Nonsection Radical

撮影と本の空間

悪意のない人たちでも社会を壊す

2016年11月23日 | Weblog
最初にそんなことを思ったのは漁業に関してだろうか。
カニとかウナギなどを取り尽くしてしまい、よその国から”輸入”してまでさらに食べ続ける。それも安く、安くと”大衆価格”にしてさらに購買意欲を煽って。
それらを食べ続ける人たち個々人には、食べ尽くしてやろうとか悪意はまったくないのだけれど、”結果的”にみんなで食べちゃったということなんだけど、食べ尽くしたあとには一時的に潤った人たちも仕事を失い、困った困ったとなることをいろいろなもので繰り返してきた。
ハタハタなんかも高級魚になるほどいなくなったわけで、カニなんかも日本にいなくなったら、近隣の国のものにまで手をつけてさらに”安く”食べ続けてようとしているし、ウナギなんかもそう。
これはマズイから食べるのは控えようとは一般の多くの人は思わないわけで、いつの間にか高嶺の花になって手が出なくなったということになる。

そういうものは食べ物だけではなく、社会資本というのだろうか公共的サービスに関しても行なわれている。
医療費を抑制しないとマズイことなると言われ続けているんだけど、それぞれの人たちにはそれぞれの理由があって医療サービスを受けるんだけど、結果的に保険制度がパンクしてしまうほど”医者通い”を繰り返すわけだ。
厚労省などは、そんな振る舞いを抑制しようと、簡単に言ってしまえば「安易に医者に行くな」とあれこれ策を練るのだけれど、人々が簡単に従うわけではない。
そんなことを言われなくなって、昔は金がなかったのですぐに医者に行くわけではなく、売薬で済ますとか、しばらく様子を見るとかして、個人も社会も結果的に出費を抑えていたんだけど、いつの間にか薬局に行くよりも医者に行く方が「安い」と、あるいは「安心」とすぐに医者に行くようになった。
もちろんそういう人たちに医療制度を破綻させようという悪意などあるわけもなく、ただサービスを利用しているだけなのだが、結果的に社会を破滅に向かわせるぐらいの出費をさせることになる。
我が家の老親などは、あそこか痛い、ここも痛いと保険のきく”整骨”に通って、使い切れないほど湿布を貰ってくるのだけれど、これも利用しやすい値段でサービスが受けられるからという理由だけである。
〜よりも安いから、と本当に安いのかもトータルで考えればわからないことを利用して安心と便利を買うわけだ。
その結果が医療制度破綻。
老化や慢性化で治らない症状であるにもかかわらず、緩和という名目で医療を受けるのが高齢化社会になって増えている気がするのは、昔だったら(と、昔語りをする年寄りだよ俺は)湯治に行くとか按摩鍼灸など”自費”で癒していた行為が廃れてしまったことからも想像できるんじゃないのか。
湯治で長患いを治すなどということをせずに、一泊二日で”湯治”に行って楽しかったなどと思う世の中になっている。
これまで行なわれてきた”民間療法”などというものがいつの間にか金がかかると言って、病院通いにシフトした結果が医療制度破綻の一因ではないのか。
もちろんみんな悪意があってそうしているわけではない。
結果的にウナギを食い尽くそうとしている状況と同じことをしているわけだ。
個人的にはウナギを食うことも、食べ放題でカニを食うことも、風邪で医者に行くことも、保険で整体に通うこともしないのだけど、それはなんとなく「そんなことをしても意味がない」と感じているからなんだけど、そんな風に他の人が思わないのも知っているので誰に言うわけでもない。
ただ、結果的に世の中が傾いていくのだけど・・・と言いたいだけなんだ。



長後の街並み 7
神奈川県藤沢市長後,下土棚
撮影 2016年10月26日 水曜日 15時40分
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