Sandy Cowgirl

植田昌宏。在阪奄美人。座右の銘は、「死ぬまで生きる。」

i(アイ)

2017-06-10 16:03:53 | 書評


入り江に囲まれて、街中からは、外海がみえない。
でも、そこには確かに生活の糧となる豊かな海がある。
そこから、ある日、大波が寄せてきた。
その前に地震が起きた。
大波は、街中のあらゆるものを根こそぎ、上の方へ、上の方へと流す。
とどまることが知らない波は、次々に押し寄せ、眼下には逃げ遅れた確かな生命が、信じられないほど、生殺しにされている。

そんな街に、僕は、その夏、1ヶ月ほど住み着くことになった。
俗にいうボランティアだ。
駅前交番、と書いてある看板があるのに、駅も、交番も無い街、
隣町は、これは、干拓した新しい土地なのだろうか、とみまごうほどの平地だ。
奇跡の一本松と言われているらしいものがみえるが、そこに希望は何もない。
ただ、絶望と、死んだ人間がそうさせるのか、夏なのにあまりにも背中がゾクゾクする寒い風景だけがある。

なにもできないかもしれない。

でも、なにかできることがあるかもしれないとも思った。

だから、僕は社協やベース独自のボランティアもちゃんとやって、
その上で、ベースがどうやったらうまく回るか、って、考えた。
結論は、人がやらないことをやるのが僕の役割だ、と。
仲良くなったのに、去っていき、残されて、寂しくて、
だったら、仲良くなんかならなければ良かった、と思い,
でも、それも違うな、暖かく迎えて、暖かく送り出すのも役割かもしれない、と思った。

そんなとき、3人の神学生がやってきた。
1人は背の高いインド人の男性、1人はインドネシア人の女性、そして、もう1人は韓国人の女性Fだ。
いちいち感傷的にならないように決めた僕にとって、Fが来たことはただの出来事だった。
だけど、僕が、これをしよう、と思った時には、Fが先回りするか、
逆に、Fが、これをしよう、と思った時には、僕が先回りするか、
結局何が起きるか、というと、僕は、四六時中Fと一緒にいた。

修道生活に入っている彼女に、化粧っけもない彼女に、僕は性的な感情抜きに接することができる、
この上ない、安心感をもって、丸腰の心は無防備だ。
ミーティングの時に彼女が先にいれば、僕は当たり前のように彼女の横に行き,
僕が先にいれば、彼女は当たり前のように僕の横に来る。
本当に、それがいいことだと思った。

そこでは、毎日、夕礼がある、被災者への祈りを捧げる時間でもある。
ある日、今日の振り返り、をするとき、Fは言った。

「今日は、一日、私のアイデンティティーが何か、それを考えていました。」

ガツン、と殴られた気持ちになった。
それは僕が帰る日の2日前だ。

次の日、僕はFとできるだけ一緒にいないようにした。
でも、夜は、復興の小さなお祭りがあり、お祭りを盛り上げるため、皆で盆踊りに参加した。
盆踊りなんて、わからないし、たどたど、まごまご、していたら、
威勢の良い地元の美容師さんに教えてもらった、キレイな人だ、おばちゃんだけど。
お互い顔も覚えている地元の人たちと最後の夜、盆踊りで和んでいた僕。
小休止のあと、再開した盆踊りの輪の隣には、いつのまにFがいた。
あいまいな笑顔でみつめあい、マイムマイムが流れると、
2人とも、早くそうしたかったのに、やっと口実ができた、とばかりに手をつないで、
2人で照れくさそうに笑いながら、見つめ合った。前なんか向かず、ずっと、横を向いていた僕と彼女。
手と手でつながった、その相手である彼女の笑顔は、
緩みすぎて、こっちが笑ってしまうほど、だらしなかった、でも、それは、本当に笑顔なんだなって思えた。
たぶん、僕も、もっと、よっぽど、だらしない笑顔をしていたのだろう。

次の日の朝,僕は、何も言わずに、バスに乗って、仙台へ向かった。
慌ててバス停まで見送りに来てくれたインド人の男の子は、
何度も聞こうとして、やめて、また、聞こうとして、やめて、また、その繰り返し、僕はしらんぷりをした。
聞きたかったことは1つなんだろうけど。

隣町は、これは、干拓した新しい土地なのだろうか、とみまごうほどの平地だ。
奇跡の一本松と言われているらしいものがみえるが、そこに希望は何もない。
ただ、絶望と、死んだ人間がそうさせるのか、夏なのにあまりにも背中がゾクゾクする寒い風景だけがある。

僕はそれをみながら、おいお、泣いた。とめどもなく泣いた。
声を押し殺すので必死だが、とまらない。
理由は分からない。
人間って、こんなに鼻からも涙がでるんだな、と感心した。






というわけで、西加奈子サンの i(アイ) は、アイデンティティーを題材にした作品だ。
ルーツや、境遇、周りとの距離感に悩む。
そして、時に優越的な状況が、逆に強烈な劣等感を生み出す。
逃げ込める場所を探し、人を愛し、頼って、
でも、やっぱり意固地になって、
そして、どうしようもなくて、何かを探す。

それは祈りなのだ、と、僕は思う。

本作は、西加奈子サンにとって、これまでと異なる作風の門出となる記念すべき作品だと思う。
サラバ!でも、須玖が現実の出来事と、自分のアイデンティティーに思い悩む姿が登場するが、
本作は、それを主題においた作品だ。

みんなと仲良くしたいし、
両親ともうまくやりたいし、愛しているし、愛されたい。
でも、現実に起きるいろんなこと、
それは、例えば、身近なものもあれば、もっと悲惨な大きな出来事もある。

僕は何をすればいいんだろう?

と、これを読んで改めて思った。

知らなきゃいけない、
調べなきゃいけない、
できることやらなきゃいけない、

っていうのと、

本心なの? 偽善なの?
お前自身、そんな余裕あんの?
ぶっちゃけ、そんなん関係なくない?

っていうのもある。


メトロノームは、右と左にカチカチ揺れて、
どっちなのか、知らせてくれない。

だけど、
i(アイ) のラストシーンは、爽快だ。

どう理解するのかは、人それぞれだけど、
僕は、こう思う。

私はここにいるよ、あなたのことは忘れない、
いじわるで物足りないかもしれないけど、
ホントに、何かを感じている人が確かにいるんだよ、
それが、私、アイデンティティー、だって。



ぜひ、読んでみてください。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 死の棘 | トップ | ゴールデンスランバー »

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。