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裁判員制度の3年

2012-05-21 04:13:15 | Peace Cafe
裁判員裁判の導入から3年が経った。この法律では3年での見直しが定められている。裁判員制度には当初から反対であった。是非この見直しの機会に廃止して欲しい。裁判員裁判で十四人に死刑が言い渡された。17人の検察の死刑求刑に対する結果である。重罪化が予測された通り進んでいる。死刑制度については、いろいろの角度から考えてみているが結論は出ない。裁判員においても心理的負担は大きい。死刑判決後心の重荷になり、被告の姿が脳裏に浮かぶという裁判員の談話がある。死刑執行の絞首刑実行する役目も、国民等しく負うべきだという訳ではない。その内死刑執行の立ち合いが義務ずけられるかもしれない。法務大臣が経ちあったことがあった。立派な身の処し方だとは思ったが。全くやりたくない裁判員を法で義務付けるなど、耐え難いことである。

それぞれの道に専門家がいる。それだけの訓練を積んだ人にお任せする。こうした考え方は悪いことではない。裁判官という権威あるものが裁判を行うという、了解はあったのではないだろうか。裁判官の判決の権威というものも、低下して行くことになる。国民が等しく信頼し、尊敬する。その信頼に対して誇りを持って答える。そうした従来の裁判制度の復活を望む。訓練を積んでいない、素人の集団に判断などして欲しくない。何十人もの犯罪者を見てきて、分かるということもあるはずだ。殺人をする人に対して、普通の人は生涯接することも無い。そうした人間が殺人を犯した人の更生の可能性など、考えられるだろうか。まだ、高裁があると思っていたが、1審尊重ということで裁判員の判断が優先される傾向である。裁判員制度は、司法関係者に対する信頼がない為に出来たものであれば、逆行である。司法関係者に対する、国民の不信が根拠か。裁判官より素人の方が良いという理由がどうしても理解できない。

裁判で一番恐れるのが冤罪である。冤罪で死刑にされる怖ろしさ。子供の頃から何故かそう言う夢を見た。政治家の裁判では、起訴するということで政治生命を絶つということがある。過去裁判で政治生命を断たれた人は多々ある。官僚の策謀ではないか。アメリカ政府の差し金ではないか。こう言う千作が今でも行われている。裁判員裁判ではないが、小沢裁判では検察審査会という素人の判断で、総理大臣とも言われた人物が政治生命を断たれた。もちろんその審査会にかかわった人たちが悪という意味ではない。専門家達は基礎出来なかった重い判断を、素人がしたということである。検察が不当に起訴しない事件を無くす。これが目的である。政治家の場合、基礎の影響が強くでる。ふさわしい人材を集め第3者機関が検察審査会を構成すべきだ。不審に思えば、国民等しくこの第3者組織に訴え出ることが出来るようにする。そして判断を公表する。偏向した不起訴判断をできなくする方法はある。

そもそも人間が人間を裁くことなど出来る訳がない。裁判制度はやむを得ずやることである。死刑判断は全員一致に変えるべきであるという事が言われている。そうなると死刑廃止論を持つものが、偶然紛れ込むかどうかが、死刑か懲役かの分かれ目になりかねない。疑わしきは場合は無罪ということが原則である。100日にわたる長期審理となった木嶋佳苗被告の裁判が好例である。検察は被告による連続殺人だと主張。一方、被告側は無罪を主張して真っ向から対立している。決め手となる直接的な証拠はなく、あるのは間接的な状況証拠のみ。専門家ですら判断の難しい事件で、市民から無作為で選ばれた裁判員たちが決断を迫られた。死刑判決は辛かったことだろう。このようないやな事件と3カ月も向かい合わなければならないこと自体が、避けたいことである。3カ月思い悩んだことが、これからの生涯に影響する可能性がある。私が当たる前に、廃止して欲しいが本音である。

昨日の自給作業:田んぼの草刈り2時間 にんにくの収穫等 2時間 累計時間:12時間
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沖縄で考えたこと 6

2012-05-20 04:10:43 | 暮らし


沖縄に着いて以来、祈りということを考えてきた。今までの自分の暮らしの中に祈りがなかったということ。願いが祈りに繋がっていなかった、傲慢。自分が生きるということの意味を考えた。一日一日が充分に生きれるか。明日はどうなのか。生きるということは思うに任せないということが何とおいいことか。残念な後悔に満ちている。それでも今日はしっかりと生きよう。その思いを祈りが支えるのではないか。何を祈るか。沖縄にしばらくいた草家人叔父は毎朝太陽に祈っていた。形のないものに祈るということは難しい。沖縄では祈りの場をいたるところで見た。要するに何も無いただの場所もある。ご先祖に祈るということもある。自然に対して祈るということもある。それが仏壇であったり、神棚であったり。形というものを必要とする。祈るとすればそれらを代表して、太陽というか、東方ということはある。

沖縄には祈りの場が残っていた。朝の太陽を礼拝するという何かが、自分の中にない。むしろ、祈りはご先祖に繋がる、父と母を通してである。そして、自然に繋がる水土である。自身坊さんでありながら、宗教的な臭いが嫌いだ。どちらかと言えば仏壇を拝んでも良いのだが、猫がいたづらするので、そういものは部屋には置けない。とすると、壁に何か簡単なものを張るということになる。となると言葉がいる。「父母成水土」こういう紙きれ一枚でも偶像と言えば言えないことも無い。信仰というものを自分で立てるというのも難しいものである。これこそ沖縄の水土であれば、ぐるりと石垣を囲んでそれだけでいいということもある。沖縄の諦めなければならないことに対して、対する姿勢のようなものに感じた。少し違うか、祈りの力を信じていた現実を見たような気がした。

今回の福島第一原発の事故で、どうにもならないという事を身にしみた。この40年間何を生きてきたのかという、虚無的な気分に捉われる。そしてこの事故ですら、安全を顧みることなく即座に原発輸出を続けると発言した、驚くべき政府と経済界。日本政府の目指す方角は地球破壊の道としか見えなくなった。政府つまり、この世界の方角と自分の生き方との開き。必ず、次の事故が待っているとしなけばならない。この愚か過ぎる選択を変えるには、何が出来るのかと思うと、全く絶望的にならざる得ない。エコノミックアニマルと言われた日本人の姿だ。人間が生きる本当の幸せな姿とは何なのか。祈り。願い。かなわぬ時の神頼みかもしれない。それでもそれ以外出来ることはない。聞得大君(きこえおおぎみ、チフィジン)とは、琉球神最高神女(ノロ)。沖縄王国が滅びゆく中でも沖縄の平安を祈り続けたそうだ。

沖縄について、旅の感想を続けて書いてきた。知識も特別にある訳でもない。専門家の方から見ればおかしなことばかりに違いない。それは承知であるが、自分なりに書きとめておくことの方がいいと思っている。戻ったら沖縄に移住するのですか。何人かにこう言われた。全くそんなことは考えてもいない。小田原でもう少しやろうと思っている。又沖縄に行くことがあるかあるのかどうかすらわからない。ただあのグスク(沖縄での城)の祈りの場は、心の中にある。神聖な空気こういうものを描くことが出来るのか。小田原で祈りの場が作られたとしたならば、天子台あたりだろうか。ともかく小田原という場所で、生きてみようと思っている。畑や田んぼがやれる間、鶏が飼えなくなるまでこの場所でやってみたい。
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小田原市市議会議員補欠選挙

2012-05-19 04:38:57 | 暮らし
小田原市では、市長選挙に合わせて、市議の補選がある。5月13日告示、明日20日投開票で行われる。今回は、原発推進か、反対かの選挙だと考えている。市民の暮らしの目線で、この事を判断することになる。結局選挙で自分達の方針を表明する以外、社会は変わらない。本来原発の是非を問う国民投票をすべきである。直接請求が成立しても、国民投票はない。それなら、あらゆる選挙で、原発推進派を通してはならない。議員は市民の投票で選んでいる。消費税だ、TPPだ。景気対策だ、雇用だ。色々ある訳だが、小田原で原発事故以降初めての選挙である。ともかく原発に対して、イエス、ノ―を表明したいと考えている。

 大川裕氏(47)は小田原高校、信州大学卒。大川染洗工場取締役。小田原青年会議所理事長等を歴任。商店街連合会青年部副会長を務める。この人は桑原のめだか田んぼには来ていたと思う。小田原青年会議所のネットワークはなかなか行動力がある。もし押されて出るのなら、最有力候補と思われる。暖簾を作る染色工場をやられているようだ。年齢的に、加藤市長とは小田高で同期くらいか。舟原に来た自民党の宣伝カーによると、大川氏は自民党の推薦のようだ。一番の有力候補であると思われるが、原発廃止を考えるとこの人ではだめだろう。

 元市職員篠原弘氏(60は相洋高校卒。1970年から小田原市に奉職し、今年3月に定年退職。小田原水泳協会理事(事務局長)を務める。定年退職後の再就職先として、市議会議員というのは最近よく見るパターン。植田理都子現市議が市民ホールを職員として推進した時、一緒に仕事をしていたのが篠原氏。植田氏もホールの加藤市長の進め方に反論があり、職員を止めて市議になった。同じ発想なのだろうか。元市職員という人が市議会議員になる。市役所の職員時代何をしていたのだろう。この点どうもすっきりしない。前に葡萄舎があった所に事務所が出来ていた。

 元民主党衆院議員秘書吉田良和氏(40)中央大学卒。大手ハウスメーカーなどを経て、09年3月から今年3月まで神山洋介衆議院議員の秘書を務めた。つまり、民主党から立候補するという事かと思いきや、無所属らしい。民主党に反旗を翻したという事でもないだろう。「小田原に住まうことが誇りになるような街を創っていきます。」こういうのが一番意味不明。政策選挙から遠ざかる民主党らしい主張。この人はブログがある。ともかく、この人は原発容認派と考えざる得ない。民主党関係の小田原市議2名は、小田原市議会の「原子力発電に頼らない社会の実現に向けた決議」に反対をしている。

 檜山智子氏は03年に市議会初当選し、昨年まで市議を2期務めた。小田原高校卒、津田塾大学中退。介護施設デイみどり理事長。3選を禁止している、神奈川ネットワークを止めて、3期目の市議選に立候補して落選した。ネットワーク運動で後継者を作れなかったというのか、自分でなければだめだというのか。この辺が分からないが反原発では、主張が唯一はっきりしている候補である。反原発の人は、この人に投票するしかないのだろう。この人もブログがある。事務所は茶半家具のそばにあった。残念ながら、反原発を打ち出している明確な候補となると、唯一この人である。私はそのことを優先して選びたいと思う。
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小田原市長選挙

2012-05-19 04:06:30 | 地域
加藤憲一氏が市長になってから、随分歯がゆい思いをしてきた。期待が大きかった分、失望も多々あった。1期目が終わろうとしている。つまり選挙が近づいてきた。評価をしてみたい。まず問題点からあげてみる。きれいごとの建前だけが目立つ。本人の自己評価が85点という位だから、考え方が甘いということだろう。大体の事にはまず、耳当たりの良い発言をする。耳当たりの良い、明確な意思の見えない発言をする。具体的に見れば、鬼柳、桑原地区の野生メダカは大切なものだから、守りたい。保護活動を長年して来た人には、感謝の言葉を述べる。ところが、それが政策の実行となると、どうしたのという位結果が違う。この4年間でめだかの保全は相当に苦しくなった。それは市長の責任とは言えないが、何の手だても打てなかったというのも事実である。具体的な手立の希望を出してあるが、実行が伴わない。耳触りのよい言葉を聞いていた、保全団体としては失望が大きい。

同様なことが、生ごみクラブでも起こっている。小田原市自身、生ごみ堆肥化の事業は評価している。しかし、3年で打ち切りという意見が財政サイドの意見として出てきている。ごみを減量することは、財政の軽減に役立てようという意味もある。必要経費と減量効果を考えれば、明らかに効果がある。ところが、それを財政サイドは認めない。こんな原則的な事で生ごみクラブが悩まなければならないこと自体がおかしい。二度この事で市長に生ごみクラブとして、面談をした。とてもこの活動を評価している。是非とも進めてもらいたいという。行政としても、この事業を小田原市のごみ処理政策の中で、きちっと位置付けたいと発言している。言葉は素晴らしい。議会でも8000世帯まで配布を続けたいと回答している。それなら、生ごみクラブが安定して運営できる具体的な基盤を作る必要ある。

さらに言えば、小田原電力でも同じだ。2回行われた審議会の議事録を読んだが、市民を排除し(笹村は希望していたが排除された。)即効的な具体性を持たせるという意味は、まるで見えない。環境再生プロジェクトというものが、実効性がほとんどない。パフォーマンスに終わるのか。こういう不安がある。市民会館。駅前地下街。どれもこれも、先延ばしのままで、空転しているように見えてしまう。市民協働の市政というやり方自体が、建前のきれいごとで、耳触りは良かったが、実効性が上がらなかったというのが現実ではないか。その自覚が無く上手く行っている、85点というところが、先行き不安要素。この4年間行政組織自体が、本気で市長を信頼していたようでもない。何とか市長を変えられないかという、市庁舎内の圧力のもとに動いていたように感じるときがある。2期目をやってもらわなければせっかくの、変えようとした成果が確かめられない。市長の方角に乗って、動いてきたものとしてもう一期やらせてもらわなくては困るということがある。

加藤市政の一番の評価は、脱原発をめざす首長会議に参加したことである。きれいごとや建前だけでなく、現実の中で進めるためには、小田原電力を実現しなければならない。本当に事業を進めるなら、担当者は専従が必要。そして、最低でも週一回の全体会議は普通のことだ。どこかに専従で進めているのであればいいのだが。それでももう一期、加藤市政でやってもらわなくてはならない。2期目になれば、行政職員も相当に変わる。新しい人たちは、本気で加藤市政を支える可能性がある。有能な人も多い。市民も参加の仕方が少しは見えてきた所だ。すべてがやりかけである。このまま終わらせる訳にはいかないだろう。地域が良くならない限り、自分の暮らしも良くはならない。私はもう一期やってもらうしかないと考えている。
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沖縄で考えたこと 5

2012-05-18 04:20:31 | 暮らし


どこに行っても畑には目が行く。島の豊かさというものがある。それは青ヶ島でも感じたものと同じだ。自給の暮らしにとって、暖かい島というのは暮らし易い場所である。葉タバコ、サトウキビ、サツマイモ、稲作、花木栽培、熱帯果樹。現代の換金農業という意味では、どれも苦しそうである。やんばるのほうで養鶏をやるのでと、ずいぶん相談された方がいたがどうされただろうか。自給的に生きる。このことだけを考えれば、水の確保さえできれば後は何とでもできる。沖縄の農地は全体に手入れが良くない。放棄地が多いということもあるが、整然としていない。これは本島にはそこそこ仕事があり、農業に力が入らないということの気がする。自給的な畑も少ないということはどういうことだろう。ご先祖様から預かった農地を守らなければならないということがないのかもしれない。当然周囲の農地を大切にしないなんてという目もないのだろう。

出光の石油備蓄基地が島の大半を占めていた場所があった。世界経済がこのまま行くとは考えられない。日本人がどのように食糧自給を確保するかを、考えておく必要がある。そういう状態を考える上では、沖縄は日本のこの先を予感させるものがある。沖縄農業の方向は難しいだろう。農地はこの時期にしてはどちらかといえば荒れている。沖縄の土壌は農業を行うことには不向きである。水土が良くないということは、農業は大変だったことだろう。それもあって自給的な畑が少ないのかもしれない。台風など気候的な条件も厳しい。私が自給する場所を自由に選ぶとして、やはり、沖縄ではなく小田原である。小田原に移り住んで12年は経つが、自給農業には向いている。沖縄で自給農業を始めるとすれば、土壌の改善に10年はかかる。小田原なら5年でよくなる。放棄されていた、田んぼや畑ならすぐにでも戻せる。

沖縄の農業を云々する知識はないが、荒れている印象がある。写真は今帰仁の資料館にあった、田植えの様子である。昭和40年ごろ田んぼは無くなったそうだ。本土復帰の頃である。この田植えの様子が沖縄を表している。貴重な写真だと思う。放棄するとたちまちにジャングル化する。これを戻すのは大変なことだろう。田んぼに関しては見るだけでも楽しみにしていたのだが、めったになかった。かつて田んぼだったところが、何も植えられずそのままになっている。もったいないと思ってしまう。サトウキビというものは一度苗を植えつけると、土がよく、よく管理されれば、3,4年は収穫ができる。だから、野生化して荒地の中に雑草のように生えていたりする。沖縄芋のようなものが、野生化しているところもある、電照菊はあるにはあるが、思ったより少ない。それでもこの時期、路地できゅうり、トマト、なす、が実っている。

沖縄でヤンバルクイナを2羽見た。私が鳥好きなので出てきてくれたのだろう。旅行中最大の贈物であった。くちばしの赤さと足の太さがとても目立つ。カラスより少し小さい感じである。道路にすぐ出て来るので、自動車に引かれることだろう。今年16羽の事故と書かれていた。もう一つ不思議なのは、城址に行くと雨がやむということである。梅雨時なので雨は覚悟していたが、何故か行先々、5つの城址とも陽が射してくる。山の上の風の強い所だから、もし雨が降ればずぶ濡れになる。おかげでゆっくりいることが出来た。首里城には沖縄大学があった。叔父はここで教えていたことがあったから、首里城で教えていたことになる。世界遺産になったのは、古い石垣が沖縄大学を取り除いた所にあったからだそうだ。その石垣は風化していた。首里城の修復の石垣は、どうもきれいに作り過ぎている。そこにある石を並べ直すぐらいでいい。首里城も鉄筋造りである。テーマパークの作りと変わらない。小田原城の木造再建ということもあるが。失われたものは、そのままの方がいいのではないか。
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沖縄で考えたこと 4

2012-05-17 04:08:12 | 暮らし


沖縄は本土復帰40年である。政府は記念式典を行っているが、復帰はアメリカの占領が終わるという私の中での意味で、大切なことであった。当時は共産党を中心に、本土の沖縄化が盛んに言われたが、虚言であった。しかし、当時佐藤総理が国会答弁した基地負担の軽減ということも、ほとんどすすまなかった。野田総理も40年たって同じことを語る。実行しなければだめだ。私も何もできなかった。軍事基地確保としてというアメリカ側の意識が現れている。沖縄では県議選が6月10日に行われる。すでに候補者が交差点に立って旗を振っている。この旗が、タロウとか、ハナコとかカタカナで書かれている。至る所にあるので最初は何かの宣伝かと思ったが、選挙旗だった。これがまだはるか公示前で、膨大な数たっているのは、やはり基地問題が選挙をはげしているということだろう。その旗の間を子供たちが学校に向かう。この姿はのんびり駄弁りながら、道草をしながら、行きつ戻りつ学校に向かう。とてもいい姿である。

祈りのことを考えてみたい。沖縄の近代の中には、母性的な祈りというものが残っていた。お城においても、そうした祈り行う場所というものが重視されている。消え去り行くノロという展示が、今帰仁村の文化センターで、しっかりとしたノロに関する資料展が行われていた。ノロの持っていた宝物なども展示されていて、特別な存在であったことが実感された。おどろおどろしい空気がない。イタコとは違う。ノロは公務員であったという書き方があった。公的な存在という意味を言いたいのであろうが、意味が違う。暮らしに不可欠なものであったといえば公務員なのか。明治政府はこのノロに対して、資格制度を課す。ノロはそんな試験は受けないために、神官としての資格を失う。消え去るひとつの理由になる。ノロに筆記試験を課せば、やめざる得ないだろうという、愚劣。明治の近代化のおろかさ。

城の3段目が儀礼で集まる石垣で囲われた大広場。2段目が大きな建物があった場所。そして一段目にはるかかなた海を臨む場所にといえる場所に祈りの場がある。母性的な祈りが近代まで現実を変える力を保ち残っていた。その姿をついこの前まで、かすかに見ることができた沖縄の離島。たぶんそれは日本全土がそうであった時代を想像させるものがある。母なるものだけが天地に届く、祈りの力を持っていた時代。久高島に関する「日本人の魂の源郷」比嘉康雄氏にはある。こうした「母たちの神」による祈り。生まれて来たことと、死んで行く先を明らかにして生きる時代。死んで煙になって東の海のかなたに立ち上ってゆく。もうこういう気持ちになることはできないが、これを否定的媒介として、生き方に反映できないものか。

久高島のウタキの周辺には行ってみた。立ち入り禁止というので、中には行かなかった。低い石垣で囲われたている。道路からは木が生い茂っていて見通しはつかない。20メートル四方くらいの石垣と、10メートル四方くらいのものがあるようだ。位置は平らの島のほぼ中央部で、首里の方角に向かい合う場所。ここでは琉球全体の祈りが行われていた。祈りというものが、宗教に結びつくと、曹洞宗でさえどこか現世利益的な不順な匂いを感ずる。しかし、暮らしの中に祈りが必要であるということは、今回学んだ。父であり、母であり、ご先祖ということがわかりやすい。そして、自然。作物を作るということは、祈りといつも接している。祈りは自然というものに向かう。その自然を司るものへの祈り。
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沖縄で考えたこと 3

2012-05-16 04:58:23 | 暮らし


沖縄は世界歴史遺産に9か所が指定されている。その内5か所は城である。北部の今帰仁城跡、中部の座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、そして南部の首里城跡。この5つの城はどこも城壁だけが残り、この城壁が世界遺産といってもいいほどである。私は金沢城の石垣の中で4年間過ごした。これは素晴らしい経験であった。石垣が生活空間から、大学空間を隔離する。沖縄の城砦は人間域とか、幽界とか、結界とか。よくは理解できない世界である。人間がこの中に暮らすという意味を、金大城内で学ぶことのできた4年間の贅沢なの幸せを知っている。しかし、沖縄の5つの城跡は金沢城をしのいでいる。現代美術的な空間といってもいいような異空間の創出。これは沖縄の住居の歴史から来ている。風が強い島に暮らす知恵で、石垣が発達した。

この石垣が住まいという空間を濃密にしている。この範囲の中に暮らす。これは開放的な南の感覚を、自分の住まう空間を区切るということで、独特の落ち着きのある空間にした。それは霊場などもそういう取囲む空間意識が感じられる。壁で区切るということが人間の暮らしの範囲を示すということである。それは暮らすということが、他と隔絶するという意味でもある。4件の家がひとつの石垣で囲われて暮らしていたとされるところが城内にあった。ああいう場所で暮らしたいと思うようなすばらしい場所である。江戸時代の農村的住居が、開放的で防御をはずしていたような状態。それは今の日本人のあり方でもある。守るということを、他に対する信頼という形でゆだねて居られたというか。そう強制されていた国。沖縄の城砦は緩やかな曲線で作られている。金沢城のような鋭角的な完璧さはない。門も石で作られている。場内を異空間化している。この感覚はすばらしい。石で囲まれているにもかかわらず、柔らかで広がりすら感じる空間。ここが聖域で、政ごとが祭礼と離れない状態。

沖縄には城が400を超えてあるという。多くは1400年代に作られたらしい。沖縄尚王国が統一される過程の戦乱。やはり戦国時代の反映。中国との関係や、倭寇との関係もあるだろう。貿易立国は防御を固めなければ、安心ができない。城は山城で、よくこの高台にこれだけの城壁を立ち上げたといえる。1年で完成したという言い伝えがある。と書かれていたが、石を積む技術が一般化していて、それだけの動員力と技術力が兼ね備わっていたのだろう。現代日本も貿易立国であるが、外国との関係は不安定である。どれだけの軍備をしたところで安心を得られない。沖縄王国が海外交易の国として、江戸幕府、島津藩に搾り取られる形で利用される。アメリカと日本の関係を思い出す。アメリカが原発を沖縄には作らせなかったのではないか。原発があるということは、防衛上きわめて不安定で軍事基地には困るものである。

沖縄復帰40年である。この時期に沖縄という意味も少しある。一番沖縄のことを考えたころから、40年が経過した。自分の生き方が重ねあわされる。何が変わり、何が変わらす、ここに来てしまったのか。お城のことであった。城砦の中のパフォーマンスされた空間。人がいない時間に一人この空間に立つと、石垣によってに演出された、濃密な伝わってくるものがある。この意味はもっと考える必要がある。中城城址では最上部を発掘で大勢の人がをいた。空間感が消えていた。城砦はアーチによる入り口のみが開かれ、3の空間、2の空間、1の空間と続いている。空間が空気を徐々に変えてゆく。建物があった場合どうなるのだろう。祈りの空間の意味。このことを考えてみる必要がある。
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沖縄で考えたこと 2

2012-05-15 04:04:55 | 暮らし


紅型には、麻製のもの、木綿製のもの、絹製のものとある。この素材の違いが色彩に影響が強い。沖縄の色は透明な青色だと思う。あの水色の美しさは、沖縄の自然が生み出した色彩を感ずるとわかる。サントリー美術館にある水色に染められた木綿の布の美しさは、特に際立っている。しかし、国宝に指定された紅型は10点。国宝は日本の宝である。日本人が生み出した尊いものということになる。日本人の何たるかを表しているともいえる。この沖縄の水色は沖縄の海の色。愛を薄く染めるときの色むらの問題がある。庶民の色なのかもしれない。黄色の高貴な色彩を王族の色とした。これは僧侶の衣服にも残っている。中国の色階級を反映しているのかもしれない。祖父が派手な黄色の衣を着て、この黄色は同じ黄色でも位が上なのだと説明していた。しかし、僧侶の位は嫌なものだ。沖縄の紅型はほとんど室町期の日本の影響。衣服の形ではシンプルさが目立つ。

沖縄の黄色。特に絹に染めた黄色の鮮やかさは際立つ。そこに染め付けられる模様のあでやかな南国風の色合いは、南で育った色感という独自性がある。図柄そのものは、南国風といえるものもあるが、大体が日本的な図柄である。というより中国の影響を日本で育てた図柄。能衣装などとの関係。沖縄の古典舞踊の衣装。沖縄に来てみたくなったのは、たまたま見た沖縄舞踊のすごさである。そのころよく見せてもらっていた、梅若流の能の舞台と比べて、遜色をまったく感じなかった。二つの舞踊に共通する、精神性の表現。幽界と繋がる世界観。能にある貴族的な精神性との違い。沖縄舞踊は緊張をさせない高貴さのようなものを感じた。王族とはいえ、沖縄的な王。沖縄の紅型の豊かさは開かれた豊かさである。舞踊の高貴さが、開放的であるように、沖縄の文化は日本で唯一鎖国的な島国文化と別なものを残した。それは中国やそのほかアジア貿易。倭寇のような存在もかかわる。これはこれからの日本の示唆になる。

博物館には沖縄の歴史、民俗、美術、自然史的ジオラマなどさまざまな展示がある。イリオモテヤマネコの剥製がある位で、それほどのものではない。美術については少し焼き物がある。沖縄の焼き物は面白いと思ったことがない。民芸風という意味でも物足りない。すべてシーサーレベルのものだ。紅型とのこのレベルの違いには驚く。紅型の色彩を沖縄の自然素材と中国との交流で得たコチニール赤。絹、木綿、麻といった素材の多様性。しかも中国に同化はしていない、独自性がある。しかし、陶器の場合土が悪いのだろう。良い色を発する粘土がない。使う文化としても茶道が器を進化させたように。沖縄舞踊が紅型を育てたような、陶器を育てる文化の高まりがなかったのだろう。茶道を必要とする社会の背景は、沖縄には似合わない、緊張対立したストレス社会だろう。

紅型を纏うことで、仮面をかぶることと似たような精神状態が生まれる。異次元の場所に立つ。幽界。過去。祖先。生と死。内的な世界が紡ぎだされる。陶器も同じで、そこに内なる生命のようなものが宿らなければ、それは単なるものに過ぎない。ということは、沖縄では、紅型は必要不可欠な衣装である。沖縄が貿易立国していたがゆえに、紅型の贈答品としての価値。陶器の器はあくまで、道具であったのだろう。たまたまシーサーは守り神である。生命力を込めなければ役立たない。それなりのものがある。博物館の前に風化した石のシーサーがあった。風化した状態がいい。石のシーサーのほうが陶器製よりいい。シーサーが表わすものは、家というものを石の壁で取囲みその中を異空間として守るということ。これが城壁の石積みのことにつながる。別空間を作り出す沖縄。
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沖縄で考えたこと 1

2012-05-14 04:19:01 | Peace Cafe
高校生の時、山川出版の歴史教科書の地図ページに台湾のところが、琉球と記載されていた。これは誤いではないかと、東大の教授になられた菅原先生に質問をした。こういう時代とこういう考え方があるのだ、という事を先生は言われた。琉球の人々が日本人であるとはっきりと認識されたのは、明治の民俗学の成果であると、この事を父は良く話していた。琉球が沖縄になるにはそれだけの行きさつがある。今になって沖縄の事を学んでいる。沖縄の歴史の重さは、日本人の本質にかかわる問題点を良く表している。岡本太郎氏が書いたように、縄文日本人の原型のようなものが、沖縄の離島の中に現存しているという指摘。何も無いというすがすがしさの中に、神聖なものを感じる感性。縄文的な過剰な表現と、ないという所の魂の位地。岡本太郎氏の作品には、少しもそう言う良さがないのだが、文学的には良く本質を書かれている。琉球の時代の人の中は、中国の方に近しいと感じていた時代があった。

中国の臣下としての琉球時代。島津藩による長い搾取の時代。更なる明治政府の差別。そして、戦後アメリカの占領。そして、返還後の基地の島としての沖縄の置かれた悲惨。そして、現代は日本の都合での沖縄利用の時代ということになるのか。基地の移転国内移転すら、拒絶され、原発と同じで、補助金による基地としての沖縄利用。普天間米軍基地と辺野古移転の問題。沖縄はこれからの日本を考える上で、重要な所に置かれている。一度行ってみたいと思いながら、実現できないでいた。生き物を飼っていると、動きが取れない。せめて資料だけでもと本をあれこれ読んでみた。70歳を過ぎて農作業が出来なくなったならば、沖縄で暮らせないだろうかなどと憧れている。行ってみたこともないので、何とも言えないのだが。沖縄へのあこがれは、南の島へのあこがれである。日本人が南の島からイモガイを求めてたどり着いた。故郷の南の島に憧れるのだろうか。

歴史の確認。沖縄の人々は南九州からの移住の人々であるというのが、最近の学説では有力なようだ。今から1000年も前になると、離島の方がむしろ暮らしやすいという事がある。宝貝の生産地としての沖縄を重視したのが、柳田民俗学である。それは沖縄の縄文期からのことで、さらに南方の島から、宝貝を求めて移住が起こる。そして、沖縄に到達する。沖縄を通過して、日本列島に到る日本人の成立。流れ寄る椰子の実から、思いは古代までの学問の中に詩を描いた。再度、沖縄に日本から渡る時代が巡る。この縄文沖縄が、岡本太郎氏の言う縄文日本の原点。しかし、大陸には中国明という巨大な国家が存在し、その属国としての沖縄の存在。その頃沖縄は沖縄王朝を成立させている。当時、秀吉の朝鮮出兵に対する対応でもわかるように、中国明の国力は衰退期に入っている。辺境の沖縄どころではなくなっている。沖縄は中国や東南アジアとの交易を通して、日本本土以上に豊かさを作り出した時代。

沖縄差別の問題。朝鮮差別と同様であった。この感覚は今はほとんどないように思うが、差別はするほうのことではなく。されるほうの問題である。日本人の悪い性癖が現われている。島国の閉鎖性というか、日本人だけを人間と考えているような所があった。一度も沖縄という所に行ったことがない。行かないであれこれ考えても始まらないので、ともかく計画もなく沖縄に行くことにした。笹村農鶏園には、生き物があれこれたくさんいる。兄に頼むしかない。兄は畜産の専門家だから、こういうときには頼りになる。もう退職したので、頼んだら引き受けてくれた。実は居間沖縄でこれを書いている。昨日は、飛行場から沖縄博物館に直行した。紅型展をじっくり見せてもらった。国宝3点を含む100点の展示。松坂屋コレクションの初公開。沖縄で考える下地を作る意味で、まず紅型の世界にどっぷり使った。
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田んぼの放射能対策

2012-05-13 04:03:43 | 暮らし
どうも私が良いお米を作る方法として、進めていた稲作法がお米に放射能を集める結果になっていたようだ。深いトロトロ層を作り出す為の様々方法は、放射能を集める結果になる。美味しいお米を作り出す、山からの絞り水のような、豊富なミネラルを含んだ水をふんだんに使う方法が、これまた放射能を集める。心底、がっかりである。もう負けてしまいそうである。良いと思ってやってきたことが、実は一番悪いことだったようだ。これからしばらくは、良くないのだが、と思いながら田んぼをやらなければならない。頭の切り替えが出来るのか、心配である。考えていると折れてしまいそうになる。何故これほど苦しめられなければならないのだろうか。原発事故は生きていく上で、私という人間に対しては、何を意味しているのだろうか。無駄なことなど何もないはずである。どのように受け止めればいいのだろうか。

生き方の甘さを問われているということになるのか。この失敗から何か学べるものがあるのだろうか。原爆を投下された国であるにもかかわらず、その悲惨さを人類の中で一番自覚していたはずの日本国であるはずであった。それが原子力に依存する方向にひたすら走ってしまった。原子力の研究がよその国より進んでいたということだったのか。反対する力が足りなかった。その自分がみじめである。憂鬱が繰り返し襲う。それでも今年の田んぼは始まっている。力は入らないのだが、出来る限りの削減対策を考えてみる。第一に水の量を減らす。特に穂孕み期以降は水を最低限にする。第2には根を水根にしないように、トロトロ層を作らない。第3に入水口に溜池を作る。溜池にはもみ殻やゼオライトを入れる。第4には牡蠣ガラの粉末を田植え直後に蒔く。思いつく対策をしてみる。どれだけの効果があるかは分からないが。

土壌の放射能が問題にされていた。それはチャルノブイリ事故の結果から学んだことだった。基本は土壌の汚染が強ければ、作物に移行する。カリウムの沢山ある田んぼでは、移行が少ないだろう。こういう考え方は、殆ど畑の作物の考え方であった。稲の場合は全く違うようだ。例えば、レンコンとワサビを比べて考えてみる。レンコンは泥の中に比較的深く根が入っている。ワサビの場合は、砂利に植えられ水が根の周辺を通過する状態である。この場合、ワサビはセシュームを吸着しやすい。レンコンはしにくい。つまり、自ら直接栄養分を吸収する根とつまり、水生植物の水根のばあい。球根などのように、水からでも根は直接栄養分を吸うことが出来る。稲の場合は、深く体を支える根が初期段階で生育する。その後、栽培によっては、水根と言っても良い根がトロトロ層の中に縦横に広がり、かなりの部分で水から直接栄養分を吸収する。、もちろん水中でも微生物の手助けもあるのだろう。

この水根に当たる根は、ホバラミ期以降に多くは広がりながら、穂を育んでゆく。この時の吸収の傾向を変えないとんらない。根が表土をはわないようにする。泥の中に深く入る根は、土壌のフィルターを通して栄養分を吸収する。水から直接のトキのように、ごく微量の水であれば、普通の田んぼであれば、総量で水から1万ベクレル入ったとしても、土壌に置いて1キロあありの量で考えれば、まったくたいし量にはならない。しかし、1万ベクレルが直接玄米だけに移行すれば、そこそこの量になる。すでにセシュームの水に溶けやすいもの、陽イオン化したものというらしいが、その多くは流れ出してしまったようだ。今土壌や、何らかのものに吸着しているセシュームは相当に、結合が離れにくいものらしい。植物に吸収されたものは、水に溶けやすい形になっている。この違いを考えると、今年の水にある量は、極めて少ないと想定される。そう心配するほどではないらしい。今年は、10ベクレル以下のお米を作ることは出来そうである。
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2012年のお茶摘み

2012-05-12 05:23:18 | 自給
ついにお茶摘みの日が来た。12日と今までで一番遅い。今年は春先寒かったので、遅れたというほどではない。これからコンテナなど準備をする所である。昨年のお茶は、お茶になったものを廃棄した。思い出すだけでも悔しい。しかもその賠償を東電はしない。理由は良く分からないが、我々が出した賠償請求が、東電の要求する賠償の書類の形式にのっとっていないということである。腹が立ちその話になってしまう。ともかく、お茶摘みを5月12日に行うことが出来た。

県と小田原市が記者発表したものが以下の記録である。(採取日:5月10日)
食品の種類(生産地) 放射性セシウム[Bq(ベクレル)/kg]
    
チャ(一番茶 飲用)(南足柄市)合計値 3.3セシウム134 1.18セシウム137 2.13
チャ(一番茶 飲用)(南足柄市) 3.3 0.936 2.41
チャ(一番茶 飲用)(南足柄市) 2.1 0.884 1.19
チャ(一番茶 飲用)(山北町) 1.8 0.977 0.850
チャ(一番茶 飲用)(山北町) 1.7未満 0.89未満 0.82未満
チャ(一番茶 飲用)(山北町) 1.8未満 0.92未満 0.86未満
チャ(一番茶 飲用)(秦野市) 2.2未満 0.86未満 1.29
チャ(一番茶 飲用)(秦野市) 1.7未満 0.96未満 0.75未満
チャ(一番茶 飲用)(秦野市) 1.6 0.75 0.822
チャ(一番茶 飲用)(小田原市) 2.7 1.08 1.63
チャ(一番茶 飲用)(小田原市) 3.5 1.48 2.04
チャ(一番茶 飲用)(小田原市) 2.3未満 0.94未満 1.36
チャ(一番茶 飲用)(開成町) 1.5未満 0.67未満 0.82未満
チャ(一番茶 飲用)(開成町) 1.7未満 0.83未満 0.892
チャ(一番茶 飲用)(開成町) 2.3未満 0.92未満 1.39

これは新しい厳しくなった基準が、飲用は10ベクレル以下ということなので、基準の半分以下ということになる。昨年は飲用で、30ベクレル前後であったと思われるので、その10分の1になったということである。これでお茶の場合は、この後増加することはないので、私は安心して楽しんで飲むことが出来る。参加者は21グループで例年の半分である。それでも新しい人もいる。数値の発表を待ってのお茶摘みになったので、準備も遅れた。葉も少し大きくなっている。1年ぶりのお茶の味はどうだろうか。また明日書き加えるが、数値だけでも掲載したいので早く出した方がいいと思い、ブログの途中で出すことにした。

農の会のお茶は、この地域の平均から考えれば、高い方であった。降り注いだ放射能は標高と地形がとても影響していた。海が見える高台のお茶畑が一番やられた。思い出したくもない数値であった。除染は土壌の持ち出しまで徹底して行った。農総研の指導に従い、深刈りも行った。上記の中で一番高いものが、3,5であるがこれより低いと考えていいだろう。お茶を入れるとどのくらい飲むお茶(飲用)に出て来るかというと、100から60分の1ということである。

参加したのは、20グループであった。摘んだお茶の量が、184キロ。午後2時終了。途中驚いたことに雨が2度ほど降った。この様子では夕方から危ないということもあり、早めに切り上げた。気持ちの良いお茶摘みで、少し今日は前向きな気分で過ごせた。放射能が何とか低くなったということで参加をしたという人もあった。不安は当然のことだ。


昨日の自給作業:種まき、オクラ、ハト麦、等1時間 累計時間:2時間 お茶摘み6時間 累計時間:8時間

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原発の割高

2012-05-11 04:19:53 | 暮らし
原発が割高な発電の方法であるという事が、やっと定着してきた。原子力委再試算の結果が東京新聞に掲載されていた。何故こんな簡単なことを、原子力の専門家たちは、気が付かなかったのだろう。たいした知識のない私のようなものでも、繰り返し主張してきた事だ。常識から言って、後が大変だと考えそうなものだ。廃棄処理まで考えていなかったに違いない。廃棄物の処理費は、その困難度によって、跳ね上がる。多分業者に見積もらせたら、見積もりが出せないだろう。加えて、廃炉する処理費などもこれからが大変だ。事故が起きた位だから、安全対策費だって今までは、安上がりで済ませてきたという事だ。事故が起きてしまえば、賠償金、除染費用。健康管理費用。当たり前過ぎて、頭の回りすぎる人にはこの単純な事実が見えないのか。原発利権の渦中にある人間たちは、わざと見ようとしなかったということだろう。

廃棄物会計という思想がある。これは会計の仕方というより思想だと思う。廃棄物処理場が出来れば、その周辺の土地は、価格が下がる。それは会計処理上、廃棄物の処理費に含めるべきではないかという発想。焼却場を作れば、その廃炉処理まで、ごみ処理費に計上しなけばならないという当然の発想。ごみの輸送で周辺道路の整備が必要になる。その道路建設費用も計上する。ごみ施設を建設するために、地域住民に対し迷惑料として、公園の整備が必要になる。それも一部ごみ処理費に加える。地域で雇用が生まれるというプラスもある。施設が無ければ、その地域が違った形で、運営される。その想定と比較しながら、全体の会計を処理するという思想である。原子力エネルギーもそういう会計思想で考えるべきだ。今、原発推進をする例えば韓国が、将来その処理で行き詰まる可能性は大きい。今貿易の競争で安い電力の韓国に負けるかもしれない。しかし、50年先を考えたら、どちらが困っているかを考えるべきだ。

廃棄物会計処理が、まともすぎる思想に基づいているがために、現実の利権社会では、見ないようにしてきたことである。しかし、ごみ処理費も各家庭の受益者負担の考え方から、有料化が検討されている。ごみ処理の本当の費用を考えざる得なくなっている。家計簿的会計と、企業会計が違うものである。家庭で出入りを考えている時には、この廃棄処理費までは考えない。家を建てるときに、その家を廃棄するときの費用は考えないだろう。そう言うことも貸家と持ち家では違う。最近の家電はは息費用を含むものもある。家を立てれば廃棄処理費が計上しておく必要がある。まずそんな家計簿は感覚的に不用であろう。却って分かりにくくなる。原子力エネルギーの場合、廃棄処理費が何万年にも及ぶことが分かっている。これはきちっと電気代に上乗せるのは当たり前のことだ。国民総生産なども、同じで、道路作った時に道路を廃棄する費用を負の清算として計上しないと、実態の浮き沈みが見えない。

今までのことを0にして考えれば、原発は早く止めることが一番安い処理法になる。引きずって継続すればするほど、ダメージが広がる。何故、こんな簡単なことが通らないかと言えば、電力会社が意識を転換できないからだ。そこに利権構造があるからだ。今だ東電は再建計画を立てている。当然柏崎原発の再開を計画している。政府もそれをすでに認めている。ほぼ原子力村の方は村に戻ったのだろう。再開の策動を始めている。原発関連の政府の補助を一切なくす。福島第一から出た方所のうは福島第一に、東電の責任で回収する。当たり前の責任を果たさす事だ。結果、原発が割高である以上。止める方向にすすむ。電気会社を倒産させても何の利益はない。どうやって対等の競争原理を持ち込むかである。地域電力会社の設立である。被害者の賠償請求の話し合いの要求も拒絶する、東電のような卑劣な会社の電気は購入しない。こういうことが出来る仕組みにしてほしい。
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国会イジメ劇場

2012-05-10 04:22:34 | Peace Cafe
小沢いじめで、国会を空転させようとしている。国会が小沢氏を喚問して、何が出来るというのだろう。小沢氏を責め立てている、えらそうな所を国民に見せつけようというだけ。捜査権があり、逮捕し、尋問できる検察が出来なかったことである。政治の空白を作り出して、自己保存だけを狙っている。東北の復興、エネルギー政策。年金の再構築。TPPの是非。アジア経済連携の模索。沖縄の基地問題。日本農業の将来。国会は論議しなければいけない課題が、山積みである。小沢国会喚問を無駄に繰り返すなど、この日本の緊急事態への理解が全くない。国会議員が小沢氏をいじめた所で、何が出て来るというのだろう。くだらな過ぎる。話題にしなければ、すでに小沢氏は過去の人だ。田中防衛大臣をさんざんイジメて溜飲を下げていた、国会とは何をする所のか考えてもらいたいものだ。

何故こうなるかと言えば、自民党も、民主党も、公明党も、政策的には似たようなものだからだ。相手の揚げ足を取って、イジメをするくらいしか、国会質問の話題性がないのだ。実際には悪くない議論もあった。しかし、報道はそんなものは取り上げもせず、面白おかしくイジメだけをクローズアップする。今度の標的は小沢氏だ。要するに話題性だけ。視聴率が稼げればそれで良しというマスメディア。マスコミには営業的な焦りがある。時代の変化が読み切れず、経営が苦しいのだろう。広告収入が頭にあるから、話題性だけを競争する傾向が強まっている。それに合わせるように国家もいじめの横行だ。じみなTPP論議では、視聴率が稼げない。こういう感覚が蔓延している。それはエンターテイメント的には、小泉氏の御子息はなかなかである。コメントでも、一言のつかみが上手い。橋本氏はその上をゆく。さすがシンスケの弟子である。批判勢力である間は、目立てるのが今の政治状況だ。しかし、政策的には同じであれば、批判のカッコ良さが出せない。そこを突いているのが、野田氏が消費税に政治生命をかけると力んでいる理由だ。

大事なことは、論議を避けようという作戦。論議をすればすべて公約違反だけである。民主党は包装を剥がしたら、公約違反の詐欺政党だ。マニュフェストという約束の大半を詐欺した。国民に対して選挙公約をして選択された民主党である。政権を取っては見たものの、「やってみたら無理でした。」で終わり。これでは、議論なぞ出来る訳がない。八ッ場ダム問題など、日本の公共事業の方向性がかかっている。議論を尽くせば、大事な課題が掘りだせるはずだ。国会議員がきちっと議論して、方向を探りだす能力がない。しかも、官僚を否定したから、協力をしてくれない。自分の頭で答弁しようにもそんな能力はない。能力のないのは当たり前で、専門家と上手く協力をするのが、政治家のやり方だ。政治家は方向を示すのが役割だ。その方角を実行する算段をするのが官僚である。連携が取れていなければ、政治が機能しないのは当然のことではないか。

この夏の電力の問題でも、原発再稼働しなければ、計画停電だという、まるで国民に対する脅しである。原発を再稼働した後の、見通し示す事すらしない。新エネルギーを議論したくないから、原発再稼働だけに偏る。安全の判断など政治家のする問題ではない。日本のエネルギーをどうしたらいいかについて議論するの国会の役割である。国全体の方向を作り出してゆくこと。日本人が一丸になって、これからの暮らしを考えなければ、活路を見出すことはできない。経済が良くなれば、こういう思惑が働くのだろうが、今後日本の経済が今より良くなることはないと考えたうえで、方策を考えた方がいい。日本人だけでは、その力量が不足しているなら、外国の知恵もお願いすべきだ。ドイツでも困難は山のようにあるようだ。それでも、一歩踏み出している。そこに国の未来をかけようとしている。国会はいじめをやっている余裕はない。
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猫ひろしさんのオリンピック

2012-05-09 04:44:26 | 身辺雑記
随分おかしな話だと思っていた。猫氏は国際陸連の最終判断で、出場資格がないと判断された。当然のことである。猫氏はまがうことなく日本で暮らしている人だ。最近日本のスポーツ選手が複数、オリンピックに出たいがために国籍を変えるという人が居る。それはそれで構わない。ただし、生涯その国で暮らさなければだめだ。日本で暮らしていて、オリンピックの出場資格の為だけに、選手層の薄い国を選択して、オリンピック出場を目指そうという発想は間違っている。そこまでしてオリンピックに出るというのは良くない。猫氏はどう見ても日本のお笑いタレントである。日本から出場を目指せばいいだけのことである。出場がすべてではない。条件を変えてすりぬけようという精神が許しがたい。最高レベルのスポーツを見ていて感動するのは、人間そのものが透けて見えるからである。人間のすごさとか、可能性とか、素晴らしさに引きつけられる。その選手のそこまでの歴史まで感じる。

むかし、南アフリカ共和国が人種差別をしているということで、オリンピックへの出場権がなかった。ソーラバットという17歳の女子選手が、とても強いということになった。5000メートルをはだしで走り、世界記録を出したという。本当なのかという驚きが広がり、オリンピックに出してあげるべきだという話が広がった。その後、イギリス国籍が突然与えられ、ロサンゼルスオリンピック3000メートルに出場する。アメリカ代表には世界選手権では優勝している、メアリー・デッカ―選手が居た。陸上の中距離をしていたから、どんな競技になるか固唾を飲んでみていた。序盤はデッカーが出る。そのあとゾーラ・バットは先頭を飛ばした。勝つためには異例の展開である。両者冷静でない。序盤から前に無理に出て競り合った為に、バット選手には疲れが少し出てきたように見えた。その時に何とインから抜こうとした、メアリー・デッカーに対して足を出した様に見えた。それは意識的というより、反射的に抜かれまいということで、インに身体を寄せようとしたことが、足を出したようになったと、私には見えた。デッカーは転倒し、棄権する。

後の話では、バット氏のイギリス国籍は誰かがお金を出して、仕組んだということだったようだ。いずれにしても後味の悪い話であった。バット選手はその後活躍はせず、失速した。猫氏であった。カンボディアという国に失礼ではないだろうか。カンボディア人として、カンボディアで生きてゆく気構えがあるのかと言いたい。オリンピック出場が消えたこれからの猫氏の生き方で、何かを見せてもらいたい。もうカンボディアのことなど知りません、そんなことになりそうである。こういう馬鹿げたことが次に起きない様に出来ないものか。その為にも、猫氏のこれからの生き方だ。今、ボクシングで挑戦している、やはりお笑いタレントのしずちゃんはすごい。本気のあの姿勢には、心底頭が下がる。オリンピックに行けるとか行けないとかいうのは、結果だ。

猫氏だって練習は本気でしている。それでも日本では候補選手と言えるレベルではない。人間努力しても駄目な場合がほとんどだ。その時こそ、真価が問われる。何をやるにしろ諦めることばかりである。様は諦めきれないことをどう諦めるかである。出来るだけのことをやる、自分が限界までやり尽くす事自体に意味を見る。駄目だったということは、確かに、どうにもならない自分という低いレベルを、確認させられる情けないことだ。それでも、そのことを無駄にしない。あんなに頑張って、良い土壌を作ろうとしてきたのに、放射能が一瞬にしてすべての努力を無駄にし、さらに悪い状態にしてしまった。諦めきれないが、それでも今日も努力するしかない。絶望的である。耐えられないと思う日すらある。殆ど無意味であるが、やるしかない。私が陸上競技をやったことは、諦めるしかない自分の限界を突き詰めたという、自己確認としては生きている。
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たばこで12万9千人が死んでゆく

2012-05-08 04:06:38 | 身辺雑記
喫煙率ほぼ20%と言うことである。1300万人である。死亡する人が、毎年13万に近くいるということは、100人の喫煙者のうちたばこが主たる原因で1人が死んでしまうという数字である。放射能の比ではない。これでもあなたは煙草を吸いますか。という驚くべき数字である。何かが不自然である。死因は複合的である。たばこを吸って居て、お酒も飲んでいる人の場合。運動しないで、煙草を呑む人。喫煙はマナーさえきちっと守ってくれれば、死のうと病気になろうと自己判断である。ただし医療費への影響は違う。たばこ税と調整したらどうか。医療費は増大して行くばかりだ。わたしのように医療にかからない決意をすれば、何十兆円が要らなくなる。医療の前に予防である。健康に暮らす努力は自分の為である。自分の為の努力が、何十兆円の節約にもなる。保険や医療の仕組みの論議がこの点に向かおうとしない。医療費の増大を是とする人たちが、集まって論議していても駄目だ。

たばこと言うものは一度もすったことがない。これは性格による所が大きい。中学生くらいになると面白半分、突っ張り半分で、吸ってみる人間も多かった。私の場合、自分と言うものに全く信頼が出来ない。例えばこのブログも1日休めば全く書かなくなる。という気がするので書き続けている。たばこも一度吸えば、止める能力がないと分かっていた。だから初めから吸う事をしなかった。そう言うものは結構に多い。賭博もそうだ。大王製紙の御曹司を笑えない。ハマり込むからやったことがない。はまった将棋には随分と時間を取られた。5段になるまでやったのだから、相当な時間の無駄をした。将棋を止められたのは、米長氏が将棋連盟の会長に成って、耐え難い発言をしたからだった。お酒はどうだろう。お酒自体は好きな方だろうが、めったに飲まない。お酒に対する中毒的反応が無い。中毒で思い出したが、小説にははまる。止められなくなる。文字中毒というものあるのか知らないが、小説渇望症が周期的に表れる。

たばこと似たようなことはいくらでもある。酒だってその害のリスクレベルは別にして、アルコール中毒でダメになる人も多いのだから、怖いと言えば怖いものである。有難いご飯だって食べ方によっては良くないものになる。良い加減であれば、悪いものなどない。加減を間違えばあらゆるものが危険なものになる。加減が出来るかどうか。煙草を1日1本と決めて、必要な時にだけ吸うことが出来る人が居るだろうか。それが出来るなら、たばこも素晴らしい気分転換の道具になる気がする。律して吸うのであれば、たばこが原因で肺がんになっても納得がゆく気がする。しかし、人間の意思は弱い。到底そんなことはできない、君子危うきに近寄らず。としておいた方が無難である。読書中毒症状になると、寝ないで本を読み続けるから、目には実に悪い。そう言えば、絵を描くことは、よほどでないと描かない。よほど気分良く描きたくなった時にだけ、絵を描く。

絵を描くと言う事を習慣化したくない。何気なく描きたくない。仕事ではないし、やらないでもいいものだ。やらなくても誰も困らないし。むしろ資源の無駄使いをしているようなものだ。公募展の絵など一枚も無くなっても社会は困らない。心底絵は社会の無駄のようなものだ。こんなことで、文化勲章などいつまでも出しているのも、おかしなことだ。絵画はもう文化とは言えないし、伝統工芸と言っても空しい。たばこだ。そうだ、たばこと同じだ。全く個人的なものだ。絵を描いていて、100人に1人が死ぬことは無いから、リスクは無いように見えるが、絵にかかわって駄目な人生を送っている人は、案外にいる。そう言う意味では、たばこより害は大きいかもしれない。絵を描くなんて、良い趣味ですね。こういうことを言われることがあるが、良い趣味とは到底言えない。「絵を描いて死んだ。」でいいと思っているのだから、もっとも始末に負えない中毒なのかもしれない。
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