国の未来を決める。食料、エネルギー確保、将来の産業構造、地方都市が元気になることも含めて、日本が長期的に発展する。発展しなくても多く国民が、幸せに暮らすことができるのか?そのことこそが政治と社会が実現しなければならない課題ではないかと思います。
将来への投資―――私は、教育が投資だということには感情的な抵抗があります。投資とはその結果、何らかの報酬を期待することがあるからです。報酬がなければ投資はしないのか。人間が勉強し、教育を受けることで何が得られるかを期待して――投資せよと――損得で計算するような話ではないと思います。勉強したら、高学歴は豊かな生活を保障されるからするのでしょうか。そのような考え方を突き詰めれば、高学歴=豊かな生活=富裕層に特権的に許されるものが高学歴、大学教育となり、―――貧しい家庭の児童に奨学金を無償で貸与することはおかしい。自民党、官僚組織の中枢にはそのような考え方があります。その変形したものが理系の研究には予算をつけるが、文系の研究には予算をつけないーーです。基礎研究を軽視する。成果が期待できないし、企業利益に結び付かないからです。
自分のことと考えればわかることです。勉強するときに、勉強が面白い、興味があるーーそのことに価値がある、将来的に有益だと考えて勉強するなどが子供や、中高校生に存在するのでしょうか?
好きな物、面白いものは個々人で異なり、その理由を他者がとやかく言っても意味がありません。他者が理解することも無理です。しかし、とことん追求し、観察し、考察し、どのような困難にも負けないで研究をし続けることで、とてつもない研究成果、結果が得られるのではないかと思います。だからこそ、面白い。その結果と総和が国、社会の成果、富となるのではないかと考えます。利益が出るから、奨学金を無償で貸与するのではありません。教育の機会均等とは何人にも保障されなければならない理由ではないかと思います。
<毎日新聞社説>参議院選挙 奨学金と教育費「未来への投資」として
大学生らが返済に苦しむ奨学金の制度をどう変えていくべきなのか。参院選で18歳、19歳が初めて投票する。彼らには切実な問題だ。
与党は返済不要の「給付型奨学金」制度の創設に取り組むことを選挙公約に掲げている。野党も同様に「給付型」を公約にしている。
政治がこれまであまり顧みてこなかった若い有権者を意識するのは望ましいことだ。だが、給付型奨学金の規模や給付の条件をどう考えているのか、具体的に見えてこない。
現在も制度改革は進められている。国費で賄われる日本学生支援機構の貸与型奨学金のうち無利子奨学金について2017年度から返還方法が変わる。
卒業後の所得が少ない場合は月の返還額を減らし、所得が増えれば返還額も上がる仕組みを選べる。負担軽減が目的だが、利用者が「借金」を負うことに変わりはない。とくに所得が増えない人は長期間返還し続けることになる。
年収300万円以下で返還が困難な人は返還が猶予される「救済制度」を使える。ただし猶予は10年間に限られ、それを過ぎると再び返還を始めなければならない。
返還が滞った時に課せられる延滞金は2年前に年10%から5%に引き下げられた。とはいえ負担は重い。社会に出てから延滞金の返還に追われ、元本が減らないまま返還を続けている利用者もいる。これを「救済制度」と呼べるだろうか。
給付型が増えればこうした負担は軽減されていく。だが財源の問題もある。厳しい財政事情の中、相当な規模で創設するのなら何を削って財源に充てるのか、各党には示してほしい。
同時に、回収優先の返還制度も再考が必要だ。一般の学生ローンと同様に、支援機構は給付にあたり、親族か民間保証機関の保証を求めており、滞納が続けば債権回収会社に回収を委託している。
滞納者に返還を督促する簡易裁判の手続きは年間約8500件に上る。自己破産に追い込まれるケースも多い。
諸外国では返還から一定期間経過すれば、残りの返還額を免除するところもある。
そもそも大学の高い学費をどう考えるのか。国の将来を描く中で若者の高等教育をどう位置づけるのか。日本は国内総生産(GDP)に占める高等教育費の割合が0・5%で、他の先進国に比べて半分ほどの低さだ。
広い視野に立ったうえで、教育への公費負担を「未来への投資」として論じるべきだろう。