真言立川流の相伝者浄月上人の史料紹介と解説

「勝尾寺文書」の中に見える浄月上人関係の史料を和訳紹介し、併せて簡単な解説を試みることとします。

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沙門某作の「心定撰『受法用心集』序」に付いて

2011-09-20 21:11:25 | Weblog
沙門某作の「心定撰『受法用心集』序」に付いて

いわゆる「邪教立川流」は通説に反して平安時代の醍醐寺僧仁寛/蓮念(?―1114)の法流(立川流)とは何の関係も無い事は、既に本文庫の『金沢文庫蔵の立川流聖教の和訳紹介』に於いて明らかにした通りです。ただ高野の宥快(1345―1416)等が誤って立川流なる名称を用いたのにもそれなりの理由があったに違いありません。その事を史料の上から明らかにするのは現時点では非常に難しいと云えますが、一つにはその邪教に特定の名称が付いていなかった事が考えられます。又此の邪教に関するほとんど唯一の詳しい同時代史料である誓願房心定作『受法用心集』によれば、此の邪教の根本テキストは「内三部経」なる題名で呼ばれていました。それで私は此の邪教そのものを「内三部経流」と称すべきであると主張しました。
ところが最近になって古人もやはり此の邪教を指して「内三部(経)」と呼んでいた事に気が付きました。それは取りも直さず「沙門某」が『受法用心集』に寄せた文永九年(1272)序文の中で、「爰に邪法あり。内三部等と名づく。」と述べている事です(守山聖真著『立川邪教とその社会的背景の研究』附篇p.530)。此の「沙門某」がどのような経歴を有する人物なのか具体的には殆んど分かりません。『受法用心集』巻下にある古い書写奥書には、
文明四年(1472)十一月十五日、高野山多聞院に於いて(多聞院)本を以って写し了んぬ。   永智二十四才
と云いますから(同書p.571)、沙門某作の序が付された『受法用心集』の写本が高野山にあった事だけは分かります。亦同じく書写奥書中に載せる「別本後記」に、
此の書は越州の住侶心定〔誓願房と号す〕の作なり。但一覧を歴(ふ)る処、邪人迷妄の思いを哀しみ、正法破滅の事を悲しむ。抄主(誓願房心定)の存念、愚意に相通ず。仍って感悦の余り、即ち之を書写し畢んぬ。但し条条不審難破の内、其の詞に少しく取捨を加う。又自宗の問答に付きては所存を別つこと有るが故に愚意に任せて書き改むること多々なり。被閲の者、意に任せて文を削れ。   時に文永五年(1268)十月七日
と述べていますが、年代が近似する事から此の識語も序を寄せた沙門某が書いたらしく思われます。しかし是はただの推測に過ぎません。猶『立川邪教とその社会的背景の研究』に載せる『受法用心集』の写本は明応九年/1500七月に「権少僧都増道」が写したものです(p.571)。
一方、これも最近になって気付いたのですが、三浦章夫編『興教大師伝記史料全集〔史料〕』に収載されている『伝法覚バン(原梵字vam)口決』(所蔵者不明)の末部に今の沙門某作の『受法用心集』序が記されています(pp.1250,51)。此の『口決』がいつ頃製作されたのか詳しくは分かりませんが写本には、寛永十五年(1638)と文化四年(1807)の二つの書写奥書がありますから、先ずそれらを紹介しておきます(p.1251)。
寛永十五暦、仲秋の日、右筆に命じて書写し了んぬ。   沙門京識
文化四〔丁卯〕年九月、豊山方丈宝庫の秀算僧正の御本を以って平野峯敬をして之を書写せしめ、自ら校合し了んぬ。   総持院沙門秀陽 」
又編者の注記に、
本書は、護国寺本、諸法通用口決〔私〕覚バン記に作り、滋賀県飯福寺所蔵本は、通用口決に作り、元文元年(1736)彦旭の書写せるものなり。
と述べています(p.1251)。
此の『伝法覚バン口決』は総じて六箇条から成り、最後の第六条以外は漢文訓読様の和文で記されています。又「覚バン(原梵字vam)上人云く」で始まる第一条が全体の8割前後を占めていますから、残余の条目は後世の追加になるものでしょう。第一条は十八道法に関する覚鑁上人の口決(解説)であり、第二~五条は真言事相に関わる各種の口伝、そして最後の第六条が沙門某作の『受法用心集』に寄せた序文です。
以上の事から「沙門某」は覚鑁上人の法流すなわち伝法院流の門徒であった可能性が高いと云えます。わずかながらも沙門某の具体的な経歴に接近出来たと云えるでしょう。
それでは以下に守山聖真著『立川邪教とその社会的背景の研究』の収載本(Aで表記)をテキストとし、『伝法覚バン口決』を対校本(Bで表記)として、沙門某作『受法用心集』序の和訳と現代語訳を掲出します(校訂内容は一部のみ表示)。

〈1〉「『受法用心集』小序」の和訳
(私に段落を設けます)
竊(ひそか)に以(おもんみ)るに、人に定性無く形に好悪あり。心は縁に随い転変し、身は境に依り遷移す。是の故に仏法は縁より生ず。因無くして独り生ぜず。妄心は縁に随って起こる。境無くして起こらず。善悪の報は皆縁を得て(A待ちて)生ず。染浄(ぜんじょう)の心(A法)は悉く境(A縁)に随って来る。
故に知識を諸方に尋ね善財の志を抽(ぬ)きて、密教を都鄙に求め薩埵の行を勤む。遂に秘密の壇場に入り速やかに覚王の真位に昇り、幸いに重々の潅頂を受けて早く法身の内証を得(う)。凡そ諸州に往来して修学・稽古すること三十七年、諸師に参候して問答・決疑せしこと四十余歳なり。
爰に邪法あり。内三部経(経:A等)と名く。是則ち邪人の妄説、狂惑人の作なり。近来道俗、此の法に依り邪見を起こし、当世の緇素(しそ)此の義を執して正理に背く。悲しいかな、五濁(ごじょく)の悪人、正法に盲いて邪法を執す。苦しいかな、八苦の衆生、妄法を誤って真言と称す。
是に於いて一沙門あり。名けて心定と曰う。造記の抄あり。受法用心集と号す。此の記(此の記:B法説)は深く正理に順じ、此の抄は殊に仏意(ぶっち)に契(かな)う。我が願いは既に満ち、衆望(しゅもう)亦足れりとは唯(ただ)是此の謂(いい)なるか。
之に依って沙門某、進みては諸人の迷妄を遮し、退きて門徒の教訓と為す。明師の教えを挙げ、邪法の輩を誡め、智徳の語を示して狂惑の族を禁(いまし)む。彼を扶(たす)くるに大要を以ってし、此に加るに小序を以ってす。願わくば此の要簡を以って迷人を導き、正路に趣かしめん。望むらくは此の麁筆を留めて向後(きょうご)に贈り、謹序(Aナシ)、群生を利せんのみ。
 時に文永九年〔庚午〕九月二十七日〔丁卯〕   沙門某 (B「時に」以下ナシ)

(2)「『受法用心集』小序」の現代語訳
心静かによく考えてみると、人として定まった性質は無く、その外形には好悪がある。心は機縁に惹かれて転変し、身体は境遇に応じて変化する。そうであるから仏法(真実に気が付く事)も機縁があって生じるのであり、理由が無くそれ自体から生まれるのでは無い。妄心も縁に惹かれて起こり、何かに対する事が無ければ起こらないのである。善悪の報いは必ず機縁に応じて現れるのであり、汚れた心も清らかな心も共に何かに対する事があって生まれて来る。
そうであるから(自分は)諸方に優れた指導者を訪ね求めて『華厳経』の善財童子の志を追慕し、密教を都鄙に探訪して金剛薩埵の行を勤めた。そうして遂に秘密の潅頂壇に入って如来の真実位に昇り、幸いに重々の伝法潅頂を受けて法身大日如来の覚りの心を知ることが出来た。総じて諸国を遍歴して学問と修行に励むこと三十七年、諸師を訪ねて疑問を呈し、或いは問答して疑惑を決すること四十余年に及んだのである。
さて爰に邪法が存在している。その法門は内三部経と呼ばれている。是は取りも直さず邪人の妄説であり、狂惑せる人間が作ったものである。ところが近来の道俗は此の法に惹かれて邪見を起こし、当世の僧侶も俗人も此の教えを信奉して本来の正しい道理に反している。何と悲しい事か、五濁の悪世に生きる人々には正法が目に入らず、ひたすら邪法に執着している。何と苦しい事か、八苦のただ中にある衆生はでたらめな教えを誤って真言と称している。
ここに一人の沙門がいる。その名前は心定と云う。彼が著した書物があり、『受法用心集』と名づけられている。此の著作は深く正しい道理に相応し、大変仏の教えに適っている。(伝法潅頂の印信に)自分の願いは既に満たされ、諸々の希望も成就したと記されるのは、きっと此のような事を云うのであろう。
そこで沙門某(自分)は、積極的に人々の迷妄を破り、そうで無くとも弟子信徒の教訓と成す為に、道理に明るい師僧の教えを挙げて邪法を信奉する輩に戒告し、智徳に溢れた言葉を示して狂惑の族を誡めるのである。その事を補助するために大要を述べ、此の書に小序を寄せる事とした。願わくば此の簡要の語が迷人を導き、望むところは此の粗末な文章を後世に贈って、謹序が多くの人々の利益となるように。
 時に文永九年〔庚午〕九月二十七日〔丁卯〕   沙門某


(以上)
(平成23年9月21日)
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