satoboの写真日記

言いたい放題の酔っぱらい日記

OSAKA (コンポラ風味)

2012年05月28日 | Weblog

















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気分はフリードランダー

2012年05月27日 | Weblog
昨夜、リー・フリードランダーの画像を見ていたら、久しぶりにモノクロ写真を撮りたくなってコンデジひとつ持って大阪に出かけた。
気分のものなのでモノクロモードにしての撮影だ。
こういうところでフィルムカメラを持ち出さないのは”たしなみ”である。
デジタルだアナログだという気持ちはこれっぽっちも持ち合わせていない。
何でもいいんだ。
カメラだって何でもいいんだ。
satoboのは何年も前のものだけど、こうしてネットで小さな画像を見せるだけなら十分”実力”以上のものが写っている。
せっかく小さな性能のイイものが現れたのだから、それを使えばいいんじゃないの?

普段から何でも撮るので、今日はフリードランダーの気分で”しばり”をかけて、いかによけいなものを撮らないか、目を向けないかに努力した。
こういう事もたまには楽しいかも。
しかし、生まれついての田舎者。
おっしゃれなものだけをクールに撮ろうとするのだけれど、だんだん目がいつものように泥臭いものに向きだし、それを無視するのに苦労した。

フリードランダーなら35ミリで撮影気分なんだけど、そこはそれ、50ミリオンリーで撮るのがへそ曲がりなところ。
その50ミリの画角も、最近ちっともファインダーを覗いていないので、目の前にフレームが浮かんでこなくて前後に行ったり来たりのダンスステップ状態。
でもまあ何十枚か撮影して、これ以上はオッサンの視線になる〜という状態で中止。

帰宅後、フォトショエレで小細工して終了。
これでイイのだ。
これがsatoboの”写真”なんだから。
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親は親、子は子、個は孤

2012年05月25日 | Weblog
震災後に「絆」という言葉とともに盛り返してきたのは「集団意識」だろう。
家族、地域、会社、社会、国・・・
モノゴトを考える基準が「集団」単位になって当たり前という意識が広がっている。
また、誰かが親の面倒を見なくて、親が生活保護を受けている事を社会的に国会議員から庶民までが批難し、子どもが親を、あるいは親が子どもを養育するのは、たとえそれが成人であっても当然であると合唱する。
一見これらの趣旨は正当であると思えるのだが、ちょっと何かを忘れていませんか?

開国以来封建主義的思想から否応なく西欧主義的思想を取り入れて、西欧諸国と同様な体制で世界で生きていく事を選んだので、現在では生活様式も思想的基準も西欧と同列の基準を用いる事になっている。
権利、義務、法律、社会的規範も何かと西欧の先進国と比べるし、それで日本の立ち位置を確認する事にもなっている。
その結果、西欧先進国の基準で”アジア”とか”後進国”を論じたりしているわけだ、「あの国は遅れている」と。

その西欧先進国の基準のひとつに”個”の確立というものがあるだろう。
まあ、封建的な家族、社会制度に対するものと言えないかな。
でまあ、憲法でも個人というものを大切にとなっているわけだが、”個”は”集団”と対峙するものではない。
”個”の確立があってこその”集団”なのだ。
しかしこの頃、なんか”個”に対する価値観が”集団”の前にかすんできて、あたかも”集団”さえあれば何とかなるという空気が広がっているように思える。
水平社会をめざしていたのが、垂直社会(家父長制)でいる方が正しいんだ、”個”は”集団”があってのものなのだ、という空気がないか?
みんなで頑張ろう、みんなで我慢しよう、みんなでみんなになろうと思っていないか?
そこに”個”を置き去りにしていませんか?
親と子はいつまでも一心同体、最小単位は”家族”、最小単位は”地域”、最小単位は”国”で一心同体に一心不乱に結局一進一退。
最小単位は”個”だろ?
でなきゃ、これまで努力してきた”個の確立”はどこへ消えてしまったんだ?
個を確立できてこそオトナで社会人であるはずだったろう。
結婚したから、子どもが出来たから、「お前も”一人前”」という集団単位主義をとらずに、個の確立を個の単位としようとしていたのではないのか?
それがいつの間にか「みんなで主義」に戻ってしまい、その結果”責任”というものが集団に薄められ、いつものように所在が曖昧になって、いつもの通り”無責任”という社会になっている。
そういう世の中の方が、ぬるま湯につかっているようで楽でいい、と思うのは勝手だが、一方で世界で経済的に競争していこう、新しいものを創りだして勝とう、中国や韓国になんか負けるものかと声だかに叫ぶのと同調してしていけるのか考えなければならない。
オリンピックや世界選手権でみんなが”国”を意識して”応援”しているかもしれないが、行なっているのは”個人”である事を忘れがちだ。
しかし、基準は”個”なのだ。
”個”を基準にすすめていかないと、きっと上手くいかなくなると思うよ。




有馬温泉 温泉寺から
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食い道楽だってさ

2012年05月24日 | Weblog
老母がタケノコの佃煮を家人に送るというので、ついでに送ってもらうものを買い出ししに行った。
タケノコの佃煮は、我が家で掘ったタケノコを煮たものだ。
時季が終わりに近づくと、タケノコも佃煮ぐらいしかする事がない。
ラジオで、タケノコを掘りに行った人の投稿で、土から10センチぐらい伸びているものが美味しいと言っていたが、”間違い”である。
そんなものは、我が家では蹴飛ばすか、缶詰用として安く(ホントに安く)出荷するしかない。
タケノコとは土から出ていないものが軟らかくて美味しいのだ。
そんな土から出ていないものをどうやって見つけるかというと、タケノコ探知機を使うのだ。
というのはウソだ。
土が少し盛り上がりひび割れがあるのを探すか、靴の底を地面に這わし凹凸で感じるのだ。
そうやって先っぽを見つけて掘り始めると、土中に50センチもあったりするから掘るのに手こずる。
もちろん途中で傷ついたり、切れてしまったら価値がない。
タケノコは土から出ていないから美味しいのだよ。

話を終わって、
で、鳴門の塩漬けワカメを送ってやろうとお店に行った。
大阪は食い道楽と言うから、きっとワカメも本場の鳴門産のものがより取りあるかと期待した。
が、ない・・・
あっても一種類しかなく、選びようがない。
中国産や韓国産のお手頃価格のものしかない。
大阪の人ってワカメ喰わんのか?
仕方なく店を回って鳴門のワカメ探しをした。
4件目でやっと納得のいく量と価格の鳴門産の塩漬けワカメをゲット。
普段使いだから高級品は必要ないんだ。
ちなみに200g300円(安!)

ついでにお茶屋さんで宇治茶を買う。
これも普段使いで、沸かしたお湯をすぐに注いで、一回しか入れないので高級なのは必要ない。
で、100g525円のをゲット(安!)
能書きやブランドにはこだわらず、実用本位でもこれぐらいの値段にはなる。

イヤなら”お得”な中国産や韓国産を買えばイイ。
どうやら食い道楽の大阪の庶民はそうしているようだ。
そういうのを食い道楽というとは知らなかった。



法善寺横丁
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もうベースはないんだから

2012年05月23日 | Weblog
すでに夕方の電車内に”クーラー”が入っている。
ショッピングセンターも目に見える節電はしていない。
まだ夏じゃないし・・・なんて言っていると大変な事になる。
現在関西圏でも原発は停止中で、火力や水力で発電している。
これらの発電方法は、発電量の調整が出来る。
使う電気が少なければ発電量を減らせるのだ。
一方、原発は常に100%稼働しておかないと不安定になる。
そのため、24時間発電していて、使用量の少ない夜間には電気が余る事になる。
だから真夏や真冬のエアコンピーク時以外は、夜間に電気を多少使っても使わなくても関係ない。
最低限のベースは原発が発電しているからだ。

でも、今は違う。
ベースはないのだ。
すべて火力や水力でまかなっているのだ。
だから節電が大切なのだ。
節電すればするほど、環境に負荷をかける事が少なくなる。
おまけに値上げが見込まれる電気代も節約出来る。
なにしろ火力発電の燃料費がかさむというのだ。
原発を停止しているからかさむというのだ。
だったら、原発反対の人は今からでも節電するべきなのだ。
知らん顔して原発反対はないだろう。
節電すればするほど、燃料費がかからず、電気代は上がらず、原発を動かす必要がなくなるのだ。

でも、関西ではそんな”ジョーシキ”は関係ないみたいだぁ。
ひょっとするとホントにいきなり停電するかもしれない。
それぐらい無関心だ。
そして停電したら、騒ぎだして、原発を動かせという声が上がってきて、国民の声に応えて原発再開、となるような気がする。




黒門市場 Part2
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