地場・旬・自給

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若い人の生きづらさ

2018-02-19 04:14:18 | Peace Cafe

若い頃に死にたくなったことは何度かあった。ただ、私の若い頃の時代はまだ混沌とした中に、希望が未来に光っているような気分があった。その根拠のない楽天的空気で助かった。今の時代はどこか閉鎖されている重さがある。ダメなものが入り込む隙間が年々小さくなっている。1960年代にはカニ族と呼ばれるような、無銭旅行の流行というようなものがあった。大きなキスリングを背負って無一文で旅に出るというような中に、何かが待っているような社会的雰囲気があった。私は自転車であちこちに出かけた。まだ中学生であったのに、松本、名古屋と自転車で行った。旅の途中に警察や小学校に泊めてもらったことさえあった。今そんなことが考えられるだろうか。放浪に憧れるという文化があり、それを受け入れる社会があったのかもしれない。古い時代にあった、文化というものが遠くの異国からの放浪者によってもたらされた記憶。若者に対する緩やかさ。ダメでも、外れても、何とかなる。同じでないものも生きる道はある。戦後から70年代までは若者が夢を持つことが許されていた気がする。

海老名で連続9名が殺害された、前代未聞の異常な事件が起きた。不気味なことにこの信じられないような事件が、自殺願望の若い女性が誘い出されてしまって起きたという事だ。毎週一人が連続で殺害されてゆくというようなことがなぜ起きたのかである。SNSとかラインと言われるが、使ったこともないのでよく分からない。ともかく、若い人が良く使うネットの連絡方法らしい。無料アプリというものがあり、それを利用して、不特定多数の人と、情報を共有できるらしい。政治家などもこれを利用して選挙運動をしているという話を聞いたことがある。18歳選挙権という事でそういう事があるようだ。「猫の鼻炎について教えてください。」というので対応したら宗教勧誘だったという話を聞いたことある。相談に乗ってやるも危ないし、相談に乗ってくださいも危ない。背景の見えない人と、自分の命に関するような重大なことを相談するSNSというもの。SNSになら本音を語れるという若者たちの哀れ。若者とのつながりはSNSが一番のようだから、若者の緊急救援対応にSNSを使うことになったとテレビでは流れていた。

社会が夢が持てない。競争に負けるものの自己責任社会。社会の窮屈が若者が死にたくなる背景にある。個々の思いは様々であろうが、ダメなものや、力も能力もない若者でも、どこかに夢を持つことが出来そうな空気が、社会には残っていなければならない。ダメでもいいじゃん。人に勝たなくてもいいという思想が、競争を無くすので良くないとされる。ダメでもいいじゃん。ダメだからいいじゃん。私はいつもこう自分につぶやいている。絵を描くというのは常に失敗である。良く描けたと思うことなどまずない。またダメだの続きの中でやらなければならない。セザンヌだって、ゴッホだって、マチスだって、みんなヘタのダメだ。ところがそのダメだからこそ、本質に至れた。そしてダメだと躓いた人を感動させ、救済している。ゴッホはダメだと思い込んだまま自殺してしまったが。自殺したくなった人をどれだけ救済していることか。もし自殺したい気分の人がいたら、ゴッホの絵を見てみることだ。新宿のビルの中に向日葵がある。見てからでも死ぬのでも遅くはない。それで思いとどまったという人を2人知っている。

絵を描くという事はダメであることに耐えるというようなものだ。その点何十年の年月にずいぶん鍛えられた。自分に至るという事はそういうダメに直面するという事から始まる。ダメだと思わないような人間は、付き合いたくないものだ。 ああ今日も失敗である。良くなりそうだとかすかに思うところを、わざわざダメにして行く繰り返しである。あえて書けば、ダメであることを、ダメであるまま示そうというのが絵である。良さそうに描くなど、絵ではない。だから絵を描いて居れば、結構鉄面皮で生きられるようになる。上手そうな得意げな絵を見たら、絵の分からんチンと思う事にとして置けばいい。ダメのダメダメと負け続けても、愉快に生きる世界は広がっている。絶望は希望への道ともいわれる。せっかく絶望したのなら、その絶望が財産になると思えばいい。絶望を知らない奴よりよほどましな人間になれる可能性があると思っている。

 

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絵画を言葉化する意味

2018-02-18 04:33:17 | 水彩画

絵を言葉化しなければ進むことはできないと考えている。それは「絵を語る会」という形で実践している。冬季オリンピックで言葉化するという事を口にした選手が二人いた。一人はフィギュアスケートの羽生選手である。もう一人はハーフパイプの平野歩夢選手である。二人ともオリンピックを控えて、大けがをした。オリンピックの出場すら危ういと言われた。歩くことすらできない大けがである。身体を動かす練習もできないなか、技を言葉化していたという。一度できなくなった運動をもう一度取り戻すためには、言葉化する必要があったようだ。この二人はまさにスポーツの天才であろう。生まれついてすばらしい感覚を備えていたはずだ。4回転をする為に言葉化する必要はなかったという。運動の感覚で、持って生まれた感性で回転の感覚をつかみ磨いた。想像もできないほどの練習の末にその感覚が技として実現したのであろう。ところがこうした天性の感覚の二人が、技を言葉化することが大切だと揃って口にしていた。

高校の頃陸上競技をやっていた。インターハイ東京予選初戦敗退の弱小選手である。そのころ読んだ本に、棒高跳びの選手は知能指数が高くないと一流には成れないと書いてある陸上競技の指導書があった。空中での自分の姿勢を理解し、練習をして行くためには、高い知能指数が必要というのだ。長距離グループでただ走るばかりの自分は少し馬鹿にされたような気がした。走り高跳びは練習していたので、空中姿勢というものを理解するという事が、かなり難しいという事は知っていた。自分の運動を言葉化するなどという事は、考えたこともなかった。ひたすら体に覚え込ませる反復練習であった。何が悪いかを理解するという事は感覚だけでは難しい。問題を理解して、何を身に付ければ解決できるのかという事を分からなければならない。分かったうえで練習をしなければ、練習すらできないことになる。もちろんオリンピックでメダルを争うような人とは領域は違うと思うが、二人のすごい選手が感覚だけではだめだと主張していることが印象的だった。身体が充分に動かせない期間、技を言葉化していたというのだ。それが復活するカギになる。感覚の天才が、一度できなくなった技をもう一度再現するためには言葉化が必要だった。

絵を描くという事はまさに感性の仕事である。ほぼ百人のうち百人がつべこべ理屈を述べずに描けばいい。感覚がだめな奴だから、屁理屈で誤魔化すと主張する。私のようにあれこれ理屈を述べる奴は感覚が悪くて絵が分からない奴だからだという事になる。絵というものがお稽古ごとの先にあるものだと考えればその通りであろう。上手になるだけで良いのであれば、黙って職人仕事を磨けばいい。それをあえて描いているだけではだめだというのだから、顰蹙を買うのも仕方がないかもしれない。分からないで無暗に描いていることは、むしろ自分の絵をダメにすると思っている。ただただ描いていても悪くなるだけという絵描きばかりを見てきた。そういう人に限って口にする絵画論が精神論だったりする。そうしてマンネリの、ただみすぼらしい技術が示されているだけというの絵は、絵のように見えるものに過ぎない。公募展というものを見に行けば、ズラリとそういう絵が自慢げに並んでいる。

絵画の世界は、言葉を拒絶することで進歩を失った。この時代に即した美術評論というものがない。芸術と思想は連動している。言葉で絵画を分析し批判し、評価する文化自体が失われた。今もそれらしき絵画評論をうたう月刊誌が発行されているが、趣味で絵を描いている人や絵を販売したがる人に、その雑誌を定期購読してもらうことで経営を成り立たせている雑誌だ。絵を雑誌に掲載し、誉め言葉を書くというものに過ぎない。本当に恥ずかしい状況の絵画世界だ。自分の絵を言葉化するという事をこのブログでは繰り返し行っている。とりとめもない、恥ずかしいような陳腐なものかもしれない。しかし、それが自分のすべてである。人と較べてではない。自分の絵画世界を少しでも進めるためには、言葉化する以外にないと確信する。この絵は好きだとか、嫌いだとか、そんな判断で済ませていては、絵を描く人間とは言えないのだ。

 

 

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日本国はどこを目指すのか

2018-02-17 04:30:06 | Peace Cafe

アベ政権が目指している世界は、アメリカのような世界なのだろう。経済が一番の国である。トランプアメリカのやり方がモデルになるのだろう。アメリカで仕事をしていた、安倍さんはアメリカにあこがれたのかもしれない。豊かな国アメリカ。正義の国アメリカ。世界一の経済大国。自由主義、能力主義、競争主義の国。アメリカンドリームの国。確かにアメリカには底抜けの善良がある。宗教的倫理といえるような価値観がある。それは、大草原の小さな家のローラの夢のようなものだ。その理想が高ければ高いほど、一方に極端な差別思想が潜んでいる。賄賂の国中国で孔子思想が息づいているのと同じなのではないだろうか。戦後の日本はアメリカをモデルとして国づくりをした。あるいはさせられた。アメリカの中の善良な思想が日本国憲法に結実したのだろう。しかし、アメリカのなかの本音は、自分が勝者になるために羽手段を選ぶ必要はないというものだった。しかし、日本政府はそのアメリカの暗い本音を、国民に対し覆い隠しながら、まるで傀儡政権のようにふるまってきた。

1980年ごろの日本社会では盛んに価値観の喪失という事が言われた。戦後の復興期には明治政府が模索した大日本帝国の方角が間違っていたという事は、一億総懺悔として認識せざる得なかった。どこを目指すのかを見失った日本はアメリカの底抜けに明るい、自由主義に目標を定めた。その競争主義の負の側面には目を向けるどころではなかったのだろう。ともかく復興して敗北から立ち直らなければならなかった。日本民族は全面敗北をしたが、今度は経済で追いつき追い越せで行かなければならない。そして、日本人としての歴史的な価値意識を棚上げしておくことにした。武士道よりもトランジスターラジオのセイルスマンである。武力主義より、経済主義の方が平和で良い。今度は経済で勝つという希望が、反省の結果である。日本が何を目指すのかは問題にもされないまま、経済競争にまい進した。そのころの日本人の中にはまだ伝統的価値観が色濃く残っていた。

封建主義とか、地域主義とか、伝統的価値観を維持しながら生きている人がまだたくさんいた。農家であれば、先祖伝来の田畑を守ることが自分の役割と考える人が沢山いた。その生き方の原型は江戸時代のお家大事だろう。そうした日本人としてといえば、ほぼ共通理解が出来るような日本国を空想することが可能だった。その日本社会の共通の価値観がすれ違い始めたのが、80年代頃ではなかったか。首都圏への人口の集中によって、伝統を引きずらない新たな家族個人主義的日本人が登場する。しかし、その頃の日本人はまだ帰ろうとする故郷を持っていた。どこか今の自分の暮らしではないところに、本当の暮らしがあるような喪失感である。その喪失感の背景にあったものは失われてゆく日本的伝統文化なのだろう。故郷の光景というものが存在したのだろう。

アメリカのような社会に日本が成ってほしくはない。アメリカは確かに経済は豊かではある。しかし、銃を若者が乱射するようなことが頻発する社会である。にもかかわらず銃の規制には向かわない国である。銃を持って対抗すればいいというような、馬鹿げた国である。この愚劣な国を手本としてアベ政権は存在する。そのことは日本人のかなりの人々がアメリカの愚劣さを含めて、受け入れているとしなければならない。沖縄の米軍の態度を見れば、安倍氏の抗議などまったく効果がない。トランプに電話で直接抗議したと力んでいたが、何の意味もなさなかった。アメリカは日本の犠牲は、核の傘を貸してやっているのだから、当然の負担としか考えていないのだ。そしてアベ政権は沖縄の犠牲は、日本全体の為には止む得ないとしか考えないのだ。日本がどこを目指すのかだ。日本は美しい瑞穂の国を目指すとした。昔の安倍

   

 

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JAS有機の問題点

2018-02-16 04:16:41 | Peace Cafe

JAS有機農業基準は国の基準である。思想としての有機農業とは違うものだと思っている。あしがら農の会は有機JAS基準以上の農業を行ってきた。「地場・旬・自給」である。JAS基準というものはやってはいけないことが示されているに過ぎない。基準さえ守っていれば基準合格の農産物という事になる。この基準は消費者保護の為に決められたものである。消費者が騙されないように作られたものである。有機肥料を使っていれば、有機農業であるというようなまがい物の野菜が横行したことが、事の始まりであった。そしてこの基準は予想通り、有効に働かない結果となった。発想が待ちあっていたからだ。卵でいえば、JAS基準認定の卵はないと言えるのではないだろうか。しかし、家で鶏を飼えば有機基準に合致した卵は簡単に可能ではある。JAS基準に準じた農産物といっても、作りやすいものもあれば、困難なものもある。キューイは出来ても、みかんは難しい。野菜は季節で異なるし、同じキャベツでも可能な品種と、不可能な品種とがある。

有機農産物というものは全量の0.3%といわれていて、日本では20年一向に増加しない。20年も運用されて、一つも増えないことには理由がある。国はここを正確に分析して反省すべきだ。いまだ消費者が重視していない。消費者保護の為に作られたにもかかわらず、有機農産物のJAS基準を重視する消費者が増えないという事を考えてもらわなければならない。0.3%しかない農産物といっても、特定の種類の有機基準で作りやすい農産物に偏っているから、まずは売られていないだろうという有機野菜の種類もかなり多いい。ところが、有機農産物がそれほど高価にはならない。欲しい人がいて、量が少ないものなら値上がりするはずである。価格が高いものであれば、どれほど栽培困難な農産物でも生産することも可能になる。ところが、価格が安すぎて経営がいつまでも難しいというのが現状である。家庭菜園規模で自分で作るのであれば、価格はないから手をかけて作ることはできる。やはり家庭菜園が一番という事になる。自分が食べるためであれば、JAS有機農産物も生産可能なのだ。

問題は4つあると考えている。

1、消費者が有機農産物の価値をそれほど評価していない。価格さにそれが現れている。私は全国唯一といえる、有機基準に合致した卵を生産していたこともあったが、55円で販売していた。私自身がそれ以上の価格の卵は嫌だったからだが。自分が購入しないような価格の卵を販売する気はなかった。社会の何かがおかしいのだ。そのおかしさを直すために農業をやっていた訳ではない。自分が有機農産物を食べないにもかかわらず、有機農産物を販売する生産者では消費者の評価も得られることもないだろう。

2、有機農産物の良さが曖昧である。慣行農法の野菜が悪いという訳ではない。有機農産物は最高の農産物の方角を示している思想なのだ。思想に対して、国が基準で決めるようなことができるものではない。JAS基準というものが出来たがために、有機という思想がすっかり色あせてしまった。基準だけが独り歩きしている。なぜ有機なのかという思想は、繰り返し検証されなければならない。基準ではやってはいけない禁止事項だけが示されていて、やるべきことは何も書いてない。その結果や成果物である有機農産物では何の分析もされない。枯れかかった基準クリア―の野菜と、元気いっぱいの普通の野菜とどちらが人間の身体によいかは、人によって違うはずだ。冬にも有JAS機のトマトを食べたいでは、地域の農家を守ることはできない。

3、生産方法が確立されていない。生産者は手探り状態で有機野菜を生産している。家庭菜園レベルでは可能なことも、販売農家の生産規模では野菜では極めて難しいものもたくさんある。小さな農家であれば、その地域の土壌や気候に併せながら、生産方法を模索することは可能である。生産しながら学び研鑽している。大規模農家となると、結論の出た農法でなければ取り組むことは不可能である。特定の農産物に限られることになるだろう。

4、有機食品の問題よりも、加工食品の問題の方がはるかに大きい。外食や加工食品に含まれる、無限ともいえるような添加物の方が、人間の体に影響を与えている。購入するパンと家で炊くご飯とでは、パンの方が添加物の混入の可能性が高い。ここでの添加物の問題の方が、有機食品であるかどうかより現実的には大きな問題なのだ。外食や加工品に移行している食生活の中では、有機食品の問題は遥かに小さなことなのだ。

結局のところ、JAS有機基準が有機農家を育てられなかったのだ。むしろこの基準が有機農業の普及を妨げているのが現状だと考える。

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大豆の会のはじまりまでーー2

2018-02-15 04:12:51 | 自給

山北に住み始めたのは1988年39歳の時だ。1986年に土地を購入し開墾を始めて3年目だった。荒れ果てた杉林の伐採と、畑の整地に休日毎に通い2年かかった。完全に移住したころには自給自足の実現を本気で試す気になっていた。杉林を一本づつきり開いてゆくと、その場所は富士山も相模湾も見えるなかなかの場所だった。シャベル一本ですべてをやる。機械力を使わないと自分なりのルールを決めた。山を切り開き平地を作り野菜を作る。田んぼも作らなければならない。すべての水を集める装置も作った。巨大な水槽を幼稚園が廃棄するので頂いて、組み立て水を貯めた。そのころはインターネットの情報もないから、すべては思いついたままの試行錯誤である。稲作の本はあっても田んぼの作り方などどこにも書いてない。農家の人に聞いてみても田んぼの作り方を知っている人は居なかった。地面を掘り、一面に粘土を運び込んで層を作るのだともっともらしく教えてくれた人さえ居た。

田んぼを作るには平らな地面をまず作る、大雨の日に雨の中その平らな地面をかき回した。すると徐々に水が溜まり、田んぼが出来た。あっけないほど簡単なことだった。山に降る水が最後は田んぼに入るようにしたので、一度溜まり始めた水は無くなることはなかった。早速、直播の稲作をやってみた。見事な稲になり、秋には立派な収穫になった。面積は30坪くらいだったが、1俵のお米が収穫できた。何とかこれで一人の人間のお米が確保できた。自給が本格化することになる。初めての稲作にもかかわらず、意外に簡単なことだった。冬場は麦を作った。翌年は田んぼを倍に広げて2人が食べれるようになった。野菜もいろいろ作れるようになったのだが、必ず山菜を山で採取して1品は食べるようにした。いろいろやってみると、自給自足の食事には保存が重要だという事が分かった。それが味噌づくりを始めることに繋がって行ったが、そのことはまだ後に書く。

山北有機農業研究会という仲間を作ることになる。これが農の会の始まりである。ただいつからというよりも、周辺の有機農家をお訪ねしてお手伝いをしては、農業の先生が出来てきた。私の家の隣でみかん畑をやっていた人から畑を借りて、畑を隣地にまで広げていた。その方が川口さんでMOAの人だった。川口さんからこの地域で有機農業の組織を作りたいので協力してほしいという話が来た。山北に越してから3,4年目の1992年だったと思う。いっしょにMOA関係の方の家を訪ねたりした。1994年3月に川口さんの家で、MOAの前田さんと相談をした記録がある。この時、今までのつながりをまとめて、組織を作ることを相談した。この日が農の会の正式な始まりの日だったようだ。前田さんは心の実に暖かな人で、二人で夜遅くまで未来の農業組織作りの話をした。前田さんはその後転勤された。

山北の町会議員だった瀬戸さんの奥さんが戦後の生活改善クラブの活動でいろいろされていたのだそうだ。保存食のことなどとても詳しく、また面白くて参考になった。味噌づくりを最初に教わったのは瀬戸さんである。味噌の溜まりを醤油として使えば、結構使えるなど話してくれた。ご近所の農家の方など誘ってくれて、一緒にいろいろ勉強することになる。MOAの指導員の方が来てくれたこともあった。大仁農場の見学にも行った。徐々に新しい農業仲間が増えていった。あれこれ学習会をしている内に、仲良くなり、一緒に田圃をやらないかという話になる。養鶏をやっていた友人から田んぼにできる土地があるので、やってみないかというお誘いがある。みんなで意気込んで準備を進めた。ところが自然農法でやるというなら、水をお前たちにはやらないという拒絶に出会う事になる。当時はまだ自然農法にそれほどの反発があったのだ。この拒絶がむしろ、活動に本腰を入れるきっかけになる。共同の田んぼがやれるようになるのは、その後塩沢の奥で田んぼを始めるまで、時間がかかった。

この顛末は次回3回で。

 

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石垣島の家づくり

2018-02-14 04:38:50 | 石垣島

石垣島の市街地にある桃林寺裏に土地は見つかった。似たような土地が市街地には3つ出ていた。そしてもう少し坂を登ったあたりにも土地は出ていた。どれが良いのかは皆目わからなかった。今もわからない。行ったときにはここがそうだったとつい見てしまうが、土地が動いた様子はi今のところないようだ。車が入れる家。静かな場所。買い物に歩いて行ける場所。眺めはいらない。風の強いところは困る。アトリエを作る面積があれば良い。結局、今の場所が中では一番目立たないという事で決めた。不動産屋さんに買い付け申込書に判を押してお願いをした。ところがこれが進まない。購入まで半年もかかってしまった。地主さんは大阪の方だった。投資物件として石垣島の土地をあれこれ売買している人のようだ。その方と直接会ったのは、土地の売買の日が初めてだったのだが、半年も前から購入を申し込んでいたという事を話したら、びっくりして不動産屋さんに怒りだした。売りたいから申し出ているのに、なぜすぐ進めてくれなかったのだという事である。全く同感であった。半年間何故売買が進まなかったのか今もわからない。その間あれこれ詮索してやきもきしていた。

石垣島では一つの不動産屋さんがその土地を扱うと他の不動産屋さんはその土地には手を出さないようだ。だから他の不動産屋さんにお願いはしてみたのだが、ダメだった。何とか最初の不動産屋さんが進めてくれるのを待つほかなかった。その近所にある設計事務所の方に何か問題があるのか相談をした。購入したら建築をお願いするので、不動産屋さんに進めるように話してもらいたいという事である。何度か様子を聞きに行ってくれて、少し進み始めた。別段何か問題があるので進まなかった訳ではなかったという、キツネにつままれたような話だ。石垣での進み具合はそのようにゆっくりしたものらしいという事で受け取るほかない。今度はその設計事務所での進捗が止まった。購入したのだからすぐ建築に向けて進めるようにお願いした。ところがそれから今まで1年近くかかっても、まだ設計が終わらない。これも何故なのかはわからない。最近になって横浜から、石垣に移住された若い設計の方が担当になり進み始めている。

あれこれ打ち合わせをネットで行っている。週に2,3度やり取りをしながら、設計を詰めているところだ。この事務所はオープンシステムというやり方なのだそうだ。一括して建築業者にお願いするという事ではなく、一つ一つの作業を個別の業者に依頼してゆくらしい。その施工管理もこの事務所でやってくれるという事らしい。建築費の10数%をこの設計事務所に払わなければならない。それでも建築会社に直接任せてしまうより安くできるのだと主張されている。これは終わってみなければわからない。いずれにしても、小田原にいて石垣に家を作る。施工管理を信頼してお任せする以外にない。そうこうしているところで先日、石垣で家を作っている人を紹介された。養鶏のことで昔からの知り合いの方のおじさんである。先日お会いして石垣の建設の状況をいろいろ教わることができた。もう少し前に知り合っていれば、この方にお願いすればよかったとも思うが。いまさらそういう事は出来ない。

4月着工の予定である。10月に完成の予定である。建物は鉄筋コンクリート作りである。アトリエが6×8×3mある家ということだけが条件である。木造の方が良いと思ったが、石垣は台風が通り過ぎる場所で、これだけ空間があると木造では危なくて無理だと言われた。後は出来るだけコンパクトなものをお願いしている。庭などはなく作る。駐車スペースがあり、草が生えないようなものにする。閉じてしまえば、安心して空けて置ける家にしたい。10年間は石垣島で絵を描きたいと考えている。先のことはどうなるかわからないことだが、それぐらい描くつもりでいる。老人向き住宅という事になる。引っ越しの大変さを思うだけでが重くなるが、石垣島に行けると思うと元気が出てくる。

 

 

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理解するとはどういうことなのか。

2018-02-13 04:16:22 | 身辺雑記

自分と違う考えの人を理解力がない人間と考える人がいる。批判的なコメントを書く人の多くが、そんな角度から意見を書いている。理解さえできれば、そんな馬鹿な考えになる訳がないのにと、あきれてしまいついついコメントを書くことになるらしい。世間にはあらゆる考えが存在する。人殺しを正義とする考え方の人間さえいる。理解力があるとかないとかの問題ではなく、人間には千差万別の考え方があるとしなければならない。その上で同じ社会という枠のなかで、共同して生きなければならないのが人間である。自分とは違う価値基準が社会では一般的なこともある。違う人間が妥協し合うというのが人間社会であろう。何が良くて、何が悪いかは難しいものだ。人によって考えは違う。法律というものは、その時代の一応の倫理的規範を反映しているという事にすぎない。時代に応じて法律が変わるように、あくまでその社会の比較的多くの人がそれでよしとするものが法律なのだろう。

日本という国が原子力発電をするなど全く心得違いだと個人的には思うが、原発の稼働を良しとする人も多数存在するという事は当然のことだ。そこで議会制民主主義社会という事になるのだろう。選挙において、代議員を選び多数派の意見で物事が決まる。原子力発電を必要とする人が多数派であれば、私のような反原子力発電の人間は我慢しなければならない。しかし、少数派の考えも尊重されるという意味で、原子力発電の電気は使いたくないという人の選択肢は用意されるべきだろう。様々な考え方があるという前提で、すべての情報が公開されていなくてはならない。といっても情報の公開など不要だという少数意見さえある。これもまた理解力がないからではなく、物事の考え方はさまざまであるに過ぎない。民主主義社会では物事がすべて公開されていなければ、良い議論が出来ない。という考え方が今のところ多数派という事なのだろう。隠されていたのでは判断が出来ない。原発の事故など実は人も死なない小さな事故だったと政府が誤解を生じるような情報を流すことは、あってはならない。

様々な考え方が、自由に主張されるべきだ。大いに議論が交わされ、一人一人が異なる判断をして良い結論に至る。その結論は当然、一部の人は全くその通りだと思うであろうし、一部の人達には全くおかしい社会だと思う事だろう。そして大多数の人はどちらでも大したことはないと考えているに違いない。これが、普通の民主主義社会の成り立ちだと思う。自分と異なるから、理解力がない人間だというような切り捨ての考え方は、実は議論を断ち切っているのだ。本来共通理解はそこから始まる。民主主義に一番必要な議論というものの火を消してはいけない。社会にはいくらでも理解の仕方が違う人間がいるという事に、考えを誰しも広げる必要がある。そして違っている者同士がどのように妥協して、調和して暮らして行かなければならないのかだろう。

ただし、権力者の立場は違う。権力者は意見の違うものに対して、権力を振るえる存在である。この点一般の人間とは全く異なる存在である。権力者を批判的な角度から、注意深く監視する必要がある。その権力者が、実は用務員のおじさんになっていたり、警備員になっていたりする。権力者は隠れている。気お付けなければならないのは、警察官だけが権力者なのではない。権力者が独裁者ならわかりやすいが、安倍氏であればどうであろうか。安倍氏は鵺的存在でつかみどころがなく厄介な存在なのだ。安倍氏は考えを持たないかのような顔をして、考えを押し通そうとしている。しかも巧みな政治戦略を用いて、憲法を変えようとしている。武力をもって強いものが正義であるという社会を作ろうとしている。やろうとしていることは実に巧みで、独裁者のように見える。トランプ氏とも本音は似ている。武力を乗り越えた、譲り合う正義の世界を私は目指さなければならないと考えている。出なければ人間は滅びの道に向う事になると思うからだ。

 

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石垣島での土地探し

2018-02-12 04:11:18 | 石垣島

石垣に越すにあたりどのように土地を探したのか書いておく。参考になる人もないとは言えない。実は最初は小田原で土地探しをした。車の運転ができる間は今の舟原場所で暮らせるが、それもあと10年くらいであろう。その後相当困ることになりそうである。それなら、動ける間に歩いて暮らせる場所に越したいと言われた。私は山北にいた時も、舟原に暮らす今も何とかなるだろうとしか思っていない。小田原の市内に移りたいというのもあまり理解できなかった。今いる場所では歩いて行ける場所では買い物は何一つできないというが、配達品だけで暮らせるぐらいにしか考えていた。どうしても引っ越すとなると、70前に引っ越しをしなければ、もう動くことが出来なくなる。小田原で適当なところを探したのだが、見つからない。今暮らしているところより大体つまらなくなる。つまらないところに行かなければならないのかと少し悲観的になった。今の舟原に不満がある訳ではないので、同じ小田原で土地探しは元気が湧いてこなかった。

養鶏をやめてから、行きたかった沖縄旅行を始めた。沖縄の文化に日本人の原点のようなものを想像していた。椰子の実の歌である。日本人の祖先が南の島にたどり着く姿。田んぼを始めてからいよいよ南の島の田んぼに興味が深くなっていた。最初は本島を歩いた。読谷村に部屋を借りた。時々行っては沖縄の空気を味わった。ところが沖縄本島と宮古島や八重山諸島とはまたずいぶん違うらしいという事を知った。そして、一つ一つ島を訊ねる旅行を始めた。それが今までに経験したこともない素晴らしいものだった。絵が描ける。畑や田んぼの絵が描ける。島には暮らしがあった。暮らしが生きている。だから畑も、田んぼも生き生きしている。工場のような畑ではなく、暮らしの庭の様な田畑があった。小浜島で見た神様の為の田んぼ。西表の自然に押し寄せられているような田んぼ。そして、石垣の冠鷲のいる田んぼ。貝殻の混じる田んぼの土に暮らしというものの味わいを感じた。その頃から、どこかの島に暮らしたいと思うようになっていた。島の田んぼを描きつくしたいと思った。

しかし、島に越したとしても歩いて暮らせなければ無理だ。となれば、石垣島の市街地以外にない。石垣島は沖縄でも一番素晴らしい場所だった。ここは大きな病院も近い。農協の市場で買い物もできる。歩ける範囲で暮らしに困ることがない。サウナのあるスポーツジムもある。ユーグレナモールでは、石垣らしい買い物を楽しめる。夜になれば民謡酒場で八重山民謡を聞くこともできる。桃林寺界隈の朝の散歩は何物にも代えがたい魅力がある。石垣市街地以上に良い場所はないだろうと思えてきた。丁度そのあたりに、マンションを改造したウイクリ―マンションがあった。ククルグランビューといったが今は無くなった。ここに行っては石垣の絵を描く暮らしを確かめた。なかなか良かった。これなら、死ぬまで暮らせそうだと思うようになった。小田原でやっていることに自分なりにけじめをつけるには時間がかかる。70歳になつて越すという目標を立てた。

石垣の不動産をネットでじっくりと眺めた。2,3か月かけて調べ上げた。調べては石垣に行って実際にその場を見た。最初はマンションが良いと思っていた。マンションを借りて、まずは小田原と行き来しながら、確かめてみればと思った。ところが適当なマンションが全くにない。本島で探した時とは大違いであった。本島では絵の描けるマンションがあった。石垣ではマンションはどちらかというと町から離れていた。海の眺めの良い場所にある。海が見たくて石垣に行くのではないので、街中を1年ぐらいあれこれ探した。適当なアパートも、マンションもない。少しがっかりした。そこで中古住宅を探した。ところがこれはほとんどない。たまにあっても、絵が描けるような家は全く見つからなかった。そして最終的には土地を購入してアトリエを立てる以外にないという結論になった。それから土地探しをした、土地はそれなりにあった。どちらかといえば土地も、リゾート地的なものが多かったが、市内にもあった。土地が見つかるとグーグルのストリートビュウ―で繰り返し見た。石垣市内の土地勘は出来ていたので、おおよその状況は分かった。そして桃林寺裏の今の場所が見つかる。

 

 

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舟原溜池の道普請

2018-02-11 04:59:45 | 地域

溜池へ行く道が整備されたところ。緑の袋はだんだん草が生えてしっかりするはずだ。下に見えているは、私たちの長ネギの畑。

子供時代の藤垈には道普請があった。境川村役場のある場所から上は歩く道しかなかった。藤垈部落の上までは2キロぐらいだろうか。その上の荻窪の部落まではさらに4キロほどある。ここを歩いて暮らしていた。道に大きな石でできた段差があったからだ。ここを乗り越えるためには馬車なども大変苦労していた。車が入れるしようという事で、昭和30年ころにみんなで道普請を行った。そうして、向昌院まで車で入れるようになった。これは公共事業ではない。そのような部落の作業はしょっちゅうあったものだ。ところが向昌院ではおじいさんは役場に勤めている。おじさんは中学校の教員。なかなか村の作業に出られない状態であった。すると出れない家の者はお金を払う事になっていた。このお金を払う事も大変であったので覚えている。東京の大学に行っている兄弟がいた。自活しながら大学に行っていたとしてもかかりがない訳ではなく、生活全体が相当に大変であった。

 

道普請を思い出したのは、舟原溜池に行く道を直したからだ。渡部さんと二人で2日間かけて道を直した。私には大変な作業ではあったが、気分爽快の作業であった。これで溜池が良くなり、地域の為にもなると思うと、嬉しい作業であった。渡部さんはなんでも詳しい上に体力がある。一日身体を動かし続けても大丈夫だ。私はせいぜい半日が良いところだ。舟原溜池は子供たちに見てもらいたい。久野という地域に田んぼが開かれた時代のことを記憶してもらいたい。人間の暮らしというものがどのように行われてきたのかを、知って欲しい。江戸時代初期に日本中が新田開発の時代がある。この時代久野でも田んぼが広がって行く。田んぼが出来るという事は人口が増加してゆくという事になる。新田開発をするという事は各藩の財政を豊かにするという事だ。幕府への上納金とは別の収入として、加賀が百万石であっても、新田開発で10万国の別枠の国力を創出するというようなことなのだろう。各藩は新田開発による財政の健全化を模索した。一反の田んぼを広げるという事は、1家族が暮らせるという事になる。人が増えるという事が豊かな地域になるという事であった。

ここは溜池の下の堤である。今度草を取り除いて堤の下の構造が見えるようにしたい。この部分の下に溜池の排水口がある。水がどのように取り入れられ、どのように田んぼに導かれたのかが、分かるようにしなければならない。溜池の保全は農業遺構としての保全である。昔の姿にできる限り近づける必要がある。その意味では水を一杯に溜めるのが一番であるが、水を溜めると安全対策が必要になる。子供でも背が立つぐらいの深さで、昔の溜池の姿が想像できるようなものを作りたい。だから、全体を3つぐらいの棚田状にしたい。棚田部分にも水をためることが出来れば、管理も楽になるはずだ。棚田にして、アヤメの地区。菖蒲の地区。蓮の地区。睡蓮の地区。このように分けて管理を行えば、楽に美しい場所が再生できるのではないかと思っている。美しい場所になれば、人が集まり、その場所も保全もされてゆくはずだ。

問題はここの管理の永続性である。次の世代の人が楽しんで管理して行けるような仕組みを作らなければならない。舟原集落のみんなの庭になればと思っている。私が管理できるのはあと2年である。この間に何とか基礎を固めて、後は次世代が継続してくれるようにしなくてはならない。この点すこし焦りがある。昔の道普請である。誰かに管理されてやるのではなく、自主的にやるから楽しい共同作業に安る。本来部落というものは水を管理するという仕事で繋がっていた。それは日本という国が瑞穂の国という成り立ちである根本である。水を守り、水を分け合い、水を生かす。ここから日本人が生まれた。道普請は賃金の生じる仕事ではない。誰かに見張られてやる仕事ではない。みんなの為が自分の為であるという、部落の暮らしを確認する仕事である。これからの時代そういう協働の在り方を見つけない限り、暮らしは衰退してゆくと思われる。暮らしの見直しの為にも、舟原溜池は貴重な場所になる可能性がある。

 

 

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アルマーニ校長の不可解

2018-02-10 04:23:17 | 身辺雑記

あまたま、アベマTVを付けたら、アルマーニを標準服に選んだ公立小学校の校長が記者会見を始めた、興味深く長時間見てしまった。これほどずれた人間が校長先生をしていてよいのだろうかと思う。当人におかしいという自覚が全くないというところがさすがである。3つある。まず、アルマーニの制服にするにあたって値段のことは全く考えなかったという。高いものではあるが、上質なものは高いものだと感じただけだという。他人がかかわることで、価格というものを判断の材料に上げないというのは、さすがに教育者ではある。世間からのずれがはなはだしい。一般の庶民は買い物時に一番かんがえるのが価格である。もちろんその品質も問題にするわけだが、価格と天秤にかけるのだ。この制服は8万円だそうだ。私ならどれほど良いものでも買わない。着るものにその金額は払ったこともないし、払う気もない。まあ、だからみすぼらしいのかもしれない私が言うのもおかしいのかもしれないが。この私より浮世離れしていると思えた。

次にこの制服の意義を子供たちに納得させられる自信があるというのだ。子供たちに丁寧に声かけをすれば、アルマーニの制服の意義を伝えられるというのだ。記者会見は1時間ぐらいはあっただろうか。それでも私にはアルマーニの制服の意義がまったく伝わらなかった。馬鹿げたことだとしか思えなかった。とすると、子どもというものを甘く見ている小学校長なのだろう。子供が自分の主張を何でも鵜呑みし、従わせてきた世界に長年いて、人間というものをわからなくなったのだろう。学校というところにはこういう歪んだ人間が時たまいる。いつも自分の言いなりになる人間とばかりかかわっている内に、人間がモノではなく、自立した意志のある存在であるという事を忘れてしまう人間である。たとえ、5歳の子供でも言いなりにしてはダメなのだ。所が日ごろ言いなりにさせてばかりいると、どれほどおかしなことでも説得できると思い込んでしまう。アルマーニ校長は自覚のない独裁者なのだ。

3つ目は何故海外の高級ブランドばかりに声をかけたのかという事だ。日本の制服会社を一段低く見ていると思われる。ブランドに頭が洗脳されているのだろう。有名ブランドならどこでも良かったらしい。エルメスとか、バーバリーとか、良く分からなかったが校長が制服の選定対象として依頼した海外一流ブランド名を3,4名前を挙げていた。ところが、この人はアルマーニの服は一着も持っていないそうだ。持っていないのになぜ、その良さを判断したのだろう。ブランド名が著名であるから、良いものであると決めつけただけだ。恥ずかしい判断力だ。自分が日ごろアルマーニを着ていて、その良さが良く良く分かっているのならともかく、海外ブランドなら良いものに違いないと決めつけるブランド信仰的判断が情けない。又アルマーニがどれほど良いものであるとしても、小学校の制服向きかどうかも不明である。私の小学生の頃は常に着ていたもはドロドロであった。そのまま川に入ったり、薪をとったりしていた。それが自由にできる汚れても構わない服が最善だった。小学生が気取ったアルマーニという方が、普通なのだろうか。

アルマーニ小学校に入学を希望する人で、8万円の制服が暮らしの中で困る人がいれば校長が相談に乗ってくれるそうだ。公立小学校なのだから、希望しようがしまいが、誰でも行く小学校である。何故、高額な制服の購入費をどう相談に乗れるのだろうか。そんな相談したくもない人もいるという事を知らないのだろうか。立て替えてくれるとか、分割払いにしてくれるとか、補助金が出るとか。生活保護家庭の場合この8万円はだれが払うのだろうか。税金という事になるのだろうか。校長の相談というのは実は、説得を頑張るという事に過ぎない。そんな相談は何の意味もない。一遍に買わないでも、半ズボンだけに始まり、順々にそろえることも良いのではと主張していた。まったくあきれてしまう。そんなちぐはぐでも、アルマーニが生かされるのだろうか。こんな小学校だけには行きたくないものだ。向こうも私なぞに入ってほしくはないのだろう。公立小学校が良いのは様々な人間いるからである。子供は多様な価値観の中で育っことができる点だ。私は制服など大嫌いだ。アルマーニ校長のゆがんだ思想の中で育つ子供は不幸だとおもう。

 

 

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公明党が日本の未来を左右することになる

2018-02-09 04:44:50 | Peace Cafe

公明党が日本の未来の方角を決めかねない状況にある。公明党支持者が自民党候補者に投票をする選挙を繰り返している。その見返りとして、公明党議員が立候補するいくつかの選挙区で自民党が候補者を立てない。自民支持者に公明党候補に投票するように要請する。自公政権はこのように出来ている。それは小選挙区制の為にこんなバカげたことが起きた。自民党は3分の1の投票率で、絶対多数という議席数を確保できている。そして、与党で3分の2を超える議席を衆参で確保している。こうした議席を背景にして、今年中には憲法改定の発議を自民党が行う方向になっている。ただし、公明党支持者は必ずしも憲法改定においては、自民党と同じではない。公明党は平和政党を掲げてきたという事もあり、9条に自衛隊を明記するという、アベ政権の発案にはまだ了解まではしていない。ただ最近の公明党の動きを見ていると、結局は議論もないままに、アベ政権に従いそうな、流れではないだろうか。すでに合意が形成されていると見た方がいいのだろう。

公明党が選挙においても自衛隊の憲法への明記を主張しているのであれば、それも仕方がない流れなのかもしれないが、公明党は憲法において自衛隊を明記するべきなどと主張したことは一度もない。加憲という事を口にしているが、自衛隊を書き加えるとは明言はしていない。しかし、選挙でどういおうと公明党支持者は幹部の決定に従う傾向が強い。宗教的な支配が働くから、9条を守るべきと考える支持者がいるとしても、上部で決めたことであれば、公明党支持を止めるという事は考えにくい。そのために、自民党は上層部の意思を変えようと、様々な手立てを行っていることだろう。秘密裏に、創価学会と安倍氏は話し合いを持った可能性も強い。その結果、公明党が自民党案に乗れば、憲法改定が改正になり、国民投票になる可能性が高いだろう。もうそう考えて、置かねばならない状況が出来ている。公明党は交換条件で存在を示そうとするだろう。

沖縄では辺野古基地問題で揺れる名護市長選挙では、ついに公明党は自民党候補者を推すことを決めた。南城市の直近の市長選挙では公明が支持した自民の現職市長が落選をした。石垣市長選挙でも、公明党はまだ態度を表明はしていないが、自衛隊基地誘致の現職の自民党候補を支持しそうな方向である。石垣の公明党は以前自衛隊基地を反対決議している。名護市の公明党も米軍基地拡張を反対していた。どこで態度を変えたのであろうか。そして、この態度の変更が十分な議論に基づくものであるなら、仕方がないことである。ところが、何故態度変更するのかが全く分からないまま、自衛隊ミサイル基地に対しても、辺野古米軍基地に対しても、賛成も反対もな表明しないまま、うやむやに自民党支持をした。その結果、軍事基地が出来てしまうのだ。どんな問題にも賛成も反対もあることは当然のことだ。だからこそ、充分に基地の問題を議論し、その意味と結果を理解したうえで、各政党は支持市長候補を決めるべきだろう。

何故公明党が平和の党を名乗りながら、アベ政権に従うのか。それは日米関係とよく似ている。軍事同盟といいながらも、隷属関係である。公明党が9条の意味を理解していないとは思えない。アメリカにおびえるように、安倍一強という状態におびえているという事ではないだろうか。官僚たちが一強アベ政権を怖れて忖度するように、公明党も何かを怖れて言いなりになっているのだろうか。スキャンダルであろうか。宗教弾圧であろうか。大企業がボロボロと内部告発で不正が暴かれる中、何故公明党の内部告発はないのだろうか。それが宗教的連帯という事になるのか。ここまで安倍政権にすり寄る公明党は、不自然この上ない。この不思議な政党が結局のところの日本の保守勢力の最後のあがきを、支えてしまうかもしれないのだ。安倍氏の背後にいる、保守勢力の鵺はもう一息で消滅して行くだろう年齢になっている。何がどうであろうと、あと10年経てば状況は、新しい世代が全く異なる形で政治を担うはずだ。その政治が極めて右翼的であるか、意外に民主的なものになるかは、まだ見えないが。この旧勢力の最後のあがきだけは阻止しなくてはならない。公明党支持者というか、創価学会はその所をよくよく見定めてもらいたい。

 

 

 

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名護市長選自民公明候補の選択

2018-02-08 04:16:25 | Peace Cafe

名護市長選で現職の稲峰市長が敗北した。自民公明候補の新人が勝利した。極めて残念な結果であるが、これも地域住民の判断である。尊重しなければならないのだろう。一番の原因は公明党が自主投票から、自民党候補の支持に変わったという事にある。何故、公明党が辺野古米軍基地に賛成したかである。公明党が平和の党ではなくなってきたからであろう。公明党も長年自民党との連立を組んでいる。この間に変貌をしている。前回の衆議院選挙で公明党が敗北したことが要因になっている。自民党との取引の実態が変化してきたのだ。ここに公明党内部の反省と選挙対策の変化が生じた。公明党の票はすべて自民党候補の上乗せになるにもかかわらず、自民党支持者からの見返り投票が少なかった。創価学会あげての全力投球だったという。名護選挙で公明党の寝返りで、自民党候補が勝利すればアベ政権に大きな恩を売ることができる。こう公明党は考えたのだろう。

そして、公明党の思惑通り、名護市長選挙は自民党候補の勝利になった。米軍基地辺野古移設を反対する名護市民が多いことは今もそうではあるが、そういうこととは別に選挙では動くのが公明党である。今回のこの選挙で見えてきた、公明党の汚いやり方が日本を変えようとしている。自民党候補は辺野古移設に関して一切発言しないという公明党との約束があったのだろう。発言すればさすがに公明党の名護市民の支持者から反発が起こる可能性があった。こうして、辺野古米軍基地は出来ることになりそうだ。民主主義である以上これも、地元住民の判断が示されたとする以外にない。この先辺野古米軍基地によって問題が生じた場合、その責任のかなりの部分は公明党にあるという事だけは確かだ。今こうして日本の政治を変えているのが、公明党である。たぶん憲法の改定に関しても、アベ政権と話がついていると考えなければならない。

現職の稲峰知事がアベ政権の辺野古建設実施したにもかかわらず、阻止できないという現状が名護市民の心を変えたという事もあるだろう。沖縄の人たちの県民性の一つに受け入れる心というものがある。批判する心も強いものがあるのだが、仕方がないことは仕方がないとして受け入れて生き抜く強さというものがある。それが沖縄の歴史から得た教訓なのだろう。沖縄をアメリカの対中国の前線基地にされるという、理不尽な現状を少しも変えようとしない。変えようとしないどころか、沖縄をアメリカのやりたい放題に人身御供にして日本の安全保障にしようという、アベ政権の薄汚さ。何が、沖縄の負担軽減であろうか。沖縄に米軍基地負担を増加させてきたのが沖縄返還後の日本政府だ。もし、アベ政権に人間の心があるのなら、日米地位協定の見直しを主張するはずである。空念仏のように米軍にお願いはするが、一切無視されている現状をどのように考えればいいのだ。

日米地位協定の不平等は、日本が独立国家ではないという事を意味している。アメリカは本音を出してきている。アメリカファーストである。アメリカの為に日本が利用できる間は利用させてもらえばいいという本音だ。もし、中国の方がアメリカの利益になるという判断がされれば、日本は切り捨てられるだろう。もうすぐ日本より、中国の方がアメリカの利益になるだろう。経済至上主義というものはそういう結果になる。ロシアとアメリカは対立が続くであろうが、中国とアメリカは経済的につながりを深めるはずだ。その時に、アベ政権の中国敵視政策がいかに馬鹿げたものであるかがわかるはずだ。日本は中国敵視政策をやめ、アメリカと距離を置く必要がある。小金持ちになった日本は、恐怖で自立心を失っているのだ。アメリカに守られていなければいられないような、弱い心の民族になってしまった。世界中にそんな意気地のない国は一つもない。軍事力があろうがなかろうが、どんなに小さな国であっても誇りを持ち、独立心を持ち、生き抜く決意がある。名護市長選のショックがまだ続いている。日本の未来は果たしてどうなるのだろう。

 

 

 

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自分について書く理由

2018-02-07 04:06:29 | 暮らし

仙厓の書

このブログを顧みると自分のことばかり書いている。平和について書いたとしても自分の平和という事が常にある。絵においても、自分のことばかりである。それは私が、禅宗のお寺で生まれて、禅宗の僧侶として生きてきたからではないかと思っている。禅は自分というものを見つめてゆく修行である。その点実に利己的な宗教である。悟りを開くというようなことが言われる。悟りを開いたうえで、世の中の為になるとか、ひと様の為になるとかいう事がない。悟りを開き社会から離脱するようなところがある。悟りを開いた高僧が、名古屋の方で大工さんの手伝いをしていた。という話を理想の姿の一つとしてお寺で聞いた。悟りを開いて、マザーテレサのような社会活動をするというようなことではない。その人にとって良いという事だけである。自分主義というか、自分ばっかりである。人の為が出てこない宗教というのだから、珍しいと言えばいえる。取って付けたように、人の為を解く禅宗の坊さんも多いいが、少なくとも、道元禅師はそんなことはみじんも考えていない。

水彩人でも自分の絵をどこまで追求できるかという事だと思っている。水彩人に社会的な目的などないとおもぅている。水彩画の普及などという建前はどうでもいい。自分の絵に至りたいというだけだ。その為の水彩人という仲間だ。絵画が社会にとって意味あるものであるのかどうかも、今や疑問だと思っている。もちろん装飾としての絵画は意味がある。総理大臣のインタビューの後ろにひどい絵があるとがっかりする。中国では巨大な絵が要人の背景になることが多いが、あれもは文化の程度で事大主義にしか見えない。その内安倍氏の背景には、アニメ映画の一場面が飾られることになりそうだが。その意味では商業主義的には絵画は存在するのだろう。しかし、一人の人間が絵を描くという本質はそういう事とは全く違う。そこを間違うと、絵を描くという心の行為まで、競争主義の亡霊にさいなまれることになる。絵画に意味があるのかどうかは、目的ではない。あしがら農の会であっても、地場・旬・自給ではないかと主張してきたのは、まず自分の自給というものを大切にするという思想だ。農業者は自給ではないのだから、農の会の活動とは別だと思っている。

自分という存在に行き着きたい。その自分存在を十二分に生きたい。生と死の間の刻々をどこまで感じて、深めて生きて行けるかという事になる。まったくの独善である。人の為と言ことがすこしもない。しかし、全くの独善であるが故に、未来を照らすものになるという事もある。禅画と呼ばれるものがある。仙厓とか、白隠が思い出される。禅宗に3つの流れがあり、臨済宗・黄檗宗と曹洞宗である。私は曹洞宗である。曹洞宗は道元禅師が中国で学び、日本に伝えたものである。曹洞宗では、絵や書を描くという事はない。むしろそういうものを嫌う。だから物として残されて、価値あるようなものはほとんどない。お寺に行くと素晴らしい仏像や、壁画を拝観するわけだが、本山の永平寺にはそのような特別なものはない。ただただ修業の場である。そこでは本来死者を弔う事もなかった。お参りに来て有難いとお寺とは程遠いい。参禅道場である。冒頭に転載したのは、臨済宗の僧侶仙厓の書である。面白い書である。これを見ていると、仙厓の考えていた禅というのか、人間の悟りの方角というものが見える。これが表現というものではないか。表現というものを自分の考えるとわからなくなるが、すごいものを見ると必ず真理が示されている。

大相撲の稽古場にお参りに行く人は居ないが、朝稽古を見に行った人はその空気に触れて、何か格別に深いものを味わう。力士は強くなるという自分のことだけにひたすらである。この自分のことをやり抜くという姿自体が仏であるとする。その特別な形になった存在が横綱である。横綱はまわしを付け、自分自身が神域であると示している。だから、ずる賢い横綱など誰も見たくないのだ。強くなるという修業が心の修業にもなるという、名人伝の世界である。これはなかなか論理では理解しにくい世界である。弓の名人が弓を見て、これは何に使う道具ですかと聞いたという世界。最後にはその自らがひたすら歩んだ世界すら超越してしまうという、精神世界。これが弓だからまだわかりやすい。禅であれば、ひたす座禅に歩んで、何処に行くと言えば、大工さんの手伝いになっている。これは極めて難解な世界だ。

凡人の私にはここが分からなかった。子供のころから、具体的な事物抜きに修行が出来なかった。高校生の頃は陸上の長距離選手を目指して、頑張っていた。走るという事は努力をした結果タイムが良くなる。努力を怠るとタイムが伸びない。こういう眼に見えたことしか凡人の私にはわからなかった。高校生の私に座禅での成長の意味は難しかった。それが絵を描くという、タイムという結果のない世界に入り、今も絵を描き続けている。絵を描くという事は結論はない。9秒台というような新記録はない。ゴッホの絵画も全く見向きもされなかったように、何が良いかなどという事は誰にもわからない。本人とは別の問題という事になる。このあたりが、凡人の修業にはちょうど良い加減のようだ。人間は結局のところ何か自分なりの器にあったものに取り付くものである。こうして、自分のことばかりに生きている。恥ずかしいという事は分かっているが、これも一つの修業であろう。仙厓の書があるので、仙厓のことをうかがい知ることができる。私の絵はどうであろうか。方角はあっちの方だ。

 

 

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歪んだアメリカの危険

2018-02-06 04:49:19 | Peace Cafe

アメリカが世界をダメにしようとしている。アメリカという世界で一番軍事力があり、経済力のある国が、自分だけの為に国を運営するとしている。このままでは世界は破滅に向う。強いものが、弱いもののことは無視して、自分だけの為にやるというのだ。このまま行けばひどいことになるのは目に見えている。これが競争主義の行き着く先である。資本主義というものは良い面は沢山ある。然し行き過ぎれば、格差社会が深刻化する。アメリカは格差など構わないと宣言したのだ。弱いものに譲る必要などないという事なのだろう。トランプにしてみると、アメリカは今まで世界の弱者に譲り過ぎたという思いだろう。もっとアメリカファーストで行けば、アメリカの豊かさはさらに大きくなっていたはずだという思いだろう。戦争を続けてきたが、これもアメリカが犠牲になって、戦ってきたのに感謝さえされていない。世界のために戦うのはもうやめて、自分の得になる戦いだけを目指すと宣言した。

世界がどうなろうともアメリカだけが豊かになれると信じているのだろう。これほど利己的なことをアメリカが主張したことはかつてなかった。実はそれは当たり前のことで資本主義というものは競争相手が豊かになることで、自らもより豊かなるものだからだ。自分だけ豊かになり他のものがすべて疲弊してしまえば、自分の豊かさも減退してゆく。どれほど良いものを安く作れようとも、買える人がいなくなれば売れないのだ。だからトランプ以前のアメリカは世界全体が豊かになるという事を目指さざる得なかった。資本主義国家であれば当然の選択である。しかし、中国の資本主義は違っていた。中国だけが良くなれば構わないという価値観である。国家資本主義である。その中国が後進国であった時代はそれでも許された。中国が一国主義であっても資本主義全体の枠の中で、融通が利いた。ところが中国の経済はすでに日本の2倍になろうとしている。そしてアメリカに追いつく勢いである。

アメリカは初めて追い抜かれる可能性が見えた。そこで、競争が公正ではないと主張を始めた。アメリカが断トツで会った時の条件を引きづっている訳には行かないという主張なのだろう。あれほどアメリカが押し付けようとしていたFTEですら、アメリカが不公平だと主張を始めた。アメリカは余裕を失い、狼狽して見苦しい強欲な姿をさらしている。大金持ちが財産を失いそうになった時の見苦しさだ。アベ氏は世界で唯一首脳として、互いを認め合う人物という事になっている。アベ氏はそう自分で感じて動くというのではなく、それが日本の得であるというチーム鵺の分析に基づき、そう演じているのだろう。先日は、名護選挙を前にして、トランプに電話をして米軍ヘリコプターに抗議をした振りをした。ところが、駐留米軍は何の反応もなしである。つまりアベ政権がどのように、へばりついてもトランプアメリカの利己主義は揺らぐことはない。

アメリカは北朝鮮の脅威に常軌を失っている。核ミサイルの強化を命じた。ロシアの核ミサイルに対抗すると言っているが、金持ちは常に不安だ。どんどん武力主義に傾斜するだろう。それに対して世界中が軍事力を強化することになる。北朝鮮の核ミサイルが許されないという背景には、世界の核軍縮があるからだ。それを強いアメリカがさらなる核兵器強化をするという事は、北朝鮮の核ミサイルを認めたという事になる。さらにテロは増加するだろう。世界が危うい軍事衝突の瀬戸際に向おうとしている。日本の平和憲法ははこの世界の軍事の問題に対して平和的努力を行えと政府に命じている。今が最後の努力の機会かもしれない。アメリカが利己主義に狂ってしまった以上、日米同盟は日本の危険を増すことになっている。アメリカは日本を犠牲にしても、アメリカだけを守ろうとすると考えなければならない。

 

 

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石垣島にはハブはいますか。

2018-02-05 04:28:32 | 石垣島

石垣島に引っ越すつもりです。と、話すと大体半分くらいの人から、「石垣島にはハブがいるんですか。」と聞かれる。石垣にはハブがいる。まだ、見たことはないがハブはいるはずである。沖縄と話すと連想するくらいハブは怖いものだという共通認識があるようだ。ハブなど全く怖いものではない。ハブに噛まれて死んだ人は21世紀に入って一人もいない。もうハブに噛まれて死ぬというのは過去の話なのだ。マラリヤがなくなったことと同じである。ハブに噛まれて死ぬという話が広がったのは、男はつらいよからではないだろうか。テレビの寅さんはハブ捕りで一儲けしようと出かけて、ハブに噛まれて死んで終わった。終わり方があまりに唐突でおかしなものだった。何か事情があったのだろう。あれで、沖縄とハブは刷り込まれた。

ハブは日本では沖縄だけにいる毒蛇だ。実は沖縄のハブには4種類いる。全く見たところ色や模様が違う。頭が3角形になっているところが共通である。そして実はとても大切な生き物という事になる。ハブがいることで沖縄の自然生物のバランスが維持されている。頂点にいる生きものとされている。琉球列島でもハブのいる島といない島がある。宮古島に移住する人の中には、宮古はハブがいない島だからという人もいる。ハブが何故いる島といない島があるのか。たぶん昔はすべての島にハブはいたのだろう。そしていくつかの島で絶滅したと見る方が自然だろう。宮古島と、石垣島では全く自然環境が異なる。宮古島はいかにもハブが生息しにくさそうだ。水が少ない。生息地になり、人間が入れないようなジャングルや湿地はない。石垣や西表や沖縄本島にはいかにもハブが生息しやすそうな環境がある。水がいたるところにあるという事が大きいのではないだろうか。

2016年に市町村が住民からの通報などで駆除したハブは約4000匹という。確かにすごい数である。人が減るような島ではハブは増加しているのかもしれない。鼠が一番の餌だろうから、鼠が増えるような環境であれば、蛇は増える。都市部であっても鼠が増えれば蛇は増える。都市部で増えていると考えた方がいいのかもしれない。蛇は有難い側面もある。養鶏場では鼠ほど厄介なものはない。鼠を完全に駆除するという事は、自然養鶏では不可能である。自然と折り合いをつけるという意味で、蛇を大切にする。小田原でもマムシを見ない訳ではないが、極めて少ない。またマムシやヤマカガシは攻撃さえしなければ向ってくない。間違って踏んでしまうとか、箱の下にいたというようなときに危険がある。年間40件ほど噛まれているというから、噛まれてすぐ病院に駆けつけているのだろう。

三線の太鼓の皮はニシキヘビである。ニシキヘビはタイで養殖されたものらしい。ハブだと思い込んでいる人もいるが、ハブではない。ハブではそれほど大きなものはいない。ハブ対策は草むらに入らないことだ。今度引っ越す場所も一切草を生やさない家にする予定だ。草がなければハブは来ない。

 

 

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