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日本人の消滅

2011-02-28 04:06:36 | 地域
日本人が居なくなる。日本の山里地域は、このまま行くと人が消えて行く。都市に人口はさらに集中し、日本の文化を持った日本人は消滅し、世界共通人が大半となる。それは50年か、100年ぐらい先のことだろうか。絶望的な思いにとらわれる。何とかこの流れを食い止めたいと思い、暮らしを深めたいと生きてきた。そして、62歳になった。でせいぜい、後20年で何が出来るのか。極めて難しいだろう。この先しばらくは、転がり落ちるだけ落ちるのだろう。伝統文化ではないが、やらせてはもらえるだろうから、継続していれば、また日本人というものが再評価され、補助金でも付けて、日本人村、人間国宝日本人ということに成るやもしれず。じつはTPPのことを考えると、それくらい考えの開きを感じる。国際競争の中で、競争に勝つことを唯一の道と考えて、しゃにむに競争の勝利を求める資本の論理。一方に、それとは対極に存在する、日本の農本の思想。

柳田國男が椎葉村で視た、日本人の暮らし。日本人の幸福感。日本人の生き方。それから100年細々と日本人の中に残っていた魂の感性が、失われ続けた。長い戦争でも失われなかった日本人が、いよいよ居なくなってゆく。子供の頃の藤岱の離れたお隣には、ヨシアキさんと呼ばれた人が居た。そのお父さんは天狗のお弟子さんだったそうだ。甲府まで買い物に一時もかからず、行って帰ったそうだ。ヨシアキさんはいちおう農家ということで、畑仕事をしているのだが、実にのんびり働いていた。休み休みというか、休んでいる時が多かった。空を見上げては、「良い御天気でごいすら―。」等ときせる煙草をふかしていた。お寺の仕事に来ている時だけ、サボってそうしている訳ではない。自分の畑も同じスローモーである。家に帰れば食べるものが無いだろうと、おばあさんが「今晩はよばれろよー」ということで、家族でお寺で食事に来ることもある。

日々の暮らしが幸せ感に満ちている。生きることは何かということを考えると、いつもヨシアキさんを思い出す。一間の、畳もない部屋に8人が暮らしていた。私と一番仲良く遊んでくれた隣人である。今でも絵を見に来てくれたりする。日々を充実して、不安感無く暮らす。こうした、ささやかであるが、原点のようなものが根こそぎ失われた。風呂を今日はわかすと言えば、薪取りに行く。薪が無ければ、風呂を呼ばれる。子供6人は全員中学を出て働きに出た。成績がとても良かったけれど、それぞれ手に職を付ける道を選んだ。先日、町田に暮らしているその一人に会ったら、諏訪の方で、子供たちの農業塾の指導をしているという。日々生きることすら大変な農家で育ちながら、農業を嫌って居なかった事に感動した。ヨシアキさんの幸せそうな毎日は、子供を農業嫌いにしなかった。ヨシアキさんは晩年はお茶の行商をしていた。動ける間は働いていた。お会いすると、「出さん帰やしたか、ゆっくりしなって。」と懐かしんでくれた。

何故、ヨシアキさんが満足して暮らしていたのか。あの感じは伝えることは難しいだろう。椎葉村でご先祖に見守られながら、生きる充実。ただ暮らしていることそのものが、深い価値を持っている。人間は上昇しなくとも、人を打ち負かさなくても、大丈夫な生き物だ。TPPに象徴される、国際化することで遅れまいとする日本社会。そして日本人そのものが消滅して行く。それはアメリカという、文化のない国家の世界同一化の価値観が、世界に広がるということなのだろう。経済以外の価値がないアメリカンドリーム。第一の開国以来、日本人は失われてゆく。遅れた野蛮なものとして、日本人を捨てて行く。田んぼが無くなった日本を想像できない。それはもう日本ではない。これは日本だけのことではない。朝鮮も、中国もそうした文化を大切に育てる。とことんローカルであることこそ、グローバルである。国家という権力でない、地域主義というローカルを作り出す。

昨日の自給作業:醤油の仕込み7時間 累計時間:10時間

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7 コメント

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Unknown (Take)
2011-02-28 08:29:22
ご自分の幸せをしっかりと見つめられていた、だから人生ぶれなかったんのではないか?
そんなことを感じます。

自分の幸せに不安がある。これは本当に幸せな生方だろうか? 雑誌では、幸せな生き方はこうして作るとの記事があるけれど、自分はそうではない。
そんなことを考えるともっともっと幸せに近づきたい、と焦り欲張る。
焦り欲張ると幸せは逃げていくそんな気がします。

一極集中しないためには国税をギリギリまで下げて、地方での政治の強化をすることで、産業を分散し、物流コストを上げて地場の食材を使う。そうした小さなコロニーを増やすのが手っ取り早いでしょう。そんな動きが愛知の選挙などから実現の可能性が出てきたような気がします。
地方分権 (笹村 出)
2011-02-28 08:41:21
身近な地方政治から変えて行く。
少し動き始めているものは感じます。
何が今出来るのか。
TPPというと、手掛かりすらない気がしてしまいますが。
おおきな、決定的な日本の進路の選択だと、日に日に心配が大きくなります。
何の議論もなく、決めていいようなことではないです。
日本人 (あーちゃんばあば)
2011-03-01 10:39:28
私も笹村さん以上に年寄り、昔ののんびりした暮らしは懐かしく、その自然に近い暮らしがなくなっていくことをとても不安に思います。
日本の伝統文化、国民性はすばらしいところも多く失いたくないものです。
でも、ここまで地球が狭くなると、もう日本、日本と言う前に世界が助かって欲しいという思いになります。この地球が百億の人口になっていいはずはないし、世界の人、ひとりひとりに捨てがたい歴史や文化があると思います。
私もアメリカを憎むほうです。
でも、これだけパソコンを使いながら英語を毛嫌いしてても仕方ないと思うのです。
笹村さんの御学識、繊細なお気持ちにはとても
賛同し、尊敬するのですが、無学な私の意見も書いてみたくなりました。
アメリカの問題 (笹村 出)
2011-03-01 12:27:18
ついアメリカのことを思うと、怒りがわいてきてしまいます。反省しないといけません。

英語が嫌いなわけではもちろんありません。

日本という民族性を、ナショナリズムではなく、地域の固有性ということで、尊重する。
ここは微妙であるけれど、大切だと思っています。上手に乗り越え無ければ、世界の民族が、幸せには生きられない。

より地域的であることが尊重され、世界で通用する仕組み。
言葉について言えば、遠からず、自動翻訳機が出来るので心配ないと考えています。
言葉が出来るということの価値は、10年したらほとんどなくなるのではないでしょうか。
目頭が・・・ (まつお)
2011-03-01 17:42:11
 この文章を読んで目頭が熱く・・・キーボードの手が止まります。

 だいぶ昔、知り合いがアメリカの農家にステイした時、貿易自由化問題で「日本の農家の気持ちが良く分かる」と言いていたそうです。農民の気持ちは世界共通何だなーと思ったことがあります。アメリカと言うよりグローバル企業と地域社会との対立と見た方が正確ではないでしょうか。

 私も英語は嫌いではありません。アメリカに留学していた従妹は日本を語れない日本人は相手にされなかったと言っていました。私はオーヘンリーの短編小説が好きです。アメリカの良心が書かれていると思います。映画も好きです
「旅路」とか「小鹿物語」とか、でも西部劇の悪人インデアンとか、あほな日本人描写(日本では上映されないけど)とかは嫌ですけど、
アメリカに対しては複雑ですね。
私もあまり考えたくないのですが (T)
2017-01-03 17:12:19
日本国や日本人は、このまま何の対策も取らないと将来消滅するかもしれませんね、もしも消滅してしまったら、人類の教訓の為に歴史学者が学問的に色々な分析をして将来の世代の為に書き残して、おなじ過ちを繰り返さない為に時々思い出して忘れないでほしいですね。
6年前と比べて (笹村 出)
2017-01-04 05:32:36
コメントをいただき、6年前に自分の書いたものを読み返しました。
今になって、この6年間、日本と日本人は消滅を続けてきたという実感があります。
諦めらめさせられたな。と思います。

と同時に、全体としてはもうだめそうです。
稀少民族として、個人的に日本人を生きてみようと考えるようになりました。

きっと世界全体に反動が来ます。すべてが失われて、何が大切かを知るときが来る。

地場・旬・自給の暮らしが、
その時の参考ぐらいにはなるかもしれない。かすかな希望。


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