Nonsection Radical

撮影と本の空間

ツイていない時にはツイていない 

2016年12月01日 | Weblog
自分の失敗から始まった事とはいえ、しょっぱなからツマずくと1日が台無しになるものだ。
いつものように物忘れから書類を家に取りに帰り時間を無駄にして、それより前にメガネを忘れて引き返したのだった(笑)、なんだかロクな一日にならないなぁと感じていたが、その後も物事がうまく運ばずトラブル続きになってしまい、半日の予定が一日かかって疲れて帰宅。

街を歩いていて面白いなぁと思うのは、日本人はこういうご時世なのか、または自ら身についた習性なのか”守り”に入る言動が目につくのに対して、海外からの旅行客は日本という自由な環境の中で観光や買い物や街歩きを楽しんでいるのが目につく事だ。
何かあると官憲が寄ってきて拘束される事もなければ、どこを歩いていても咎められる事もない。
はずなのに、それを謳歌するのは海外の人たちだけで、そういう場所に住んでいる日本人自身が自らを縛るように、あれをしちゃいけない、こんなことをするのはいかがなものかと問題視する。
自由を守る事よりも、不自由であっても”秩序”を守ろうとしているような。
でもその”秩序”というのが、どうも曖昧なもので、なにを”守ろう”としているのか当人もわからないなんとなくの空気だったりする。
いったん手に入れてしまった自由が自然となると、その恩恵が感じられなくなり、あって当たり前の空気の中で、いつの間にか大切だったものが大切に感じられなくなり、自由を手放しても守るべきものがあるのではないかとアレコレ制限をしようとする。
ところが海外から来た人にとっては、自由である事が何よりも大切で、行動する事に制限のない日本の観光というのは大変魅力のあるものであるようだ。
格差社会になったと言っても、どのレベルのお店に入る事も自由だし、どこを歩いても咎められる事もない日本を楽しんでいる。
そんな姿に非難の目を向ける当の日本人が、海外の人たちの振る舞いを取り上げる状況というのは、日本人の海外渡航が自由になった半世紀前の海外の様子と同じである事がわかるのは当時を知る年寄りだからであるが(笑)。
書物や映像でしか知らない西欧に出かけて、その自由さに驚き、楽しみ、触れて、そんな環境に日本もなればなぁと思って日本の西欧化も進んだのだけど、実際に手に入れたところで、その魅力が現在の日本人にはわからなくなって、感じる事ができるのは海外から来た人たちだけという皮肉めいた事になってしまった。
そんな日本が自由を手放すようなことがあったら、きっと海外からの人たちには魅力のある国には映らなくなるのだろうな。
当然、そこに住む日本人にとっても。



秋葉原の街並み 5
東京都千代田区外神田3丁目
撮影 2016年11月16日 水曜日 16時55分
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
息苦しい (かいはら)
2016-12-02 11:56:59
時々帰る日本は最近息苦しく感じる事があるな。
自由度は日本より低いが、新しい事を起こしやすいのは圧倒的に上海の方が上。

可能性 (satobo)
2016-12-03 19:12:23
自由があるのにそこから新しいことを生み出す力がない国で、不自由な国の人が新しいことを生み出して欲しいのですが、新しいことをつぶすことで自分の立場を肯定したがる人が多いので困ったものです。

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