ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

諦めない

2016-10-13 20:25:45 | 日記
大抵のことは諦めていいと思う。

タイトルと違う?

諦めないのは育てること。

自分もそうだし、他人もそう。

人の文明はお互いのコミュニケーションで成り立っている。

何らかの不道徳的行為を行う人には、それを行う理由がある。
自死を選択する方向へ気持ちが落ちていくにも理由がある。

かけ違えたボタンをまた外して直していく必要があるが、そのためには一度心に余裕を持たせる必要がある。

「直せ!」と強制しても直らない。

戦場の最前線で着替えるほど余裕のある人はそういない。

だから一旦、安全地帯に避難してもらい、なおすゆとりを与える。


とは言え、大人になるほど人は聞き分けが悪くなる。
目の前でおかしなことをしていれば、なるべく気づいた時点で指摘する必要がある。

長く安定した地位で批判だけ述べるようになると、人は自分が言うことは正しいと認識する。
例え間違ったことを言っていても、それをなかったことにする言い訳がどんどんうまくなっていく。


300歳生きようと考えている私は、自分はまだ世の中の10%も理解していないと思っている。
大学院を卒業しても、世の中を5%理解していれば相当良い方だ。

なぜなら毎年ノーベル賞が選ばれ、その内容をきちんと理解することさえできないのだから。

文明はアップデートされる。
だから世の中のことを100%理解することは不可能。

したがって、私は一生のうちに世の中の何十%を理解できるか程度しかないと思っている。


ということは、この人間社会が育つことも、自分自身も、他人も、いずれは変わる。

それだけは諦めない。

タバコを吸うマナーも随分と変わった。
数十年前は嫌煙者と愛煙者が同等にテレビ議論をしていたのが日本だ。

女性の人権問題も随分と変わった。
「子供を産んでどうせ辞めるのだから採用しない」という会社はなくなってきた。

精神病に対する認識も変わった。
うつ病の本は巷にあふれ、精神薬に対する認識も変わった。
精神病院や精神科病棟は、おどろおどろしく、一般の人が近寄ることさえできなかった時代があった。


世の中が変わるように、人も変わる。

どんなに暗い闇の中でもきっと光はある。
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする