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東海道を歩く・浜田町~日永の追分~石薬師宿

2017年06月09日 | 東海道を歩く

三重県最大の都市、四日市の夜をブラリ散歩。近鉄百貨店のレストラン街で夕飯を食べました。5日の朝は、朝食をしっかり摂り8時出発。涼しい朝です.前日終えたアーケードまで戻り歩き始めました。

阿せちばし標石

浜田町に入ってすぐの宗顕寺に「丹羽文雄生誕之地」碑があります。この寺の長男として生まれた。

浜田町の家並

近鉄名古屋線のガードをくぐり鹿化橋を渡ります。

大宮神明社

東海道から右に曲がる道のところにある水沢道標

両聖寺・天白川の堤を固めるつんつく踊りが今に伝わる。

日永の一里塚跡・日本橋より百里目

一本松・かつては松並木であった。この辺りから泊村迄は繩手と呼ばれ人家は無かった。

日永郷土資料館は月曜日のためお休み

東海道は追分に入りました。日永の追分・嘉永二年(1849)建立の道標「右京大阪道左いせ参宮道」、神宮遥拝鳥居、常夜燈、水屋がある。水屋には地元の人が入れ替わり立ち代わり水を汲みに来てました。私が水を飲んでいたら、ペットボトルに入れた水を一本「道中飲んでね」と言ってくれました。嬉しかったなぁ。9時50分

 

踏切を渡ると追分駅です。

百五銀行のところで左折、東海道は道が狭くなってきました。

古許曽神社・延喜5年(905)式内神社として神名帳に記載されている。1100年の歴史を有する式内神社

観音寺・山門の四脚門には「マカラ(鱗状の棟瓦)が上がっている。

内部川が流れる内部橋を渡ると采女町にはいります。久々にみた距離表示です。内部橋のトレースはややこしいので注意が必要です。土手を左折→内部橋右側を渡る→階段を降りる→ガードをくぐる→階段を上り緑色の橋を渡る。

いよいよ杖衝坂の急坂がまってます。伊吹山で賊と戦い傷ついた日本武尊が険を杖にして越えた坂。

芭蕉の句碑・「徒歩(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」芭蕉は貞享4年(1687)この坂で落馬している。

日本武尊はこの井戸で喝を癒した。

坂を行くと左に日本武尊血塚社がある。血塚社は傷による出血を封じたところ。

東海道は国道を進んでいきます。采女の一里塚

四日市市から鈴鹿市に入ってきました。東海道は左側です。

東海道に入ってすぐ右側の延命地蔵尊

石薬師宿に入りました。国分町の交差点で東海道は左に入って行きます。石薬師宿は四日市宿とと亀山宿との距離が長かったため、元和二年(1616)に設けられた。本陣 3軒 旅籠 15軒 人口 991人 12時20分

 

北町の地蔵堂

大木神社の鳥居・延喜式の古社で宿の鎮守

 

町は連子格や子をはめた古い家並が連なっています。小澤本陣跡

天野記念館

東海道は「信綱かるた道」として佐々木信綱の歌を道路沿いの左右に掲示しています。案内のマップがあるので是非もらってくださいね。

右側の小学校の隣にある石薬師文庫

佐々木信綱生家の庭には、信綱作詞の「夏は来ぬ」に読まれた「卯の花」が植えられている。

佐々木弘綱旧居之碑

瑠璃光橋を渡ります。

石薬師寺

石薬師の一里塚

石薬師宿を出て庄野宿へ向かって歩いて行きます。12時58分 

つづく

万歩計=計測中

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