安全を哲学する(4) - 原発事故を通じての安全と倫理学、安全と宗教、安全と哲学、安全と人間学の再考 

2011年04月07日 11時00分00秒 | 安全哲学/安全と倫理学
安全を哲学する、と題して四回目になる。 安全というものが、航空機や原発のモノや病院や交通のシステムの安全の問題にすり替えられているために、こうしたモノの破壊をいかに防ぐかという問題やシステムにおけるヒューマンエラーをどのようにして防ぐかということが安全の問題になっていることを指摘してきた。 そのために、本来人間の安全の問題であるべき安全思想が航空工学者や原発技術者やシステム工学者などの技術者の判断にゆだねられることになりさらに間違った方向に進むことになる。 安全は、モノやシステムの事故によって破壊されるものに関する安全でなければならない。それは、破壊されるものはモノでもシステムでもなく、常に人間であり、その人間が属する共同体であり、その共同体が存在する郷土あるいは国土である。 こうした人間を中心においた安全思想をつくりあげることがこのシリーズの目的であり、従来の安全思想から出てくる結論とは大いに内容を異にすることだけは確かである。 そうしたアプローチは、安全思想にこれまでにない深みを与える。そして我々が日々の生活において常に直面する現実とその現実をよりよきものにしようとする強烈な願いを真正面から受け止めるものとして、安全思想を蘇らせるものである。 それは、これまでの他人事のような安全学に対する強烈な批判でもある。 . . . 本文を読む
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安全を哲学する(3) - 原発事故から守らなければならないもの。原発事故によって破壊されるもの。

2011年03月31日 10時00分00秒 | 安全哲学/安全と倫理学
少なくとも現在世界中の安全思想はすべて間違っている。100%間違っている。日本の安全学に関する書物も読んだがすべて間違っている。根底から間違っている。 そもそも安全に関して、これまでロクな議論がなかったこと。航空機、原発、医療、医薬、食品など個々の安全性はそれぞれの分野の人々が個々独立考えて来たために、薄っぺらな内容のものにしか過ぎないこと。特に、災害の経験もほとんどない西洋で、単なる空想からでしかない災害イメージから構築された他愛もない安全思想を西洋の思想であるというだけで導入し、またそれを認めた国の安直さ。こうした現状を改善するためには、安全を哲学的に考察しなおし、安全を総合的に考察しなおすしかないと考える。そして、そもそも陳腐な安全思想しか生み出さなかった「安全とは何か?」という愚にもつかない<問い>を哲学的に問い直し、この一連のシリーズを通じて深く追求する。 . . . 本文を読む
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安全を哲学する(2) - 原発における安全を共同体の位相において考え、安全への問いを哲学する。

2011年03月30日 10時00分00秒 | 安全哲学/安全と倫理学
前回の記事では以下の問いを作るところまでであった。そして、具体的な個々のものを対象とした安全を哲学的に考えることによって、再び問い自体を問い直し、安全を哲学するための方法論を構築する。まず、最初は現在、争点となっている原発について考えてみたい。 . . . 本文を読む
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安全を哲学する(1) -安全に対する問いを問い直し、人間と共同体中心の安全思想構築への取り組み

2011年03月28日 15時07分33秒 | 安全哲学/安全と倫理学
自分が生きてきた意義、生きている意義、これからの生きる意義というものを人生の節々で考えるようにしている。 人の命を守る、人の命を救う、ということの実践にだけにこの半生をかけてきた。 今回の震災をきっかけに、思索を一挙に深め、自らの実践を安全思想として昇華させるべき時期が来たと思うようになった。 安全というものを哲学的に考えることによって、それを行ってみたいと思う。 . . . 本文を読む
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