雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

雪中の狩人 ピーテル・ブリューゲル(父)

2018-02-13 22:28:10 | つれづれに……(心もよう)

 異常寒波による雪の被害が北陸を中心に続いている。
石川県から福井県にいたる国道では約1400台のトラックなどが、
30時間以上も立ち往生していると報道は伝える。
明るいニュースも報じられている。
沿線沿いにある「餃子の王将」は、立ち往生しているドライバーなどに、
無償で約500人前の料理を届けた。
酢豚に焼きめし、天津飯、ギョウザ…など。
店は大雪のため前日から臨時休業だったが、余った食材で昼過ぎから調理し、
ドライバーたちに提供した。
雪害を伝えるニュースの中のホットニュースだ。


「雪中の狩人」1565年 ピーテル・ブリューゲル(父)

 前回のブログで「北越雪譜」 で吹雪にまつわる哀しい夫婦の物語を紹介した。(2018.02.06)
今回も、雪にまつわる話をアップしようとネット上を彷徨っているうちにこの写真に遭遇した。
画家のピエール・ブリュゲールには、心当たりがないが、この絵にはかすかな記憶がある。
おそらくそれは、中学校あたりの美術の教科書に載っていただったように思う。
「なんと寒々しく、暗い絵なのだろう」

この何とも言えない暗さが、少年だった私の記憶の谷間に引っかかっていたのだろう。

 一面雪に覆われた山際にひっそりと広がる村の風景です。
雪の林を抜けて行く、三人の狩人が描かれています。
冬は農民たちにとって過酷な食糧なんの時期になり、
農民たちは獲物を求めて狩人になる。
うつむいて歩く3人。先頭を行くひとりは、黒い樹木に溶け込んで上半身が見えない。
狩りのために連れ出された大勢の犬たちまで、尻尾を垂れさげ、うなだれて疲労困憊しているように見える。
獲物は痩せた野兎か野ぎつねが一匹だけ。
足は重い。
だがその3人の狩人の足は、食糧の乏しい冬の食べ物を補充するために雪をかき分け、
林を抜け森の奥深くまで獣を追いかける逞しく太い脚をしている。

 鉛のように重い脚を引きずりながら、眼下に広がる村に向かって一歩づつ歩んで行く。

だが、ブリューゲルはこの「雪中の狩人」だけを描こうとしたのではない。

歩んで行くその先には、凍った池でスケートをする人々が描かれています。
  



 拡大しなければわからない小さく描かれた氷上の人々ですが、
遊ぶ人々の姿が細やかに生き生きと描かれているのに気付きます。
橋の上には薪(たきぎ)を背負って行く人が描かれ、橋の下の氷上には人を乗せた橇(そり)を引く人がいます。
村の背後には岩肌をむき出しにし、人の近づくことを拒否しているような峻険な山が連なっています。
おそらくはアルプスをイメージして描いたのだろう。
作品の舞台となっているネーデルランドには存在しない風景だそうです。

 さて、最初の絵をもう一度見てみましょう。
画面左上端に描かれた絵、大きな家が描かれ、看板らしきものが見えます。
「居酒屋」「旅籠」と思われます。
その脇で火を燃している人がいます。
この絵でたった一つ「あたたかさを感じる」点描です。
或る解説書によると、豚の毛焼きをしているところだそうです。
「居酒屋」に集う村人に提供する肉料理の準備なのでしょうか。
或いは、寒さに体の冷えた旅人をもてなす準備なのでしょうか。

 息も凍るような厳寒の村の風景です。
「寒くて、暗くて、寂しい村の風景」というイメージが強く印象に残っています。
中学生だった私が、美術鑑賞でどんなことを教わったのか全く記憶にありません。

しかし、今こうして改めて眺めると、
厳寒の風景に描かれた村人の生活が生き生きと描かれていることに気付きます。

寒いとか、暗いとか、寂しいだけの風景だけではなく、
「絵」全体から伝わってくる物語性がじんわりと感性に響くから、
この絵に魅力を感じるのかもしれません。

  最後に美術に造詣の深い人の、鑑賞の手引きの一部を紹介します。
 この絵から伝わってくるのは、そこに住む人々の生活感や喜怒哀楽なのですが、
それさえも雄大な自然の前では無力でしかないという趣があります。
「もしかしたら人生で体験する様々な喜怒哀楽は、私たちが考えているほど大したことではなく、ほんの些細な事なのかもしれない……」と思えてくるから不思議です。
寒々しくはあるけれども、
神秘的で深みがある落ち着いた空の色や雪、
山々の深遠な姿はとても印象的ですし、
微動だにしない存在感を放つ手前の木々や奥行きのある風景がこの絵をますます魅力的にしています。

 (つれづれに……心もよう№73)                           (2018.02.13記)

 
 
 
 
 

  

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

読書案内「北越雪譜」 吹雪の章 

2018-02-06 22:10:29 | 読書案内

北越雪譜 吹雪(ふゞき)の章
          
ックデター: 鈴木牧之により天保6~7(1835年~36)年に書かれた、雪国百科全書。
                   美しく舞い散る雪も、ここ北国塩沢(越後魚沼市塩沢)の地ではすざましい
                   自然の驚異となり人々の暮らしを圧迫し続ける。
                                                  著者鈴木牧之(1770-1842)は雪とたたかい、雪と共に生き、雪の中に死ん
                                                  でいく里人の風俗習慣や生活を、雪国の動物と人間のかかわりや雪中の幽霊
                                                  のような奇現象とともに、珍しい挿絵を交えて紹介している。(表紙紹介文参照) 
                  岩波文庫 1936年第一刷 1978年第22刷改版 2004年第59刷発行                        

 
  庭の梅の木にメジロが訪れ、虫をついばんでいる。
小さな庭にムクドリ、ヒヨドリ、スズメなどが餌をついばみに来る。
春はまじかと思う毎日。だが地域によっては異常寒波の襲来で、
例年にない雪の多さに戸惑う住民や交通機関の混乱がテレビから流れてくる。
雪の少ない地域では、久しぶりの雪に少しの迷惑と、
新鮮な雪景色を鑑賞する小さな喜びを感じる。

 しかし、雪国では雪は生活の一部であり、戦いの対象として捉えられる。
屋根に積もった雪は家を押しつぶし、除雪をしなければ道路は閉鎖されてしまう。
毎日が雪との闘いになる。

 先に紹介した「北越雪譜」から「雪吹」についての記述を紹介します。

雪吹は樹などに積もりたる雪の風に散乱するをいふ。
其状優美(そのすがたやさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹といひて古哥(こか)にもあまた見えたり。
地吹雪が二人を襲い、是東南寸雪の国の事也、
(雪が風に乗って散乱するさまを吹雪というが、その舞い散る様子は優美で、花吹雪などといわれ、
 昔の歌にもよく詠まれている。このような雪の降る様子は、雪の少ない国の話なのだ……、
)

北方丈雪(じょうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風雪を巻騰飈(まきあぐるつちかぜ)也。雪中第一の難義これがために死する人年々なり。その一ツを挙げてここに記し、寸雪の雪吹のやさしきを観人(みるひと)の為に丈雪の雪吹の愕眙(おそろしき)を示す。
(北国の私の国越後の雪深い地域では、吹雪というは、荒れ狂う風が降り積もる雪を蹴散らすその様をいい、「暴風雪を巻騰飈(まきあぐるつちかぜ)」)と表現しています。吹雪にはとても苦しめられ、毎年このために死んでしまう人もいる。
雪国の辛さ苦しさを知らない人に、吹雪がどんなに怖ろしいかを、百姓夫婦が吹雪に襲われ、その中にとじこめられ、互いに名を呼び合い雪に埋もれて命を落としていく悲しい物語を紹介している。
(農人夫婦逢雪吹図・)

 初孫を見せに妻の実家に帰る二人に、地吹雪が二人を襲う。晴れ間を縫っての出発だったが、天候の急変に乳飲み子を抱かえた二人は、必死にこの吹雪の中から脱出しようと試みる。雪笠は風に飛ばされ、樹々たちは風雪に荒れ狂う。握り合った手と手もいつしか引き裂かれ、互いを呼ぶ声さえ切れ切れに強風に飛ばされていく。渦巻く雪が二人の命を無情に飲み込んでいく。
 命のかぎりなれば夫婦声をあげほういほういと哭叫(なきさけべ)ども、往来の人もなく人家にも遠ければ助る人なく、手足凍へて枯れ木のごとく暴風に吹僵(ふきたお)され、夫婦頭を並べて倒れ死しけり。此雪吹その日の暮れに止み、次の日は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかかりしに、かの死骸は雪吹に埋められて見えざれども赤子の啼く声を雪の中に聴きければ、人々大いに怪しみおそれて逃げんとするも在りしが、剛気の者雪を掘りてみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらわ)れたり。

 哀しい雪国の物語は、親が子を守るために注いだ命を賭けた「愛」の物語となって幕を閉じます。

 さては昨日の雪吹倒れならん、皆あつまりて雪を掘り、死骸を見るに夫婦手を引きあひて死居(しゝゐ)たり、児は母の懐(ふところ)にあり、母の袖児頭を覆いたれば、児は身に雪おば触れざるゆえにや凍死(こごえしなず)、両親の死骸の中にて又声をあげてなきけり。
 雪中の死骸なれば生きるがごとく、見知(みしり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもいやられて、さすがの若者らも泪をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑につつみ夫(おっと)の家に荷(にな)ひゆきけり。
 
 

 男の実家では若夫婦は、孫を抱かえて嫁の実家に里帰りをしているものと思っていた。
帰宅した二人を見て言葉もなく、物言わぬ二人に抱きつき、頬を摺り寄せて泣き叫んだ。
「見るも憐(あわれ)のありさま也」
と記述し、
一人の男懐(ふところ)より児をいだして姑(しゅうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行(りやうかう)の涙を落としけるぞ。

 哀切極まりない話しを紹介し、「花吹雪」などと軽い気持ちで表現するのは、雪の少ない暖地の人々だ。と述べ「雪国の難義暖地の人おもひはかるべし」と戒めている。

 今日も地域により、大雪の予報が流れている。
「一晩の降雪で車が雪に覆われ、排気ガスで50代の男が亡くなった」とテレビは伝える。
かの地の雪との闘いを思い、かの地の苦労を思いながら本を閉じる。

      ※ 「北越雪譜」についてはgooブログ 123qweaz 斉藤野人の斉藤野語「コトノハとりっく」さんの
     1/9 23付にもアップされています。興味のある方はご覧ください。

      (2018.02.06記)   (読書案内№120)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

こんなこともう嫌だ① 職業倫理がないのか

2018-02-02 11:09:29 | こんなこともう嫌だ

こんなこともう嫌だ①
    中国のホテル・レストラン
  中国の高級ホテルやレストランで、
清掃や調理の不衛生な実態を隠し撮りした映像が相次いで暴露されている。(朝日新聞2018.01.26)

 黒龍江省ハルビンの有名ホテルで客室清掃を隠し撮りした映像が、動画サイトで公開された。
 動画を見ることはできませんでしたが、
 ハルビン市当局は各ホテルへの調査の結果、
 動画で告発された内容は事実だつた
として、ホテルを処罰した、と報じている。

 〇 ケビンスキーホテル ハルビン (外資系5つ星)
         (画面中央の建物)                (豪華なロビー)

    
     清掃員が便器を洗うブラシでコップを洗っていた。
      客の使用済みタオルでコップや便器、バスタブを拭いた後、最後に床を拭き始めた。
      ベッドのシーツも「汚れていなければ交換しないわ」と澄ましたものだった。
      女性清掃員は「普通は部屋の清掃は1日12部屋がノルマ。
      12部屋を超えて清掃すれば1部屋につき12元(約200円)の手当てがつくので、
      一部屋にかける時間を短縮するため」と話している。

      〇 シャングリラホテル ハルビン(外資系5つ星)
       (画面左側の建物)                (ロビーからプライベートゾーンへ向う通路)

    
 清掃員はコップとゴミ箱を同じ雑巾で拭き、その雑巾を便器の水で洗っていた。
 中国人記者が清掃員の就職希望を装って潜入取材し、ずさんな清掃の様子をカメラに収めた。 
 女性清掃員は便器を洗ったブラシでバスタブやコップを洗い、
 同じ雑巾で便器、ゴミ箱、コップを拭いた。
 記者を就職希望者と思い込んだ女性清掃員は、こんな忠告までした。
 「客がいるときはこうやって洗ってはダメ。
 規則違反になるから、普通は浴槽とトイレのブラシは違うものを使わないといけないけど、面倒くさいからね」

 

   〇 シェラトン・ハルビン香坊ホテル(5つ星)
              (画面左端の建物)                (ファミリールーム)
     
  トイレブラシで洗面台を洗ったあと、このブラシでトイレ掃除をする。
   タオルは見た目で使っていないと判断したら交換しない。

 ずさんな清掃が横行する背景にあるのは、5つ星ホテルの稼働率の高さあるようです。
清掃スタッフたちの業務が多忙なことを理由に、
1部屋につき30分から40分かかる清掃を15分以内で済ませていたといいます。

 忙しすぎる割には賃金が低くい。
清掃スタッフの定数は1部屋に必要な時間によって決まる。
この時間に稼働率を加味すればおおよその定数は算出できるのだが、
人件費を削減すればするほど、
労働意欲は減退し、手抜きが横行しサービスの低下につながってしまう。

 職業倫理の欠片(かけら)もない清掃員に対して、
地元、中国メディアは
「清掃員の賃金は低く、募集しても良い人材が集まらないので、
研修などに時間をかけていないことも、ずさんな清掃に拍車をかけている」と指摘しています。

ハルビン市は、3つの5つ星ホテルに対し、罰則を科す方針だということです。

利益優先の経営方針は労働者から誇りを奪い、強いては組織そのものをダメにしてしまう。

 オラこんなこともう嫌だ。

(朝日、毎日等記事を参照し、ホテル写真は各ホテルのホームページから引用)
      (2018.02.02記)        (こんなこともう嫌だ№1)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

銃なしで家族をどう守るの ②「目には目歯には歯」

2018-01-30 09:53:10 | 昨日の風 今日の風


銃なしで家族をどう守るの ②「目には目 歯には歯」

テキサス州・教会銃乱射事件について当時の市民の声を集めてみた。
 「銃を持った住民が反撃したから、被害を増やさずに済んだ」
と銃で自衛する権利を擁護する声が米国では広がっているという。
 概要は次のようだ。
現場付近に住む住民が銃声に気づき、ライフルを持って現場の教会に向かった。
「(容疑者)と目があって撃ちあいになった。私は防弾チョッキの隙間を狙った」
容疑者は銃撃された後、銃を捨て車で逃走。その後、逃走した車の中で遺体で見つかり、
足、胴、頭の3ヵ所に被弾していた。
自ら撃ち抜いたみられる致命傷となった頭部以外は住民に撃たれた傷だった。
以下、市民の声を記載します。
「幸運にも誰かが銃で応戦した。さもなければ被害はもっと悪化していただろう」(トランプ大統領)
「銃を持った犯罪者に一方的に襲われるのを防ぐには、銃で自衛するしかない」(周辺住民)
「銃を持つ相手に対して、銃なしで一体どうやって家族を守るのか?」(護身用に銃を所持する人)

「今回の事件が米国社会に突きつけた問いは、銃を持つか否かではない。教会にも銃を持っていくか否かだ」(農業従事者)
 すでにお気づきのことと思いますが、
彼らの発言は「銃規制云々」ではなく、銃社会容認を前提した発言である。
良からぬ奴らが銃を持って襲ってくるから、
それに対抗するには「銃」が必要という論理である。
核軍縮が一向に進展を見ないのも、
「核の抑止力」をお題目に、必要論を展開する愚かしさにあるのではないか。

「核の抑止力」を認めるなら、
現在の核保有国だけに既得権として「核保有」を認めるのではなく、
すべての国に保有を認めなければ、余りにも矛盾した「核の論理」ではないか。

 話は飛ぶが、明治元年(慶長4)になっても、
昔日の身分制度の栄華を捨てることができずに、
二本差しを差して往来する時代遅れの者がいたということだが、日本の場合は間もなく消滅した。

身分制度の崩壊と欧米化
 アメリカ社会の歴史の中で培われた銃社会の論理。
ゴールドラッシュに富を求めて集まる荒くれどもや牛飼いの牧童に対抗するための保身や
土着民を征服するための武器の所持がフロンティア・スピリットという美名のもとで、
武器を必要としなくなった時代においても、
経済の発展と共に「武器産業」が発展した経緯がある。

「武器」や「核」によってかろうじて社会の均衡が保たれているとすれば、
そういう社会は病んだ社会だと思うのだが、いかがなものでしょう。

 銃を持つことによって自分の命や家族を守ることができるのなら、
その銃によってたくさんの命が奪われる現実の矛盾をどう理解したらいいのだろう。
         (2018.1.27)                       (昨日の風 今日の風№85)            (おわり)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

銃無しで命を守れるか ①頻発する銃乱射事件

2018-01-28 09:23:04 | 昨日の風 今日の風

銃なしで家族をどう守るの ①頻発する銃乱射事件
    米高校生徒乱射
       ケンタッキー2人死亡17人けが(朝日新聞夕刊2018.01.24記事)
 銃の乱射事件があり、
地元警察は同校に通う15歳の男子生徒を拘束し、
殺人などの疑いで動機を調べている。

 
またしても起こった銃乱射事件で、「またか」という感じがする。
そこで、過去の銃乱射事件の主なるものを拾い出してみた。
① 1966年08月01日 テキサスタワー乱射事件(於いて大学構内)
                  15人死亡 31人負傷
② 1984年07月18日 サン・イシドロ(マクドナルドの店内)銃乱射事件 
                  22人死亡 19人負傷
③ 1991年10月16日 ルビーズ銃乱射事件レストラン於いて
                  24人死亡 20人負傷
④ 1999年04月20日 コロンバイン高校銃乱射事件
                  15人死亡 24人負傷
⑤ 2007年04月16日 バージニア工科大学銃乱射事件
             教員や学生32人死亡 23人負傷
⑥ 2016年06月12日 フロリダ銃乱射事件(於いてゲイナイトクラブ)
                  50人死亡 53人負傷
⑦ 2017年10月01日 ラスベガス・ストリップ劇場銃乱射事件
                  58人死亡 546人負傷
   史上最悪となった銃乱射事件。М16自動小銃やAK-47自動小銃を含む23丁の銃を使用。
        いずれも殺傷能力の強い軍用銃である。 
     
            AK-47                                                       M-16

    
            ラスベガス銃乱射事件の1シーン  まるで戦場を逃げ惑う人々          

⑧ 2017年11月06日 テキサス教会銃乱射事件
                  27人死亡 24人負傷
  銃乱射事件を調べてみると、たちどころにたくさん検索できる。
①~⑧まで主な事件を挙げてみました。「銃による乱射」ということに絞ってみましたが、
「銃による殺人」まで範ちゅうに入れると交通事故波に件数が増えます。

 ある日突然何の関わりもない人たちが銃乱射の犠牲になり、
多くの人々がその命を失うことになってしまう。
武器を携行しなければ、安心できない。自由を守れない。権利を守れない。

こうした考え方の根底には、「歯には歯、目には目」という力の原理が働いている。
銃社会を容認することはできないが、せめて写真で示した自動小銃のような殺傷力の強い武器は、
規制しなければ、命を守るための武器で自分の命を失うことになってしまう。
     (昨日の風 今日の風№84)                           (つづく)
 


        

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

読書案内「小ぬか雨」 藤沢周平著 ②

2018-01-23 21:39:53 | 読書案内

読書案内「小ぬか雨」藤沢周平著 ②
      短編集「橋ものがたり」所収 新潮文庫
男と女
おすみは新七と名乗るその男を信用し、かくまうことにした。

男の言葉つきが丁寧だったからでもあったが、
お嬢さんと呼ばれたせいでもあったようだった。
おすみはもう二十で、これまで人にお嬢さんなどと呼ばれたことはない。
 
 
「おすみ」と男の出会いである。
言葉つきも丁寧で、
物静かで、躾(しつけ)のいい家に使われているお店者(たなもの)のような感じがする男である。
本当に喧嘩をしただけで追われているのか。
といただす「おすみ」。
厳重な警戒網をしかれて、橋という橋には見張りが立ち、
「すぐに出ていく」と言った新七が来てから5日が過ぎた。
その日の夕方、奉行所の者が訪ねて来て「おすみ」に人相書きを示した。
「新七と言ってな。人殺しだ」。
そう聞いても「おすみ」はたじろがなかった。
新七を追い出すには時間が立ちすぎていた。
粗野で野卑な勝蔵とは違い、物静かな新七に「おすみ」の気持ちは傾いていったのだ。

 夜明け方。
おすみは寝間に入ってきた男と、身体を重ねたような気がした。
男は勝蔵とは違って、限りないやさしさでおすみを包み込み、
そのやさしさにおすみは乱れ……。
朝の光が、ほの暗い根部屋に漂ったとき、
おすみは眼ざめて床のわきに男を探した。
だが新七の姿はなかった。
そこに男がいたのが、夢ともうつつともわからなかった。
ただ四肢に、まだ気だるい喜びが残っていた。

 
ここの描写がとてもいい。
男と女の濡れ場を具体的に描写してしまえばこの短編の情緒が台無しになってしまう。
「四肢にまだ気だるい喜びが残っていた」という絶妙な表現により、
おすみの心に疼いている恋心が情緒豊かに読者に伝わってくる。

新七が来てから、10日目の早朝別れの時が来た。

渡らない橋

 親爺橋の上、
いきなりおすみを抱きしめた新七「もっと早く、あんたのような人に、会っていればよかった」。
「逃げて、あたしも一緒に行く」すがるような思いを新七にぶつけるおすみ。
だが、新七は「あんたを忘れません」と、身をひるがえして橋の向こうに消えていく。
最後の数行は次のように終わり、
読者は余韻に酔いしれたまま本のページ閉じることになる。


(時代劇専門チャンネル「小ぬか雨」より)
(おそ)い時期に、不意に訪れた恋だったが、
はじめから実るあてのない恋だったのだ。
それがいま終わったのだった。
…また前のような(勝蔵との)
日々が始まるのだ。
切れ目なく降り続ける細かい雨が心にしみた。
――
小ぬか雨というんだわ。
橋を降りて、
ふと空を見上げながら、おすみはそう思った。
新七という若者と別れた夜、
そういう雨が降っていたことを忘れまいと思った。
                             
                   
 (おわり)             

(2018.01.19記)  (読書案内№119) 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

読書案内「小ぬか雨」 藤沢周平著 ①

2018-01-20 19:00:00 | 読書案内

読書案内「小ぬか雨」藤沢周平著 ①
      短編集「橋ものがたり」所収 新潮文庫
 人生の中で、出会いはその人の生き方を左右するような大きな出来事になる。
ほとんどの出会いは、
永い人生行路のなかのありふれた一シーンとして、
時間が過ぎれば消えていく出会いかも知れない。
短編「小ぬか雨」に描かれた世界も出会いを描いて秀逸である。

 「橋ものがたり」に収められた短編は「橋」が重要なキーワードになっており、
「小ぬか雨」も例外ではない。
長い人生行路には、
渡らなければ次の一歩が踏み出せない「橋」(決断の橋)、
渡ってはいけない橋(禁断の橋)、出会いの橋等がある。
橋を隠れたキーワードとして書かれた作品を探して読んで見るのも読書の楽しみである。
(読書案内「傾いた橋」2015.08.02① 08.21②にもアップしています。興味のある方はどうぞ読んでください)

 偶然の出会いが若い男女の心を惹きつける

(時代劇専門チャンネル・「小ぬか雨」のラストシーン)

 おすみは孤独だった。
早くに両親を亡くし、おそらく楽しい思いなどしたことのない女だった。
伯父に任された履物屋で商いをしながら一人で暮らす「おすみ」は、
伯父が世話してくれた「勝蔵」という職人と所帯を持つことになっていた。
勝蔵は訪ねてくれば、おすみの気持ちなど構わずに体を求めるようながさつな人だった。
好きでもないこの男と一緒になって、
一生を終わることを想像すると、希望のない人生だった。

 ある日の夜、裏口の戸を閉めに行った「おすみ」は、
土間の隅にうずくまっている若い男を見て、
思わず叫び声をあげるところだった。
「追われているんです。すぐに出ますから」。

小奇麗な身なりをしたその男は、
おすみを「お嬢さん」と呼び、
その響きにおすみは心の揺らぎを感じていた。(つづく)

(2018.01.18記)    (読書案内№118)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

老いをみつめる

2018-01-14 19:00:00 | つれづれに……(心もよう)

老いをみつめる
  
  手術しか手立ては無くて手術は耐えられぬ母の命の行方よ
                 
(横浜市) 毛涯明子  朝日歌壇2018.01.08
      「体力がないので手術ができません」と医者から告げられた時のやりきれない気持ち。
      残された選択肢はあるのだろうか。
      切なさがこみあげてきて、「どうしたらいいのだろう」。
      逡巡する気持ちが、せつなさにかわり、老いた母の顔をみつめる。




   再びは帰宅かなわぬ転院の母送りゆく氷雨ふるなか
                 
(静岡市) 池ケ谷春雄 朝日歌壇2018.01.08
                 
「お母さん、何にもできなくてごめんね」
      安定期に入った母に下された診断は、転院だなんて。
      何にもできない無力な私。
      「お母さん、ごめんね」。
      声にならない声が、氷雨のなかへ消えていく。



  凩(こがらし)やあなたが眠るまで歌ふ
                 
(熊本市) 池ケ谷春雄 朝日歌壇2018.01.08
      
せめてあなたが眠るまで、私は歌を歌う。
      あなたが好きだったこの歌を……
      外では木枯らしが吹いている。
      深々とふけていく夜の中で
      命の「ともしび」を温め、歌を唄う
                 人間っていいなー



 
次の二句は自分の現実を見つめた句です。 

    人いつか還る虚空に銀杏舞ふ
                 (鹿児島市) 青野迦葉 朝日俳壇2018.01.08

      いつかは「土」に還っていく命。
      他人事でなく自分の「命」。
      虚空を被う大銀杏。
      金色に輝く銀杏の葉が降ってくる。
      厳選されたことばの19文字に広がる小宇宙
  
            

  積もりゆく雪よ減りゆく吾(わが)が時よ
                     (青森市) 小山内豊彦 朝日俳壇2018.01.08
      降りつむ雪に埋もれていく生きてきた歳月。
      「歳を取ったな」
      そう思いながら、あと何年元気でいられるのだろうと
      行く末を自分の歳に重ね合わして思いにふける。
      「そんなに悪い人生ではなかったぞ」
      指に刻まれたシワの深さがそう語りかけてくる。

      

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

塩は何時ごろ作られたのか (郷土の歴史№6)

2018-01-10 08:06:28 | 郷土の歴史

塩は何時ごろから作られたのか
「塩」は生物にとって大切なものです。
アフリカの原野などでは動物たちが昔から本能的に岩塩や塩湖で補給していたことが知られています。
奈良時代の「常陸国風土記」には霞ヶ浦沿岸の人々が製塩していたことが記載されているそうです。

 1万年以上も続いた縄文時代の後~晩期にはすでに製塩されていた証拠が出土しています。

あの素晴らしい縄文土器を生み出した縄文人の精神性の高さには驚かされます。

製塩土器 茨城県・広畑貝塚、上高津貝塚
  広畑貝塚・上高津貝塚は、
霞ヶ浦の南西岸の丘陵の裾に位置する縄文時代後期から晩期前半にかけて営まれた貝塚です。
(当時は霞ケ浦は海と繋がる入り江になっていました。)

ここから、土偶、耳飾り、貝輪などたくさんの遺物が出土しています。
また、炭酸カルシュウムが固化して付着している無文薄手作りの土器も出土していることなどから、
縄文時代に製塩が行われていたのではないかとする説の根拠になっており、
縄文時代の生産活動を解明する上でも重要な遺跡です。
(上高津博物館より)
この土器は塩水を入れ煮沸して塩をとる(煎熬・せんごう)ために使われた土器で、
広畑貝塚をはじめとする霞ヶ浦沿岸から、
縄文時代の製塩遺跡や製塩土器が多く見つかっている。
当時の製塩は土器などで海水を煮詰めておこなったと考えられている。
あの手の込んだ縄文模様は施されず、
注入した海水を煮沸するためにできるだけ薄く作られています。
海水が煮詰まり、塩ができると器のまま運搬され物々交換にも利用されたようです。
塩を取り出すときには器を割って取り出したようで、
出土するほとんどの製塩土器は粉々になっています。

縄文製塩土器の終焉

 東日本で生まれた土器を使った塩づくりは北上して東北太平洋岸を北上し、
宮城、岩手、青森へと広がっていくが海を渡って北海道に伝わる前に姿を消します。
次の弥生時代へ技術が伝播されることはなかった。
縄文製塩土器の技術が消滅してから、約1000年後、本格的な土器製塩が始まります。
約2300年前の弥生時代です。
この製法は東日本の瀬戸内海辺りに起源を求めることができます。
おそらくは朝鮮半島からもたらされた技術と推測されますが、
1700年前ごろには広範囲に拡散していったようです。
その反面、縄文時代には塩の一大産地だった東日本では
弥生時代に入ってから製塩土器がほとんど見られなくなってしまいます。

 縄文時代から弥生時代への移行の中で、
なぜ製塩の技術が途絶えてしまったのでしょう。
縄文土器に魅せられた私には当分、眠れぬ夜を過ごすことになるのでしょう
   (2018.01.09記)


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

捉えきれない自分 次世代に何を誇ればいいのか(ことの葉散歩道№36)

2018-01-07 09:05:15 | ことの葉散歩道

捉えきれない自分 (ことの葉散歩道№36)
  私たちは次世代に何を誇ればいいのか


 「自分の弱さと向き合うのはとても苦しいことだから、でしょうね」
              香山リカ(精神科医)

 診察室を訪れる若者が、少しずつ変化している。
「どうしたのですか?」と訪ねても、明確な答えが返ってこない。
「つらいんです」
「どのように辛いのですか?」
問診の過程で、患者の意思表示が曖昧で、医師は患者の症状を捉えることが難しくなってきている。

 言葉が肉声となって響いてこない。
言葉が感覚的になり、「うざい」「やばい」「きもい」「えぐい」などという若者言葉は、
1980~2000年代(昭和55年代~平成10年頃)に流行った。

 意志や思いを伝える言葉が本来の意味を失い、上滑りしていく。
流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」。
言葉や中身はどうあれ、
「インスタ映えする」と言う使い方が、「おいしそう」、「楽しそう」など、
……のように見えるというように使われ、ものの本質を確かめずに、言葉が一人歩きしていく。

 若者たちが使用する言葉によって、仲間意識が生まれ、一見彼らは繋がっていると錯覚を起こす。

 再び香山リカさんの話に戻そう。
単調なやり取りが増え、
「この感じが取れる薬ください」と、
カウンセリングより手っ取り早い薬物療法を望む人も目に付くようになった。
自分の内面を掘り下げ言葉で表現する力が落ちているように思う。

 感覚的な言葉や流行言葉は、
自分を掘り下げ、じっくり見つめるにはそぐわない。
こうした言葉の反乱の中で成長した人の中には、
時々とんでもなく人間の道を踏み外してしまう人が発生する。
短絡的、激情型の人間が時々現れ、社会を震撼させる。

 貧困、経済格差、地域からの孤立等社会の構造的歪みの中で叫ぶこともできず、
奈落の底へ落ちてしまう人。
自分を見つめ直すのではなく、
社会のせいや他人のせいにして責任転嫁してしまう。
こうした異端者を異物として排除することはやさしいが、それでは何も変わらない。
異端者を生み出すのは、病んだ社会なのだ。
排除するのではなく、社会そのものを立て直していかなければ解決にはならない。

 もうすぐ平成の時代が終わり、新しい時代がスタートする。
戦中に生まれ、終戦とともに昨日までの価値観が崩れ、
新しい価値観の構築と共に経済大国を成し遂げた昭和の時代。
築いた平和の時代に、平成の30年間で私たちは何を築いてきたのだろう。

 自国第一主義が台頭する中で、再び私たちの社会は「戦争」の危機にさらされている。

次世代を担う若者に私たちは自信を持って手渡すものがあるのだろうか。

  (2018.01.06記)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加