落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(70)

2013-08-29 11:36:21 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(70)
「食後の腹ごなしに、康平のスクータは群馬県内を東から西へと走る」




 「悪いわ。お昼はご馳走になっちゃうし、
 そのうえ私の住んでいる安中市まで送ってくれるなんて、恐縮しちゃいます。
 途中のJRの駅で降ろしてくれれば、いつものように電車で帰れるのに」


 「滅多にない機会です。
 こいつ(愛車のフォルツァ)も、久しぶりの遠乗りで喜んでいますから」


 関東平野の最北端に位置している群馬県の地形は、きわめて変化に富んでいます。
県の南部一帯には標高50m前後の平坦地が広がりますが、県都の前橋市と隣接をする高崎市を
北限にして山間地と山岳部がはじまります。
千尋の住む安中市は群馬県の西部に位置し、西は長野県の軽井沢町と接しています。
標高は安中市役所で180m。碓氷峠の登り口に当たる松井田町で297m。
長野へ通じる県境の道路『碓氷峠』の最高点は、960m。



 明治の初めに脚光を浴び始めたおおくの器械製糸とは一線を画し、
座ぐり器を用いた生糸の生産が、安中市を中心にひとつの時代を築いてきました。
その歴史の中で代表格的な役割を果たしたといわれているかつての『碓氷社』は、明治時代、
磯部に住む有志によって組織をされた、農民による座繰り糸の共同組合です。


 碓氷社で生産された製糸は、輸出量で日本一を誇りその品質でも最高級の評価を得ています。
養蚕農家で育てられた蚕から、上州座繰りで生糸を紬いで仕上げたものが『五人娘』や
『二人娘』などのブランド名で輸出され米国や西欧で、大変高い評価を受けてきました。


 現在も使われている上州座繰り器には、細糸用と太糸(玉糸)用の2種類がありますが、
ハンドル一回転あたりでの小枠の回転数が、7回転と4回転半という仕様の差があります。
碓氷郡や甘楽郡、富岡地方あたりでは、輸出用に細糸を繰糸した為に、
7回転のものが主で、これらは「富岡式座繰り」と呼ばれています。
前橋や中毛地域では営業製糸や器械製糸が多く、二等繭や玉繭の座繰り繰糸の比率が高かったために、
このような原料を繰糸するには、トルク(力のこと)のある4回転半が好まれ、
こちらは「前橋座繰り」と呼ばれました。


 「私が上州座ぐり器というものを初めて見たのは、2000年の夏です。
 松井田町にある碓氷製糸農業協同組合というところで、器械製糸とは対極にある、
 手作りの「座繰り糸」の挑戦が始まりました。
 私ともうひとり、美和子さんという同年代の女性と2人でコンビを組み、
 上州座繰り器で糸をひく修業がはじまりました。努力の甲斐があって2年ほどで
 ようやく商品として、出荷ができるようにもなりました」


 「美和子・・・・。美和子とコンビを組んでいたのですか。あなたは」


 「うふふ。驚くにはあたりません。
 美和子ちゃんには作詞の才能があり、そちらへ進むことを助言したのも実は私です。
 毎日毎日、糸を引くだけの単調な暮らしの中で、美和子ちゃんはいつも明るく歌を唄っていました。
 心に浮かんでくる言葉を上手に織り上げ、詩を作ることにも熱中をしていました。
 埋もれさせるのにはもったいないほどの作品たちでした。
 2年間、私たちがお世話になった碓氷製糸を巣立つ時に、座ぐり糸の作家としてではなく、
 歌手と作詞の道へ進むように、私は彼女にすすめました。
 実は、徳次郎さんのお宅を訪ねるようになってから、あなたたち2人が
 古い馴染みの、初恋同士の仲良しだったということを聞かされました」


 「全部、知っていたのですか・・・・」


 「彼女について、それ以上の詳しいことは知りません。
 先日あるところで、たまたま『夜の糸ぐるま』を聞きましたが、いい歌だと思いました。
 やっぱり才能のある人は羨ましい。そう、つくづく痛感しました」

 「座ぐり糸作家という仕事も、才能やセンスを問われる大変な仕事のひとつだと思います」

 「いまだに、荒れ狂う大海を流されていく難破船のようです。私は」



 「それは、座ぐり糸を取り巻く環境が過酷だという話ですか。
 なんの仕事でも、これで生きていくとなれば、心に葛藤は生まれてくるようです。
 ましてや養蚕が衰退をし、生糸の需要も減り、高価な絹製品の前途が危ぶまれています。
 でもあなたを見ていると、糸を引くことに強い誇りをお持ちのように見えます。
 『天職』に携わっているという輝きさえ、感じる時があります。
 あなたと座ぐり糸は、運命の糸で結ばれているのかもしれません」


 「うまいことを言いますね、あなたも・・・・うふ」


 順調に走る康平のスクーターが、焼きまんじゅうの町・伊勢崎市の中心部を抜け、
そのまま高崎市へと向かう郊外の道路へ出てきました。
ふと黙り込んでしまった千尋の様子を心配して、康平が会話のきっかけを作ります。


 「あなたのお話を、聞きせてもらえますか。
 さしつかえなければ、座ぐり糸を始めた頃のことなどを教えてください」


 
 「では、そのあたりの昔話でもしましょうか。
 努力の甲斐があってようやく自分のひく糸に、碓氷製糸からお墨付きをもらえた時には、
 頑張ったかいがあったと思い、美和子とふたりでおおいに喜びました。
 そしてその後も、意気揚々と毎日のように座繰り器を回し続けました。
 一日7時間。手首の疲れもまったく気になりませんでした。
 ところが座繰り糸の生産量は1人当たり、いくらがんばっても1日に200グラム前後です。
 器械製糸なら、その70倍の14キロ前後。座繰り糸の方が高値で売れるとはいえ、
 差は歴然とついてしまいます。当然のことで、
 座ぐり糸の部門は、会社の中で不採算部門となってしまいました。

 生産量を増やすことが、プレッシャーにもなりました。
 『碓氷製糸のため、たくさん糸をひきたい。でも座繰り糸は量よりも質のほうが大事。
 焦ってひいたら、いい糸はできない』。
 わたしの心にも、美和子ちゃんにも、同じように心の葛藤が生まれました。
 それとともに、大きな疑問と迷いも生じてきました
 『自分の糸はどこで何に使われたのだろう。いい糸だったのだろうか。
 もっと、糸を使う人とコミュニケーションを持ちたい。
 このままでほんとうにいいのだろうか』

 次のステップを目指すために、わたしたちは、2年間で碓氷製糸を巣立ちました。
 あの2年間は、自由に勉強をさせてもらった貴重な時間だったと今でも感謝をしています。
 碓氷製糸がなければ、今の私はないと今でも私はそう思っています。
 巣立つ前に、わたしたちは碓氷製糸の職員たちに技術を伝えました。
 でもわたしにはまだ、この先でどういう糸が必要とされるか、いまだに分かりません。
 特徴のある糸を作れることが大切だとは思いますが、まだ現実にそうした姿は見えてきません。
 でも私なりに、充実をした糸作りができているとは考えています。
 収入は多くありませんが、何とか生活はできます。
 急げば1日500グラムの糸をひけますが、400グラムに留めています。
 心の余裕が大事ですので、焦らず、丁寧にが私の持っているスタンスです。
 あら・・・・ねぇ、あれ。
 美和子ちゃんが歌った、白衣観音でしょ、あれって。ほら、あの山の上に見えるのは!」





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