ささかのブログ

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既視感

2017-07-06 19:37:47 | 日記
良くもなく、悪くもなく、デジャヴを感じるときがある。

既視感というもの。

精神病理学的には、あまりいいものではないらしいが、比較的楽観的に考えていて、いわゆる、
「想定範囲内」
なのだと思う。


最近、他人の顔色を伺うことをやめた。
空気を読まないようにしている。

顔色を伺ったり、空気を読んだりすることは、結局のところ、「自分を殺して生きている」という矛盾をはらむ。

かといって、全く他人を顧みないわけではない。
「自分の主張があるのに、言わない」
ことを防ぐため。


「こう言えば相手は怒る」のは想定済みで、とはいえ、言わないと自身の生きる意味を失うのであれば言う。

よく考えれば当たり前のことをしている。

背景には、「リスペクト」が存在する。
他人には他人の前提と論理がある。
そして自分にも自分の前提と論理がある。
他人だけではなく、自分も尊重するという意味でのリスペクト。

互いに人としては対等である。
人としての優劣はつけないという前提。

これを蔑ろにすると、最終的にはどちらかが傷つく。
深く、ひどく。

たとえ相手が3歳の子供であったとしても、相手は相手として尊重する。
3歳の子供だからこそ、なんのバイアスもかかっていない、ものの見方ができるから。

例えば、虹を虹として見ることができる。
大人の科学的解釈だと、
「あれは光源と反対側にできる。大気中の水分子がプリズムとなって、光の波長を偏光させている」
なんて説明ができるが、
「あれは虹!」
でもいいわけだ。

「全く馬鹿だな」
という感想はどちらにでもできるが、どちらにもしないという選択もある。

なぜ?どうして?という疑問に、即座に解を与えるのは、「疑問を解明したい」知的欲求をなくす。
探求しなくなる。

制限をしないという制限。

型にはめないという尊重。

自由という権利。

それを当たり前に行うと、当たり前の反応が戻ってくる。

おそらくそのための既視感だろうとは思っている。
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