satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

明治、大正、昭和、平成

2013年02月05日 | Weblog
今、日本の都市の成り立ちに関する本を読んでいる。
”都市”であるから開国からの話だ。
江戸時代の”街”から西洋の建築や思想を取り入れようとした”都市”づくりへは、明治政府が出来上がった時からスタートした。
そしてわずかの間に世の中が変えられ、建築物や鉄道、道路、港湾、そして都市まであらたに作られた。
その作業は現実的には昭和の初めまで続いたそうだ。
今の感覚からすると、江戸時代の慶応、元治、文久、万延、安政などというと、明治からは隔絶された時代という気がするが、安政など明治の初めからは13年前の”ついこのあいだ”の事なのだ。
昭和よりも最近の事なのだ。
明治は1868年からなのだが、昭和の始まり1926年まで58年しかない。
一世代なのだ。
明治開国からの西洋システム構築はほんの2、30年で行なわれた。
ちょんまげを結っていた人達が始めたのだ。
そしてその人達で大正、昭和という時代を生きた人もいたわけだ。
明治時代に生まれた人などが帝国軍隊を指揮したわけだが、まだ開国して60年ほどなのだ。
その人達が西洋の戦争方法を短期間で学び、海外に進出し、西洋に戦いを挑んだのだからスゴいと言えばスゴい。
たとえば大阪で行なわれた万国博覧会は1970年だから43年前だ。
東京オリンピックは49年前だ。
それは戦争が終わって19年後の事だ。
つい最近レベルだ。
この感覚でいうと、ちょんまげから斬髪してアッという間に西洋システムを一から作りだした事になる。
それも一世代だけで。
あまりの早さに感動してしまったが、一方で急ぎすぎたために省略してしまったシステムもたくさんあったようだ。
しかしそれが再び取り入れられる事もなく現在に来てしまったらしい。
つまり突貫工事でおこなった国作りが現在もシステムとして残っているという事だ。
だけど考えてみれば明治から現在まで、まだわずか145年しかたっていないんだ。
三世代ぐらいだろう。
そう思うとまだ日本の国作りは途中と言えるのではないか。
これからも”完成”に向けて作業を続けなければならないと思うぞ。



大阪府豊中市岡町南2丁目14から



志茂平和通り商店街 東京都北区
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする