平成25年1月20日(日)。
雨がつきものの今年度の佐織クラブ。今日という日に温存していたのでしょうか・・・。
厳しい寒さではありましたが新しい門出にふさわしい天気となりました。
卒団生の言葉を紹介いたします。。。
【背番号10】
ぼくが、野球に入ったのは、4年生の5月でした。入ったばかりの時はフライもまったくとれなくて、最初にゴロのとり方や、打ち方はKコーチに教えてもらいました。それから、Bの試合が多くなった時は、Iコーチにフライのとり方などを教えてもらい、4年生の後半あたりでやっとフライがとれるようになりました。そして5年生になった時に、A監督やM代表にノックを打ってもらうようになり、だいたいのフライもとれるようになり、ゴロも基本的なゴロはとれるようになっていきました。そして、5年生の後半ではAの試合に出してもらいました。
そして最後の6年生では、キャプテンをやらせてもらい、いろんな事を学べました。最初のAの試合ではキャプテンの仕事がわからず、とまどっていました。でも、どんどん試合をやるたびにだんだんキャプテンの仕事がわかってきました。夏のナイター戦では、準々決勝まで勝ち上がりましたが、川渕ハリケーンに負け、3位にはなれませんでした。そして、とうとう最後の大きい連盟の大会の海部津島連盟大会での正則ビッキーズ戦ではおしくも最終回の時に、サヨナラで負けてしまいました。その最後の打席で2アウトランナー2塁のチャンスで打てなかったのが今までで、一番くやしかったです。
それでも、野球を教えてくれた、監督やコーチのみなさん、今までありがとうございました。
【背番号1】
私は二年生の六月に入団しました。はじめたころは、ルールも全く知りませんでした。でも監督・コーチ、兄が分かりやすく教えてくださり、だんだんルールが分かることができました。
私が一番心に残っている試合は、正則ビッキーズ戦です。最後の大会だったので、絶対に負けたくないという気持ちがいつもより強かったことを覚えています。結果は負けてしまったけれど、自分の中では、一生懸命やったのでくいはのこりませんでした。
監督・コーチ・スタッフの方々から、野球のことだけじゃなく、あいさつなどの人間として大切なことをやさしく時には厳しく、教えてもらいました。これからも監督・コーチ・スタッフの方々に教えてもらったことを大切にします。本当に感謝しています。ありがとうございました。
お母さん方、いつも試合の時、忙しい中、遠いところまで、応援しに来てくださりありがとうございました。私はお母さん方の大きな声援もとても力になったと思います。本当にありがとうございました。
在団生のみなさん、これまで一緒に戦ってくれてありがとうございました。佐織クラブはなくなってしまうけれど、新しいチームの仲間と一緒にがんばってください。
ここまでこれたのは、お世話になった方々、全員のおかげだと思います。この五年間つらいこともあったけど、いままでつづけてこれて本当によかったと思います。
本当にこの五年間という長い期間ありがとうございました。
【背番号3】
ぼくが入団したのは、3年生のころになります。初めのうちは何も分からずやっていましたが、6年生の試合を見て、一生懸命やっていてヒットを打ったり三振をとったり守備でナイスプレーをして、すごいと思いました。その日Cの試合がありました。初ヒットを打つことができました。野球がこんなにも楽しいものだと、知りました。ヒットをいっぱい打ちたいと思いました。でもそのときは打ちかたもでたらめで、投げ方も、変でそんなとき教えてもらったコーチがKコーチです。Kコーチは打ち方や投げ方を教えてくれました。4年生になるとAの試合にもベンチに入るようになりました。そこで思ったのは、速い球を投げたり、ものすごい遠くに打つのでこんな6年生になりたいと思いました。五年生になるとIコーチに教えてもらうことが多くなりました。Iコーチは分かりやすく教えてくれました。Bの試合ではピッチャーをやることがありましたが、よく打たれたけれど、ストライクがはいるようにがんばりました。6年生になってA監督に教えてもらうことが多くなりました。試合での自分の役割や勝ち方を教えてもらいました。Aでは2番を打つことが多く、バントやエンドランのサインがよく出ましたが、上手に転がすことが、出来たと思います。打率は最終2割8分9厘でした。目標の3割にはいかず残念でした。IコーチやMコーチにはよくバッティングピッチャーをしてもらい、感謝しています。今日佐織クラブを卒団しますが監督とコーチには楽しさときびしさを学びました。これからも一生続けていきます。また4年間野球を続けてこれたのは、チームメイトのおかげです。ありがとう。在団生はいつも支えてくれて、ありがとう。これからは、チームが愛西ジュニアクラブに変わりますがずっと応援しています。頑張ってください。皆さん4年間ありがとうございました。
【背番号4】
ぼくが入団したのは、4年生の6月でした。ぼくはDくんに誘ってもらい、入団しました。今考えるとその誘いがなければ、野球を通してこんなにも楽しい時間をすごせなかったと思います。感謝しています。
最初は、ルールもわからずキャッチボールやバッティングもまったくできませんでした。特にフライは大の苦手でした。グローブを立てることができず、注意されてばかりでした。でも、土日が楽しくてしかたがありませんでした。
ぼくの心に残っている試合は、四市大会の弥富白鳥戦です。いつもサインミスをしたりチャンスで次につなぐことができなかったぼくが、初めてホームランを打てたからです。記念にいただいたホームランボールは、ぼくの宝物です。
もう一試合あります。それは、ナイターの川渕ハリケーン戦です。右に左に走りまくりました。負けてしまい3位になれず本当にくやしかったです。
ぼくはこの3年間で野球が大好きになりました。A監督は時に厳しく時に優しくそしていつもベンチでぼくたちを見守ってくださりました。M代表には、いつもバッティングピッチャーをしていただき、Iコーチには礼儀の大切さを教えていただき、S(h)コーチには試合中どんな時でも温かい声をかけていただき、Iコーチには夜間練習でバッティングを教えていただき、また、食が細かったぼくに「もっと食べろよ」と気にかけてくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。そして、多くのお父さんコーチお母さんたち声援ありがとうございました。エラーをしてもけっしていやな顔をせずに「ドンマイ」と声をかけてくれた心優しい6年生のみんな、いっしょに野球ができて本当によかったです。いつも楽しく練習したり試合をしてくれた在団生のみなさん、本当にありがとうございました。これからもがんばってください。
【背番号5】
ぼくは三年生の四月に入団しました。プロ野球を見てぼくもあんな風に打ってみたいと思い、入団しました。
佐織クラブには、おもしろい監督、コーチがいて楽しく教えてくれました。低学年の頃に、おせわになったのはKコーチでした。先輩たちが試合に行っているときは毎回、じごくのるいかんをやりました。きついときには、一時間以上も続きました。でもその後には、楽しい楽しい三角ベースをやらせてくれました。試合では打席に入るまえ、しんぱんにお願いしますと言いうことなどいろいろなことを三角ベースで学びました。
五年になると試合も多くなり、毎試合必ず「K声だせー」と言われました。試合でおこられてばかりなので、もうやめたい、楽しくないと思った時もありました。そんな時には先ぱい、コーチ、そして親がはげましてくれました。そのおかげで今ここでぼくは卒団式にでているのだと思います。
六年生になると、今まで守備やバントなどで貢献したいと思っていたのがバッティングでも貢献したいと思うようになりました。だから今年は、Iコーチとの夜間練習に参加し、バットもビヨンドを貸してもらいました。そうしたら、だんだん打てるようになってきて、バッティングも楽しいと思えるようになりました。
今年はメダルをとることはできなかったけれど三位決定戦には二回でれたので良かったと思います。
今思うと、五年のときにやめなくてよかったなと思います。
これで終わりです。
【背番号6】
ぼくは2年生の10月に野球を始めました。野球を始めたきっかけは兄が一か月前に佐織クラブに入部して野球をやっている姿を見ておもしろそうだったから始めました。最初の一年くらいはボールがこわかったです。4年生になるころにはボールが取れるようになりました。それはKコーチのおかげです。5、6年生がAの試合に行っている時いつもKコーチと残りじごくのベースランニングや激しいノックをしました。4年生になって初めて試合ができるようになったのも、今の6年生があるのもKコーチの厳しい練習に耐えてきたからだと思います。5年生になりBチームのキャプテンに指名されました。一生けん命声を出しチームを引っぱろうと思いました。
そしてついに最高学年になりました。最初はずっと負けていてとても悔しい思いをしました。夏が過ぎ、弥富市長旗が始まりました。一回戦・二回戦・三回戦まで勝ち準々決勝で負けてしまいました。ぼくたちはずっと1回戦でまけていたのでうれしかったし自信にもなりました。最後の公式戦は正則ビッキーズでした。その時は、3番セカンドで試合にでました。しかしぼくは2度のチャンスで打てなくてサヨナラ負けをしてしまいました。とても悔しかったです。今の中3のT先輩や中2のT先輩たちのチームのようにもっと勝ち強いチームになりたかったです。ぼくたちの努力が足りなかったです。くやしい気持ちを忘れずに、中学校でも野球を続けます。
12月になり佐織クラブがなくなることを聞きびっくりし悲しい気持ちになりました。佐織クラブで過ごした仲間のこと、野球を教えてくれた監督やコーチ、応援してくれたお母様方のことは忘れません。佐織クラブに入って本当によかったです。佐織クラブは忘れません。みんなも忘れないでください。
【背番号7】
ぼくが野球を始めたきっかけは、一年生のときにいっしょに遊んでいた六年生の人が野球をやっていておもしろそうだと思い始めました。
ぼくは二年生のころに初めて試合にでてセカンドを守り、初めてフライをとりました。そのときとてもうれしくてぼくはいままで野球を続けてきました。
福島では四年生まで野球をしていました。でも、三月十一日の東日本大震災で愛知県にひなんすることになり、佐織クラブに入団しました。野球をやっていたおかげで、友達ができて、学校が楽しくなりました。
ぼくがいままで野球を続けてこれたのは、初めてフライをとったうれしさと、お父さん、お母さん、のささえがあったからだと思います。たぶんそれがなかったらぼくは、東日本大震災後、野球をやっていなかったと思います。そして佐織クラブの監督・コーチ、お母さん方、いままで本当にありがとうございました。ぼくは佐織クラブに入団してよかったです。
卒団おめでとう
【8代目管理人】
1年間大変お世話になりました。はじめてのブログで初めはとまどいましたが、だんだん楽しみに変わっていきました。
不慣れのため、間違いなどありましたが、温かく見守って下さりありがとうございました。