フォト散歩

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東海道を歩く・金谷駅~日坂宿

2016年12月20日 | 東海道を歩く
暖かだった週末、一泊二日で東海道歩きに行ってきました。初の宿泊で、泊りは掛川です。前回終えた金谷駅から日坂宿、掛川宿、袋井宿、見付宿まで歩いてきました。新幹線で静岡まで行き、浜松行の東海道線に乗り換えて金谷駅に降りたのは8時50分。身支度を整えて9時出発。
不動橋を渡り常夜燈のある坂を上がっていくと金谷の石畳入口です。牧之原台地のお茶畑と小夜の中山をとても楽しみにしていました。牧之原台地のお茶畑は「人と自然が織りなす日本の風景百選」に選ばれてるそうですよ。


常夜燈




とてもよく整備された金谷の石畳


石畳茶屋


すべらず地蔵尊



諏訪原城跡・天正元年(1573)に武田勝頼が臣下馬場美濃守氏勝に作らせた山城。


とてものどかな景色の中を歩いて行きます。まぶしいくらいの太陽とさわやかな風に歩く足も軽やかです。
菊川坂石畳


ここから粟ヶ岳の茶の字が見えます。茶の字はこの先ところどころで見えますよ。




石畳を下ると間の宿・菊川です。




間宿・菊川の里会館「さんぽ茶屋」。朝市を兼ねた食堂らしく、地元で収穫した野菜などを使った料理が食べられます。


中納言宗行卿詩碑と日野俊基歌碑


左右にお茶畑が広がり気持ちのいい景色です。




急坂の青木坂(箭置坂やおきざか)を上っていきます。
接待茶屋跡から見た景色。どこまでも広がるお茶畑は開放感いっぱい。


久延寺・関ヶ原の戦いの時、山之内一豊は家康公をこの寺で接待した。


夜泣き石・遠州七不思議の一つ「夜泣き石」の伝説によると、昔、妊婦が山賊に襲われ、お腹の子は助かりましたが、母親の霊は丸石に乗り移り、夜ごと鳴き声が聞こえたそうです。久延寺の和尚に飴で育てられた子供は成長し、母親の仇を討ちました。


この辺りを小夜の中山といいますが、歌枕として古今集などで歌われている峠で、標高が252Mです。
子育て飴が売られている扇屋。


せっかくなので飴を食べてみました。水飴になっていて100円です。お店の人の話を聞きながら休憩。


小夜の中山公園にある西行法師の歌碑


扇屋を過ぎてからも右手に茶の字が見えます。


小夜鹿一里塚


東海道の難所中山峠の道沿いには歌碑、詩碑がたくさんありますよ。それを読みながら、どこまでも続く茶畑を眺めながら歩いていると歩く足ものんびりになりがちです。東海道ウォーカーにも何人かすれ違いました。某旅行会社のツァー(40人くらい)もいたりして賑やかな小夜の中山です。

鎧塚


白山神社


そういえば扇屋のご主人が話してました。日坂は世界農業遺産、茶草場の里に指定されているそうです。


馬頭観音


妊婦の墓


涼み松広場


芭蕉句碑


夜泣き石跡


広重の描いた「東海道五十三次日坂」の絵はこの辺りになるそうです。



最後の急坂「沓掛坂」二の曲がりです。看板が倒れていました。あとで聞いたところ、前日の強風で倒れたてしまったということでした。この坂は西から上るのはかなりきつい坂だと思います。



ここを越えれば日坂宿に入ります。東海道の宿場としては坂下(現三重県鈴鹿)、由比に次いで三番目に小さな宿場でした。
常夜燈




片岡本陣扇屋跡


日坂宿の街並み


問屋場跡


脇本陣黒田屋跡


藤文・商家藤文は、万延元年(1860)から慶応三年(1867)にかけて日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七邸跡で藤文部分が江戸末期に建てられたものです。


萬屋


旅籠川坂屋・江戸時代の面影を残す建物。身分の高い武士などが宿泊した脇本陣格で明治3年(1854)まで営業。説明を聞きながら中を見学できます。


高札場跡。


下木戸跡、12時5分日坂宿を出ました。


事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)本宮への階段(271段)。「ことのままに願いがかなう」という神社らしい。あとで知ったのですが、本宮のお社の周りにある白い石を3つ選んで布で石を磨がけば願いがかなうとか。知らなかったとはいえちょっと残念な気がします。


しばらく行くと八幡宮が左手に見えてきます。


日坂宿を後にして掛川宿をめざして歩いて行きます。つづく





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