Nonsection Radical

撮影と本の空間

磨かれない器

2017年02月08日 | Weblog
先日すごく地味なんだけど磨けば光るなぁと感じさせるジョシを見かけたんだけど。
まあジョシだけでなく、何かをしている人に”可能性”を感じて”先物買い”をするのが好きなんだけど、たいていの場合はそのまま光らずに終わってしまうことの方が多い。
残念だなぁと思う一方で、まあそんなものだろうと思う気持ちもある。
というのも、きっと本人にとってはその時の状態が一番心地よいものであろうと思うからだ。
人ってものは、他人が思うほど自分のことがわかっていなくて、どこに自分の欠点や良い点があるのかわからなくて、あるいは理解しようとはしないもので、あくまでも”現地点”での心地よさを求めるものなのだ。
それを他人が勝手に”コーディネート”しようとしても、本人には不本意なものであったりする。
もちろん一皮むけた自分というものを求める人もいるだろうが、それもあくまでも自分にとっての一皮であり、心地よさを伴うものでないとイヤなものだ。
磨かれない器というものは、そういう取扱注意物件であるので、そっと静かに見守ることが”ギャラリー”としてはつとめめなのだと思う。
残念だけど、そういう器が結構埋もれているものなのだ。
「俺好みの**に・・・」なんてのは、もっとも最低の結果を招くことになるのも自覚しているし・・・



長谷2丁目の街並み 1
神奈川県鎌倉市長谷2,3丁目
撮影 2016年12月29日 木曜日 15時50分
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