の丈に合ったバランスが大切っていうことに落ち着く。


身の丈は判断するための物差しにも通じていて、

それは成長と共に変化していくから、

その度にバランスを調整することが必要とされる。


・・簡単に言うと、そんな結論に達した。



思考を過信して思考の罠に嵌ってる人は

明らかに辛そうな顔をしているけれど、


直感を過信して思考を拒む人の目は、、、

いつも虚ろに曇っていた・・。











近隣の神社の木







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