うさぎのひとり言

唐突な思いつきで、脈絡なく不定期に書いてます。

冬の閑話をひとつふたつ

2010-01-24 | Weblog
さっきものすごく久しぶりに書き込みをしたら、タイトルを入れないまま投稿してログアウトしてしまったので、すっかり全部消えてしまった。
勢いに任せて書いたものを再現するのは難しい。
そんなわけで、それはもう無かったものとして、直近のビックリした話。

1年中、ウチの冷蔵庫にはパックもちが入っている。
パックもちを邪道という人もいるかもしれないが、これがなかなか便利。
今日は、今年最初のパックもち開封をしたのだが、小分けされたもちを取り出したら、小さな袋の中に小さな脱酸素剤が入っている。そして小さな袋ごとに賞味期限がプリントされている。
いやぁ〜、細かいな、日本人。
そこまでしなくても。卵パックに並んだタマゴのひとつひとつに賞味期限シールが貼ってあるのみたい。
とはいえ、ひとかたまりの団体さんだったパックもちが、自由設計の個人ツアーへと方向転換したようで可愛くもある。
ちいさきものは可愛らしい。
冬に一番可愛いと思うのは、庭先におすそ分けしたりんごやミカンをついばみに来るメジロちゃん。随分前にそんなことしているとカラスが来るとかハクビシンが来ると脅されて、そういうのが出没したらメジロちゃんも危険だから止めようと決めているのだが、今のところ出没の気配は無い。
カラスは油モノが好きらしくゴミの収集場所で器用に脂っこそうなものをセレクトしているし(それは彼ら的にはバイキング形式なのかもしれない。でも、ニオイや味が好みでもラップをくわえて飛んでいくのを見ると心配にはなる)、ハクビシンは横浜エリアには出没していると聞いたことがあるがこの界隈では目撃情報を聞いていない。
私はあくまでもメジロちゃんのためにおすそ分けをするのだが、そこにさっさとくちばしを突っ込むのはヒヨドリだ。
ヒヨドリちゃんを立ち入り禁止にしたいとは思わないけど、ほどほどにね、とは内心思っている。
そんな彼らのおかげで植えた覚えの無い南天や万両が実をつけて、冬の間の来訪が続いている。
冬の可愛らしきものとして数年前から楽しみに待っているのは、勇気あるひと花。
冬に咲く木がウチにはさざんかと梅(頂いた盆栽2鉢)があるが、つぼみが膨らんできてそろそろ咲くかなぁと思っていると、必ず他のつぼみに先んじて開くひと花がある。
でも、そのひと花に続いて次々とつぼみは開いてこない。
たったひと花が他のつぼみに『本当に本当に咲いても大丈夫』と呼びかけているような姿は凛として美しい。そして、最初の勇気あるひと花が散る前に幾つかの花が続けざまに花開く。
それはまるで、『本当に咲いても大丈夫だったね』と言葉を交し、花々が和解のひとときを共有しているみたいで、思わずメルヘンワールドな空想を楽しんでしまう。
ホウキとチリトリをぶら下げて佇む姿はオバサンチック全開だけど。
トゥワンダ〜!!
年末に、新潟出身の方から『冬の関東っていつも晴れているじゃないですか。ここが晴れている時新潟は雪が降っているんですよ。雪が降ってなくても曇っているんですよ。ここの晴れと同じ数だけ太陽の出ない日があるんですよ」という話を聞いて、冬のお日様がとても貴重なんだと思ったけど、なにしろ乾燥が…。乾いた風に花粉が乗って、今年はすでに鼻水の洪水に見舞われてしまい、鼻炎薬のお世話になっている。

今頃の最新映画情報のCMは『アバター』と有髪のブルース・ウィルスばっかりだけど、もうちょっと我慢していれば、きっときっと塁君が出演している『PREDATORS』がその枠に入ってくるはず。
いやもうそれは、手放しで楽しみで仕方ない。
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カメはいなくとも

2009-12-07 | Weblog
修学旅行、大雨、嵐、台風上陸、快晴、虹わたる芦ノ湖、新型インフルエンザ、京都行き、事故渋滞×2、工事車線規制、大谷本廟、スモーク!!!、ピタンカーメン、緊急入院、ナースコール、ワン切り、携帯電話、忘れていた名前、愛護的矛盾、疼痛と医療用麻薬、精神安定剤、ぶっ飛び有料介護付老人ホーム入居一時金、療養型病床群、緩和ケア、ホスピス、急性期病院の限界、期限付き診療報酬、ポニラ再誕(リ・バース)、植木鉢大移動、波濤に立つ人、はためく五色幕当麻の風に、報恩講、研修中のいとこ、蓮向寺ホームページ、入学願書、転院、和顔愛語、誕生日、原風景、プレデターズ、オバサン大奮闘&帰宅。
10月まで今日まで、日替わりで起きたあれこれ。

入学選抜、銀行、決算書類、ジャケット印刷、大掃除もどき、おそば×何人分?、来るぞ新年がおーーーーっ!!、小荷物発送、礼状数本。
ってなことを片付けながら年末を向かえる予定。
カメ不在でも、駆け抜ける筋力がなくても、ボツボツと行けば海路の日よりあり、でありんす。
いやはやなんともご無沙汰なことで。
晩秋は、思いがけないことが続いて、滅入るようなことも。当事者棚上げでケンカするわけにも行かず、keep on coolに決めるほど平静でもいられず、トゲトゲしがちな日々も、ようやく落ち着いてきた今日この頃。
なんとかやっているというよりも、なんとかなっていることの不思議に驚くばかりなり〜(コロ助的)

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センセーショナルでも

2009-10-07 | Weblog
やっぱり読みたくない。

昨日からだと思うけど、一冊の書籍の出版を巡るニュースが続いている。著者の検索数が突如大ヒット。私もその一人だ。
光市の事件は大変裁判が長引いている。その長い時間を真剣に見つめている人は被害者遺族だけではないだろうか? と思っている。
筆者の心意気を否定することも出来ないけど、書き手としては真剣だっただろうと思っておきたい。でも、著者が加害者本人ではないから混乱が生じる。言いたい、言いたくない。という感情の挟間で揺れることは別に珍しいことではない。過去に実際に承諾したことを覆すことが認められないのなら、離婚なんて絶対に認められないということだ。
過去に承諾したことを絶対の根拠にすることは説得力が薄い。
この頃、少年法のルールに縛られることを嫌っているのか、《意味のあること》という論拠で本来表に出てはいけないものが出ている。法律については軽々に述べられるほどの知識がないけど、個人的には家庭裁判所から裁判所送致へとなった事件は実名になるほうが素朴に了解できるけど。
法律が許さないけど社会的に意味がある、っていうのは一見すごく正義感に溢れているけど、自分とはまったく無関係なのにセンセーショナルなスキャンダルについつい浮き足立って食いついちゃう私の目の前に落とされたエサみたい。
『ホレホレ、食いつきな』って、ね。浮ついてるもんで、ネット検索とかしちゃってるし。

ただ、当事者の考えを第三者が成りかわって正確に伝えることなど出来るのだろうか?もし世の中に自分自身を可能な限り噛み砕いて伝えることに、なにか意味を見出し、そこに自分自身の使命があると思うなら、どんなに辛く苦しく困難でも本人が書くべきではないのか。そして、そのことに社会的に意味があると思う出版社や編集者が、その専門性を活かしたサポートをする者として関わればいいのではないのか。
裁判で語れなかったことを他者の文章で書くなんてことができるのか?
それは、違うのではないか。
もし人間が損得を越えて誰かの力になりたいと思えるとしたら、その人が何とかしたいと思っている信念に共感しないと出来ない。そして、ほんのわずかでも自分に具体的にその人のために出来る事があることをただ嬉しく思えれば、それは継続する力にもなるだろう。
自分の本心を自分でない誰かに語ってもらうなんて出来ない。それを期待して面会を重ね口頭で実名表記を承諾したのなら、それは感情の動きとしては《ずるい》に分類する。私は。
著者や出版社は、そういうことは読んでから言え、と思うだろう。
でも、読みたくない。
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台風接近

2009-10-06 | Weblog
明日から慈音さんは修学旅行。6年の時の修学旅行も結構な荒れ模様だったのだが、嵐になってしまえば予定を変更して裏日程を考えるという保護者説明会での先生の説明が現実になりそう。すでに、荷物にトランプを仕込んでいた慈音さんだが、さらにホテル内で過ごす時間が増加しそうなのを予測して新たなる仕込みに余念がない。
わずか1学期だけ普通の公立の小学校の肢体不自由児学級に通った経験を振り合えると、養護学校は本当に在籍している子供達をきちんと真ん中に据えてくれていると思う。偏屈と言われよとも【バリアフリー】とか【インクルージョン】とかのアリバイとして在籍させるけどおまけみたいに扱われたという率直な感想は未だに変わらない。
時々、当時の学校長の言葉とか担当教諭の言葉とか思い出してギリギリしてしまう。
ギリギリといえば、今回歯医者さん通いをして、歯を食いしばりすぎて歯の表面のエナメル質がわずかに欠損していることが分かった。知覚過敏の原因はそういうことのようだが、まだ治療するほどの状況にはない。
以前、横浜の歯医者さんに無理を言って診て貰ったときに、自分でもちょっと行き過ぎていると思う食い縛り状態の顎関節を緩めてもらったので活動中はあんまり食い縛っていないと思うのだけど。悪化したら治療することになるけど、マウスピースも作るんだぞ。ファイターな感じでスヤスヤ眠るのって笑える。
今年はまだ台風が上陸していなかったというのも驚くくらい土砂災害や浸水が多かったような? 備えがあっても立ち向かえないほどのことにならなければいいけど。山のないところで生まれ育って暮らしているけど、《山のプロ》が健在のうちに山の元気が蘇るような体制が整って欲しい。
山道をすいすい走るタクシーの運転手さんに、山の中で一晩ぐらい過ごせるでしょう?と聞いたら、ずっと住んでるから大丈夫だろうなぁと答えてくれたけど、私は絶対サバイバルできない。公共事業を中止するだけでは環境は保全できないので、前原大臣には、環境保全のために考えていることを示して欲しい。
平静を保ちたいけど、台風上陸と足並みをそろえて修学旅行がやってきてしまったことが、背中をゾワゾワさせている。
そんなわけで混乱気味。
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「大谷本廟 親鸞聖人750回大遠忌法要記念コンサート」北條不可思 出演

2009-10-06 | Weblog

大谷本廟 親鸞聖人750回大遠忌法要

記念イベント

北條不可思 出演

メッセージコンサート

『恩徳讃歌/ONDOKU・SANKA』

北條不可思 アンド カノバンド

Bass −Yoichi Fujisaki(藤崎羊一)
Drums−Shoichiro Aso (麻生祥一郎)
Keyboard−Yusuke Nakagawa(中川雄介)

FUKASHI HOJO&CanoBand/北條不可思とカノバンド

「大谷本廟 親鸞聖人750回大遠忌法要記念イベント」演奏予定曲

日程/会場

2009年10月12日月曜日(祝日)

20時〜21時

入場無料

西本願寺聞法会館 エントランスホール

 京都府京都市下京区堀川通花屋町上ル

主催

浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)

*********************

「1998年

本願寺第8代宗主蓮如上人500回遠忌法要プレイベントで

献歌させて頂いてから11年、

2009年10月(12日から16日)に修行される、

本願寺発祥の地

宗祖親鸞聖人のご廟所・本願寺 大谷本廟(西大谷)での

750回大遠忌法要の関連イベントのオープニングで、

再び献歌させていただくご縁を賜りました。

万感の念いを込めて歌う所存です。どうぞお出かけください」

《心に慈慧の響きと平安を》 

南無阿弥陀佛

北條不可思(法名 釋難思) 拝

1998年・京都本願寺特設ステージ

風は炎の如く/蓮如上人500回忌記念(C)北條不可思/1995

★★★【北條不可思/活動略歴】★★★

野聖物語*フォトドキュメント

我らが心に『恩徳讃』 大乘2009年8月号(随想寄稿)

本願寺からのお知らせ【西本願寺オフィシャル】

大谷本廟 - Wikipedia)

Produced&Edited by OfficeAmitaHouse

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スパッとね

2009-09-27 | Weblog
定規を使ってカッターで紙を切るとき、いつも思い出す人がいる。
彼女はイラストレーターをしていて、一度仕上がりを待つついでにお手伝いしたことがあった。手伝うといっても、絵は“へのへのもへじ”しか書けない私は切るとか貼るかぐらいしか役に立たないんだけど、彼女は歓迎してくれた。
定規といえば竹の30cmが定番で、ペラペラのプラスチックの定規を筆箱に入れるのは便宜上のことだと信じていた私は、芸術学科の友人達が持つ頑丈でちょっと野太い印象の定規をカッコイイと思っていた。でも、仕事をするようになると逆に竹の定規なんかどこにもなくて、自分の家に竹の定規ばっかりがあるのは母親が洋裁をやっているからなんだと、すさまじく遅咲きで合点がいった。
家庭環境というのは恐ろしい。5人だか6人だったか兄弟の長女という友人は、『我が家では茶筒の事を“お茶ガンガン”と呼んでいて、それは正しい呼称だと信じていたけれど、初めて本当は茶筒という名だと知った時は心底恥ずかしかった』と照れくさそうに告白していた。彼女のお母さんもよく知っていたので、なんて可愛い感性を共有している家族なんだろうと感激した。でも、確かに世の中に出て信じていた常識がフォローの仕様もなく間違っていた時の身の置きようのなさっていったら。
話は戻るが、とにかく余り役に立たない助っ人を歓迎してくれたイラストレーターの友人は、これ切ってと定規とカッターと一緒に切り絵で作っている原画を渡してくれた。その定規は当然デザイナーさんが使うような野太いプラスチックの定規で、なんかものすごく仕事が出来る気分にしてくれて、張り切って切ろうとしたら、彼女の視線が私の手元を凝視していた。絶句していたかもしれない。
「え、なに?」みたいなことを私は言ったかもしれない。
彼女は、定規には線を引く側とカッターの刃を当てる側があることを当たり前の事として知っていて、私は知らなかった。
そんな私に、『常識よ』とも『知らないの』とも言わず、線を引くほうは数字が入っているほうで、そちら側でカッターを使って傷がつくと線を引く時に直線が引きにくくなるから使い分けることを教えてくれた。
なるほど、それで数字の入っているのと入っていないのと両面使いが出来るようにしてあるのか。納得、納得。
でも、納得しながらも、定規の二面使い分けなんて考えたこともないから無造作に使ってしまう。そのたびに彼女は、「あっ」とか「きゃっ」と小さく声を挙げ、そのたびに「あっ」とか「おっと」とか言いながら持ち替えていたような。彼女は最後まで怒りもせず、少々あきれ気味の気持ちを[オホホ笑い]に変えて、いまいち使い物にならない即席の助手を放り出しもせずに傍らにおいてせっせと仕上げをしていた。
相変わらず定規は無造作に使ってしまうのだが、刃を当てた先に数字が見えると、慌てて持ち替える。そしてあの時の彼女のあたたかく辛抱強い眼差しと笑い声が耳に蘇ってとても幸せな気分になる。
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今ハ昔……

2009-09-26 | Weblog
まだしばらくは歯医者通いの続く日々。穴ぼこは半年ぐらいかけて自然に埋まるものなので、激しく傷つけなければ、まぁ、余り気にしないで過ごせばいい程度に復活して来た。
歯医者さんに感じる恐怖感は、間違いなく幼い頃の記憶によるものだ。
まず、あのでっかいマスク。世話になっていて言うのも悪いが、一度たりとも素顔を見たことがない。もともと口数が少ないのか、面倒なのか、話しても分からないと思っているのか、とにかくじっとして口を開けていろって。普通のマスクと違ってメガネの下スレスレまである大きさが、すごい威圧的。今となってはあの歯医者さんが地元商店街の何処にあったか思い出せないのだが、あのマスクばかりが強烈に刻まれている。材質も、昭和のマスクはガーゼを分厚くしたようなモコモコしたのを大人も子供つけていたけど、あれはなんかスポンジみたいな、ほかではお目にかかれない特別な代物だった。
時の経過と共に新規開院する歯科が増えて、歯科に行く恐怖とは別に、恐ろしいマスク顔を避けて転々としてた。
いろんな病院でいろんなドクターに会うと、診療ファッションも結構様々。歯科、耳鼻咽喉科、眼科は治療中はマスクして欲しい。でも、どこかで素顔を見せてもらわないと。
だけど、今回受診して一番驚いたというか戸惑ったというか、眼からうろこだったのは、治療中に『横を向いてください』と言われたこと。
イヤ、ものすごく理にかなっているのだけど、治療を受けるほうも楽だし。
患者の右サイドにいるのだから、真上を向いているより、治療する歯の位置によっては多少横を向いたほうが合理的な事だってあるだろう。
でも、初めて聞いた。
診察用の寝台椅子に寝ているんだから、直立不動ではないんだけど、『直立不動』以上に硬直して大口を開けて微動だせずに真上を向いていなければいけない歯医者さんでの不文律が崩れて、幼い日の歯医者さんでの断片的な記憶が、『気をつけェ〜 目を食いしばれ〜』っていうケロロ的世界観でオチがついたように思えて、こみ上げる笑いを抑えるのに苦労した。
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タイトルがつくほどのまとまりはなく

2009-09-21 | Weblog
暑さ寒さも彼岸まで、と昔から言うけど、今年は朝夕涼やかな風が吹くお彼岸を迎えた。
去年も、一昨年も、秋が来ないんじゃないか、なんでかんかん照りの中で彼岸花は満開なんだとイラッとしたりもした。
そして、気温ではなく、光の角度に反応して花芽が伸びてくるのかもと思えてきた。本当のところは知らないけど、人間は何でも数字で比較するのが好きだから、平年並みとか、10月下旬の気温とか、○年間を平均してとか、なにかとデータで説明する。それを聞いてワーワー言ってる個人的な問題なのかもしれないけど、気象予報士という資格が出来て、気象庁発表のデータを読み上げるだけではないことを立証する為に次々と繰り出される小道具的データがうっとおしくもある。CNNに出演している天気予報担当のキャスターに、【私が天気をつかさどっているのよ】って迫力の女性がいるのだけれど、そういうキャラクターの出現を待ち望んでいる。

自民党総裁選が始まって、【全員野球】を巡るちょっとした論戦がおもしろかった。この選挙においては、まったくの部外者だけど、グランドに出て試合を始めようとしているのに、味方の選手は欠員ばかりで9人揃わないのに、ベンチを見たら監督ばっかりがズラッと座って腕組みしているっていう光景が浮かんできてしまった。
それがまたリアルに思えてしまって。これじゃ、試合にならないでしょ〜。
世間全般でどうかは分からないけど、私は、かつてないほど自民党の総裁選が気になっている。立候補した人、立候補させた人、投票する人が、このたびの選挙結果をどう理解しているかがすごくよく分かると思うから。

でも、そんな“よそんちの事情”をチラチラ覗き見ている場合ではないのだ。
だけど、切羽詰っているから、切羽詰っていないようなことをしたくなる。毎年の事だけれど、2学期は忙しい。夏に始まって終わる頃には冬になっている。それだけで充分気忙しくなってくる。日暮れが早くなってきて、そのうちには震えながらタンスの中を引っ掻き回さなきゃいけない朝もやってくる。今年は慈音さんの修学旅行もあるし、京都での献歌コンサートのご縁もある。
長く伸びる影が、力強く背中を押してくれればいいんだけど、そんなことはないから、地道にやるばかりなり。というか、迫る締め切りに追い越されたらダメって事はわかっているので……。日常生活にある締め切りって、ものすごく生活感のあることばっかり。それが妙に可笑しい。
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悪口や皮肉は・・・

2009-09-17 | Weblog
新内閣が発足して、ワイドショーなどでは新鮮味が無いとか、面白味が無いとかのコメントも沸いているが、政権交代を望んだけれども、お笑いを望んだ訳ではないので、そういう類のコメントには少々棘を感じる。
オバマ大統領の登場で、アメリカには新体制のスタートから100日間のハネムーン期間があるということを知ったが、やっぱり3ヶ月ぐらいは、不明点には説明を求めつつも批判は控えるべきではないだろうか。
選挙前ぐらいから現在に至るまで、このコメンテーター(司会者や評論家も含めて)が実質崩壊していた政治状況を存命させていたんではないか?という疑いを持ってしまう。
封じ込められたものが日の下に出てくる時は、すっきりさわやかなものばかりでは無いと思う。それでも、その苦さや辛さを見定める覚悟を持ち得た人が霞ヶ関を闊歩して欲しいと思う。
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穴ぼこ

2009-09-15 | Weblog
今日、親知らずを抜いた。
歯茎に穴ぼこが出来て、強制ダイエット状態。今から反動が怖い!!
歯って、靭帯で骨と繋がっているんだって。生まれてはじめて知りました。
ゴリゴリって音は靭帯が切れる音。漫画みたいに『ウギャ〜〜〜! ポロッ』て行くのかと思っていたが、全然違った。
痛いのを我慢しなくていいっていうのは、ホント助かりましたが、想像以上に長い時間がかかって、(実際にはそんなに長くないのだけれど)、どうにもこうにも膠着状態に、お産が思い出されて歌いたくなった。
久しぶりに歯科受診をしたおかげで、あちこちに小さい(?)トラブルも見つかり、しばらくは通院するけど、ビッグイベントを終えて、断続的な穴ぼこからの出血に見舞われてはいるけど、すっかり気が大きくなっている。
ドクターの初見では、『原因と思われる』という穏やかな説明ではあったが、我が身と離れた親知らずには、以前の虫歯治療で出来たと思われる小さな穴が開いていて、このまま数年放置していたらどんな大爆発を起こしていたかとゾッとした。
今年の虫歯予防デーはとうに過ぎてしまったが、40代も後半に差し掛かると、憂慮の種は虫歯だけじゃないんだよね。
最近は、治療よりも検診に病院へ行こうという啓発活動が盛んではあるが、なんの兆候もないのに行くのはやっぱり抵抗がある。
『行き時』の見分け方が難しい、病院へ行く為の動機付けの判断基準とでもいうのか。日本のがん検診率は先進国中最低レベルだと検診案内のパンフレットに書いてあるけど、なんかやっぱりおかしいっていう実感がないと、予約したり病院行ったりってなかなか出来ない。
特に、予防注射や検診が基本強制だった小中学校時代を過ごした世代なので、なんか集団検診とかすごく嫌。それと、早期発見、早期治療とか言っている割に、受診してしばらくすると、健康保険費用明細みたいなのが市役所から送られてくるのも嫌な感じ。医療費控除の書類にもならず、医療費の請求書でもなく、ただ、保険料からこれだけ使いましたっていうハガキが来るのは、ほんとイヤ。気が弱っているときに見ると医者に行くな、保険掛け金だけ払っとけ、っていう痛烈な圧力に感じられる。
だから、本当に辛抱強く忍耐強い人ほど心配だ。
もし気になって半年とか経っているなら、是非受診してもらいたい。
穴ぼこからにじむ願いを込めて。


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