徒然日記

 GR7歳と錆猫4歳
 日常を徒然なるままに

妙見山

2017-04-18 | 日記


    「妙見山」

      作詞  黒沢正治
      作曲  橋本喬雄

  1,妙見讃頌
  2,翠の水
  3,ぎょうじゃの水
  4,三太郎狐
  5,妙見山

   妙見山はこの5つからなる組曲となっている。
  杉原川も妙見山も黒沢さんが郷土に思いを馳せて綴られた。



  妙見讃頌に「豪族」が出てくるのですが,妙見山麓の多可町高校の前に古墳群があり,
  小さな入り口から石室をのぞき見ることができます。
  練習場の公民館の外に妙見山麓から完全な形で出土した石棺が飾ってあり,
  郷土の昔々,此処にどんな人が葬られていたのかと思いを馳せて詩を綴られた。

  「妙見菩薩」とは北斗七星の事で,少し形のいい独立峰は大昔から妙見信仰の対象となり,
  全国各地に妙見山と呼ばれる山が存在している。


     
     

    この深い山の合間を20キロ近くの距離,
    雪の降る夜にバイクで通った事が,昨日のことのように蘇ります。

     

    橋本先生の知友の萩原和章氏が資料に基づいて想定再現された段之城の俯瞰図。
    妙見山の主峰の西尾根のところ,現在の中町門前部落のすぐ北側の尾根のところ。

    この山城は砦で普段は麓の屋敷で暮らしていたということですが,
    戦となり麓の寺・屋敷が焼き討ちになり,やがて山城にも火がかかり
    落ち武者は北面の加美町月ヶ花方面へ逃れ,杉原川を渡り,
    寺内の荒田神社の森から奥荒田へ逃れたと伝えられている。

      
  「ぎょうじゃの水」の中に,
  "昔修験道をゆく行者が金草を標に鉱脈を求めてさまよった"というくだりがあるのだが,
  修験者は信仰の為の修行をしているのに鉱脈を求めて歩いたのだろうか?

   行者や僧は神仏に仕え精神の修養にはげんで,金銀銅などの採掘とは無縁・・・・と,
  一見考えたくなりますが,現実にはそんな図式ではなく,鉱山開拓の先頭に宗教者が
  深く関わったのが歴史の現実。有名な行基というお坊さんは,寺だけでなく神田の開発や
  溜池の構築,果ては鉱山を開くことまで行った記録があるそうです。
  山岳密教などどうしてあんなに深い山奥に寺院を設けるのかということも,
  鉱山を開きその権限を握って経営を維持するという理由があったそうです。
  また金草というのは羊歯の一種で正しい和名はヘビノネコザといいます。
  この羊歯は土中の金属成分を好んで吸収するので,この羊歯のある所は,
  鉱物が含まれていると判断をしたのです。


        1996年,合唱団ニュース(黒沢正治記)より抜粋
  

  











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