長崎旅行最終日。
写真のアルバムはこちら。
今日で長崎ともお別れ。
であるならば、最後は長崎本来の目的で締めたいものだ。
つまり、平和公園だ。
今日で帰るとはいえ帰りの飛行機にはまだまだ時間がある。
なのでチェックアウトしたけどホテルに荷物を預かってもらってさっそく
観光開始。
路面電車にて浦上へと向かう。
地区としては浦上だが、浜口町で降り、一番近くにある長崎原爆資料館へと向かった。
同じ施設内には平和記念館がある。(写真1)
真っ先に見えるのは歴史民族史料館。
その横に原爆資料館が併設されており、まずはそっちから見学することにした。
どうも原爆というと、はだしのゲンという漫画を通して広島が目立ってよく知られていると思うが、
長崎も原爆が落とされたのだと改めて気づかされる。
原爆資料館としては建物の大きさは広島より小さいが、内容は同じくらい濃い。
ただ長崎のほうが被爆の様子が良く分かるように展示が作られている。
ミニ浦上周辺模型があるのだが、そこにレーザー光線みたいなので原爆投下のポイントと、
原爆破裂から秒単位でそのように爆風や熱線が広がっていったのかが分かる仕組みになっているのだ。
モニターでの映像ではない。模型と立体映像的なもので非常に分かりやすく、
鮮明にわかるようになっているのでものすごく胸が痛くなる。
人体への影響具合や折れ曲がった鉄筋、被爆した浦上天主堂の入り口部分のアーチの復元模型が
展示されており、広島の原爆資料館と同じくらい悲惨さが伝わってくる。
個人的によかったのは、被爆した実際のものを触って確かめられる展示があること。
もちろん放射能とかはちゃんと出てないよう処理されているのだろうから
あまり心配せずに己の手で原爆のすさまじさを確認できる。
全てをしっかり見ていると、長崎の原爆投下時刻の11時2分になった。
すると特別に作曲された音楽が鳴り始めた。
・・・まったく意識してなかったけれど、今日の、午前中に来てよかった。
なんというか、歴史を共有できた気がしていたたまれない気持ちになった。
暗い気持ちになっているわけではないのがポイントだ。
そして原爆資料館を出て向かったのは平和祈念館。
広島の追悼平和記念館と同じ趣旨で作られた施設だろう。
広島のものと決定的に違うのは至るところが「水」で演出されている。
なぜかというと、被爆した方々が熱線でやられてからのどの渇きを訴えて
水を非常に求めたかららしいのだ。
さすがに中は撮れないので外観で我慢。(写真2・3)
さらにこの祈念館、原爆落下中心地に向けて祈れるよう設計されている。
中心地に早く行きたいが気持ちを抑えて併設されている歴史民俗資料館に入る。
浦上も長崎。外国との接触に関する展示や浦上周辺の民家の民具の展示がされており、
わりとまんべんなく見られる展示。
それから資料館施設を離れて平和公園に足を運ぶ。
行ってみて分かったことだが、原爆落下中心地とテレビでよく見る平和祈念像は
若干離れていた。公園としても道を一本はさんで分かれている。
原爆落下中心地は追悼の意味もこもっているのか、円の段々でできている。(写真4)
そこから北に少し歩くともう一つの平和公園が。
こここそがよくテレビで見る平和祈念像がある公園だ。
この一帯がちょっとした丘になっているのか、長い階段を登る。(写真5)
そうして見えてくるのは噴水・・・とその真ん中に遠くだが平和祈念像が。
ここはまた最後に来るとして、すぐさま平和祈念像に歩み寄る。
結構な広場になっており、途中には各国から贈られたと思われる祈念像が。
正面にやっとはっきり見えてきた平和祈念像。(写真6・7)
もっと観光客がいるのかと思ったけど、割と少ない。観光的には見るものは少ないが、
じっくり眺めるのには十分だ。
これにて今日見るべきメインのものは見終わった。
次に向かったのは浦上天主堂。
大浦天主堂と似たようなものなのだろうと思ったら、こっちは観光向けというよりは、
実際に使われている雰囲気でわずかに観光用の雰囲気が見え隠れする程度。
つまり、観光用には整備されていない。良い意味で。
天主堂の脇には被爆したと思われる当時の像が。(写真8・9)
黒くただれているのではっきりわかる。
中は大浦天主堂のように礼拝堂の奥まで入ることは出来ない。あくまで入り口付近のみ。
きちんと寄付をして浦上天主堂を後にした。
さて、この時点で13時近く。そろそろお昼を食べたいが、浦上の名物とかはないのかな?
・・・ないみたいなので近くのコンビニでおにぎりを買って公園で食す。
近くにハトがいたのでパンのくずをあげると食べた。
おもしろいおもしろ・・・い!!?どんどんよってきた!!
まずい・・・これはまずい!!思わず笑ってしまうほど寄ってきたので
もう餌はないよと語りかけつつ急いでパンとおにぎりを食べてその場を去った。(写真10)
むやみに餌をあげてはいけませんねー。
あと残すは永井隆記念館と山王神社だ。
天主堂から近いのは永井隆記念館ということで足を運んでみた。
永井隆さんは放射線治療を学んだ軍医で、長崎にて己も被爆しながらも医者として
勤めた人物だ。
記念館の隣には如己堂という、永井隆が被爆後寝たきりになりながらも執筆に励んだ
畳2畳ほどの建物だ。(写真11)
展示も小規模ながらもきれいにまとまっていたのでスムーズに見ることができた。
さて、ここから逆に進むことで次の観光ポイントである山王神社にたどり着く。
山王神社には、原爆で被爆しながらもかろうじて残った一本柱の鳥居がある。
かーなーり歩くが一人旅ではまったく問題ない。
路面電車の駅にして3駅ほど進む距離だが使うのも微妙な距離なので歩く。
そしてたどり着いた山王神社。
一本柱の鳥居なんてないじゃん!
・・・と思ったら本来の参道とは違う方向から入ってしまったらしい。
本来の参道まで戻るとおお、あったぞ!(写真12)
吹き飛んだ鳥居の半分はというと、立っている鳥居からすぐの道の脇に崩れたまま残っている。
(写真13)
山王神社の入り口では大楠の木がお出迎え。これもやはり被爆したがしっかり残っている
ものの一つだ。
そして本殿で参拝しておこうと思って進んだら・・・あれ、工事中?
仕方ないので工事中の本殿に向かって参拝してその場を去った。
これで浦上観光は終わりだ。
だがあえて残したポイントがある。
なので平和祈念像のある平和公園まで戻った。
平和の泉から平和祈念像をしっかり見てなかったためだ。
というより、最初に行ったときに他の観光客がずーっと見ていたためゆっくり見られなかったのと
写真を撮れなかったためだ。
そこをしっかりおさえて浦上観光は終了だ。(写真14)
これで長崎観光は完了。
主要な場所で見逃したところは・・・ないはずだ。
というか、長崎の方には非常に申し訳ないが、普通に期待していた出島やグラバー園は
意外とあっさりしていてあれ?これだけ?と思える規模と展示だった。
亀山社中記念館もえ、これだけ?と思ってしまった。
良い意味として、外国文化と長崎古来の文化、そして坂本龍馬関係が
織り交ざってしまっている都市だからなのだろうか。
いや、もっとちゃんとしっかり見れば違うんだろうけれど、
自分が4日間かけて回った中では結構早くに限界が見えてしまっていた旅だった。
うーん、自分が純粋に楽しめる旅がいいのか、何かしら考えさせられる
教訓がある旅がよいのか。自分が求めている旅とは何か、を
改めて考えてみようと初めて思った旅になった。
写真のアルバムはこちら。
今日で長崎ともお別れ。
であるならば、最後は長崎本来の目的で締めたいものだ。
つまり、平和公園だ。
今日で帰るとはいえ帰りの飛行機にはまだまだ時間がある。
なのでチェックアウトしたけどホテルに荷物を預かってもらってさっそく
観光開始。
路面電車にて浦上へと向かう。
地区としては浦上だが、浜口町で降り、一番近くにある長崎原爆資料館へと向かった。
同じ施設内には平和記念館がある。(写真1)
真っ先に見えるのは歴史民族史料館。
その横に原爆資料館が併設されており、まずはそっちから見学することにした。
どうも原爆というと、はだしのゲンという漫画を通して広島が目立ってよく知られていると思うが、
長崎も原爆が落とされたのだと改めて気づかされる。
原爆資料館としては建物の大きさは広島より小さいが、内容は同じくらい濃い。
ただ長崎のほうが被爆の様子が良く分かるように展示が作られている。
ミニ浦上周辺模型があるのだが、そこにレーザー光線みたいなので原爆投下のポイントと、
原爆破裂から秒単位でそのように爆風や熱線が広がっていったのかが分かる仕組みになっているのだ。
モニターでの映像ではない。模型と立体映像的なもので非常に分かりやすく、
鮮明にわかるようになっているのでものすごく胸が痛くなる。
人体への影響具合や折れ曲がった鉄筋、被爆した浦上天主堂の入り口部分のアーチの復元模型が
展示されており、広島の原爆資料館と同じくらい悲惨さが伝わってくる。
個人的によかったのは、被爆した実際のものを触って確かめられる展示があること。
もちろん放射能とかはちゃんと出てないよう処理されているのだろうから
あまり心配せずに己の手で原爆のすさまじさを確認できる。
全てをしっかり見ていると、長崎の原爆投下時刻の11時2分になった。
すると特別に作曲された音楽が鳴り始めた。
・・・まったく意識してなかったけれど、今日の、午前中に来てよかった。
なんというか、歴史を共有できた気がしていたたまれない気持ちになった。
暗い気持ちになっているわけではないのがポイントだ。
そして原爆資料館を出て向かったのは平和祈念館。
広島の追悼平和記念館と同じ趣旨で作られた施設だろう。
広島のものと決定的に違うのは至るところが「水」で演出されている。
なぜかというと、被爆した方々が熱線でやられてからのどの渇きを訴えて
水を非常に求めたかららしいのだ。
さすがに中は撮れないので外観で我慢。(写真2・3)
さらにこの祈念館、原爆落下中心地に向けて祈れるよう設計されている。
中心地に早く行きたいが気持ちを抑えて併設されている歴史民俗資料館に入る。
浦上も長崎。外国との接触に関する展示や浦上周辺の民家の民具の展示がされており、
わりとまんべんなく見られる展示。
それから資料館施設を離れて平和公園に足を運ぶ。
行ってみて分かったことだが、原爆落下中心地とテレビでよく見る平和祈念像は
若干離れていた。公園としても道を一本はさんで分かれている。
原爆落下中心地は追悼の意味もこもっているのか、円の段々でできている。(写真4)
そこから北に少し歩くともう一つの平和公園が。
こここそがよくテレビで見る平和祈念像がある公園だ。
この一帯がちょっとした丘になっているのか、長い階段を登る。(写真5)
そうして見えてくるのは噴水・・・とその真ん中に遠くだが平和祈念像が。
ここはまた最後に来るとして、すぐさま平和祈念像に歩み寄る。
結構な広場になっており、途中には各国から贈られたと思われる祈念像が。
正面にやっとはっきり見えてきた平和祈念像。(写真6・7)
もっと観光客がいるのかと思ったけど、割と少ない。観光的には見るものは少ないが、
じっくり眺めるのには十分だ。
これにて今日見るべきメインのものは見終わった。
次に向かったのは浦上天主堂。
大浦天主堂と似たようなものなのだろうと思ったら、こっちは観光向けというよりは、
実際に使われている雰囲気でわずかに観光用の雰囲気が見え隠れする程度。
つまり、観光用には整備されていない。良い意味で。
天主堂の脇には被爆したと思われる当時の像が。(写真8・9)
黒くただれているのではっきりわかる。
中は大浦天主堂のように礼拝堂の奥まで入ることは出来ない。あくまで入り口付近のみ。
きちんと寄付をして浦上天主堂を後にした。
さて、この時点で13時近く。そろそろお昼を食べたいが、浦上の名物とかはないのかな?
・・・ないみたいなので近くのコンビニでおにぎりを買って公園で食す。
近くにハトがいたのでパンのくずをあげると食べた。
おもしろいおもしろ・・・い!!?どんどんよってきた!!
まずい・・・これはまずい!!思わず笑ってしまうほど寄ってきたので
もう餌はないよと語りかけつつ急いでパンとおにぎりを食べてその場を去った。(写真10)
むやみに餌をあげてはいけませんねー。
あと残すは永井隆記念館と山王神社だ。
天主堂から近いのは永井隆記念館ということで足を運んでみた。
永井隆さんは放射線治療を学んだ軍医で、長崎にて己も被爆しながらも医者として
勤めた人物だ。
記念館の隣には如己堂という、永井隆が被爆後寝たきりになりながらも執筆に励んだ
畳2畳ほどの建物だ。(写真11)
展示も小規模ながらもきれいにまとまっていたのでスムーズに見ることができた。
さて、ここから逆に進むことで次の観光ポイントである山王神社にたどり着く。
山王神社には、原爆で被爆しながらもかろうじて残った一本柱の鳥居がある。
かーなーり歩くが一人旅ではまったく問題ない。
路面電車の駅にして3駅ほど進む距離だが使うのも微妙な距離なので歩く。
そしてたどり着いた山王神社。
一本柱の鳥居なんてないじゃん!
・・・と思ったら本来の参道とは違う方向から入ってしまったらしい。
本来の参道まで戻るとおお、あったぞ!(写真12)
吹き飛んだ鳥居の半分はというと、立っている鳥居からすぐの道の脇に崩れたまま残っている。
(写真13)
山王神社の入り口では大楠の木がお出迎え。これもやはり被爆したがしっかり残っている
ものの一つだ。
そして本殿で参拝しておこうと思って進んだら・・・あれ、工事中?
仕方ないので工事中の本殿に向かって参拝してその場を去った。
これで浦上観光は終わりだ。
だがあえて残したポイントがある。
なので平和祈念像のある平和公園まで戻った。
平和の泉から平和祈念像をしっかり見てなかったためだ。
というより、最初に行ったときに他の観光客がずーっと見ていたためゆっくり見られなかったのと
写真を撮れなかったためだ。
そこをしっかりおさえて浦上観光は終了だ。(写真14)
これで長崎観光は完了。
主要な場所で見逃したところは・・・ないはずだ。
というか、長崎の方には非常に申し訳ないが、普通に期待していた出島やグラバー園は
意外とあっさりしていてあれ?これだけ?と思える規模と展示だった。
亀山社中記念館もえ、これだけ?と思ってしまった。
良い意味として、外国文化と長崎古来の文化、そして坂本龍馬関係が
織り交ざってしまっている都市だからなのだろうか。
いや、もっとちゃんとしっかり見れば違うんだろうけれど、
自分が4日間かけて回った中では結構早くに限界が見えてしまっていた旅だった。
うーん、自分が純粋に楽しめる旅がいいのか、何かしら考えさせられる
教訓がある旅がよいのか。自分が求めている旅とは何か、を
改めて考えてみようと初めて思った旅になった。









