鎌倉 佐助の風街便り

陶芸、街歩き、クルマ、オーディオ・・。思いのまま徒然に

トンネル抜けて、扇ケ谷に「蛍雪」ゆかりの建物めぐり…。Part-1

2014-03-17 15:06:11 | 日記
常日頃、陶芸教室や作陶のかたわら、「新たなる作風を求めて付近の佐助ケ谷をそぞろ歩き…」などといったカッコ良いというか、スカしたようなスタイルは断じて持ち合わせていません。ここ佐助をめぐる半径約100mのプチ散歩は、あくまでも「気分転換」。この散歩の道すがら、ご近所の知り合いやお店仲間との世間話についつい熱が入り過ぎて、とても自らの陶芸の奥義にまで思いが至らない…、というのが実のところです。

そして最近では、このプチ散歩もその行動範囲を少々広げはじめ、佐助から鎌倉駅側に広がる隣街の扇ケ谷(おおぎがやつ)までフラフラと足を延ばすこともしばしば。この扇ケ谷の街の一角には、知る人ぞ知る? とても不思議な風情の? 建物があります。過日、縁あって、その建物を探訪することとなりました。

鎌倉駅西口から徒歩約5分、扇ケ谷のお屋敷の間を抜ける細い道の奥にその建物は佇んでいます。わが家からも北東方向に直線距離にして300m弱、佐助トンネル経由で徒歩5分ほどの至近に位置していますが、奥まった場所にあるためにこの建物の前を通るのは年に2、3回くらいでしょうか。

この建物は一昨年から昨年にかけて東京のセンチュリー文化財団から鎌倉市に寄贈され、市の歴史や文化等を紹介するための施設「鎌倉歴史文化交流センターA館、B館(仮称)」として整備されて来年くらいにはオープンの予定、とか…。詳しいことを市役所の方に尋ねても、なかなか明瞭な声が返って来ないようで整備計画の進行状況は建物の外観同様にミステリーな雰囲気に包まれています。

そしてまた、寄贈母体であるセンチュリー財団のルーツをひもとくと、ワタシ達世代にはとてもなつかしい「蛍雪時代」や通称「赤尾の豆単」で有名な「英語基本単語熟語集」で有名な旺文社中興の士・赤尾好夫氏にたどりつくらしい、というのもこれまた少しばかりミステリアスな感じがします。

市役所の方々から、この先 2,3年のうちに鎌倉歴史文化交流のステージとして公開される旨の説明を受けた後、いよいよ内部の探訪へ。

まずはじめ、南側の扉のパネル越しにやわらかい太陽光が差し込むこの空間は、かつては駐車場として使用されていた、らしい…。「いったい何台停められるんだろう…」というくらい、広いスペースが確保されています。


ちなみに建物全体をとおして、南側から大胆に太陽光が注ぐのはおそらくこのスペースともう一か所くらいかなと思います。この建物はイギリスの建築家ノーマン・フォスターという人の設計なのですが、設計に際してのコンセプトは「洞窟」なのだとか。なるほど…、光はもっぱら各部屋の北側と東側に設けられた窓から取り入れる構造になっています。

こちらは1階奥のリビング。北側の掃出し窓からは、日差しがたっぷりと降り注ぐ庭の景色を堪能できます。


そして…。建物東側には、このようなプールまでもが…。この建物をすでに見学してきたご近所の方々からプールの存在は聞いてはいましたが、想像以上に見事に「プール」していました。


おそらくプールの上あたりに位置すると思われる場所には、この建物唯一の和風の部屋が設けられています。

柱や軒天は朱塗り、そして内部の床は檜張りになっているこの部屋は茶室として使われていたらしいのですが、一説には「位牌堂」として用意されたという話も聞きました。謎が残ります…。

建物に中にはいろいろと工夫がされており、このシックなドアノブがとても印象的でした。


照明をグンと控えめにしたアイランドキッチンはとても整然とした造りになっています。おもにプールの水を管理するための機械室もキレイに維持されているようです。


「鎌倉歴史文化交流センター(仮称)」になる予定の2棟内部を案内してもらった後、屋上部分から南方向を望むと相模湾と逗子、葉山方面が一望できます。良く晴れた日には遠く伊豆大島も見えるとか。


太陽の日差し燦々のこの屋上に立ってみると、対照的にノーマン・フォスター氏の設計コンセプトである「洞窟」というワードがアタマの中をくるくるとかけめぐってくるようにも感じます。フォスターさん、ただ者ではないかも…。

ともあれ、この謎めいた建物のお話しは次回のブログに続く…、予定です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 毎年恒例の「一番長い日」に... | トップ | あっという間の3連休。それな... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事