NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

逝去20周忌、文益煥牧師追慕の集い

2014年11月20日 | NPO三千里鐵道ニュース

「平和と統一のための文益煥牧師追慕の集い」(11.16,名古屋YWCA)


11月16日、名古屋市YWCAで「文益煥牧師追慕の集い」が開催されました。集会は『三千里鐵道』を中心とした実行委員会が主催したもので、文牧師の家族と関係者、在日同胞と日本市民ら約70名が参加して開かれました。

50代の後半になって漸く民主化運動の表舞台に登場した文牧師は、自らをヌッポム(晩春)と号しました。1976年の「3・1民主救国宣言」で最初の投獄を体験した牧師は、その後も6度にわたって約9年間も収監されています。94年に76歳で永眠されましたが、晩年の半分は獄中で過ごされたわけです。

今年は文牧師の逝去から20年、訪朝した文牧師が『祖国平和統一委員会』との間で発表した「4・2共同声明」から25年目の年です。そうした節目の年に、名古屋の地で『三千里鐡道』が主体となって追慕の集いを持てたことは幸いでした。16日付の『統一ニュース』には、韓国から同行したキム・チグァン記者の報告記事が掲載されています。以下に要訳して紹介します。(JHK)


-ヌッポム(晩春)文益煥の精神で、来年を第二の「6・15時代」に!-


日本の名古屋YWCAで16日午後1時40分に開かれた「平和と統一のための文益煥牧師追慕の集い」で、『統一マジ』(マジは迎えるの意:訳注)理事長のイ・チャンボク「6・15共同宣言南側委員会」常任代表議長は、光復(解放)70周年である来年に“民族共同行事”を開催しようと提議した。

追慕集会は、名古屋市所在のNPO(非営利団体)『三千里鐵道』を中心とする実行委員会が、「文益煥牧師の逝去20周忌、4・2南北共同声明の25周年」記念行事として主催した。集会には『統一マジ』関係者と文牧師の家族ら韓国代表団10人と、在日同胞・日本人など60人余りが参加している。

韓国側開会辞を述べたイ・チャンボク理事長は“もうこれ以上、朴槿恵政府に期待することはない。私たち自らが‘統一への新たな局面’を作らなければならない”と宣言し、“来年は光復70周年、分断70周年、韓日協定50周年、6・15共同宣言15周年になる意味深い年だ。南と北そして海外の同胞が力を結集し、必ずや「民族共同行事」を成就しなければならない”と強調した。

また“文益煥牧師が私たちに残した貴重な教訓は、「壁を門だと思って怯まずに進め」ということだった。この‘文益煥精神’で、来年を「第二の6・15時代」にしよう”と訴えた。

さらにイ・チャンボク理事長は、“日本の再武装に反対し韓・米・日の軍事同盟を阻止する韓国社会の運動が日本の市民社会に伝えられ、平和を愛するすべての日本人との連帯が実現されねばならない。そのためには、韓国の進歩勢力と在日同胞が堅く団結することが優先的かつ必須の課題だ”と主張した。

次に、日本側の開会辞を述べた都相太『三千里鐡道』理事長は、文牧師の訪朝当時ユ・ウォンホ先生(文牧師の訪朝に同行:訳注)と合弁企業を運営していたことで、韓国政府から‘イジメ’を受けたエピソードを紹介した。“89年に文益煥牧師の一行が訪朝したことは、私たち家族にもとても意義深い事件だった”と語った。

都理事長は“25年が過ぎた今も文益煥牧師の思想と、その思想に基づいた実践はまだ成就されておらず、未完の課題として残っている。文牧師の20周忌を迎え未完の統一問題に取り組むうえで、この集いが大きな意志になれば幸いだ”と願いを伝えた。

続いてイ・スンファン『統一マジ』運営委員長は、“文牧師は‘統一は即ち民主’であり‘民主は民が主導’の意味であるから、‘統一も民の主導’と宣言した。この‘民主導の統一思想’が今日の韓国統一運動における中心思想だということは、もはや誰も否定できない”と意味を付与した。

また“文牧師は光復50年である1995年を控えて、‘決して分断50年を越えることなく統一しよう’と言われた。統一マジをはじめ南のすべての平和運動勢力は、来年の光復70周年、6・15共同宣言15周年をむかえて、東アジアの平和と南北関係の画期的転換を成し遂げるために多様な事業を推進していく”と表明した。

“日本で生まれ育った在日同胞”と自身を紹介した姜春根『三千里鐡道』副理事長は、“二十才になるまで自分が韓国人であることが本当に嫌だったし、日本社会で在日朝鮮人として生きて行くことにとても悩んだ。しかし、韓国で民主化運動にすべてを捧げる方々に出会って、自分の考えがどれくらい愚かなのかを悟った”と語った。

姜副理事長は“民族の団結した力で統一の大門を力強く開こうとの熱望で、文牧師は平壌に向かう一大勇断を下した。どんな難関があろうと、どんな苦労がありどんな悲しみがあろうとも、わが民族は必ず統一しなければならない”と激情的に演説した。

康宗憲『三千里鐵道』顧問は、監獄での出会いで始まった文益煥との縁を紹介して“4・2共同声明が重要なのは二点だ”と述べ、△政治・軍事分野だけでなくあらゆる分野の交流を北側が受け入れたこと、△段階的な連邦制を初めて北が公式化したこと、を挙げた。

また“89年の4・2共同宣言はその後、統一問題に極めて大きな影響力を発揮する。もちろん2000年「6・15南北宣言」にも継承されたが、その以前に二つの成果を確認できる。1992年「南北基本合意書」と1993年の「祖国統一10大綱領」だ”と指摘した。

康顧問は“89年4月、南の在野を代表する文益煥牧師と北の最高指導者の間で交わされた対話と共感が、その後の統一運動において貴重な資産となったものと確信する。統一は文牧師の雅号のように、ゆっくりと来る春なのだろう。だが、統一の晩春は必ず訪れるだろう。共に統一の門を開いて行こう”と結んだ。

文牧師の三男である文盛根『国民の命令』常任委員長は、“韓半島の情勢は総体的な難局に直面している。2014年の韓国社会を生きる私たちは、89年に訪朝した文益煥牧師が今更のように懐かしく思える”と語った。

文委員長は“来年に、市民100万~200万人が集まるオンライン広場を作る計画だ。このオンライン広場を通じて請願キャンペーンを展開し、市民と政党が協力しながら政策を立案すれば、市民を組織化できるだろう”と、構想の一端を明らかにした。そして“在外同胞も組織化し、オンライン広場が政党と共に在外同胞政策を執行するだろう”と付け加えた。

文委員長はさらに、“今の状況は文益煥牧師が訪朝した時よりも暗くない。オンライン広場を作って市民を組織し、政党を牽引して政権交替を成し遂げる。そして南北の平和と統一を成し遂げる。そんな夢を抱いている”と語った。

韓基徳『三千里鐵道』事務局長の司会で進行したこの集いは、『統一マジ』と『統一ニュース』、『6・15共同宣言実践日本地域委員会』が後援した。最後に、文益煥牧師の長女であるムン・ヨングン氏が家族を代表して謝辞を述べた。