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ラムサールネットのシンポジュウム

2017-06-19 04:15:27 | 地域

ラムサールネットのシンポジュームが小田原で行われた。100人以上の人が集まった。私も実践者の一人として田んぼの報告をさせてもらった。一番言いたかったことは水田は続けなければいけないという事だ。水田も一応湿地に入っている。水田のない日本など考えられないという事。それは環境保全という事以上に、文化の基礎に水田あるという考えである。もう一つ言いたかったのは、有機農業だから収量が低いというのは、間違いだという事だった。それは努力が足りないからであってそんなことを公言すれば、有機農業者として恥ずかしいことだ。有機農業の普及の足を引っ張るだけである。畝取りを目標にして、ほぼ達成している。慣行農法で畝取りする自信はないが、今のやり方なら、よほどのことがない限り畝取りするつもりだ。有機農業を真剣にやればそういう事になる。もちろん収量がすべてとは思わないが、それだけの技術力がなければ、普及など人に呼び掛けてはならないと考えている。有機だから仕方がないとか言い訳に使う事だけは口にしないでほしいと言いたかった。

生きものの多様性はどのような水田をすれば実現できるのか。長年田んぼをやってきたが、これが分からない。この点は聞きたかったところだ。経験では同じ有機農法で、20年耕作しても居なくなった生きものは戻っては来ない。例えば、欠ノ上の田んぼには9番という一番下流の田んぼには毎年ホウネンエビが出現する。そこで産卵し、冬や卵で過ごし、春になって水が入ると湧いてくるように出現する。しかし、上流の8番や、7番にはホウネンエビは現れない。この秋には9番の土壌を7番と10番に入れてみようと考えている。こういうことはビオトープの思想ではやってはいけないことなのだろう。しかし、多様性という意味では確実に増える。7,8,9,10、11番と出現すれば、絶滅する可能性がぐんと減る。それに意味が有るのかどうか。どうもこの辺の認識がそれぞれに違っているらしい。私の場合はホウネンエビのいる田んぼの方が好きだからである。

居なくなったドジョウを、桑原から捕まえてきて入れてもよいのかどうかである。ドジョウがいた方が良いと考えている。わざわざ、取り寄せて田んぼで養殖をやったこともある。それではタニシやシジミはどうだろう。桑原から持ってきて入れてもいいものだろうか。「とんでもないことだ」と、自然保護原理主義者から怒られそうだ。では田圃で鯉の養殖をするのはどうだろう。ドジョウの養殖はどうだろうか。これも否定はできないだろうが、原理主義者には気に入らないに違いない。農地で産業として禁止されていないことを行うに、自然の攪乱も何もない。ジャンボタニシでは文句も出るだろうが、食用に食べるようになればたちどころに居なくなるだろう。外部に出てよほど迷惑という事になっていない生き物なら、何処のの農地で飼おうと構わないはずだ。ただドジョウでも韓国ドジョウであれば怒られることになる。売られているドジョウには韓国産が結構ある。外来生物の増加は生物多様性と言えるのだろうか。この辺の整理がまだよく分からない。

トウキョウダルマガエルが減っているそうだ。カエルが住めないようなところは遠からず人間も住めなくなるという意味で問題なのだろう。ただ他のカエルがいて、東京ダルマガエルが居なくなった理由には、水田の減少だけでなく、吸盤のない種のカエルには不利な環境に変わったという事があるらしい。水路がコンクリート化すると生き物は急減する。つまらなくなるが、人間が住みにくくなるわけではない。このあたりでは春蘭やエビネを見ることはない。春蘭やエビネが無くなった最大の理由は人間が取りつくしたのだろう。春蘭が住めないような環境になった訳ではない。自然を環境のバロメーターと考えた時の多様性は、土壌微生物の種類と数量の違いで見る方法の確立が必要だ。目に見える生き物の世界以上に異変が起きているはずだ。ラムサール条約で問題になる湿地の減少は、間違いなく人間の増加である。人間を減らすこと以外に解決策はない。幸い日本は人口減少に転じた。湿地もそうだが海岸線の回復を考える必要がある。まずは自然環境を未来から逆算して、区分けすることではなかろうか。

 

 

 

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