雑念雑記

雨月更紗が思いついたことを思いのまま…

空想の世界

2006-01-11 21:13:54 | 子ども
「ママは子どもの頃、どんな遊びをしてた?」と息子にきかれました。
いろんな遊びをしたけど、一番好きで一人でもでき、一番長く続いた遊びといえば、空想遊びでした。本当に小さい頃からはじまり中学3年ぐらいまではかなり頻繁にやっていたような気がします。

遊び方は簡単。自分がいろんなものになった「つもり」になる遊び。そう思うと周りの世界がすべて違ってくるのです。それが楽しくて、とても止められませんでした。現実の世界にいた時間のほうが少なかったような……。
本を読んでその主人公になったつもり、ということもよくありました。昔の厳しい寄宿舎に住んでいる少女のつもりになったときなどは、母は私の空想の中では、時には管理人、時には食事係の人、時には厳しい先生(叱られたときなど)になるわけです。一人で空想の世界に入り込んでいたため、周りの人はそんなことは知りません。だからもちろん自分が思うようにストーリーが運ばないこともあるのです。でもそれがまた楽しい。

「少女記者ペギー」という本を読んだとき、自分も新聞記者になってみたい、と思いました。それで早速、自分で新聞作り。そんなことを息子に話すと、息子はすごく乗ってきて、自分も新聞を作りたい、と言って書き始めたのです。まだ字を書くのが遅く、普通だったら面倒になってくるのに、そのときは3時間もかけて「こどものくにしんぶん」というのを作ったのです。自分一人ではなく誰か他の記者も欲しいと言い出し、「記事募集」と新聞の最後に付け加え、何人か同じ学校の友達にFAX。2日後にやっと一人、近所に住む同じクラスの友達から記事が届きました。でも、それ以外はなし。息子はちょっとがっかり。がっかりする息子を見て私も少しがっかり。

でも、考えてみると私も子どもの頃、友達を誘ったけどなかなか乗ってくる子はいませんでした。こういう遊び、つまらないのかな。私は面白いと思うけど。

今は、また息子と一緒に空想遊び復活です。散歩をしながら生物学者になってみたり、食事係になったり。すぐに乗ってくる息子で良かった。お互い何かのつもりで会話も弾みます。どちらが遊んでもらってるんだか。

今年もどうぞよろしく

2006-01-09 08:51:25 | 日々のできごと
新しい年になって既に9日目ですが、今年もどうぞよろしく。

今年は新年早々幸先がいいです。年末年始にかけて新たに良い友達と出会うこともできたし、これまでの友達とも、より関係を深めることもできたし。

つまり新年早々いろいろあっちこっち、あの人この人、たくさん出回り、たくさん人を招き、楽しんでおります。1日たりともじっと家にいた日がなかったので、そういう日も持ちたいとは思いますが、まぁ明日から息子の学校も始まるので、また元のペースに戻れるでしょう。

いろんな人といろんな話をすることで、いろんなことを考え、いろんな思いをまとめることができました。
そういうのが楽しく、発見もたくさんあり、本当に充実した新年です。
Blogにも、その一部を書きたいと思ったりもしたのですが、どこからどのように書けば……という具合で、すんなりいかず、今のところ自分の日記にまとまらぬ文を書き止めておくにとどまっています。また、機会があれば。

新年最初の更新は、なんか支離滅裂の文で始まりましたが、今年もどうぞ気長にお付き合いいただければ嬉しいです。

今年1年に感謝

2005-12-31 08:47:05 | 日々の思い
今年ももう今日だけになりました。
本当にいろんなことがあった1年でした。5年ぐらいの間に起こっても良さそうなことが、一気に1年間に集約されてきたみたいな。次から次へ起こったさまざまなことに追われてあっという間に1年が過ぎ去り・・・・・・。

客観的に考えてみると、良いことよりも悲しいこと、つらいことの多かった1年だったのかもしれません。でも今日、最後の日を迎えて「今年はいろいろあったな」とは思うものの「つらかったなぁ」とか「なんていやな1年だったのだろう」と思わないのは、そこから得られたものも大きかったからでしょう。ほんのちょっと自分が成長できたとか、そこまでは行かないにしても、自分を発見できたとか。それがある種の喜びとして自分の中に残ったので、普通とは違う満足感のようなものが得られたのかもしれません。
これだけ多くの大変なことが起こったけれど、それを乗り越えそれなりに楽しく過ごせたことが、良かったなと思えるのです。

来年はこの自分の中に潜んでいるパワーをもっと出していければ嬉しいです。そしてあくまでもマイペースに自分らしく小さな幸せをたくさん見つけられれば。

小さな幸せと言えば、今年もたくさんありました。新しい良い出会いにも恵まれたし、友達のいろんな成功も嬉しかったし励みになりました。引越しで得られた喜びもたくさんありました。父の死は大きな悲しみでしたが、死によって父から伝えられたものもそれ以上に大きかったような気がします。

Blogで得られたものも多かったです。読んでくださった方、コメント・メールを下さった方、本当にどうもありがとうございました。
また、来年もよろしくお願いします♪

ただいま~

2005-12-26 02:31:52 | Weblog
戻ってきました。
今年は異常気象ですね。広島は大雪!こんなに毎日毎日雪が降るのって、初めてでした。何しろ雪は屋根に積もりっぱなしで寒い!!昔ながらの日本の家って寒いですね。コタツから出られませんでした。

23日は49日でお坊さんが来てお経を読み、説教をして帰られました。実家から一番近いところのお寺のお坊さんにお願いしたのですが、なかなか人間味のある話で感動。
翌朝東京に帰ってきたのですが、雪のため新幹線が遅れ、クリスマスディナーはなんと夜の10時。でも、やっぱりクリスマスはクリスマスの料理を作らないと雰囲気が出ないので、頑張って作りました。
そして今日は教会へ。一昨日はお坊さんの話を聞き、仏壇に向かって手を合わせ、今日は教会で聖体をもらっている自分がとっても不思議に思えました。

宗教による考え方の違いについて、それほど強く感じたことはこれまでなかったのですが、父の死を前にして感じることがとても多くなり、死後もいろいろ宗教的な思考の違いを感じずにはいられません。どの宗教が良いとか、正しいとか言えないと思うし、それぞれ自分に合った宗教を持って信仰すればよいと思うけれど、自分はどの宗教にするか真剣に考えることって大切だと今回何度も思いました。きちんと自分で考えれば、神様の導きがあると思うし、宗教は持たないと決めたにしても、では自分はどう生きていきたいのか、考える機会が得られると思うのです。

あわただしいのにどこかのんびりした変な1週間でした。

冬休み

2005-12-19 10:16:54 | 日々のできごと
師走ですね。
特に何が忙しい、というわけでもないのですが、日本には喪中のはがき、ポーランドにはクリスマスカード、クリスマスプレゼントなどの準備で、なんとな~く時間をとられていました。

息子は明日で学校も終わり。明日の午後から実家に帰ります。
そんなわけで気分はすでに冬休み。だけど最後の最後になり仕事が入ったので、仕事を持って実家に行くことになるかな。

実家には父の49日で行くのですが、49日が23日、24日には東京に戻ってきます。クリスマスはこちらでしたいから。こういうとき親子(私の両親と私)で宗教が違うというのは、少々ややこしいです。クリスマスはやはり私たち(夫と息子と私)としては、静かに過ごしたいし、教会にも行きたいので、やはり自宅で。となってしまうのです。息子は教会でプレゼントをもらったり、クリスマスキャロルを歌ったりするのを楽しみにしているし。

26日以降はのんびりできそう。クリスマスをしっかりやる分、お正月は我が家は超手抜きです。
いろいろ書きたいこともあったのですが、時間がたってしまうと、なんとなくその話題もしらけてしまい、ついそのままに。
更新が滞りがちですが、ぼちぼちやっていきます。

とにかくまるくおさめることが大切です

2005-12-06 09:40:47 | 日々の思い
前にも書いた通り、私は子どもの頃ほとんど外国文学ばかりを読んで育ちました。それらの本を読みながら、理不尽なことに対して、きちんと反対を唱えることのできる主人公を見て、カッコいいとも思いましたし、自分もそんな人間でありたい、と思ったものです。

でも、実際にこの社会で、それを実行すると、どこか外れてしまう。感覚が周りとずれてしまうのを、ずっと感じてきたのです。感覚的なもの、考え方の根本がどこか周りとかみ合っていない不具合を感じ、どこかが違い、それがとても変えがたいものであることもなんとなく、感じながら育ったような気がします。

そして、少しずつ気づいたことは、日本社会ではとにかく事を荒立てないで、まるくおさめることが肝要とされるのだということ。外国に長く住むと、ここまでこの程度のことで怒る必要はないのではないか、と思うことも多々ありました。でも、日本ではその逆で、問題解決と言いつつ、実際には解決に至る前、というか解決への道筋を付ける試みさえしないまま、プツッと問題そのものがなかったかのように、自然消滅させられることが非常に多いのです。それも、みんなが納得の上で。それが、私には不思議で、常に大きな驚きであり、それに対して驚く私が、周りの人にとっては驚きの対象だったようです。

何か問題が起こったとき、大切なのは、問題となった事柄、被害者に対して同情したり、共感の意を見せることなのです。では、そこから一歩踏み込んで、自分はその問題に対して、何ができるか、問題の本質は何なのかを突き止めるということは、それほど重要視されないのです。また、周りもそれを要求しない。共感・同情が感じられただけで、その人は「良い人」となり、その人自身「共感・同情する優しい心を持った私は悪くない」と自分に「良」の字を貼るのです。もちろん無意識のうちにでしょうけど。そして、周りもそれを認めて、その人は「悪くない」それどころか「心の優しい人」となる。

どこか変です。共感・同情するだけでは、本を読んだり映画を見たりして涙を流すのと同じで、そこに自分自身は存在していないのです。あくまでも遠目に問題を部外者として眺めている。本当は問題の1部にその人が含まれているのに。
そして、とっても不思議なのは、1人がそれをすると、周りも同様に同情・共感し、お互いが、なんとな~く優しい気持ちになって、それで問題は解決したような気分になる。あるいは「まあ、様子を見ましょう」と保留扱いにされる。そういうことがとっても多いのです。
それは「無責任」という扱いにはならず、「良い人」とされるのです。だって、十分同情も共感もするし、時には人のために涙さえ見せるのですから。

その間、保留にされた問題は、そのまま膨らみ、結局悲惨な結果をもたらす。そして、その反省として「あぁ、あの時そういえば、そうでしたねぇ。もっと早くに解決策を見出しておけば、こんな結果にはならなかったのに。非常に残念です」という言葉で片付けられ、ここでも共感・同情の念をみせることで「私は悪くない」となる。

自分がどこに存在し、自分が周りとどう関わっているのか。問題に対して、自分はどのような行動ができるか。考えることも求められないし、考えようともしない。とにかく大切なのは、まるくおさめること。事を荒立てるのは、よくありませんから。

クーリエ・ジャポン

2005-11-29 14:16:46 | 
11月17日に創刊された「クーリエ・ジャポン」面白いです。「アメリカだけが世界じゃない」とあるのもいい。日本ではまだまだ外国=アメリカという意識が強いので。それに、やはり外国語では英語が一般的で、入ってくる外国雑誌の日本語版も、アメリカのものが断然多く、ある意味ではアメリカ中心となってしまうのも無理ない面も。私は別に反アメリカ主義ではないけれど、それでも時には「アメリカを中心に考えないで欲しい」「アメリカのメガネを通して世界を見るのではなく、もっと他の視点も知りたい」と思ってしまうのです。そういう欲求にある程度応えてくれる雑誌だと思います。

児童文学

2005-11-25 11:35:51 | 
私は子どもの頃から本が大好きだったので、小学校3、4年ぐらいから、結構夢中になって、いろんな本を読みました。ほとんどが外国文学。どうも日本のものは感覚的に合わず、物語の展開が遅いのが物足りなく思えたのです。日本文学を読み始めたのは、わりと最近なのです。

なかでも大好きだったのがリンドグレーンの作品。自分ではかなり読んだつもりでいましたが、彼女は本当にたくさん書いているのですね。今、息子が借りてくる本などを見ると、まだまだ読んでないものもたくさんあります。

今、息子に読んであげている「はるかな国の兄弟」も、初めてでした。ピッピやエーミルとは違い、静かで始まりは物悲しい話ですが、物語の展開は非常に面白く、とても途中でやめられません。結構長い話なので、一気に読むことはできず、何度かに分けて読んでいるのですが、読んであげながらも、先が気になって仕方ないのです。大人の世界の縮小版のようなこのはるかな国での話、考えさせられることも多いです。

リンドグレーンの誕生日11月14日に発売となった「遊んで、遊んで、遊びました」も発売日翌日に早速買い、息子が病気で寝ている間に一気に読みました。子ども時代を楽しませてくれた彼女の多くの作品が、どのようにして生まれてきたのか、彼女自身の子ども時代はどんなだったのかがわかり、リンドグレーン好きにとっては興味深い本です。彼女はあれだけ多くの作品を書いているけれど、最初の本が出版されたのは37歳のとき。それからなくなる94歳まで書いて、書いて、書き続けたようです。
創作活動に、遅すぎるなんてことはないんだなと思い、嬉しくなりました。これだけ好きなことを目いっぱい楽しむ人生って素敵です。

少し落ち着いて……

2005-11-20 12:22:04 | 日々のできごと
7日に父が亡くなってから今日まで、大変な毎日で、あっという間でした。

東京に戻って来てすぐ、息子が熱を出し、それも40度という高熱。結局、4日間寝ていました。これは、いつも非常に元気な息子にとってはとても珍しいことで、こんなに長く寝ていたのは、生まれて初めてかも。

その後、それがうつったのか、水曜日の夜あたりから、私も調子が悪くなり、ずっと微熱。そして昨日は1日中39.7度の高熱。あぁ~苦しかった。もともと胃が弱い私は、そちらもかなり荒れていたらしく、病院で胃薬を3種類ももらって帰ってきました。

今日は熱も下がり、やっと少しずつ普通に。
いろんなことに時間がかかるけど、少しずつ、少しずつ、自分のテンポで整理していければ、と思っています。

丸3日間寝込んでいたため、本も読めました。父が亡くなる2日前、20歳ぐらいのとき、1度読んだことのある「死ぬ瞬間」をもう1度読み直してみようと思い、本を借りてきていました。それを、この病気の間に読了。やっぱり深い本です。前に読んだときは、死とは現実味のあまりない、自分からかけ離れたものでしかありませんでしたが、今回は、父の死の直後、しかも末期癌による死だったため、患者、患者の家族、医師、看護師について書かれているのを、違った視点から読むことができました。
それにより、私自身の中で整理できたこと、あいてしまった穴を少しでも埋めるために1つやっておきたいこと、などわかってきたのです。

いつも思うことですが、本って人生の救いです。私は子どもの頃から本に助けられ、本から生きる多くのヒントを得てきたような気がします。今回も、今、この時期にこの本をもう1度手に取れたこと、ゆっくり読む時間が与えられたことに感謝です。

それから、メールや電話で励ましてくださった方々、本当にどうもありがとうございました。お返事も書かないで、失礼していますが、少しずつ普通の生活に戻せていけたらと思っています。


別れ

2005-11-10 21:30:55 | 日々のできごと
11月7日午前10時30分、父が他界しました。
まるでうたた寝でもしたかのような、静かな最後でした。
いつかこの日が来ることはわかっていたものの、すべてがあまりに早く過ぎ、まるで当たり前のように毎日が回っていくのについていけず、自分の気持ちが現実から切り離されてしまったようです。
5日の夜、携帯で5分ぐらい話した後、最後に言った「おやすみ」が、本当にお別れの「おやすみ」となってしまいました。